キツネつきのお殿さま

唯純 楽

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夜もはたらくお殿さま

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 一日中、ひっきりなしに人の出入りがある照葉城も、寝ずの番をしている者以外は誰も彼もがすっかり寝入り、静まり返る丑三つ時うしみつどき

 寝支度を整えてからも、眠い目をこすりながら往生際悪く行灯あんどんの明かりで昼のうちに読み切れなかった文に目を通していた秋弦は、ようやく布団へ入り目をつぶった途端「ポンッ」という小さなつづみの音を聞きつけ、むくりと起き上がった。

 暗闇に突如現れた青白い光が消した行灯に飛び込むと、ふわりと部屋が明るくなり、ぼうっと小さな人影らしきものが部屋の隅に浮かび上がる。

「う、うう……」

 城の中はもちろんのこと、秋弦の寝所に不審な者は入って来られないようになっているが、あくまでも人間が対象だ。襖も開けず、音もたてずに突然現れる妖は想定外。しかも、誰にも見えない、聞こえないのであれば防ぎようもない。

「どうした?」

 秋弦は、菅笠すげがさをかぶり豆腐を載せた小さな赤いお盆を手にして泣きじゃくる小僧へ、優しく問いかけた。

「う、ううっ」

「そんな隅のほうで泣いていては、何もわからぬ。困りごとがあるのなら、話してみよ。力になれるやもしれん」

 いつものようにそう声を掛ければ、小僧は「はい、お殿さま」と頷いて、いそいそと秋弦へ歩み寄ろうとした。

 そろそろと歩くたびに盆が傾いでふるりふるりと豆腐が揺れ、実にハラハラする。
 どうにか落とすことなく辿り着きそうだと思ったところで、一体何につまずいたというのか、小僧は平らな畳の上ですてんと転がった。

「あぁっ!」

 思わず声を上げてしまったが、盆を飛び出した豆腐は高々と宙を舞い、無情にも襖にぶつかってぐしゃりと崩れ落ちた。

「……うっ……」

 両手が盆でふさがっていたため、思い切り顔から転んだ小僧は、鼻の頭を赤くしながら大粒の涙をこぼす。

「泣くな。新しい豆腐を用意してやるから」

 慌てて宥めれば、小僧はふるふると首を横に振る。

「新しい豆腐はいりません……」

「そうか?」

 それにしては随分大事そうに豆腐を持っていたではないかと思ったが、小僧はぐずぐずと泣きながら先ほどとは打って変わって、スタスタと襖に歩み寄り、ついさっき無残に崩れたはずの――しかしなぜか元通りの四角になっている豆腐を拾い上げ、盆の上に載せた。

 豆腐も妖の一種らしいと、秋弦は納得した。

 妖の豆腐など、どこで売っているのか見当もつかないので、買わずに済んでほっとしたものの、小僧が再び盆を手にして秋弦の方へと歩きだそうとしたため、慌てて止める。

「動くんじゃない」

 絶対にまた転ぶに違いないと確信を抱き、秋弦は自ら小僧へ歩み寄った。
 再びあんなハラハラする心地を味わったら、安眠がますます遠のく。

「座れ」

 盆を支えてやりながら、座るように促す。

「して、一体何用だ?」

 ちょこんと正座した小僧は、目の高さに盆を掲げてみせた。

「どうやっても、豆腐が落ちるんです」

「……」

 それは転ぶからだろうと思ったが、小僧は秋弦の心の中を読んだのか「転ばなくとも落ちるんです」と言った。

「それで?」

 落ちて潰れても元に戻るなら問題ないのでは? と秋弦が言えば、「そういう問題ではないんです」とむっとした顔で言い返す。

「落とすたびに笑われるのが辛くてしかたがないんです。一生懸命運んでいるのに……」

 再びぼろぼろと涙をこぼす小僧に、秋弦はつい同情してしまった。

 きっと、豆腐を落としてしまう様子を目撃した者は、小僧が可愛らしいと思って笑うのだろうが、本人はいたって真面目に運んでいる。
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