戦うネコに大福は必要ですか?

唯純 楽

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日常が覆った日

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「えー、今国会で提案された自衛隊改編草案について、嶋村防衛大臣の記者会見が行われるということですが……現場には山田記者が行っています。山田さん、お願いします」

 友人宅での麻雀飲み会を終え、アパートに戻ったゆうは、徹夜明けの中途半端な眠気をどうにかしようと、いつも見ている昼のバラエティを探してチャンネルを変えていた。

 コンビニで買ったサンドイッチを頬張りながら、リモコンでチャンネルをぐるぐると替え、どのチャンネルも同じニュースを探しているのに気づいて、舌打ちする。

 年を取ると、ニュースが見たくなるなどと言う大人がいるが、夕はそんな気分になったことなどない。
 物心ついてから十九年間、テレビは娯楽番組さえ流していればいいと思っている。

 しかし、テレビのスイッチを切って訪れる静寂よりは、興味がなくともニュースの音が流れている方がマシだ。

 恥ずかしながら、十九にもなって、夕は独りでいることが苦手だった。
 東京出身ではあるが、曹祖父母の代から続く酒屋に生まれ、血縁他人を問わず、始終人の出入りのある家で育った。
 大学進学と同時に、生まれ育った家を離れ、遠い北国に独り暮らしを始めた当初の三ヶ月は、本気で不眠症になりかけた。
 今では、寝酒さえあれば何とか、独りで眠ることが出来るようになった。

 それでも、どうしようもないときは、独り暮らしのいいところを有効活用し、女の子を連れ込む。
 彼女とは呼べないが、ベッドを共にする友人には、不自由していない。
 夕の男っぽさとは無縁の見てくれに、女の子たちの警戒心は自然と緩くなり、甘い言葉の一つ、二つも囁けば、ものの「弾み」で流される。
 だが、深い付き合いはしない。
 愛想はいいので、友達づきあいに悩むことはなかったが、寝ても覚めても一緒にいたいなどと思う女の子には、未だかつて出会ったことがない。
 これからも、出会う気がしない。 

 諦めきれず、チャンネルを二周ほどして、結局、比較的落ち着いたキャスターを用いている民放チャンネルで、手を打った。

「…こちら、防衛省前には、国内外から、多数の報道陣が詰め掛けて、大変混乱しております。間もなく、嶋村防衛大臣と相良事務次官の会見が始まるものと思われますが、二人ともまだ到着していない模様です」

 ざわめく防衛省の建物の前で、少し緊張した面持ちで、しかし不必要に切迫した口調でマイクを握る若者がアップになったかと思うと、スタジオに切り替わる。

「今回の会見で、具体的な内容を説明する、とのことですが…どこまで踏み込んだ内容になっているのか、私たち国民も、大変気になるところです。防衛省の側からは、質問事項についての取り纏めなどは、ありましたか?」

「いいえ。嶋村大臣は、こういった正式な記者発表ですと、各社からあらかじめ質問事項の提出を要請するのが常ですが、今回はそういったことはありませんでした。現場では、質問を受け付けない強硬姿勢で会見に臨むのでは、との見方が強まっています」

「どう思われますか、浅山教授?」

 キャスターは、解説員として招いている政治評論家らしい、初老の男に話題を振った。

「そうでしょうね。徴兵制の提案にはじまり、政権交代劇の締めくくりともいえる、今回の自衛隊改編草案の提出は、民政党が国民に切った、最大の公約ですからね。日本軍としての徴兵はしない、というのが国民向けの言い訳ですから。一方、自由国民党は、これまで自衛隊と共同戦線を張るという言い分で行ってきた対米追従路線で培ってきた利権を手放すことに反発するのが当たり前でしょう。しかし、民意は彼らにとって逆風です。近年のアメリカ経済破綻に伴う、ヒステリックなアメリカからの圧力に対する反発は、経済界にも広がりつつある。先日行われた世論調査では、これ以上、その場しのぎの特措法での平和維持活動への派遣、特にアメリカの独断による派兵に加担するのには、法的限界があるという意見が四割を超えました。少なく思われるかもしれませんが、この数字は、重い」

