27 / 61
第四章
8
しおりを挟む
「おいっ! 俺は羊飼いじゃないんだっ! 荒野をさまようのは仕事じゃない!」
ハリエットは、ほんの少しだけ、辛辣で意地悪なドノヴァンが風の吹きすさぶ荒野をさまよえばいいのにという気持ちを抱いた。
けれど、たった半日で、あっという間に最初の手がかりを見つけてきた彼の助けは、これからも必要になる。
一日中、伯爵さまと一緒にいるのは無理だと思うけれど、できる限り心配させないように努力するくらいはできるはずだ。
「わかりました。……なるべく、一緒にいるようにします」
クリフォードが何か言いたそうに眉を引き上げたが、ドノヴァンは「これで決まりだ」と話を切り上げる。足早に玄関へ向かい、ハリエットとレヴィを先に馬車へ乗せたクリフォードが続いて乗り込もうとするのを引き留め、忠告した。
「クリフ。明日の夜まで顔を合わせることはないだろうから、いま言っておく。ロレインには気をつけろ。同情して絆されるなよ?」
クリフォードは、冷ややかな笑みで応えた。
「同情? 誰かにフィッツロイがどんな人間か、訊いてみろ。誰もが冷血漢だと口をそろえるだろう」
「おまえの言うことは大概正しいが、ひとつだけ間違っていることがある。おまえは冷血漢なんかじゃない。その証拠に……」
クリフォードはドノヴァンの言葉を最後まで聞かずに馬車のドアを閉めた。
「出してくれ」
御者は主人の命令に従い、ドノヴァンを置き去りにして馬車を出した。
窓の外を眺めるクリフォードに詳しい話をする気はなさそうだったが、ハリエットは思い切って尋ねた。
「ロレインさ――パウエル伯爵夫人と何があったんですか?」
ロレインとの間に何があったのか知りたいようで、知りたくない。複雑な気持ちだった。
でも、このまま黙っていても、きっともやもやする胸の内は晴れない。
それなら、はっきり確かめたほうがいい。
「何かとは?」
顔を背けたクリフォードの口調は素っ気なかった。
それこそ、何かがあったという証拠だ。
「その……こ、恋人だった……とか」
情けないほど小さな声になってしまったが、届いた証拠にクリフォードの表情が強張る。
「恋人ではない」
否定の言葉にほっとしかけたハリエットは、続けられた言葉に固まった。
「婚約者だった」
予想もしていなかった答えに、頭が真っ白になった。けれど、口は勝手に動いて次の質問をぶつけていた。
「どうして…………結婚しなかったんですか?」
「そうすべき理由がなくなったからだ。明日の夜、誰かに何か言われたとしても気にしなくていい。いまの私が婚約しているのは、ハリエットだ。ロレインは関係ない。貴族の口から真実が語られることは滅多にないと覚えておくんだ」
クリフォードが嘘を吐いているとは思わなかった。
でも、何度数えても羊が一匹足りなく思える時のように、不安が拭いきれない。
事情を聞かせろと要求するなんて厚かましいとは思うけれど、何かがおかしいと感じたら、気のせいだと見過ごさずにきちんと確かめること。それは、羊飼いにとって大切なことだ。
「でも……クリフォードさまの口からは、真実が語られるんですよね?」
不機嫌そうに寄せられた眉根が解れ、ダークブルーの瞳が見開かれる。
「噂話は信じちゃいけないけれど、本当のことを知らなければやっぱり信じてしまいそうになると思うんです。だから……その……ええと、無理に全部説明してくれなくてもいいんですけれど、でも、理由くらいは……知りたいかも……」
クリフォードは、じっと見つめるハリエットに根負けしたように溜息をつくと、凍り付きそうなほど冷たい声で告げた。
「彼女は私に嘘をつき、裏切った。信頼できない相手とは、結婚できない」
その声と眼差しに色濃く滲む蔑みと憎悪は、かつて抱いていた好意の裏返しのように思われた。
いまでもそんなふうに強い感情をかき立てられるなら、クリフォードにとってはちっとも過去の出来事になっていない証拠だ。
二人の間に何があったのか詳しく知りたい気持ちはあったけれど、癒えていない傷を抉るような真似はさすがにできない。
「ロレインは油断ならない人物だ。くれぐれも、彼女には近づかないように」
もやもやした気持ちが晴れないまま、ハリエットは頷いた。
こちらが避けても、向こうから近づいて来るのは避けられないだろうと思いながら……。
