ショタパパ ミハエルくん

京衛武百十

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第五幕

他者の痛みに共感し続けられないからといって

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そんなことがありつつも、僕達はそれからも、半月ばかり滞在することになっている。昆虫の観察のためだ。

セルゲイにとっても悠里ユーリにとっても、とても大切なことだからね。

安和アンナも、食事をして一息つけば平然としていた。自分達とはまったく縁もゆかりもない人間の痛みについていつまでも共感していることはできない。

これは、『他者の命を軽んじるとか』そういうのとはまったく別の話だ。他者の痛みに共感し続けられないからといって、他者の命を蔑ろにしていいということでもない。

僕達吸血鬼を人間の法律で縛ることはできないけれど、人間が同じ人間の命を奪うことを禁忌とするにはきちんと合理的な理由がある。

それはテロリスト達が自分達の国を運営していくだけの能力を持っていないこととも関係している。

彼らは実際には自分達の力だけでは満足な生活を営むことすら実はできていないんだ。そして、テロを行うことさえ、<支援>頼みなんだよ。

これこそが、人間が人間の命を奪ってはいけない根拠なんだ。

これまでにも何度も語ってきたけど、非力な人間は自分の力だけでは生きていくことさえままならない。<他者の存在>そのものに人間は依存している。自分以外の他者が存在し、互いに力を合わせることでしか生きていけない生き物なんだ。そんな人間が人間の命を疎かにするというのは、

『人間である自身が生きていくためのリソースを奪う』

という酷い自己矛盾なんだよ。

自分達を支援してくれている人間がどこかで殺されていたら支援を受けられなかったかもしれないんだ。

『他にも支援してくれる者はいる!!』

と言うかもしれないけど、おかしいな? 『支援をしてくれる人間が他にもいる』なら、どうしてその人間は今この時点で支援してくれていないの? まだまだぜんぜん支援は足りていないんだよね? テロを続けるにも、この国を自立させるにも。

十分に支援が集まっているから抑えているわけじゃないよね?

そうやって<他者というリソース>頼みで存在しているのに、その<他者というリソース>を蔑ろにする行為は本当に正しいの?

これは大国側も同じだよ。人間がいてこそ国というものは成り立つのにその人間を蔑ろにするなんて、自分の体を自分で食べているのと同じじゃないかな?

『どうせ人間なんていくらでも生まれてくるから!』

と言うのなら、少子化が問題になっている国があったりするのは、なぜなんだろうね。

『どうせ人間なんていくらでも生まれてくる』なんて実はなんの根拠もないという事実があるのに、どうしてそれに目を向けないの?

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