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嵐のような日々 2
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「いやぁ、名誉の負傷、おめでとう!」
今日は無事に、課業終了時間で解放された夕を出迎えたのは、脇田の大げさな抱擁だった。
「兵士の鏡! かっこよかったぜー!」
「ホントにカッコよかったっす!」
「いいなー、城崎准尉。女性兵士の中で、株上がっただろうなぁ」
各居住階にある、ホテルのロビーのように開放された休憩室には、小隊の面々が集まって居り、口々に好き勝手なことをほざく。
「落ちる美人上官を庇って、名誉の負傷。隊長代理の胸に抱きかかえられて、役得ですよねー」
「…だったら、代わってくれよ」
手近の若造を押しのけて、ソファに座り込む。
演習上がりのような疲労が、押し寄せてくる。
明日が土曜で本当に良かったと、夕は心の底から思った。
「そんなに厳しいんですか?」
「見た感じ、おとなしそうな人ですけどね?」
おとなしいとか、そういう問題じゃない……。
夕の大きな溜息に、皆は顔を見合わせたが、すぐにテレビのお笑い番組に夢中になって、ゲラゲラと笑い出した。
ぐったり座り込む夕の横に、脇田が移動して来て、缶コーヒーを差し出す。
「おう、サンキュ」
「湊隊長、しばらく戻って来れそうにないらしいぜ」
脇田が、ポツンと言った。
「え?」
「小隊長が見舞いに行ったらしいんだけど、入院していた病棟が、整形外科じゃなくって、外科だったらしい」
「それが?」
「外科って、手術するってことだよ。ただのぎっくり腰じゃないかもな」
「じゃぁ、なんだっていうんだよ」
「そこまではわからねーよ……」
「ヘルニアか?」
「ベッドの上に、普通に起き上がってたって言うぜ?」
脇田の言葉に、夕は明日の予定を考えた。
特に予定はなくとも、週末の外出・外泊の許可はきっちり取るのが、習慣だ。
柵の外に出るのには、何の問題もない。
「けどよー、隊長って独りモンだろ? もし、いよいよってことになったりしたら、どうすんだろうな」
脇田の呟きに、夕はそのわき腹をひじで打つ。
「バカ、縁起でもないこと言うなよ」
「けど、現実問題だろ」
「そんなの、親戚がどうにかするだろ」
「俺だったら、淋しくてダメだなー」
脇田の感想は、多分誰もが思うことだろう。
ゲートと高い柵に囲まれた基地での生活で、家族は、自分と外の世界を繋ぐ大切な絆なのだ。
「あー、女ほしー」
「は? おまえ、この前まで付き合ってたのはどうしたんだ?」
脇田は、人当たりのよい笑顔と、ソツのないしゃべり、マメな性格のおかげで女を切らすことが、滅多にない。
相手は、どこぞのスナックのホステスや合コンで知り合った学生や看護婦、知り合いからの紹介などと、バラエティに富んでいる。
ただし、同僚という選択肢は、その中にはない。
本人曰く、同じ職場だと別れるときに面倒だ、ということだ。
夕にしてみれば、最初から別れることを前提に付き合うのもどんなものか、と思うのだが。
「あれ、ダメになった。やっぱ、週末、それもたまの週末しか会えないってのは、ダメだな。会いたいのに会えないのって不便、とか言われちゃね」
「なんだ、それ?」
「やっぱ、身近にいる人間の方が、強いだろ」
どうやら、振られたらしい。
出来たてほやほやの国連軍の訓練は、演習が多い。
それが、若者の恋愛事情に支障を来たす第一の原因だ。
演習中は携帯が使えないのだ。
時間が無いからというよりも、圏外だから。
ここに配属されて、初めて隣接する広大な演習場に連れて行かれたとき、多くの若者は、現代日本の中で、山奥でもないというのに、携帯が圏外で使えない場所が、延々車で二時間かかる距離に渡ってある、という事実にかなり驚く。
必然的に、柵の外との連絡は途絶える。
週末の外出でコンパに勤しみ、せっかく外の世界に彼女が出来たと喜んでいても、次に会うときには別れ話になっていることも、珍しくない。
夕自身は、合コンへ顔を出すのは、人数合わせの義理か、その場限りの釣りをしたいときだけだ。
好みの女性を釣っても、関係を継続させようという気が起きない。
どうせ長続きしないと分かっている相手に、何かを費やすのは無駄に思えるからだ。
「で、最近のお前の戦果はどうなんだよ? この間、コクられてたじゃねーか」
「ば、どこでっ!」
いつ、どこで見られたんだと、うろたえる夕に、脇田が驚いた顔になる。
「おい、マジかよ」
その言葉で、カマをかけられたのだとわかり、自分の迂闊さに舌打ちしたくなる。
「皆聞け、城崎准尉がコクられたんだってよ!」
「ホントっすか?」
「マジっすか?」
「誰ですか?」
