キツネつきのお殿さま

唯純 楽

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忘れ去りし記憶 19

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◇◆


 何とか草餅を二度と見たくないと思う前に、記憶取り戻した秋弦はすぐに照葉の城を出て、伊奈利山へ向かった。

 廃寺で狼の群れを相手に大立ち回りを演じた後のロクな護衛も付けぬ早駆けに、角右衛門も春之助も怒りはしたが、引き止めたりはしなかった。

 偶然行き合ったせいで巻き込まれた寺社奉行まで引き連れて伊奈利山に向かった秋弦は麓の村に宿を求め、疲労困憊で正体もなく眠る三人をそのままに、ひとりで抜け出した。

 おそらく、自分以外は葛葉が会ってくれないだろうし、ここから先は秋弦自身がどうにかしなくてはならない。

 夜明けと共に鬱蒼とした森へ足を踏み入れた秋弦は、ほっとした。
 秋ではないので落ち葉の色も土の香りも異なるが、間違いなく記憶にある場所だった。
 
 右近左近が言うところの必殺技とか言う大層な効き目のあるらしい巻物も携え、準備は万端だ。
 初めて二人が秋弦のもとを訪れたときに渡された巻物は、葛葉に大事な願いごとをする時には必須らしい。

 ようやく楓とした十年前の約束を果たせると、喜び勇んで足早に歩を進めたとき、いきなり目の前に大柄な男が現れた。

 条件反射で刀の鯉口を切って身構える。

「おまえ、照葉のお殿さまだろう? 何しに来た」

 黒々とした髪を茶筅髷に結い上げた男は、太い眉と鋭く光る黒い瞳、通った鼻筋としっかりした顎を持つ凛々しく男らしい顔立ちをしていた。

 黒無地の木綿の半着に裁付袴と粗末な身なりをしいているが、堂々とした態度は平民とは思えないし、ここが伊奈利山であることを思えば正体は一つしかない。

「……おまえも、神使か?」

「そうだ。如月だ。楓の許嫁だ!」

 真っ当に名を名乗ったのはいいとして、その後に続いた言葉に秋弦は耳を疑った。

「許嫁?」

 十年前も、つい最近も楓の口からそんなものの存在を聞いたことはない。

「だから、おまえに楓はやらんっ!」

 葛葉に会う前に、片づけなければいけないことがあったのかと頭を抱えたくなったが、ここで引き下がるつもりは毛頭ない。

「もしも、おまえが本当に許嫁だったとしても、楓が望んでいることを無理にやめさせることはできないだろう」

「おまえと一緒になっても、楓は幸せになどなれないっ! 狐のことは狐が一番よくわかっているんだっ!」
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