戦うネコに大福は必要ですか?

唯純 楽

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気付きたくなかったもの

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 翌早朝、演習に出ていた第一連隊は、憔悴しきった様子で、当初の予定を繰り上げて帰隊した。
 本来なら、すぐに宮内中佐は帰隊の報告に上がらなければならないのだが、隊長室にやって来たのは午後二時を回っていた。

「第一連隊、本日無事、帰隊しました。総員、ケガなし。装備、異常ありません」

「そうですか。それで、予行はどうでしたか?問題なく、終わりましたか?」

 荒川の質問に、「何を、ぬけぬけと……」と言いたげに、宮内の顔色が変わった。

「今回、想定外の経験は出来ましたか?」

「それは……」

 怒りを噛み殺しているような、仏頂面である。

「宮内中佐は、予行演習とは学芸会の練習のようなものだと思っているようですね。シナリオを書き、その通りに演ずる。手違いがあっては、いけない。プログラムは、順番どおりに進み、最後まで無事にやりきれば、それで目標は達成される」

 荒川は、明らかに嫌味とわかる冷たい声で、宮内に告げた。

「しかし、我々はこれまでそういう風に教えられてきたのだし、それでいいのだと思い……」

 たまらず言い返した宮内の声は、バンッという衝撃音に遮られた。
 荒川が机に拳を叩きつけたのだ。

「あなたは、現在の自分たちが置かれている状況が、全くわかっていない!」

 鋭い目で、自分よりも上背がある二人の男を睨みつけて、その場に竦ませる。

「ここは、軍隊だ。教育機関じゃない。明日にでも、生ぬるい日本の土壌から引き抜かれるかもしれない。その時になって慌てても、遅いっ!」

 荒川の指摘は、痛かった。
 ペイント弾を使用するといっても、すべてをゲーム感覚の実験的な取り組みだと、兵士たちは思っていた。
 誰も、そのペイント弾が実弾に変わる日のことを考えていない。
 いつの間にか、思考を停止することが当たり前になっている。

「馴れ合いの演習や、ゲームセンターのような射撃訓練で、兵士たちが自分の身を守る実力を養うことが可能だとでも思ってるのか? 我々が行っているのは、ただの戦争ごっこではない。こんな状態で、自分の部下を戦場に出せるのか? 私なら、出来ない。五分と保たずに、死ぬからだ。あなたは、部下の命をなんとも思っていない」

 大人しくて、こちらの言うことに、大した文句も言わないオンナ隊長。単なる代理。特戦上がりというのもウワサに過ぎない。
 大方の兵士が思っていたのと同じように宮内も荒川を見ていたことは、否めない。
 その思い込みが、宮内を追い詰めている。
 目の前で、静かな怒りを称える氷のような鋭い瞳に射すくめられて、大の男が、身じろぎ一つ出来ない。

「教育係には、基礎訓練に関して、すべての見直しを命じます。このような錬度の軍を国連軍として活動させるなど、我々教育隊にとって恥です。二週間後の視察の相手は、こんな生ぬるい予行演習で勝てる相手ではありません。以上、何か質問は?」

 演習の不備を問われるどころか訓練自体を丸々、やり直すことを決定されたとあって、宮内は一言の反論も出来なかった。

「なければ、下がってよし」

 無言で立ち去る背を見送った後も、荒川の眉間に刻まれたシワは消える気配がない。
 本気で怒っているのだ。
 いつ、その矛先が自分へ向かぬとも限らない……。
 身の危険を感じて視線をさまよわせた夕は、ふと壁にかかった時計を見て、思い出した。

「……あの……お茶にしませんか、荒川大佐」

 険しい顔で机の上の書類を睨みつけていた荒川は、ふっと顔を上げた。

「三時か。……いただきます」

 夕が日本茶を入れている間に、ソファに移動した荒川は、相変わらず怒りに満ちた表情で空を睨んでいた。
 が、夕がお茶と一緒に差し出した大福を見ると、目を丸くし、瞬時に眉間のシワを消した。

「さっき、お昼に購買に行ったらなかったのに!」

 どうやら、激昂の原因の一端はそこにもあったらしい。

「購買で、毎朝確保してもらうよう手配しておきました」

 上官の機嫌は、わが身を守るための重要なファクターの一つである。

「……やっぱり、湊少将はよく分かってるのね」

 ぼそっと呟くと、荒川はいつものように、大福を頬張った。
 甘いものを食べているときは、機嫌がいいことを知っている夕は、湊少将のことをきっかけに、怒りをなだめようと質問した。

「湊隊長って、荒川大佐の上官で教官だったんですよね?どんな教官だったんですか?」

「そりゃぁ厳しかったわよ。泣いて、もう出来ませんって言う隊員が続出。脱柵したのもいたわ。当然、連れ戻されたけど」

「脱柵……」

「ああ、脱走のことね。私も、何度逃げ出そうと思ったことか……。毎週三日間、ロクに食べるものもなく、見えない敵に追われ続けて、仲間はバッタバタ倒れる中、完全武装勢力から人質奪回するなんて、普通の人間じゃ無理だからね」

「それって、何かの拷問ですか……」

 夕は、青ざめた。
 これまで自分たちがやって来た演習が、ピクニックのようなものに思える。

「まぁ、似たようなもんかも。最初から食料なし、水もないくらいだからね。マジで飢え死にするかもと思った」

 淡々と語る荒川だが、荒川自身その訓練をこなしたのだ。
 このヒトには、絶対逆らわずにおこうと、夕は思った。

「女性もいたんですか?」

「多くはないけど、いた。私のときは、六名。でも、クリアしたのは三名だけだけど…」

「バディ組むんですか?」

「うん。基本は小隊だけど、バディも決まってた」

「へぇ。荒川大佐のバディなら、安心ですね」

 夕の何気ない一言は、荒川の表情に劇的な変化をもたらした。
 まるで、鋭い刃物で心臓をえぐられたような、痛みを露にした表情に、夕は自分の失言を悟った。

「私は、そんなに優秀じゃないよ」

 自嘲の色が滲む声で呟くと、荒川は薄く笑った。
 なぜ、どうして、何があったのか、夕は訊けなかった。

「お茶、ごちそうさま」

 急に広がった沈黙を断ち切るように、荒川の明るい声が響き、夕は反射的に立ち上がった。

「ええと……城崎准尉、今日、業務後に予定ある?」

 机に向かった荒川が、不意に顔を上げた。
 自分の軽口を呪いながらテーブルを片付けていた夕は、ちょっと身構えた。

「……いえ」

「今日から、うちに間借りする隊、ま、要するに視察演習の相手なんだけど、特戦の同期が隊長でね。湊隊長のところで会ったうちの一人。飲みに行く約束をしているの。良ければ、一緒に行かない? かなり飲めるし、面白いヤツだから。もちろん、奢るし」

 断る口実は、百ほどもあったけど、それを口に出せるほど、心臓が強くないと夕は自覚している。
 それに、最近は精神的疲労からか、酒を飲みに行く気力もなかった。

「……じゃあ、ご一緒させてください」

 俺がそう応えると、荒川は驚くほど嬉しそうな表情をした。

「良かった。これで、ちょっとは貸しが返せるわ」

 その屈託のない笑顔に、夕は何だか落ち着かない気持ちになり、慌てて目を逸らした。
 中学生のガキじゃあるまいし。そう、自分に毒吐く。

 逃げるように向かった洗い場で、湯飲みを洗いながら、あろうことか、荒川に女を見てしまった自分に、よほど疲れていたんだと、夕は何度も言い訳をした。
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