「教えてくださいよ!笹谷准尉ですか?柳原軍曹ですか?」
「それとも、新入りですか?」
「うるせーよ、おまえら」
同じ基地内にいる女性兵士たちを普段敬遠している男どもだが、実際のところ彼女たちは紛れもなく女であるし、身近にいる人物に恋心を抱くのは、自然の流れだ。
高卒入隊の若者は、いくら中学・高校と乱れた生活を送っていたといっても、まだまだ女に幻想を抱いている。
だが、あいにく夕は、それほど純粋に幻想を抱けない。
一般人では理解してくれないことも理解してもらえるところはポイントが高いのかもしれないが、何かと面倒だという気持ちは、脇田と同じだ。
「俺は、同僚には手を出さない主義なんだよ!」
好き勝手な憶測を口にしながら群がるむさくるしい面々にうんざりしかけたとき、館内放送が響き渡った。
「城崎准尉、城崎准尉。電話が入ってます」
「おーっ!!」
妙に盛り上がるヤツラから逃れるように部屋を出て、夕は当直室へ走った。
一息に三階から駆け下り、やや弾んだ息で受話器を手にする。
「もしもし、城崎です」
どうせ、大した相手ではないだろうと呑気に受話器に向かったのだが、次の瞬間直立不動の姿勢になった。
「城崎准尉か。湊だ。遅くにすまんな」
「た、隊長! そんなことはありません。隊長こそ、お体の方はいかがですか?」
「ここは、静か過ぎて、退屈しとるよ。ところで……ちょっと頼みたいことがあるんだが。明日は、何か勤務か予定が入っているかね?」
心拍数が上がったきりの夕は、一度唾を飲み込んでから、声が震えないよう注意しながら、答えた。
「いえ、勤務も予定もありませんが」
「そうか。実は、先ほど荒川大佐から連絡があってね。明日私の入院している病院へ来たいと言うんだ。本人は、自分で足を見つけて来ると言っていたんだが、このへんにはタクシーもないし、基地からだと駅まで結構距離がある。それに……その、なんだ……君も荒川大佐の様子を見たら……分かるだろう?優秀な自衛官なんだが、日常生活ではかなりの粗忽モノでなぁ。今、荒川大佐に何かあっては、教育隊だけでなく、軍全体に迷惑が掛かりかねない」
「はぁ、そうですね。それは……とても、良くわかります」
夕の同意に、湊隊長は苦笑を漏らし、さらに恐ろしい一言を付け加えた。
「というわけで、明日、荒川大佐と一緒に来てもらえないかね?」
「え?」
「明日、マルキュウマルマルに基地を出るといっていたから、その頃に拾ってやってくれ」
「はぁ」
「色々と大変だとは思うが、よろしく頼むよ」
今日は無事に、課業終了時間で解放された夕を出迎えたのは、脇田の大げさな抱擁だった。
「兵士の鏡! かっこよかったぜー!」
「ホントにカッコよかったっす!」
「いいなー、城崎准尉。女性兵士の中で、株上がっただろうなぁ」
各居住階にある、ホテルのロビーのように開放された休憩室には、小隊の面々が集まって居り、口々に好き勝手なことをほざく。
「落ちる美人上官を庇って、名誉の負傷。隊長代理の胸に抱きかかえられて、役得ですよねー」
「…だったら、代わってくれよ」
手近の若造を押しのけて、ソファに座り込む。
演習上がりのような疲労が、押し寄せてくる。
明日が土曜で本当に良かったと、夕は心の底から思った。
「そんなに厳しいんですか?」
「見た感じ、おとなしそうな人ですけどね?」
おとなしいとか、そういう問題じゃない……。
夕の大きな溜息に、皆は顔を見合わせたが、すぐにテレビのお笑い番組に夢中になって、ゲラゲラと笑い出した。
ぐったり座り込む夕の横に、脇田が移動して来て、缶コーヒーを差し出す。
「おう、サンキュ」
「湊隊長、しばらく戻って来れそうにないらしいぜ」
脇田が、ポツンと言った。
「え?」
「小隊長が見舞いに行ったらしいんだけど、入院していた病棟が、整形外科じゃなくって、外科だったらしい」
「それが?」
「外科って、手術するってことだよ。ただのぎっくり腰じゃないかもな」
「じゃぁ、なんだっていうんだよ」
「そこまではわからねーよ……」
「ヘルニアか?」
「ベッドの上に、普通に起き上がってたって言うぜ?」
脇田の言葉に、夕は明日の予定を考えた。
特に予定はなくとも、週末の外出・外泊の許可はきっちり取るのが、習慣だ。
柵の外に出るのには、何の問題もない。
「けどよー、隊長って独りモンだろ? もし、いよいよってことになったりしたら、どうすんだろうな」
脇田の呟きに、夕はそのわき腹をひじで打つ。
「バカ、縁起でもないこと言うなよ」
「けど、現実問題だろ」
「そんなの、親戚がどうにかするだろ」
「俺だったら、淋しくてダメだなー」
脇田の感想は、多分誰もが思うことだろう。
ゲートと高い柵に囲まれた基地での生活で、家族は、自分と外の世界を繋ぐ大切な絆なのだ。
「あー、女ほしー」
