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日常が覆った日 2
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『大規模テロは、事前にわかっていた?!』『各省庁、警備体制の盲点。空白の一分間』『右翼、反抗声明を発表』『自衛隊改編草案、見送りか?』『抗日テロ組織の仕業?』『後手に回った警察対応』『襲撃されても反撃出来ない自衛隊』『危機管理対策の弱点』『国際的テロ組織の可能性も』『被害者多数。国家賠償は?』
防衛大臣暗殺未遂の様子がテレビで生中継されてから、各省庁を標的とした爆弾テロ、首都近郊の自衛隊駐屯地に対する爆破テロが次々発生し、一夜にして、日本はアジア一治安の悪い国へと転落した。
幸い、不幸中の幸いであるが、標的とされていたと思われる閣僚や官僚、関係者らは誰一人被害には遭わなかった。
その代わり、多くの通行人や警備の人間が犠牲になった。
派手に全国紙の一面をにぎわせている見出しの数々にざっと目を通し、湊 憲治は、大きく息を吐き出した。
整然とした執務室には、すでに夜の冷気と共に強烈な西日が差し込んでいる。
まだ午後三時だというのに、陽は傾き、沈む夕日に照らされる枯れ木たちは、影絵のような見事なコントラストを見せている。
冷たくなったお茶を飲み、乾ききった口の中を湿らせて、湊は引き出しを開けた。
そこに収まっていた一枚の白いA4サイズの紙を取り出し、じっと見つめる。
いたって普通のコピー用紙に印字された文面は、たった一行で完結している。
『検査の結果、悪性と判明しました』
それが何を意味するか、湊は十分わかっていた。
いや、わかっているつもりだった。
これから、自分の身に何が起きるのか、そして自分が何をしなくてはならないのか、すでに考えは纏まっていた。
だが、予想だにしなかった事態が、少しだけその決断に揺さぶりをかけた。
「判断に迷うとは、俺も年だな」
独りそう呟いて、意を決したように電話の受話器に手を伸ばす。
湊は、電話の横に置いてある書類入れの一番上に置かれたハガキを手に取り、そこに書かれた番号にかけた。
「荒川和生一佐…いや、大佐をお願いしたいんだが……」
自衛隊が、軍隊色を嫌って付けていた独自の階級を国際的なものに変更し、呼び名を改めたのは一年も前なのだが、五十を過ぎた湊は、慣れることが出来ずにいた。
『内線番号はわかりますか?』
「わからないんだよ、すまんね」
『では、受話器を置いて、お待ちください』
ハガキは、今年の年賀状で、内容は実にシンプルな普通の印刷会社の手によるものだ。
だが、わずかな白いスペースに、小さな字が躍っている。
すでに老眼鏡が必要な湊には読めないが、文面はもう覚えていた。
『内勤は、退屈です。ここはオヤジばっかりです。早く、湊教官のところに呼んでください!』
差出人の野良猫のような跳ね返りぶりを思い出して自然に頬が緩んだとき、交換手が相手との回線を繋いだことを知らせる。
「もしもし」
湊の低い声に、低い声が反応する。
『はい、荒川です』
懐かしい声だ。だが、相手が自分を覚えているか自信はなかった。
「湊憲治…少将です」
荒川と名乗った相手は、一瞬息を呑み、そして親しみを込めた声で応じた。
「湊教官! お久しぶりです。お元気ですか?」
相手が自分のことを覚えていたことを確認し、湊はほっとした。
これで、大事な頼みを託すことが出来る。
「ああ、元気だよ。君は……荒川は、その、調子はどうだい?」
「問題ないですよ。新しい仕事も、何とかやってます。ま、ちょっと体がなまっちゃうのがイヤなんですけどね」
「おいおい、そろそろ結婚式の招待状でも届くんじゃないかと思って待っていたんだがなぁ」
電話の向こう側で、笑い声が弾けた。
「無理ですよ、こんなところにいちゃ。湊教官、誰か紹介してくださいよ!」
「考えておくよ。ところで、一つ、頼みがあるんだが」
「はい、何ですか?」
瞬時に、荒川の口調が引き締まり、心地よい緊張感が滲む。
そう、この部下は、湊が教え、率いてきた数多くの隊員の中でも、一二を争うほど優秀だった。
