戦うネコに大福は必要ですか?

唯純 楽

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塗り替えられる日常

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 着任から一週間ほど、荒川はほとんど執務室から出なかった。

 膨大な資料を読むことに時間を割いて、その視線はパソコンと書類だけを往復していた。
 大人しい隊長代理だと、誰もが思い始めた頃、月末の視察演習に向け、予行演習が行われることになった。
 今回の視察演習は、第一次召集の兵士で構成された第一連隊を対象としており、連隊長の宮内中佐は、教育隊の自衛官の補佐を受けているものの、新米である。

 これまで幾度となく演習を行ってきたが、すべて教育隊の補佐があった。
 当然、視察、及びその事前準備である予行演習においても補佐があるもの、と思っていた宮内は、明後日の午前四時に出発することだけを報告に来た。
 荒川は、大人しくその報告を聞き、静かな声で、宮内に質問した。

「予行の目的は何ですか?」

「は、第一連隊への視察へ向けて、兵士の錬度を確認するため、及び装備品の不備がないか確認するためです」

「どのような予定になっていますか?」

「第一、第二中隊を対抗勢力とし、第三中隊を作戦本部とする二手に分け、お互いの殲滅を目指します。期間は三日間を想定。装備は軽。航空機、及び戦車の支援はありません」

「わかりました」

 荒川は頷き、最後に一言つけ加えた。

「すべての準備は、第一連隊所属の兵で行うように。教育隊は、一切関わりません。ただし、演習に関しては、計画の変更を要請します。第一連隊は、宮内中佐を指揮官とする作戦本部を形成し、所属不明部隊の殲滅を目指してください」

「え?」

 呆気に取られる宮内に、荒川はにっこり笑う。

「教育隊の隊員は、あくまでも出向した自衛官です。我々は、海外派兵には参加しません。もし明日にでも、国連がこの部隊の出動を要請すれば、あなた方は、教育隊抜きで行動することになります。その事実は、当然認識していますね?」

 宮内の目が、泳ぐ。

「は、ですがこれは予行で……」

「予行は、本番を想定して行われるのでしょう? だったら、演習をより本番に近い状況で行う必要があります。対抗勢力については、前日に情報を流します。ペーパーで受け取れるなんて、馬鹿なことは期待しないで下さい。どれだけ精度の高い情報を事前に得られるかは、情報収集担当者の能力次第です」

 宮内中佐の表情は、困惑と焦りと驚きで青ざめていた。

「しかし、こんなやり方では……」

 小さい頃から勉強が出来て、道を踏み外したことのない優秀な者ほど、お膳立てされることに慣れている。
 これまで許されていたように、理不尽な、自分の思い通りにならない計画に反発しようとした宮内中佐を、荒川は一喝した。

「ごちゃごちゃうるさいっ! これは、決定事項だ。一介の中佐ごときに、決定を覆す力はない。自分の階級を弁えろ」

 理屈は通用しない。
 そのことを悟った宮内は、震える拳を握り締めた。

「どんな状況でも最善を尽くす。それが、あなたの任務だ。もし、上官の命令に逆らうなら、その根拠を、絶対的な情報と事実で示せ。それ以外の反抗は、単なるお坊ちゃまの言い訳だ」

 おそらく、生まれて初めて、完膚なきまでに叩きのめされたであろう宮内は、悔しそうな表情を隠そうともせず、唇を噛み締めた。

「以上、わかったか。宮内中佐」

 たっぷりと、三十秒以上の沈黙の後、宮内は呻くように呟いた。

「了解、しました」

 強張った動作で部屋を出て行った宮内を見送って、夕は荒川を振り返った。

「……本気、ですか?」

「冗談を言う必要が、どこにあると?」

 荒川は、にこりともせずに、返す。

「所属不明部隊って、どうするんですか? 第二連隊は、まだ新米が多くて使い物にならないと思いますが」

「第一連隊を襲う部隊は、教育隊で編成する」

 夕は、その言葉に耳を疑った。

「え? 教育隊って……」

「他国の部隊ほどとまではいかないけれど、教育隊に選ばれているのは、それなりの隊員だ。七割はレンジャー有資格者だし、海外派遣経験者も多い。お坊ちゃんお嬢ちゃんを相手にするのに、何の不足もない」

「本気……なんですね」

「当たり前。視察で失敗するわけには、いかないし……第一、本番の任務で死なすわけにいかないでしょうが」

 荒川の怒ったような口調に、夕は意外な気がした。

「それって……心配してくれてるんですか? 俺たちのこと」

 荒川は、大仰に溜息をついて、夕を見上げた。

「城崎准尉。一兵士の、一番大事な任務って、何だと思う?」

「え……それは……上官の指揮するところに従い、目的を達すること……」

 うろ覚えの座学の講座を思い出しながら答えると、荒川は、再び、今度はそっと溜息をつき、じっと夕の目を見つめた。

 その深淵を思わせる暗い目に、夕は目を逸らせなくなる。

「一番大事な任務は、生きて、無事に帰ってくることだよ。簡単そうに思えるけれど、それが一番難しい」

 帰って来られなかった人を思い出しているのだろうか。

 荒川は、すぐに目を逸らし、一瞬露わになった暗闇を再び奥深く押し込めた。

「そう怯えなくっても、大丈夫よ。城崎准尉には、私に同行してもらうから。ああ、でも足手まといになったら、置いていくからね」

 にやりと笑った荒川の言葉は、夕の気持ちを落ち着けるのに、少しも役に立たなかった。 
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