ショタパパ ミハエルくん

京衛武百十

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第六幕

本来であれば自然な振る舞い

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『生きるためだよ……生きるためなら、自分の肉親だって食べることはある。それは何も間違ったことじゃない……』

メアリーのその言葉は、人間の感覚からすればとんでもないものだっただろう。それこそ、

『悪魔の言葉だ!!』

と断罪されたかもしれない。無責任な赤の他人は、

『自分の命を投げ打ってでも子供を救うのが親だ!』

などと綺麗事を並べたりするかもしれない。しかしそのようにして今のエドマンドを責めるような人間に本当に<善性>などというものがあると思うのか?

エドマンドが経験した<地獄>を知りもしないで、口先だけの綺麗事で彼を断罪できると考えるような人間が本当に<善>なのか? 彼がどれほどの苦しみを味わったのかをまず理解しようとするのが本来ではないのか?

メアリーもエルビスもそれを分かっているからこそ、エドマンドがたとえ自身の子供の死体を食べて生き延びたのだとしても、それ自体は<命あるもの>としては本来であれば自然な振る舞いであることを分かっていた。だから彼を責めなければいけない理由がそもそもない。

しかし同時に、安易に同情をするわけでもない。エドマンドが今、爪が食い込むほど自分の腕を握り締めたりしているのは、彼が感じている罪悪感の強さを物語っているのだろう。自分がそれほどまでに罪深いことをしてしまったのだという思いからこそのもののはずなのだ。

安易な慰めや同情は、そんな彼自身を否定することにもなりかねない。だから今は、メアリーもエルビスも、それ以上は何も言わなかった。彼が自分自身を傷付けるまでに感情を昂らせていることを否定もしなかった。

それは必要なことなのだ。自分がしてしまったことを現実として向き合うために。

その事実に耐えられなくて記憶に蓋をしてしまう者もいるだろう。そういう者はあくまで防御反応としてそれを行っているのだから、無理に思い出させるのはこれまた違うはずである。今の時点では耐えられないのが分かっているがゆえの防御反応を蔑ろにするのもまた、当人を否定することになる。

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