「重い…と言われますと?」

「当初、自衛隊の海外派遣について、賛成派は三割程度でした。ところが、今回の世論調査は、すでに派遣を恒常的にする必要があると、国民が暗に認めていることが前提になっています。そして、武器の所持をある程度認めた特措法にも限界があるということも、すでに明白になっています。最悪の形でしたが」

「それは…一昨年の、『アスワード国』事件によって、と見てよろしいでしょうか?」

 その事件のことは、夕も覚えている。
 PKOに派遣された自衛隊の一部隊が、武装グループに襲撃されたのだ。
 十分な実弾を装備していなかったことと、実戦に不慣れだったために、ロクに反撃することも出来ず、一個小隊がほぼ全滅し、数名の生き残った隊員はショック症状で帰国後間もなく辞職したという。

「もちろんです。あの事件で、国民は目が覚めた。安全な地域だといって、身を守るための十分な装備を与えられずに派遣された隊員が、十三名も殉職して、ようやく気づいたわけです。この世界には、身を守るために武器を必要とする状況が本当にあるのだと」

 何を今更。
 夕は、鼻で笑ってそのままフローリングの床に転がった。
 例え武器を持っていたとしても、実際に撃てるかどうかは別問題だろう。
 武器の携帯を許可しても、実弾の装備を許可しないとか、撃つのは撃たれてからとかいう、この国お得意の詭弁というべき言葉あそびに、終始するのがオチである。

「しかし、やはり武器の使用に対して、国民の中の違和感、といいますか、恐怖感のようなものは、根強く残っているのではないでしょうか? 平和憲法というものを考えると、『日本人』が銃を手にするというのは、どうかと…」

「ええ。まだ、七十年前のトラウマから回復はしていない。しかし、我々は、同じことをしているんですよ。かつて特攻隊員たちに、片道分の燃料しかない戦闘機で死んでこいと強要したのと、同じことです。十分な装備もなく、放り出すのでは、死んで来いといっているのと同じことではないでしょうか。国は、国民の生命を守る義務がある。国が死を強要するのであれば、自衛官は、国民ではないのか、という話になる。彼らの命は、一般人より軽いのか、と」

 そりゃ、間違いなく軽いだろう。誰もが他人事と思っている。
 心の中で、そう言い返し、目をつぶる。
 急激に、眠気が襲ってくる。
 どうせ議論は堂々巡り。結局は、とりあえず現状維持。
 そうやって、戦後を乗り切ってきたのだから、恐れ入る。
 他国は、この国の理論を決して理解出来ないだろう。

「彼らは、国民の税金で養われている国家公務員として、国民の代わりに職務を全うする必要があるのだから、という意見もあるようですが」

「あなたねぇ。百万円あげますから、素手で銃持ったテロリストに立ち向かってくださいといわれて、やりますか? 理想は、美しいですよ。非武装・平和構築・武力行使のない武装解除。平和憲法を守って、無抵抗に死ぬ。しかし、それは個人の信条のレベルですよ。国がそれを強要しては、国民を守るための憲法ではなくなる」

「だから、自衛隊改編ですか?武器の使用を合法化するための?」

 浅山という教授は、大きな溜息を漏らした。
 夕も、同時に溜息をつく。

「あのね、君。勉強したら? 少しは。これはね、武器の使用を合法化するなんて、そんな小さな問題じゃないんだよ。これは、いよいよ国民が、真の独立国家として、親離れをする必要に気づいたということなんだよ。歴史上初となる純然たる国連軍を作り、憲法に抵触することなく海外派兵による貢献をし、かつ国連加盟国として、自国の保護を要求する。自衛隊の派遣は違憲だ。だから、自衛隊じゃないモノを派遣する。それにより、日本は、日本が保持しない、しかし国連が保持する軍によって、二重に守られる。指揮権は日本にはなく、国連にあるのだから、その行動について日本が非難を受けることもない。アメリカという暴君に、無条件で従う必要もなくなる。非常に分かりやすい民政党の政策に、多くの人が共感するのは無理もないことです」

