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波濤 4

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「キリがないな、セヴラン」

 リヴィエールを出たディオンは、アランの指示通りにリーフラント近海で次から次へと現れる海賊船を相手にしていた。
 船団を組んで攻撃して来るわけではないからこそ、気が抜けない。
 終わりの見えない戦いは、ディオンたちが乗るアクイーラ号を戦闘によるものではない、別の角度からじわじわと苦しめていた。

 十分な食料と弾薬を積み込んでリヴィエールを出たが、予想以上の数の海賊を相手にしたために、そろそろ補充しなくては厳しい状況に追い込まれそうだ。
 砲弾の残数を数えて攻撃する状況を想像するだけでぞっとすると、ディオンは切り上げ時を考えながら徐々に靄が晴れ、青々と光る海を見つめていた。

「どこから湧いて来るのか不思議なくらいですね」

 海賊たちは、リーフラントとパスラの間を埋める断崖絶壁のどこかに潜んでいるのはわかっているが、岩場の多い海域で不用意に近づくのは危険すぎるため、出て来たところを叩く以外にない。

「改めて見れば、アンテメール海も庭と言うには随分と広い」

「そうだな」

 祖父ラザールにとっては、アンテメール海は庭のようなものかもしれないが、ディオンにしてみれば庭どころか大草原のように感じる。
 西海にいたっては、人の気配も感じられない荒野だ。

 そこへ踏み出すことを思うと、恐れと同時にまだ見ぬものへの好奇心が湧き起こる。
 未知の海へと乗り出したくなるのは、船乗りの性のようなものなのだろう。
 
「そろそろ、カーディナルが着いてもいい頃合いですが……綺麗に掃除が終わってからやって来るつもりかもしれませんね」
 
 セヴランの言葉に、ディオンはつい苦い表情になった。

 無傷でリーフラント入りしたいと考えているだろうカーディナルは、リヴィエールが海賊たちを蹴散らし、大人しくさせるのを待っているのかもしれなかった。
 アランは、リヴィエールがある程度の露払いを買って出ることで、恩を売るつもりだろうが、持ちこたえられなければ、恩を売るつもりが逆に恩を売られる展開になりかねない。

 そんなことになろうものなら、母グレースではないが、アランはディオンを海に沈めるかもしれなかった。

「だとすれば、手駒が少なすぎる」

 ディオンはアクイーラ号と他二隻の軍艦を率いてリヴィエールを出たが、数名の乗組員をリーフラントの港町サヴァスへ潜入させて定期的に状況を報告させているため、二隻は港が見える位置を離れられない。
 アクイーラ号ほぼ単独で、海賊を相手にしているに等しかった。

 アランはと言えば、カーディナルがアンテメール海に入る海路を確保するため、リヴィエールが誇る最新鋭の軍艦を率いてアンテメール海の入り口にあたる自由都市パスラ周辺に展開している。

「一隻じゃないだけ、マシでしょう。三隻もの軍艦を与えられながら、海賊ごときに遅れを取ったとなれば、それこそラザール様にどやされますよ。ヴァンガード号はたった一隻で二隻の海賊船を仕留めてみせたようですから」

 ヴァンガード号と聞いて、ディオンは海に出てからなるべく考えないようにしていたことを思い出し、ぎゅっと拳を握りしめた。
 そんなディオンの様子を見たセヴランは、いつもの冷たい表情を微かに緩ませ、その声音にも温かなものを滲ませた。

「知らせがないということは、いい知らせですよ、ディオン様。ラザール様なら、どこにいようとも必ずメルリーナ様を見つけられます。アンテメール海は、ラザール様にとっては勝手知ったる庭です。あらゆる伝手があり、あらゆる情報を手に入れられると思ったからこそ、自分が行くと仰ったのでしょう。まぁ、格好いいところを譲るには、ディオン様ではまだ早いと思われたのかもしれませんが」

 ヴァンガード号に乗っていたメルリーナが、ウィスバーデンへ向かう途中、海へ落ちて行方不明になったと知らせがあって以降、新たな情報はディオンの下へ届けられていなかった。

