キツネつきのお殿さま

唯純 楽

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忘れ去りし記憶 5

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 秋弦が藁にもすがる思いで尋ねれば、右近と左近は顔を見合わせてにんまりと笑った。

「お殿さまの好きな草餅です」
「楓の作った草餅です」


◇◆


 桜もすっかり散り落ちて、今はぐんぐんと青い若葉を育てている木々を見上げ、楓は「はぁ」と大きな溜息を吐いた。

「楓。おまえ、振られたんだってな」

 意地の悪い声の持ち主は、振り返らなくてもわかる。

「何か用? 如月(きさらぎ)」

「だから、人間なんかやめておけって言っただろう?」

「……それが言いたかっただけ? だったら、邪魔だからあっち行って!」

 しっしっと、三本になってしまった尻尾を振ったが、如月はくるりと楓の前に回り込む。

「十年前から追いかけてても無駄なんだから、いい加減諦めろよ」

「……うるさい……」

「人間は、人間のつがいが一番だし、狐は、狐のつがいが一番だ」

 秋弦は、人間とは言い切れないと心の中で反論してみたけれど、狐でないことに変わりはない。

 楓が黙って俯いていると、如月が鼻を擦りつけてくる。

「やっ!」

 ガブリ、と噛みつき返すと「おまっ! 何すんだっ!」と激怒する。

「おまえなんか、相手にしてやるのは俺くらいなもんなんだからなっ! 尻尾も減って、毛もボサボサで、みっともないったら……」

「うるさいうるさいうるさーいっ!」

 思い切り体当たりして如月を吹っ飛ばした楓は、そのまま朱の鳥居が並ぶ隧道へ飛び込んだ。

 葛葉の術で、外の世界へ出られないとはわかっていても、少しでも秋弦の近くに行きたい。

 必死に走り、途中で足がもつれてごろごろと転がり落ちた先は、森の中にぽっかりと開いた場所。秋弦と初めて出会った場所だ。

「秋弦さま……」

 山の上の廃寺から葛葉に連れ戻されて以来、秋弦とは会っていない。

 右近左近とも、春之助とも角右衛門とも会っていない。

 葛葉の目が光っているので、こっそり神鏡を覗くこともできない。

 矢傷は秋弦のおかげですっかりよくなったけれど、尻尾は三本のまま。

 毛並みも、ハゲたところは元通りになったけれど、城にいたときのようには誰も梳いてくれないし、秋弦のことを考えると眠れないし、食欲もないので、艶もなくボサボサだ。

 如月の言うとおり、みすぼらしくて全然美しくない。

 秋弦は、楓を嫁にしたいと言ってくれたけれど、やっぱり思い直して更姫を嫁にすることにしたのではないか。

 真神を降ろして狼になった秋弦の姿は神々しくって眩しいくらいに凛々しかったけれど、楓より数倍も大きかったから、みすぼらしい狐などお呼びじゃないのかもしれない。

「うう……会いたい……秋弦さま……会いたい……」

 ごろごろと横に三回転し、草塗れのまま伏せていた楓は、ふと馬蹄の音を聞きつけてピンと耳を立てた。

 すっくと立ち上がり、首を伸ばして木立の向こうからやってくる人影に目を凝らす。

 きらり、きらりと光るのはお天道様のような色の髮だ。

「秋弦さまっ!」
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