 そんなに、上手くいくか、疑わしいけれど。

「公にはなっていませんが、すでに自衛隊内では国連軍への改編を睨んだ部隊を用意しているという話もありますね」

「どうでしょうかねぇ。一時期、テロ対策用の部隊を、という話になったとき、当時の野党だった民政党からの圧力で、結局は流れた経緯がありますからねぇ。ま、民政党については、立場が変わった途端に政策が反転する、という節操のなさを指摘する声もありますが」

「徴兵制については、どうお考えですか? 国会を通過した以上、来年にでも施行される可能性はゼロとは言えませんよね? しかし、いきなり一般人から徴兵した部隊を、国外の危険な地域へ派遣するのは無理でしょう?」

「それはそうでしょう。だからこその、改編でしょうね。一応、自衛隊のノウハウが必要でしょうから」

 自衛隊というところが、何を訓練し、演習で何をしているのか、一般の国民が知る機会は非常に少ない。
 一般公開されている部分は、国民がそうであって欲しいと望む部分に限られている。

 だが、戦後何十年もかけて、慎重に張り巡らせたヴェールは、海を渡って吹き付ける強い風に舞い上がり、ともすればその向こうに秘められてきたモノを顕にしかけている。
 政治や国際情勢に関心のない夕だって、そこに「ある」ものを「ない」と言い張る滑稽さに、うんざりしているというのが、本音だ。

 馬鹿馬鹿しい。

 徴兵制だって、他の多くの法案がそうであるように、結局は実態のないものに陥るだろうというのが、一般的な見解だ。

 この国の政治家たちの、節操も信念もない政策に、国民はすでに呆れ、諦めている。
 国会で何が行われていようと、それをわが身に降りかかることとして実感しているのは、ごく少数だろう。
 特に、若者にはひどく遠い世界の話に聞こえる。
 消費税増税論議に紛糾する国会審議の片隅で、憲法がいつの間にか改正されていたのを知っても、大きな反動も起きないままだ。

 誰も、興味がないのだ。

 テレビから流れ続ける小難しさを装った解説は、いい子守唄になり、夕がもう少しで眠りへの欲求に屈しそうになったとき、何かがアパートに激突したかと思うほどの大爆音が響き渡った。

 驚いて飛び起きると、画面にオレンジ色の炎が映し出されていた。

 燃えているのは街路樹で、黒塗りの車が、猛スピードでカメラの前を横切って、ゲートを通り抜ける。
 カメラワークが乱れ、悲鳴と怒号の中、ブレたカメラの端に、拳銃を持っている人物が映し出された。
 黒いスーツ姿のそれは、女性のようだ。
 一瞬の後、カメラは、男、燃え盛る街路樹の手前で道路に倒れている男に振られる。
 その傍に転がる黒い円筒状の物体。
 だが、その姿もすぐに、男を取り押さえようとする人々と、右往左往する記者たちで見えなくなる。
 まともな中継になっていない。

「たたたた、大変ですっ! 嶋村防衛大臣が、襲われましたっ! 犯人は……のよう…護衛……即死…」

 記者が叫ぶ声は、背後で飛び交う怒号で良く聞き取れない。 

「撮るなっ!」

「邪魔だ、下がれっ!」

 いかつい男たちの手が、カメラをもみくちゃにする。

 その僅かな隙間に、飛び散った鮮血と横たわる男がアップになった。

 こちらをうつろに見上げる目は、瞳孔が開ききっており、すでに何も見えていないことは明らかだった。

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