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3章 Day and Day
1話 入団式
しおりを挟む真っ白なシャツの裾をズボンに収め、革製のベルトを着ける。だぼっとした紺色の上着に袖を通す。かっちりした服は着慣れないため、首が詰まったような感じがして動きにくい。大きく開いた襟ぐりをきゅっきゅっと整える。
「直前になって悪いねぇ。腕回り、きつくないかい?」
床に膝をついた初老の男性に訊ねられ、リュウヤは肩を回してみる。そのはずみに、童話に登場する王子さまが肩につけているモップのようなやつ(エポレットというらしい)が、あちこちの方向を向いて散らばった。
「うん、いいねえ。にいちゃん、なかなか似合うじゃないの」
「ほんとねぇ」
と、瓜実顔の美女が頷いた。赤いドレスを纏った豊かな胸元に手を当て、感嘆の声を漏らす。
「とっても恰好いいわ。立派よ、リュウヤ君」
「へへっ、そっすか?」
茶色の双眸を和ませ、リュウヤは両手を広げて一回転してみせる。おぉ……とセレネたちが手を叩くので、つい頬を緩ませてしまう。
「少し大きめに作ってあるけどね、脇とか脚とか窮屈になってきたらうちにおいで。繕ったげるから。気分によっては安くするよ」
初老の男性――制服を届けに来た仕立て屋「デューメット」の店主が、穏やかな笑みで言った。
王立国家ディラン、その王都街路地裏にある一軒の建物。
やや長い耳を持つ瓜実顔の美女によって経営されるそこは、薬屋である。
開けた窓から、小鳥たちの軽やかな鳴き声が聞こえてくる。雪の粒を含んだ冬のそれとは異なる、暖かく清々しい風が室内に舞いこむ。
季節は新たな生命の息吹く春。ディランでは「花の季」と呼ぶそうで、その名を付けた祭りもまたこの時期に行われるそうだ。
そして、花の季に執り行う一大行事がもう一つ。
騎士警備団の入団式である。
「それにしても、まさか制服が届くのが式典当日の朝だなんてね」
セレネが艶々しい唇を尖らせた。
「いやあ、本当に申し訳ない」
デューメットの店主が、薄くなった頭部をさすりながら苦笑する。
「アリスのときはもっと早かったじゃない。式典の三日前だったけど」
「注文数自体は少なかったんだが、今年はどうにも布の仕入れがね。縫製工場から届けるのも時間がかかってしまって。ほら、北区の街道が一つ封鎖されてるだろう? いつも使ってるルートから遠回りしなきゃいけなくてね。それでいろいろ遅れてしまったんだ」
ふぅん、と眉を微かにひそめて、セレネは相槌を打った。その横で、リュウヤは自分の尻尾を追いかける仔犬のようにくるくる回る。軍服仕立ての制服は生地が厚く、樟脳に似た匂いがわずかに香る。
デューメット氏が、よっこらしょ、と声を掛けながら立ち上がった。
「裾がほつれたり、生地が破れたりしたら、遠慮なくうちに寄ってね。王都街入口付近に店があるからね。地図をセレネさんに渡しておくから」
「うす! ありがとうございます」
リュウヤはニカッと笑った。持ち上げた唇の端から八重歯が覗く。
「式典は十一時からよね」
セレネがちらりと時計を見る。彼女の長い指が木製のカウンターに置いていた紺色のスカーフへ伸びる。騎士警備団の紋章が刺繍されたもので、合格発表時に徽章とセットで渡された。セレネはスカーフを小畳みにし、リュウヤの胸ポケットに仕舞ってくれた。
「人出は多いでしょうけど、王都街の中心を突っ切って行きなさいね。無理に路地裏なんか通って近道するよりも安全だから」
上着の襟に徽章が付いていることを確かめ、セレネは紅を引いた艶やかな唇を緩めた。
「いってらっしゃい。お祝いのごはん作って待ってるわ」
隣で、デューメット氏が皺に埋もれた小さな目を細める。
リュウヤは踵を上げ、トントンと革靴の爪先で地面を叩いた。制服に合わせて新調した靴は磨き立てで、ツヤツヤしている。
「行ってきます」
薬屋の扉を開ける。
窓から室内を照らす陽光よりもずっと眩しい、暖かな春の陽ざしがツンツンと跳ねた茶髪に降りそそいだ。
***
騎士警備団に入団する方法の一つは、毎年同日に行われる「入団試験」に合格することだ。
その入団試験は、簡単な口頭試問と面接のみ。問われるのは入団の意思と覚悟であり、専門性の高い知識やそれに見合う能力はあまり重要視されない。突出したものであれば特待生に認められることもあるそうだが、滅多にないことである。ゆえに、余程のことがない限り受験者はみな入団を認められる。これは国王オスカー・フォン・ディランの意向でもあり、国に身を捧げたい、人々の平穏に尽力したいという者を尊重するという姿勢を示している。
リュウヤもまたこの形式に則り、正式な手続きを踏んで入団したわけである。
花の季の初めに、騎士警備団の本拠地で入団試験を受ける。数日後に合格者の発表。のち、さらに一週間後、王宮にて入団を改めて認める式典が開かれる。
そして、その入団式がまさに今日なのだった。
(すっげえ広い……おれ一人で来たら、確実に迷ってんな……)
歩き慣れない革靴をコツコツと鳴らせながら、リュウヤは鎧を纏った城兵についていく。
式典は、王都フォーランのちょうど中心に位置する王城で行われる。セレネから「迷ったらいちばん高く旗が上がっている建物を目指して歩け」と言われていたので辿りつけたものの、王都街からの道のりだけでなく王城内でも迷子になりそうだ。