「は? おまえ、この前まで付き合ってたのはどうしたんだ?」
脇田は、人当たりのよい笑顔と、ソツのないしゃべり、マメな性格のおかげで女を切らすことが、滅多にない。
相手は、どこぞのスナックのホステスや合コンで知り合った学生や看護婦、知り合いからの紹介などと、バラエティに富んでいる。
ただし、同僚という選択肢は、その中にはない。
本人曰く、同じ職場だと別れるときに面倒だ、ということだ。
夕にしてみれば、最初から別れることを前提に付き合うのもどんなものか、と思うのだが。
「あれ、ダメになった。やっぱ、週末、それもたまの週末しか会えないってのは、ダメだな。会いたいのに会えないのって不便、とか言われちゃね」
「なんだ、それ?」
「やっぱ、身近にいる人間の方が、強いだろ」
どうやら、振られたらしい。
出来たてほやほやの国連軍の訓練は、演習が多い。
それが、若者の恋愛事情に支障を来たす第一の原因だ。
演習中は携帯が使えないのだ。
時間が無いからというよりも、圏外だから。
ここに配属されて、初めて隣接する広大な演習場に連れて行かれたとき、多くの若者は、現代日本の中で、山奥でもないというのに、携帯が圏外で使えない場所が、延々車で二時間かかる距離に渡ってある、という事実にかなり驚く。
必然的に、柵の外との連絡は途絶える。
週末の外出でコンパに勤しみ、せっかく外の世界に彼女が出来たと喜んでいても、次に会うときには別れ話になっていることも、珍しくない。
夕自身は、合コンへ顔を出すのは、人数合わせの義理か、その場限りの釣りをしたいときだけだ。
好みの女性を釣っても、関係を継続させようという気が起きない。
どうせ長続きしないと分かっている相手に、何かを費やすのは無駄に思えるからだ。
「で、最近のお前の戦果はどうなんだよ? この間、コクられてたじゃねーか」
「ば、どこでっ!」
いつ、どこで見られたんだと、うろたえる夕に、脇田が驚いた顔になる。
「おい、マジかよ」
その言葉で、カマをかけられたのだとわかり、自分の迂闊さに舌打ちしたくなる。
「皆聞け、城崎准尉がコクられたんだってよ!」
「ホントっすか?」
「マジっすか?」
「誰ですか?」
「教えてくださいよ!笹谷准尉ですか?柳原軍曹ですか?」
「それとも、新入りですか?」
「うるせーよ、おまえら」
同じ基地内にいる女性兵士たちを普段敬遠している男どもだが、実際のところ彼女たちは紛れもなく女であるし、身近にいる人物に恋心を抱くのは、自然の流れだ。
高卒入隊の若者は、いくら中学・高校と乱れた生活を送っていたといっても、まだまだ女に幻想を抱いている。
だが、あいにく夕は、それほど純粋に幻想を抱けない。
一般人では理解してくれないことも理解してもらえるところはポイントが高いのかもしれないが、何かと面倒だという気持ちは、脇田と同じだ。
「俺は、同僚には手を出さない主義なんだよ!」
好き勝手な憶測を口にしながら群がるむさくるしい面々にうんざりしかけたとき、館内放送が響き渡った。
「城崎准尉、城崎准尉。電話が入ってます」
「おーっ!!」
妙に盛り上がるヤツラから逃れるように部屋を出て、夕は当直室へ走った。
一息に三階から駆け下り、やや弾んだ息で受話器を手にする。
「もしもし、城崎です」
どうせ、大した相手ではないだろうと呑気に受話器に向かったのだが、次の瞬間直立不動の姿勢になった。
「城崎准尉か。湊だ。遅くにすまんな」
「た、隊長! そんなことはありません。隊長こそ、お体の方はいかがですか?」
「ここは、静か過ぎて、退屈しとるよ。ところで……ちょっと頼みたいことがあるんだが。明日は、何か勤務か予定が入っているかね?」
心拍数が上がったきりの夕は、一度唾を飲み込んでから、声が震えないよう注意しながら、答えた。
「いえ、勤務も予定もありませんが」
「そうか。実は、先ほど荒川大佐から連絡があってね。明日私の入院している病院へ来たいと言うんだ。本人は、自分で足を見つけて来ると言っていたんだが、このへんにはタクシーもないし、基地からだと駅まで結構距離がある。それに……その、なんだ……君も荒川大佐の様子を見たら……分かるだろう?優秀な自衛官なんだが、日常生活ではかなりの粗忽モノでなぁ。今、荒川大佐に何かあっては、教育隊だけでなく、軍全体に迷惑が掛かりかねない」
「はぁ、そうですね。それは……とても、良くわかります」
夕の同意に、湊隊長は苦笑を漏らし、さらに恐ろしい一言を付け加えた。
「というわけで、明日、荒川大佐と一緒に来てもらえないかね?」
「え?」
「明日、マルキュウマルマルに基地を出るといっていたから、その頃に拾ってやってくれ」
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