 メルリーナは絶対に生きているはずだ、アンテメール海にはマクシムもいるし、メルリーナの母ジゼルもいるのだから、みすみす死なせるようなことはしないと信じていたが、不安がなくなるわけではない。
 気を緩めれば、ポツポツと出没する海賊たちのごとく「もしも」の未来が脳裏に浮上して、打ち消すのに苦労するから、息つく間もなく海賊に出くわし、考え込む時間も余裕もない今の状況は、むしろディオンにとっては有り難かった。
 
 早くメルリーナを探しに行かなくてはという焦燥感と苛立ちも、海賊たちを容赦なく蹴散らすことで少しは宥められる。

「譲るも何も、最初からメルは俺のものだ」

 たとえ尊敬する祖父であろうとも、メルリーナを譲るつもりはない。
 リーフラントの件が片付いて、メルリーナが長い旅を終えてリヴィエールに戻ったら、今度こそ自分のものに出来る。
 一時は、胸躍る冒険に出ようとも、血が沸騰するような海賊との戦いに夢中になろうとも、リヴィエールにメルリーナがいると思えば、きっとまっしぐらに帰りたくなるだろう。

「ようやく、でしょうに。メルリーナ様はちゃんと同意したのでしょうね?」

「メルが戻ったらチェスを――一年前の再戦をして、勝ったら改めてちゃんと求婚する」

 婚約指輪も何も用意していないまま、なし崩しで求婚してしまったもののメルリーナは快諾してくれた。 
 ただし、一応、再戦して勝ったらという約束だ。
 うやむやにしたい気持ちはあるけれど、メルリーナは「勝負をしない」とは言わない気がする。

「ディオン様……ひとつ、確認してもよろしいでしょうか」

 ところが、ちゃんと考えていると胸を張ったディオンに対し、セヴランは頭痛がするとでも言うように額を押さえた。

「何だよ?」

「負けたらどうするんでしょうか」

「は?」

「ディオン様には、勝算があるのですよね? 今まで、メルリーナ様が手加減していたからこそ勝てていたんですよ。それが、手加減なしの本気で勝負されても勝てると言うからには、その自信がどこから生まれてきたのか、お聞かせ願えますか」

「……」

 返す言葉に詰まったディオンに、セヴランは大きな溜息を吐き、憐れみの眼差しを向けて来た。

「べ、別に、一度の勝負で決めるとは言ってないっ! 再戦は再戦なだけで、もし負けたら、勝つまでやればいいだろっ! メルはもう旅には出ないし、一応、花嫁になるって言ったし……時間はあるし……」

 どんどん声が小さくなるディオンに、セヴランはリヴィエールで待ち受けているほんの少し先の未来を語ってみせた。

「さぞかし、グレース様ががっかりすることでしょうね。ディオン様に任せていては、何も進まないことはよくご存知ですから、早速花嫁衣装を検討しようと張り切っておいででしたし、方々に婚約を発表する手筈を整えているかもしれません」

 手際よく、きっちり物事が進まないと気が済まない母が、いかにもやりそうなことだった。
 その準備を台無しにしようものなら、きっと海に沈められる。 

「セヴラン。あとで、チェスの相手をしてくれ! おまえなら、航海長のチェスも覚えているだろ?」

 メルリーナのチェスは、マクシム仕込みだ。
 マクシムの得意とする戦術や癖などを知ることで何とかなるかもしれないと、ディオンは藁にも縋る思いでセヴランに頼み込んだ。

「……十年近く対戦していても滅多に勝てないとなれば、今更無駄な足掻きだと思いますが、お相手いたしましょう。ただし、その暇があれば、の話ですが」

 セヴランが、肩を竦めて視線を後方へ向けた。

 一隻の見るからに海賊らしい黒旗を掲げた船が一直線にアクイーラ号の船尾へ向かって来る。
 船尾を取れば勝機があると考えるのは理にかなっているが、アクイーラ号の艦尾砲の破壊力の前では、単なる無謀な行為だ。

