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第二幕
責任転嫁
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『自分は悪くない!』
冠井迅の父親は、自分に責任があると認めたくないがために、徹底的に自分以外の人間の所為にしてきた。
これまでずっと。
若い頃にも、自動車を運転していて速度違反で取り締まられれば、
「流れに合わせて走っていただけだ。自分は悪くない。実情に合っていない速度制限を設けているのが悪い」
と主張し、不法駐車で取り締まられれば、
「近くに無料の駐車場が設置されていないのが悪い。たった数分の駐車で金を取るのはおかしい」
と主張した。
また、仕事では、顧客からの依頼に対して自身が思い違いをしてトラブルになれば、
「依頼の内容が不明瞭なのが悪い」
と主張し、その一方で、自分が部下に対して曖昧な指示を出したのを部下が誤解して失敗したことで監督責任を問われれば、
「その程度は読み取れるのが当たり前」
と抗弁し、
自分が出した指示が曖昧だったことを改めて指摘されると、
「指示が不明瞭だと思うのならちゃんと確認しないのが悪い」
などと言い出す始末だった。
顧客からの依頼に対して、
『依頼の内容が不明瞭なのが悪い』
と言う一方で、
自分の指示の曖昧さについては、
『ちゃんと確認しないのが悪い』
などと、完全に矛盾していることを自分で気付いていない。
そう、どこまでも、
『悪いのは自分以外の誰か。自分は常に他人のいい加減さの被害者である』
というのが冠井迅の父親の考え方だった。
冠井迅はしっかりとその父親の考え方を学び取っている。
『自分はちゃんと男らしく振舞っている。それに文句を言う奴が悪い』
と。
そのように主張するだけなら、<言論の自由>や<表現の自由>や<思想信条の自由>が認められている以上は自由にすればいいのだろう。
けれど、『主張するのは自由』というのと、『主張が認められる』のとは、まったく別の問題である。
当然、冠井迅の父親の主張を学校の担当弁護士は受け入れることはなかった。
もっとも、弁護士としては、冠井迅の父親が息子の管理監督を徹底し、今後同じような行為をさせないことを誓ってくれれば、今回に限っては和解してもいいと考えていた。
なのに、冠井家側がその和解の芽を摘み、さらに問題を大きくしたのだ。
こうして、冠井迅の行為は<暴行の非行事実>として家庭裁判所へと持ち込まれ、司法の判断を仰ぐこととなった。
無論、今回の件だけで実際に何らかの刑法上の責任を問われることはないと見られている。せいぜいが、
『もう二度とこのようなことはしない。させない』
などの言質をとり、それをもって幕引きとなるはずだった。
あくまで、『その判断を下すのは司法である』ということをはっきりさせるための手続きに過ぎなかったのである。
冠井迅の父親は、自分に責任があると認めたくないがために、徹底的に自分以外の人間の所為にしてきた。
これまでずっと。
若い頃にも、自動車を運転していて速度違反で取り締まられれば、
「流れに合わせて走っていただけだ。自分は悪くない。実情に合っていない速度制限を設けているのが悪い」
と主張し、不法駐車で取り締まられれば、
「近くに無料の駐車場が設置されていないのが悪い。たった数分の駐車で金を取るのはおかしい」
と主張した。
また、仕事では、顧客からの依頼に対して自身が思い違いをしてトラブルになれば、
「依頼の内容が不明瞭なのが悪い」
と主張し、その一方で、自分が部下に対して曖昧な指示を出したのを部下が誤解して失敗したことで監督責任を問われれば、
「その程度は読み取れるのが当たり前」
と抗弁し、
自分が出した指示が曖昧だったことを改めて指摘されると、
「指示が不明瞭だと思うのならちゃんと確認しないのが悪い」
などと言い出す始末だった。
顧客からの依頼に対して、
『依頼の内容が不明瞭なのが悪い』
と言う一方で、
自分の指示の曖昧さについては、
『ちゃんと確認しないのが悪い』
などと、完全に矛盾していることを自分で気付いていない。
そう、どこまでも、
『悪いのは自分以外の誰か。自分は常に他人のいい加減さの被害者である』
というのが冠井迅の父親の考え方だった。
冠井迅はしっかりとその父親の考え方を学び取っている。
『自分はちゃんと男らしく振舞っている。それに文句を言う奴が悪い』
と。
そのように主張するだけなら、<言論の自由>や<表現の自由>や<思想信条の自由>が認められている以上は自由にすればいいのだろう。
けれど、『主張するのは自由』というのと、『主張が認められる』のとは、まったく別の問題である。
当然、冠井迅の父親の主張を学校の担当弁護士は受け入れることはなかった。
もっとも、弁護士としては、冠井迅の父親が息子の管理監督を徹底し、今後同じような行為をさせないことを誓ってくれれば、今回に限っては和解してもいいと考えていた。
なのに、冠井家側がその和解の芽を摘み、さらに問題を大きくしたのだ。
こうして、冠井迅の行為は<暴行の非行事実>として家庭裁判所へと持ち込まれ、司法の判断を仰ぐこととなった。
無論、今回の件だけで実際に何らかの刑法上の責任を問われることはないと見られている。せいぜいが、
『もう二度とこのようなことはしない。させない』
などの言質をとり、それをもって幕引きとなるはずだった。
あくまで、『その判断を下すのは司法である』ということをはっきりさせるための手続きに過ぎなかったのである。
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