とにかく広い。部屋数が多く、長い廊下の左右どちらを見ても扉、扉、扉。掃除のひとはさぞかし骨が折れることだろう。
「こちらの大広間です」
半開きになった扉の手前で城兵が立ち止まった。
リュウヤは城兵に礼を言い、戸の向こう側に足を踏み入れる。瞬間、彼の唇から吐息が漏れた。
自分の頭の遥か遠くにある天井。
遠くがぼやけるほど、広々とした奥行き。
床には、静謐を以てグラスにそそがれていく葡萄酒色の絨毯が敷き詰められている。
その広さに目を剥く。
(まるまる体育館一個分くらいかな。いや、もっと広いか)
扉から一歩足を踏み入れた状態のまま、リュウヤは思わず立ち尽くした。
部屋の中には――否、部屋と言い表すには広すぎる空間だが、その半分ほどを埋め尽くすように、百数十の紺色の背中がざわめいていた。
紺色の制服たちは、目に見えない升に収められたようにまとまって並んでいる。彼らの一部は笑顔で周囲の者たちと談笑し、また一部は緊張を隠せない表情で落ち着きなく上着の襟を直している。だいだい手前にまとまって並んでいるのが新入団員で、前方つまり部屋の奥の方で腕組みしている十数人が元から所属している者たち、といったところか。その中に、高く結い上げた銀髪を揺らす、眼帯の男がいるのが見えた。気のせいかな。気のせいだな、きっと。
リュウヤがぽかんとしていると、別の団員が横を通り過ぎていった。髪をぴっちりと撫でつけ、眼鏡を掛けた青年だ。そのまま新入団員の群れに迷いなく突き進む。ぼうっとしていたリュウヤも慌てて列の後ろについた。
すると、人の気配を察したのか、リュウヤのちょうど前にいた青年が振り向いた。暗い灰がかった茶色の前髪は長く、両目を完全に覆っている。
「よっす~」
気さくに手をひらひらさせる。
リュウヤは自分の鼻を指差し、首を傾げた。うんうん、と青年が頷く。
「ども」
「オゴソカっつーの? なーんかフインキ固くて緊張すんね。にゃはは」
クラベスを打ち鳴らしたような、あっけらかんとした喋り方をする。談笑の声はあるものの、王宮という場所で、そして部屋奥にいる上官たちの眼が光る中で、青年のケロッとした声は若干そぐわないように感じられる。
「オレね、ゾユ。ゾユ・ヤポニカ。ださいけど、短くていい名前っしょ」
にひひ、と青年は両頬に人差し指を当てた。かわいこぶりっこのポーズだ。リアルで見るのは初めてだ。リュウヤは面食らう。
不意に、左隣から異様な視線を感じた。目の端でちらりと見やると、先ほど扉のところで横を通っていった、眼鏡の青年だった。リュウヤ……ではなく、長い前髪の青年を睨んでいる。
(何なにナニ怖い)
リュウヤが壁の隅に追い詰められた子猿のような顔で引いていると、
「――あー、あー。拡声器試用、拡声器試用」
朗々とした低い声が大広間に響いた。拡声器独特のぼわっと膜を張ったような音でありながら爽やかなそれは、リュウヤが王都に来てから幾度も聞いた声である。
瞬間、隣の眼鏡の青年が片手で口元を覆い、ぼそっと何やら呟いた。
続いて真新しい制服の新入団員たちが顔を見合わせ、口々に言う。波のさざめきのごとく声々が広まっていく。
「おいっ、あれって」
「スティーリア大佐だ」
「本物じゃん……うわぁ恰好いい……」
「あの若さで次代の剣聖だろ? すげえよな」
「まさか入団式で実物拝めるなんてな」
リュウヤが爪先立ちになると、前方、こちらを向いて立っている紺色の制服たち――そのうちのメガホンを持っている一人が見えた。すらりとした長身。銀糸のような髪。煌々と輝く緑玉の右眼に、もう片方はバンド状の黒い眼帯で覆っている。
(……相変わらず無駄にイケメン)
一人の少女にひどく執着する変態の本性を見たら騒ぐ気も失せるだろうな、とリュウヤはつい半眼になる。
銀髪碧眼の団員シリウス・L・スティーリアは端整な顔を崩さぬまま、口の端だけを上げてみせた。
「やぁやぁ、人気で嬉しいね」
「静粛になさい。直に国王陛下が来室されますぞ」
横に立つ中年の男性団員が、シリウスからメガホンを奪う。日に焼けた四角い顔の中に、小豆のような目が埋まっている。だいたい五十代半ばくらいだろうか。茶色い練り物を連想させる顔つきだ。
(そういや角天、よく食べたなあ。焼いても煮物でも美味しーんだよな。細く切って素揚げにすんのも美味かった)
おまけに三枚セットで百円以下。魚の旨みが詰まった四角状の揚げかまぼこは火を通すだけでも美味く、リュウヤは常にお世話になった。元々お手頃価格の上、値引きシールが貼られていたときは心の中で小躍りしたほどである。
「まもなく入団式を開始する。襟を正しなさい」
茶色い練り物のような面持ちの団員が言った。真新しい制服たちの背筋がピシャリと伸びる。
部屋の前方、一段高くなっているところに、華やかな装飾のついた座具が置かれている。
そこに歩み寄る、静かな人影が一つ。
豪奢な衣服に包まれた大柄な身体。豊かな濃い金髪を流し固め、顎に髭をたくわえている。精悍な顔立ちをした壮年の男性は玉座に腰を下ろす。
鷹のごとく鋭い金色の双眸が、大広間に集う紺色の制服たちを見回した。
「これより、騎士警備団百十六期入団員の入団式を始める」
咳払いののち、和太鼓のように低く太い声が開式を告げた。
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