 ディオンは、距離を詰めてくる海賊船の装備を確認させた後、回避はせず、こちらの射程距離で待ち構えるよう命じた。
 アクイーラ号に相手の砲弾が届く前に、仕留められると判断したからだが、向こうには間抜け面をさらしているように見えているらしく、接舷攻撃を目論む海賊たちが甲板に溢れているのは好都合だ。

「撃て」

 こちらの射程距離に入るなり下した短い命令は、掌砲長を通じて直ちに船尾の半ばに位置する艦尾砲の砲撃手へと伝えられ、立て続けに響いた重低音の後、迫り来る海賊船目掛けて砲弾が飛んで行く。
 挨拶代わりの一撃は、相手の前甲板に落下するなり無数の破片をまき散らして海賊たちといくつかの大砲を破壊し、更に砲撃の準備をしていた大砲の砲弾が誘爆したらしく、火の手が上がるのが見えた。

 敵が混乱している間に、主舵を命じつつ右舷の砲でマストや帆を狙う。
 拿捕するほどの船ではないし、放っておいても燃え尽きると思われたが、中途半端な状態で攻撃を止め、船がどこかに漂着するようなことになっては、面倒だ。
 向かい風を利用して、推進力を失いつつある船を相手に首尾よく併走し、容赦のない砲撃を加えてメインマストが力尽きて折れたところで、もう一度反転を命じ、船尾へ止めの一撃を放つ。

「相変わらず、あっけない」

 セヴランは、もう少し潰しがいのある相手でないと、ディオンが経験を積む役にも立たないと嘆いた。

 アランによって改良に改良を重ねられたリヴィエールの大砲は、用途に応じた様々な射程距離と取り回しがしやすい大きさ、抜群の破壊力を誇る。
 アクイーラ号も、リヴィエール公爵の旗艦がもつ百門には及ばないが、接近戦に持ち込まずとも、上手く砲撃を加えて相手を無力化するに十分な数と性能を誇る大砲を備えていて、練度の低い海賊相手だと肉薄するまでもなく勝敗が決する。

 それなのに、飽きもせずに単独で戦いを挑むのは、海賊だからなのだろう。
 
 ディオンとしても、確かに物足りないと思わなくもないが、こちらが戦列を組める状態にない以上、たとえ海賊船であっても複数の船を同時に相手にはしたくない。
 一緒に海へ出るようになって気付いたが、セヴランはラザールやマクシムの船に乗っていただけあって、海では陸にいるときの慎重さが嘘のように好戦的になる。
 
 臆病者よりはマシだが、時々、ヒヨッコのディオンの方が無茶だろうと言いたくなるのは何かがおかしいのではないかと思わなくもない。
 
「いい加減馬鹿のひとつ覚えのようにパラパラとやって来るのをやめて、大船団で来れば一気に片付けられるものを」
 
 忌々しいと言うセヴランに、大船団相手に勝算があると思う根拠はどこにあるのだと言いたくなったディオンだが、船尾に一撃を食らった海賊船が煙と炎に包まれてアンテメール海へとゆっくり沈んでいくところを見つめ、ふとした違和感を抱いた。

 とにかく近づいて砲撃を加え、乗り込めばいいという大雑把な作戦は海賊らしいものだが、いい加減学習してもいい。
 他の海賊が下手を打って消えてくのを見て、幾ばくかの報酬のために、同じような目に遭うのはごめんだと思う者だっているかもしれない。
 言葉では説明出来ない何かが、警鐘を鳴らしている。

「セヴラン。誰が海賊たちに金を払うと思う?」

 他国の庭先を蹂躙するような真似をするのだから、エナレス皇帝の意思がそこにはあると思われるが、皇帝の首がすげ替えられた場合でも、海賊たちは報酬を手に出来ると思っているのだろうか。