ハリエットは、ほんの少しだけ、辛辣で意地悪なドノヴァンが風の吹きすさぶ荒野をさまよえばいいのにという気持ちを抱いた。
けれど、たった半日で、あっという間に最初の手がかりを見つけてきた彼の助けは、これからも必要になる。
一日中、伯爵さまと一緒にいるのは無理だと思うけれど、できる限り心配させないように努力するくらいはできるはずだ。
「わかりました。……なるべく、一緒にいるようにします」
クリフォードが何か言いたそうに眉を引き上げたが、ドノヴァンは「これで決まりだ」と話を切り上げる。足早に玄関へ向かい、ハリエットとレヴィを先に馬車へ乗せたクリフォードが続いて乗り込もうとするのを引き留め、忠告した。
「クリフ。明日の夜まで顔を合わせることはないだろうから、いま言っておく。ロレインには気をつけろ。同情して絆されるなよ?」
クリフォードは、冷ややかな笑みで応えた。
「同情? 誰かにフィッツロイがどんな人間か、訊いてみろ。誰もが冷血漢だと口をそろえるだろう」
「おまえの言うことは大概正しいが、ひとつだけ間違っていることがある。おまえは冷血漢なんかじゃない。その証拠に……」
クリフォードはドノヴァンの言葉を最後まで聞かずに馬車のドアを閉めた。
「出してくれ」
御者は主人の命令に従い、ドノヴァンを置き去りにして馬車を出した。
窓の外を眺めるクリフォードに詳しい話をする気はなさそうだったが、ハリエットは思い切って尋ねた。
「ロレインさ――パウエル伯爵夫人と何があったんですか?」
ロレインとの間に何があったのか知りたいようで、知りたくない。複雑な気持ちだった。
でも、このまま黙っていても、きっともやもやする胸の内は晴れない。
それなら、はっきり確かめたほうがいい。
「何かとは?」
顔を背けたクリフォードの口調は素っ気なかった。
それこそ、何かがあったという証拠だ。
「その……こ、恋人だった……とか」
情けないほど小さな声になってしまったが、届いた証拠にクリフォードの表情が強張る。
「恋人ではない」
否定の言葉にほっとしかけたハリエットは、続けられた言葉に固まった。
「婚約者だった」
予想もしていなかった答えに、頭が真っ白になった。けれど、口は勝手に動いて次の質問をぶつけていた。
「どうして…………結婚しなかったんですか?」
「そうすべき理由がなくなったからだ。明日の夜、誰かに何か言われたとしても気にしなくていい。いまの私が婚約しているのは、ハリエットだ。ロレインは関係ない。貴族の口から真実が語られることは滅多にないと覚えておくんだ」
クリフォードが嘘を吐いているとは思わなかった。
でも、何度数えても羊が一匹足りなく思える時のように、不安が拭いきれない。
事情を聞かせろと要求するなんて厚かましいとは思うけれど、何かがおかしいと感じたら、気のせいだと見過ごさずにきちんと確かめること。それは、羊飼いにとって大切なことだ。
「でも……クリフォードさまの口からは、真実が語られるんですよね?」
不機嫌そうに寄せられた眉根が解れ、ダークブルーの瞳が見開かれる。
「噂話は信じちゃいけないけれど、本当のことを知らなければやっぱり信じてしまいそうになると思うんです。だから……その……ええと、無理に全部説明してくれなくてもいいんですけれど、でも、理由くらいは……知りたいかも……」
クリフォードは、じっと見つめるハリエットに根負けしたように溜息をつくと、凍り付きそうなほど冷たい声で告げた。
「彼女は私に嘘をつき、裏切った。信頼できない相手とは、結婚できない」
その声と眼差しに色濃く滲む蔑みと憎悪は、かつて抱いていた好意の裏返しのように思われた。
いまでもそんなふうに強い感情をかき立てられるなら、クリフォードにとってはちっとも過去の出来事になっていない証拠だ。
二人の間に何があったのか詳しく知りたい気持ちはあったけれど、癒えていない傷を抉るような真似はさすがにできない。
「ロレインは油断ならない人物だ。くれぐれも、彼女には近づかないように」
もやもやした気持ちが晴れないまま、ハリエットは頷いた。
こちらが避けても、向こうから近づいて来るのは避けられないだろうと思いながら……。
0
お気に入りに追加
121
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる