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帰港 2

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 ディオンとメルリーナ、二人と真夜中に話した後、眠るようにラザールは息を引き取った。
 明け方まで、ディオンは泣きじゃくるメルリーナを抱いてじっとしていたが、冷えた空気に朝の訪れを感じ取ると、セヴランを呼び、弔旗を揚げてリヴィエールが見えるところまで船を進めた後、水葬を行うことを告げた。

 朝焼けに染まる海に翻る弔旗を見たネーレウス号もアクイーラ号に倣い、リヴィエールへ向かって吹く風を捉え、太陽が中天を指す頃、寄り添うようにして船を泊めたようだ。
 ブラッドフォードたち、ヴァンガード号の主だった面々もアクイーラ号に乗り移り、甲板で待っているからと、メルリーナを迎えに来たディオンは、冷たくなったラザールに取り縋るメルリーナを引き剥がそうとした。

「メル。皆で、ちゃんと見送ろう」

「い、いやっ……り、リヴィエールに、帰る……一緒に、帰るっ!」

 別れを告げるにはまだ早いと訴えれば、ディオンはその気持ちはわかると頷きながら、ラザールを見下ろして微笑んだ。

「お祖父様は、アンテメール海よりもっと広い海に旅に出るのを楽しみにしているんだ。邪魔をするわけにはいかないだろ?」

「で、でもっ……」

「航海長も、船乗り仲間も待っている。今度会うときには、きっともっと面白い冒険譚を聞かせてくれる」

「……こ、今度って……いつ?」

 いい加減なことを言うなと睨めば、ディオンは首を傾げて考え込む。

「そうだなぁ……俺とメルがずっと年を取ってからかもしれないし……もしかしたら、もっとずっと早くかもしれない。でも、アンテメール海で絶対にまた会える」

 珍しく自信たっぷりのディオンに、メルリーナが腫れ上がった目を瞬けば、メルリーナの胸元で揺れる銀色の指輪を取り上げて、きっぱりと言い切った。

「リヴィエールの人間は、どんなに遠くへ旅しても、迷わずアンテメール海に還って来る。知らない海で迷っても、リヴィエールの守り神が進路を教えてくれるんだ。お祖父様だけでなく、俺も……メルも、みんなアンテメール海に還るんだ。だから……寂しくなんかないだろ?」

 いつもはメルリーナがディオンを窘め、慰めるのに、今のディオンは別人のようだった。
 優しくメルリーナを見つめる空色の瞳は穏やかで、その手を取れば大丈夫だと、何の心配もいらないのだと、思える。
 いつの間にか、その広い胸は、いつでもしっかりとメルリーナを受け止められるようになっていた。
 一年前より、ずっと大人になっていて、でも、一年前よりずっと近くにいた。

「それに……陸では俺が傍にいるんだ。寂しいなんてこと、あるわけない」
 
 文句はないだろうとばかりに言うディオンに、メルリーナはラザールの面影を見た。
 冒険を前にすると少年のように目を輝かせて、メルリーナの同意を待たずに手を引いて船に乗ってしまう。
 どこへ行くのか、どんな旅になるのかわからなくとも、きっと楽しい旅になるに違いないと思わせる何かが、ディオンにもある。 
 
 メルリーナは泣きながら微笑み、差し出されたディオンの手を取った。
 ディオンは、しっかりと握り返してメルリーナを勢いよく引き上げた。

「行こう、メル」

 大きくて、温かい手は、立ち止まりそうになるメルリーナを引っ張ってくれる、大好きな手だった。


◇◆


 ブラッドフォードやゲイリーはもちろんのこと、ネーレウス号の甲板に並ぶヴァンガード号の面々に見送られて、ラザールの眠る棺はアンテメール海からもっと広い海へと旅立った。

 ラザールを送り出した後、アクイーラ号とネーレウス号は絶えることなく吹く風に乗ってリヴィエールの港へと戻った。

 弔旗を掲げる二隻を見たリヴィエールの人々は、それだけでラザールの死を察して町中に弔旗を掲げ、アクイーラ号を下りたディオンが馬車に乗り込むまでの間、数多くの船乗りたちが悔やみの言葉をかけてきた。
 ディオンは、そんな人々に礼を述べ、その死を悼む儀式はアランが戻り次第行うつもりであると説明した。

 すっかり未来のリヴィエール公爵らしい落ち着きを見せたディオンは、表立って行動したくないと渋るブラッドフォードとゲイリーを容赦なく馬車へ押し込めて、リヴィエールの宮殿へ戻った。

「メルっ! 無事だったのね!」

 宮殿の入り口には、グレースだけでなくフランツィスカが待っていて、メルリーナは馬車を下りるなりいきなり抱きしめられて驚いた。

「行方がわからないと聞いて……ああ、でも、元気そうでよかったわ」

 フランツィスカは相変わらず凛とした王女様然としていたが、カーディナルを動かすために必死で奔走したのだろう。
 その表情は別れの前よりもずっと大人びて、少し痩せたようにも見えた。

「私の行動が、メルを危険な目に遭わせてしまったのかもしれないと思って……」

 図らずしもメルリーナが自分の身代わりのようにして海賊に狙われてしまったのではと言うフランツィスカに、メルリーナはそんなことはないと首を横に振ったが、大事なことをディオンに話していなかったことを思い出した。
 ディオンにも訊かれなかったので、アデルとの関係を説明することをすっかり忘れてしまっていた。
 
 いつ言おうかと考え込んでいると、グレースに手を取られる。

「ラザール様なら、必ず見つけるはずだと思っていました。無事で何よりです。……ところで、体の具合はどうです? 不調を感じたりはしていませんか? 船酔いではなく、気持ち悪くなったりとか……」

 メルリーナの手を優しく包み込んだ後、畳みかけるように問うグレースに、首を傾げつつメルリーナは自分は至って健康だと頷いた。

「え、あの……? 大丈夫、です」

「そうですか……」

 大丈夫かと聞いておきながら、なぜかグレースは少しがっかりした様子を見せた。
 一体何だろうと目を瞬くメルリーナの横で、ディオンが咳ばらいをして話題を変えた。

「母上。父上は、カーディナルがエナレスとの件に決着をつけ次第、戻ると言っていました。ファニーはリーフラントの船で帰るつもりだと聞いたけれど、船を動かせるだけの人数は揃わないんじゃないのか?」

 怪我人たちは、リーフラントへの数日の旅に耐えられるほどには回復しているだろうが、船を操れるほどではないだろう。
 ディオンの指摘に、フランツィスカはその通りだと頷いた。

「ええ。だから、リヴィエールの力を借してもらえないかと思って……」

「それは構わないが……」

「だったら、僕らが送って行けばいい。だろう? ブラッド。先にリーフラントに寄って、そこからウィスバーデンまで僕らを送り届けてもらえばいい」

 ネーレウス号を持って帰ることは出来ないのだからと言うゲイリーに、ディオンが何故か渋い顔をした。

「それは……駄目だ」

「は? 何が駄目なんだい? リーフラントの船なんだから、リヴィエールには関係ないだろう?」

 ゲイリーが駄目なわけがないと言い返すと、ディオンはむすっとした顔でアランから言われていることがあるのだと告げた。

 色々と用意するから今夜は宮殿に泊まってほしいと言うディオンにブラッドフォードとゲイリーは顔を見合わせたが、「ラザール様がお世話になったようですから、お礼を兼ねてぜひ夕食を」と言うグレースの言葉に逆らえずに頷いた。

 夕食の席では、フランツィスカが、強要するわけでもなく、かといって聞き流すわけでもない絶妙な話術でメルリーナの冒険譚をブラッドフォードやメルリーナから聞き出し、ディオンに百面相をさせ、グレースを青ざめさせた。

 ラザールのことを話すときは、誰もが少し沈んだ表情にはなったものの、その旅立ちを嘆くよりも祝うべきだと思う気持ちは一緒だった。

「それで、リヴィエール公爵から言われていることっていうのは何なんだい?」
 
 最後のデザートにメルリーナの好物であるフルーツケーキが出されたところで、ゲイリーが話を振ると、ディオンはセヴランが差し出した紙を受け取り、ブラッドフォードとゲイリーの方へと滑らせた。

