戦うネコに大福は必要ですか?

唯純 楽

文字の大きさ
上 下
11 / 24

塗り替えられる日常

しおりを挟む
 着任から一週間ほど、荒川はほとんど執務室から出なかった。

 膨大な資料を読むことに時間を割いて、その視線はパソコンと書類だけを往復していた。
 大人しい隊長代理だと、誰もが思い始めた頃、月末の視察演習に向け、予行演習が行われることになった。
 今回の視察演習は、第一次召集の兵士で構成された第一連隊を対象としており、連隊長の宮内中佐は、教育隊の自衛官の補佐を受けているものの、新米である。

 これまで幾度となく演習を行ってきたが、すべて教育隊の補佐があった。
 当然、視察、及びその事前準備である予行演習においても補佐があるもの、と思っていた宮内は、明後日の午前四時に出発することだけを報告に来た。
 荒川は、大人しくその報告を聞き、静かな声で、宮内に質問した。

「予行の目的は何ですか?」

「は、第一連隊への視察へ向けて、兵士の錬度を確認するため、及び装備品の不備がないか確認するためです」

「どのような予定になっていますか?」

「第一、第二中隊を対抗勢力とし、第三中隊を作戦本部とする二手に分け、お互いの殲滅を目指します。期間は三日間を想定。装備は軽。航空機、及び戦車の支援はありません」

「わかりました」

 荒川は頷き、最後に一言つけ加えた。

「すべての準備は、第一連隊所属の兵で行うように。教育隊は、一切関わりません。ただし、演習に関しては、計画の変更を要請します。第一連隊は、宮内中佐を指揮官とする作戦本部を形成し、所属不明部隊の殲滅を目指してください」

「え?」

 呆気に取られる宮内に、荒川はにっこり笑う。

「教育隊の隊員は、あくまでも出向した自衛官です。我々は、海外派兵には参加しません。もし明日にでも、国連がこの部隊の出動を要請すれば、あなた方は、教育隊抜きで行動することになります。その事実は、当然認識していますね?」

 宮内の目が、泳ぐ。

「は、ですがこれは予行で……」

「予行は、本番を想定して行われるのでしょう? だったら、演習をより本番に近い状況で行う必要があります。対抗勢力については、前日に情報を流します。ペーパーで受け取れるなんて、馬鹿なことは期待しないで下さい。どれだけ精度の高い情報を事前に得られるかは、情報収集担当者の能力次第です」

 宮内中佐の表情は、困惑と焦りと驚きで青ざめていた。

「しかし、こんなやり方では……」

 小さい頃から勉強が出来て、道を踏み外したことのない優秀な者ほど、お膳立てされることに慣れている。
 これまで許されていたように、理不尽な、自分の思い通りにならない計画に反発しようとした宮内中佐を、荒川は一喝した。

「ごちゃごちゃうるさいっ! これは、決定事項だ。一介の中佐ごときに、決定を覆す力はない。自分の階級を弁えろ」

 理屈は通用しない。
 そのことを悟った宮内は、震える拳を握り締めた。

「どんな状況でも最善を尽くす。それが、あなたの任務だ。もし、上官の命令に逆らうなら、その根拠を、絶対的な情報と事実で示せ。それ以外の反抗は、単なるお坊ちゃまの言い訳だ」

 おそらく、生まれて初めて、完膚なきまでに叩きのめされたであろう宮内は、悔しそうな表情を隠そうともせず、唇を噛み締めた。

「以上、わかったか。宮内中佐」

 たっぷりと、三十秒以上の沈黙の後、宮内は呻くように呟いた。

「了解、しました」

 強張った動作で部屋を出て行った宮内を見送って、夕は荒川を振り返った。

「……本気、ですか?」

「冗談を言う必要が、どこにあると?」

 荒川は、にこりともせずに、返す。

「所属不明部隊って、どうするんですか? 第二連隊は、まだ新米が多くて使い物にならないと思いますが」

「第一連隊を襲う部隊は、教育隊で編成する」

 夕は、その言葉に耳を疑った。

「え? 教育隊って……」

「他国の部隊ほどとまではいかないけれど、教育隊に選ばれているのは、それなりの隊員だ。七割はレンジャー有資格者だし、海外派遣経験者も多い。お坊ちゃんお嬢ちゃんを相手にするのに、何の不足もない」

「本気……なんですね」

「当たり前。視察で失敗するわけには、いかないし……第一、本番の任務で死なすわけにいかないでしょうが」

 荒川の怒ったような口調に、夕は意外な気がした。

「それって……心配してくれてるんですか? 俺たちのこと」

 荒川は、大仰に溜息をついて、夕を見上げた。

「城崎准尉。一兵士の、一番大事な任務って、何だと思う?」

「え……それは……上官の指揮するところに従い、目的を達すること……」

 うろ覚えの座学の講座を思い出しながら答えると、荒川は、再び、今度はそっと溜息をつき、じっと夕の目を見つめた。

 その深淵を思わせる暗い目に、夕は目を逸らせなくなる。

「一番大事な任務は、生きて、無事に帰ってくることだよ。簡単そうに思えるけれど、それが一番難しい」

 帰って来られなかった人を思い出しているのだろうか。

 荒川は、すぐに目を逸らし、一瞬露わになった暗闇を再び奥深く押し込めた。

「そう怯えなくっても、大丈夫よ。城崎准尉には、私に同行してもらうから。ああ、でも足手まといになったら、置いていくからね」

 にやりと笑った荒川の言葉は、夕の気持ちを落ち着けるのに、少しも役に立たなかった。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

婚約者が巨乳好きだと知ったので、お義兄様に胸を大きくしてもらいます。

恋愛
可憐な見た目とは裏腹に、突っ走りがちな令嬢のパトリシア。婚約者のフィリップが、巨乳じゃないと女として見れない、と話しているのを聞いてしまう。 パトリシアは、小さい頃に両親を亡くし、母の弟である伯爵家で、本当の娘の様に育てられた。お世話になった家族の為にも、幸せな結婚生活を送らねばならないと、兄の様に慕っているアレックスに、あるお願いをしに行く。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

処理中です...