「確実に持ち逃げされるでしょうから、全額前払いのわけはないでしょうね」

 エナレス皇帝が近々命を落とす、とアランは言っていた。
 まだ、確実な情報はないが、サヴァスに潜入させている乗組員たちからは、エナレスの都から避難して来たと思われる商人や身分を偽った貴族たちの姿がちらほら見受けられると報告が上がっている。
 政情が落ち着くまで、パスラへ行くなどして、火の粉が降りかからない場所で様子を見るつもりなのだろうが、現皇帝がリーフラントへの出入りを自由にさせているはずもなく、目が行き届かなくなっていると考えた方がいい。
 それなのに、海賊たちが律儀に約束を守るとは思えない。

 今、アンテメール海でリヴィエールに戦いを挑んで来る命知らずの、愚かな海賊たちにエナレスの息が掛かっていることは、ほぼ間違いない。
 彼らの装備は、付け焼刃とはいえ、海賊にしては良すぎる。
 リヴィエール製の大砲を積んでいた船もいたし、接舷攻撃をしかけた海賊たちが持っていた長銃がカーディナル海軍御用達の最新式のものだったこともある。

「持ち逃げするだけの金が手に入らないとしたら?」

 相手を出し抜き、裏切り、お宝を掠めとることが海賊の本分だ。
 与えられるものだけで大人しく満足するはずもない。

「手に入らなければ、奪うでしょう」

 どこから奪うのか、言葉にするまでもなかった。
 
 ディオンは、進路をサヴァスへ向けるよう命じ、あっけない戦いの終わりに緩んだ表情を見せていた乗組員を一喝し、再び戦闘態勢に入ると告げた。

 これまで、海賊たちはあくまでもリーフラントの近くに出没し、リーフラントに近づこうとする者を排除しようとしていた。
 そうすることで報酬を貰えるからだ。
 だが、最早報酬を手に出来ないとなれば、更にはより多くの財宝を得られるとなれば、そちらを選ぶだろう。
 リーフラントにも海軍はいるし、港にも停泊しているはずだが、海から攻め込まれる可能性は低いと考えているはずだ。
 小さな船であっても港に入り込まれると軽々しく艦砲射撃するわけにもいかず、上陸を許せばサヴァスの住人たちが危険にさらされる。

 幸い朝凪ぎは止み、風はサヴァスへ向けて強く吹き始めている。
 アランが、大砲同様により船の速度を上げられるよう改良を重ねた帆は、機能的かつ複雑な索具も戸惑うことなく操る訓練を重ねた掌帆手たちによって的確に、そして最大限に風を受けられるよう調整され、アクイーラ号は力強く海面を切り裂いて進んで行く。
 フォアマストの帆が萎れることなく膨らみを増す様を眺め、湧き起る焦燥感を打ち消そうとしていたとき、檣楼にいた見張り役が叫んだ。

「船長! リヴィエールの船です!」

 リヴィエールの船がリーフラントの方角にいることはわかっているのにわざわざ指摘するということは、それ以外の船だということだ。

「どこからだ?」
「東からですっ!」

 ウィスバーデンの方角から来たと聞いたディオンは、それがネーレウス号だと確信した。
 セヴランに目を遣れば、大きく頷く。

「ラザール様ですね。ここに現れたということは、無事に見つけたということでしょう。メルリーナ様を」

 散歩のついでに寄り道しようと思ったのではないかと、珍しく嬉しそうに微笑むセヴランに、ディオンは安堵のあまりその場に座り込みたくなったが、足早に船首へ向かうと遠眼鏡を覗いた。

 覗いた先では、ネーレウス号と思われる船が海賊船相手に砲撃を加えている様子が見えた。

「先を越されてしまいましたが、大きな獲物は仕留められていないようです」

 セヴランが望んだように、サヴァスに迫る海賊船は軽く十隻を超えている。

「相手に不足はないでしょう」

 心底嬉しそうなセヴランに呆れながらも、自分も同じように気分が高揚しているのを感じ、ディオンは頷いた。

「ああ。これ以上、楽しみを奪われるつもりはない」 
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