戦うネコに大福は必要ですか?

唯純 楽

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嵐のような日々 4

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 二階の売店で、ジュースを選びながら、荒川が、あの場に居たこと、そしてあの男を撃ち殺したことが信じられず、夕は一人首を振った。

 教育隊の自衛官たちは、実弾射撃の訓練をこなしている。
 だが、実際に人を撃ったことのある人間はいない。

 兵士たちには、教育係の詳しい経歴は知らされないから、もしかしたら、海外に派遣されて、恐ろしい目に遭った者もいるのかもしれないが、それを実感させるような出来事はなかった。
 頻繁に行われる実弾射撃訓練時、「おまえら贅沢だぞ」と口にする自衛官も多く、ほとんどの者が実際に銃口を人に向けたことがないはずだ。

 だが。

 湊が荒川を代理に呼び寄せたのには、理由があるはずだ。

 それが、もし実戦経験者ということであれば…。

 夕は、普段の荒川からは想像できない、その秘められた暗部を思い、慄然とした。
 もし自分だったら、あんな風にいられるだろうか?
 全く、何の動揺も見せず、普通の日常生活を送ることが出来るだろうか?
 それは、何かが壊れているということではないのか?
   
 それまで、マジメに考えたこともなかった問いを頭の中で反問しながら、夕が戻ると、部屋を埋めていた四人の男たちの姿は、すでになかった。

「すまんなぁ、城崎准尉。あいつら、帰りの列車の時間だと言って、帰ってしまってな」

「じゃぁ、余分な分は、冷蔵庫に入れましょうか?」

「そうしてくれるかね?」

 ベッドの横にある冷蔵庫には、差し入れのケーキなども入っていて、出して食べるように勧められたが、夕はとりあえず荒川の分だけを用意した。

 こってりと湊に絞られたのか、やや気落ちしていた様子の荒川は、ケーキを頬張るなり、あからさまにその表情を緩ませた。

 わかりやすい人だ、と夕が苦笑すると、湊がいきなり切り出した。

「どうだ、荒川大佐。ちょっと年下だが、城崎准尉は、なかなかの男だぞ。射撃の成績もいいし、体力検定も一級だ。何より、多少のことでは、声を荒げたりしない。気も利く。君にうってつけだと思うが」

 夕は、危うく飲みかけの缶コーヒーを噴くところだった。

「はぁ……」

 荒川は、明らかに、乗り気ではない様子で返事を濁す。

「第一、顔に怪我をさせたということは、責任が大きい」

「それはそうですけど、一応城崎准尉にも好みと事情があるでしょうから……」

「誰か、約束でもしているのか、城崎准尉?」

「は? いえ」

 思わずマジメに答えると、湊は一人でうんうんと頷いている。

「だったら問題ないだろう。あの頃の私の部下の中で、結婚してないのは、二ノ宮とおまえだけだぞ。男どもは順調に片付いているのに、肝心のおまえらはさっぱりじゃないか」

「さっぱりって……そんな言い方しなくても…」

「いいか、荒川大佐。家族は大事だ。明日をも知れぬ命と思えばこそ、家族の重みは大事だ。生きて帰るという気持ちが、生還への力になる。そもそもお前は無謀な行動が多いという欠点があって……」

 説教は、十分以上にわたって続き、荒川は大人しく傾聴していた。

「……というわけだ。わかったか? 荒川大佐」

「はい」

「勤務中に不謹慎な行動を取ることは勧められないが、お互いをよく理解しあうことが、円滑な任務の遂行には不可欠だ。二人とも、そのことを肝に銘じておくように」

「はい」

 なんだかとばっちりな気がしながらも、夕も大人しく返事をした。
 そのとき、タイミングよく、看護婦が検温などの検査のために入ってきたので、それを機に夕と荒川は部屋を辞した。

「それじゃ、また来ます」

「おう、今日はありがとう」

 にこやかに手を振る隊長に見送られ、部屋を出た瞬間、二人同時に大きな溜息をつく。

「だから、一緒に来たくなかったんだよ……」

 荒川はぶつぶつといいながら、歩き出す。
 どうやら、女王様の不機嫌の理由は、そこにあったらしい。

「湊隊長とは、古いお知り合いなんですね?」

 エレベーターを待ちながら尋ねる。

「知り合いも知り合い。元教官で上官だよ。あの四人のバカ男どもも、湊教官の生徒で、同期」

「教官?」

「知らないの? 湊隊長の前任地」

「S駐屯地としか……」

「ま、一般人にはわからないか。昔、テロ対策を主眼に置いた部隊を作ろうという動きがあってね。内部で実験的に一つの部隊を作ったの。今はもうないけど。通称STF、特殊作戦部隊。湊隊長は、そこの教官で指揮官だった」

「特殊作戦部隊?」

 意外な経歴に、俺は心底驚いた。
 初期訓練中、座学の講座で参考資料として読んだ本に、その部隊のことが書かれていたのを思い出す。

 特殊作戦部隊、STFとは、自衛隊の海外派遣が始まる少し前に創設された、少数精鋭の、米軍で言うところのグリーンベレーのような異色の部隊である。

 部隊に入る条件としては、レンジャー徽章は必須であり、プラス語学や爆弾処理技術、暗号解読など特別な技能に優れていることが必要とされていた。

 未来の幹部、特に過酷な現場に向かう主に幹部、それも佐官クラス以上の上級幹部候補生の登竜門的存在としても位置づけられており、陸自の中では別格の部隊であり、すべての隊員は選抜で選ばれた。

 一昨年前、アスワード国事件後に、部隊は解散されたが、PKO派遣が始まった当初より、STF出身者が派遣部隊を率いることが慣例になっているのを見ても、その能力が上のお墨付きなのは明らかだ。

 しかし、あの、温厚そうな隊長が、そんな猛者ぞろいの特殊作戦部隊の指導教官だったとは……。
 そして、その驚きの中、夕はもう一つの事実に気づいた。
 そこで湊隊長が指揮官だったという荒川は、間違いなくその部隊に所属していたということだ。

「荒川大佐、キャリア……じゃ、なかったんですか?」

「は? そんなわけないでしょ。防大出身でもないのに」

 吐き捨てるように言い、エレベータの扉が開くと同時に乗り込む。
 夕が乗り込むと同時に、速攻でドアを閉める。

「本当に、特殊作戦部隊出身なんですか?」

 体格は、並みの女性と比べても小柄だし、雰囲気も、どこか荒んでいる女性兵士たちよりは、遥かに女らしい部類に、一応は、分類されるだろう。
 俄かには信じられず、改めて尋ねると、荒川は振り返りもせず、夕に尋ねた。

「確かめてみる?」

 止めておきます、という間もなく、夕は自分の右腕が背後で捻り上げられる痛みに呻き、同時に膝裏を蹴られて、倒れこんだ。
 そのまま扉にぶつかる寸前で、首に腕が回されて、ヘッドロックをかけられる。
 首を絞める腕の力は、ハンパじゃなく、あと数秒で意識が落ちるというとき、エレベーターが一階に着いたと知らせるベルの音がして、夕はようやく体の自由を取り戻した。

「降りないの?」

 直ぐには立ち上がれずにいる夕に、エレベーターをさっさと降りた荒川が尋ねる。

「……お、降ります」

 よろめきながら降りると、荒川の恐ろしい笑顔が待っていた。

「動いたら、お腹空いちゃった。帰り、どっかでご飯食べましょう。奢るから」

 その提案を断る勇気など、夕にはなかった。
 夕には、目の前の人物が、本物の悪魔に見えた。
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