織姫と凶獣

京衛武百十

文字の大きさ
上 下
9 / 38

ストッパーとコントローラー

しおりを挟む
織姫の存在は、結人が自らの狂暴性で過ちを犯す危険性を大きく緩和させていた。彼女の存在なしでは、彼はとっくに取り返しのつかない事件を起こしていただろう。それくらいに彼にとっては重要な存在だったのである。

ただ、彼女は彼の付属物ではない。彼女には彼女の人生があり時間がある。彼に過ちを犯させない為だけに彼女を彼の下に縛り付けておくわけにもないかない。いずれは彼自身が自らを律し彼自身の力で自らの人生を切り開いていかなければいけなくなる。彼女が不死不滅の存在でない以上は。

だが残念なことに、鷲崎織姫わしざきおりひめには彼に対してそういうものを提供できる素養がなかった。彼女自身は非常に優れたストッパーではあるが、コントローラーではないのだ。そして、自らのコントロールを他人に依存している限り、自立は難しい。

鯨井結人くじらいゆうとは、勉強は好きではないが決して知能は低くない。むしろ瞬間的なひらめきや現状把握のについては平均以上のものを見せることもある。子供故の未熟からそれを上手く活かせない時はままあるものの、決して致命的な愚鈍ではなかった。要はそれを活かす方法を学べばよいのだ。

織姫にそれができればよかったのだが、無いものを望んでも都合よく現れたりはしない。だから足りない部分は他で補うしかないのである。平たく言えば、『他人を頼る』ということだ。

努力は確かに大切だろう。努力することなく諦めるのはただの怠惰だと思われる。しかし、努力すれば誰でも百メートルを九秒台で走れるようになる訳でもなく、一流の野球選手以上の努力をした人間がプロの野球選手になれるとは限らない以上、それぞれの人間で出来ることと出来ないことがあるという事実は動かしようがない。出来ないことをやろうとして出来ない自分に絶望し自棄を起こすくらいなら、出来る人間を頼るのが結局は社会的なリスクも減ると考えることもできる。

結人を産んだ母親は、それを理解できない人間だった。不倫で幸せを掴むなんて自分にはできないこと、誰の助けも借りずに赤ん坊を育てるなんて自分にはできないこと、そういう諸々を理解できないから、自分にはそれは出来ないということを理解して別の選択をするというのができないから、自分も苦しんであまつさえ結人を殺しかけてしまったのだ。自分には無理だというのを早々に受け入れて結人を施設に預けてしまえばそれ以降の余計な苦しみはなかったかもしれないのだから。

無論、結人を手放したとしても本人が幸せになれた保証はない。自分に出来ることと出来ないことの区別もついていない愚かな彼女では、その後も同じ失敗を延々と繰り返した可能性の方が高い。しかし少なくとも結人が被害に遭うことは防げた筈だ。ましてや自分の母親の手にかかって死にかけるような目に遭うことはなかった。それが、結人の母親が犯した最大の過ちであっただろう。

しかし一方で、その事件がなければ結人と織姫が出会うこともなかったのも事実ではある。とは言え、その事件に至る経緯がなければ、結人もここまで危険な少年になることもなかったこともまた事実かもしれない。

さりとて今この時点では彼がそういう少年に育ってしまっているという現実がある以上は、彼に自らの危険性と向き合いそれを制御できる人間になってもらわなければいずれ取り返しのつかない事件が起きる危険性が高い。何しろ彼は、他人を傷付けることに何の躊躇いも持ち合わせていないのだから。その為の具体的な方策を織姫は持っておらず、また、彼女は独力でそれに気付くことができるタイプではなかった。彼女は、結人のように己の存在の根源から湧き上がる怨念というものに囚われるということ自体が無縁だったのだから。

彼女は両親に愛され、その存在を無条件に肯定されて育った。だから大学時代の山下達やましたいたるや結人のような人間のことでも肯定的に受け入れることができる器を持っていた。が、そこから先の展望がなかった。言うなれば、『赦す』ことはできても『諭す』ことが彼女にはできないということだろうか。そして、山下達や結人のような人間を感覚的に理解することも、共感できる部分を全く持たない彼女には無理なのだった。

彼女が結人の感情の発火点を上手くはぐらかすことが出来ている今のうちに、彼に自制の為の具体的な対処法を身に着けてもらう必要があったのだ。しかも早急に。

結人はもう小学六年生。本人にはまだそこまでの実感はないようだが、そう遠くないうちに大人相手でも負けないだけの体力もつくだろう。彼がそれを自覚した時、大人への本格的な報復が始まる。そのカウントダウンは既に始まっている。彼自身がそれを望んでいるのだから。

もしそれが実行されてしまった場合、どれほどの苦痛と悲しみと不幸がばら撒かれることになるのか、考えるのすら恐ろしい。

そんなこの時期に、織姫が山下達と再会したことは、まさに僥倖だった。なぜなら、山下達はその本質の部分において結人と同じ種類の人間だからだ。にも関わらず今なお無事に平穏な暮らしを続け、幸せな家庭を築くことができている。山下達がなぜそれを実現できたのかを、結人は学ぶ必要があった。彼自身が幸せを掴む為にも。

山下達が今の幸せを掴むことができたのも、本人一人の努力による結果ではない。その為に必要なことを学ぶ機会が、他人からもたらされたおかげである。でなければ、山下達は今でも鷲崎織姫を温かく自らの部屋に招き入れるような人間にはなれていなかっただろう。それどころか、彼女に結人のことでアドバイスができるような人間にもなっていなかったに違いない。それは、他ならぬ山下達本人が自覚していることでもある。

人は、一人では生きられない。裸で自然の中に放り出されれば、一部の例外を除いて数日で死んでしまうような脆弱な生き物だ。どんなに『自分は一人だけの力で生きている』と高らかに声を上げても、それは実際には多くの人間が存在し、それら他人の力で維持されている社会の中で『一人で生きているような気になっているだけに過ぎない』と言っても過言ではあるまい。単に、自分がいる環境のことを理解できていないだけだろう。

自分が一人だけの力で生きているのではないということが理解できるなら、他人への感謝の気持ちというものも抱きやすいのかもしれない。

結人も、それを全く理解していなかった。今は子供だから織姫を利用して生き延びている。自分はこいつを利用できるくらい頭の回る人間だと考えていたが、本当は織姫一人の力ではないことを気付いていないだけだ。彼はこの世の全てを憎み嘲笑しているが、それは所詮、釈迦の掌の上で増長している孫悟空の姿そのものでしかない。彼が思っているように本当に社会から見捨てられていたなら、彼は既に生きてすらいなかっただろう。見捨てられたように感じていても、実はまだ完全には見捨てられていないのだ。彼にそのことを理解してもらわなければならない。それが理解できれば、彼の憎悪は劇的に緩和する筈だから。

とは言え、それは決して簡単なことではない。何度か彼に説教したところで届くことは決してない。だから彼は今もなお危険なのである。

彼がそれを理解するには大変な労力と時間が必要になると思われる。そしてそれを提供できるのは織姫ではなかった。彼と本質的に同種で、かつ実際にそういう自分を乗り越えてきた人間でなければ、彼に伝わる形でそれを提示することは非常に困難なのだった。

例えるなら、山下達は鯨井結人にとってのワクチンのようなものなのかもしれない。

しおりを挟む

処理中です...