「勿体ぶるなぁ」

 面倒くさいという表情でその紙を拾い上げたブラッドは、目を見開いた。

「な……これ、本気か?」

「ああ」

「何なんだい? ブラッド」

 横から覗き込んだゲイリーも同じように目を見開く。

「ヴァンガード号が修理を終えるまで、ネーレウス号を貸し出す。気に入らなければ、ヴァンガード号が直り次第返せばいいし、気に入ったら……安く譲ってもいい」

 ディオンの説明にフランツィスカも驚いたようだ。

「随分と……気前がいいわね? カーディナル海軍でさえ、リヴィエールの軍艦一隻とカーディナル製の軍艦十隻を交換してもいいと言っているんじゃなかったかしら」

 最新鋭の武器と機能的な索具を備えた軍艦には、リヴィエールの持つ技術が余すところなく注ぎ込まれている。 
 その性能は、一度乗ったら他の船には乗れなくなると評されるのだというフランツィスカに、ブラッドフォードが唸る。

「……悔しいが、その通りだな」

「ネーレウス号は、武器や装備の実験をするために利用していた船だ。軍艦としての完成度は決して高くないし、技術や効果を追い求めて、使い勝手が悪い部分もある。売り物にはならないし、リヴィエールの他の船と同じように扱えない不便さは致命的なんだ」

 単独での行動には支障がないが、船団として戦列を組んで戦うには向かないとネーレウス号を評したディオンに、ブラッドフォードは「ううっ」と呻きながら尋ねた。

「……いくらだ?」

「ブラッド。よく考えた方が……」
 
 ゲイリーが早まるなと言うのを無視して、ブラッドフォードはディオンを真っすぐ見つめると「いくらで譲ってくれるんだ?」と問う。

「いくら、か……」

 ディオンは、腕を組んで考え込む。
 どうやら、アランから値段については指示を受けていないらしい。
 じっと見つめるブラッドフォードが、痺れを切らして腰を浮かしかけたとき、ディオンはふとメルリーナを見遣り、口を開いた。

「メルが、いつでもウィスバーデンを訪ねられるようにしてくれるなら、船の代金はいらない」

「は?」

 絶句するブラッドフォードに代わり、ゲイリーがにっこり笑う。

「容易いことだよ! 僕に会いに来るんだよね? だったら、もちろん僕が送り迎えするよ。何だったら、そのままウィスバーデンに住んでくれても……」

「違うだろうがっ! メルは、おまえに会いに行くんじゃないっ!」

 ペラペラとメルリーナがウィスバーデンに留まる未来を語り出すゲイリーに、ディオンはいつものように噛みついた。

「じゃあ、誰に会いに行くんだい?」

「……メルの……メルの母親の……その、メルの……親戚がいるんだろ?」

 メルリーナがウィスバーデンに何をしに行ったのか知っているというディオンに、メルリーナはぎゅっと胸元の首飾りを握りしめた。

「せっかく会えたんだから、親しく付き合えた方がいいだろ」

 むっとした表情のまま、そんなことを呟くディオンにメルリーナは思わず頬が緩んだ。

「メルの親戚がウィスバーデンにいるの?」

 フランツィスカの問いに、ディオンが頷いて口を開こうとするのをメルリーナは遮った。

「はい。母の妹だという人が見つかったんです。その人は、船長の婚約者のお母様で、とっても優しい人で……ウィスバーデン国王の側妃なんです」

「まぁ! じゃあ、もしかしてメルのお母様もどこかの国のお妃様になれるような……貴族とか王族だったのかしら?」

「ファニー。実は……」

 メルリーナは、隣に座るディオンの脇腹をぎゅうっと抓った。

「いっ……」

 悲鳴を上げかけ、ぐっと堪えるディオンに視線が集まる中、メルリーナはフランツィスカに微笑みながら説明した。

「母は、貴族でも、王族でもありません。乗っていた船が海賊に襲われて、祖母と生き別れになってしまった上に記憶を失ってしまい、故郷がどこかもわからずにいたようなのですが、リヴィエールで出会った祖父や父のお陰で、幸せに暮らしていました」

「そう……実は王女様だったのです、というわけにはいかないのね。そうだったら、何の心配もいらなくなるかもしれないのに」

 身分が伴えば、ディオンとの未来に何の懸念もなくなるだろうと言うフランツィスカの言葉に、メルリーナが反論する前に、ディオンが答えた。

「別に、どうでもいい」

「え?」
「ディオン?」
 
 驚くフランツィスカとグレースに見つめられたディオンは、慌てて言い直した。

「ど、どっちでもいいってことだ! メルが王女様だろうと何だろうと……メルはメルなんだから」
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