しかし、その優秀さとは裏腹に、訓練中には随分やんちゃなことをやらかして、上官の自分は何度、頭を抱えるハメになったことか。
湊は微笑みながら、荒川に、大きな頼みごとをした。
しばしの沈黙の後、荒川は、短く、はっきりとした声で、返答した。
「わかりました。全力を尽くします」
防衛大臣暗殺未遂の様子がテレビで生中継されてから、各省庁を標的とした爆弾テロ、首都近郊の自衛隊駐屯地に対する爆破テロが次々発生し、一夜にして、日本はアジア一治安の悪い国へと転落した。
幸い、不幸中の幸いであるが、標的とされていたと思われる閣僚や官僚、関係者らは誰一人被害には遭わなかった。
その代わり、多くの通行人や警備の人間が犠牲になった。
派手に全国紙の一面をにぎわせている見出しの数々にざっと目を通し、湊 憲治は、大きく息を吐き出した。
整然とした執務室には、すでに夜の冷気と共に強烈な西日が差し込んでいる。
まだ午後三時だというのに、陽は傾き、沈む夕日に照らされる枯れ木たちは、影絵のような見事なコントラストを見せている。
冷たくなったお茶を飲み、乾ききった口の中を湿らせて、湊は引き出しを開けた。
そこに収まっていた一枚の白いA4サイズの紙を取り出し、じっと見つめる。
いたって普通のコピー用紙に印字された文面は、たった一行で完結している。
『検査の結果、悪性と判明しました』
それが何を意味するか、湊は十分わかっていた。
いや、わかっているつもりだった。
これから、自分の身に何が起きるのか、そして自分が何をしなくてはならないのか、すでに考えは纏まっていた。
だが、予想だにしなかった事態が、少しだけその決断に揺さぶりをかけた。
「判断に迷うとは、俺も年だな」
独りそう呟いて、意を決したように電話の受話器に手を伸ばす。
湊は、電話の横に置いてある書類入れの一番上に置かれたハガキを手に取り、そこに書かれた番号にかけた。
「荒川和生一佐…いや、大佐をお願いしたいんだが……」
自衛隊が、軍隊色を嫌って付けていた独自の階級を国際的なものに変更し、呼び名を改めたのは一年も前なのだが、五十を過ぎた湊は、慣れることが出来ずにいた。
『内線番号はわかりますか?』
「わからないんだよ、すまんね」
『では、受話器を置いて、お待ちください』
ハガキは、今年の年賀状で、内容は実にシンプルな普通の印刷会社の手によるものだ。
だが、わずかな白いスペースに、小さな字が躍っている。
すでに老眼鏡が必要な湊には読めないが、文面はもう覚えていた。
『内勤は、退屈です。ここはオヤジばっかりです。早く、湊教官のところに呼んでください!』
差出人の野良猫のような跳ね返りぶりを思い出して自然に頬が緩んだとき、交換手が相手との回線を繋いだことを知らせる。
「もしもし」
湊の低い声に、低い声が反応する。
『はい、荒川です』
懐かしい声だ。だが、相手が自分を覚えているか自信はなかった。
「湊憲治…少将です」
荒川と名乗った相手は、一瞬息を呑み、そして親しみを込めた声で応じた。
「湊教官! お久しぶりです。お元気ですか?」
相手が自分のことを覚えていたことを確認し、湊はほっとした。
これで、大事な頼みを託すことが出来る。
「ああ、元気だよ。君は……荒川は、その、調子はどうだい?」
「問題ないですよ。新しい仕事も、何とかやってます。ま、ちょっと体がなまっちゃうのがイヤなんですけどね」
「おいおい、そろそろ結婚式の招待状でも届くんじゃないかと思って待っていたんだがなぁ」
電話の向こう側で、笑い声が弾けた。
「無理ですよ、こんなところにいちゃ。湊教官、誰か紹介してくださいよ!」
「考えておくよ。ところで、一つ、頼みがあるんだが」
「はい、何ですか?」
瞬時に、荒川の口調が引き締まり、心地よい緊張感が滲む。
そう、この部下は、湊が教え、率いてきた数多くの隊員の中でも、一二を争うほど優秀だった。
しかし、その優秀さとは裏腹に、訓練中には随分やんちゃなことをやらかして、上官の自分は何度、頭を抱えるハメになったことか。
湊は微笑みながら、荒川に、大きな頼みごとをした。
しばしの沈黙の後、荒川は、短く、はっきりとした声で、返答した。
「わかりました。全力を尽くします」
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