9 / 159
夜もはたらくお殿さま
しおりを挟む
一日中、ひっきりなしに人の出入りがある照葉城も、寝ずの番をしている者以外は誰も彼もがすっかり寝入り、静まり返る丑三つ時。
寝支度を整えてからも、眠い目をこすりながら往生際悪く行灯の明かりで昼のうちに読み切れなかった文に目を通していた秋弦は、ようやく布団へ入り目をつぶった途端「ポンッ」という小さな鼓の音を聞きつけ、むくりと起き上がった。
暗闇に突如現れた青白い光が消した行灯に飛び込むと、ふわりと部屋が明るくなり、ぼうっと小さな人影らしきものが部屋の隅に浮かび上がる。
「う、うう……」
城の中はもちろんのこと、秋弦の寝所に不審な者は入って来られないようになっているが、あくまでも人間が対象だ。襖も開けず、音もたてずに突然現れる妖は想定外。しかも、誰にも見えない、聞こえないのであれば防ぎようもない。
「どうした?」
秋弦は、菅笠をかぶり豆腐を載せた小さな赤いお盆を手にして泣きじゃくる小僧へ、優しく問いかけた。
「う、ううっ」
「そんな隅のほうで泣いていては、何もわからぬ。困りごとがあるのなら、話してみよ。力になれるやもしれん」
いつものようにそう声を掛ければ、小僧は「はい、お殿さま」と頷いて、いそいそと秋弦へ歩み寄ろうとした。
そろそろと歩くたびに盆が傾いでふるりふるりと豆腐が揺れ、実にハラハラする。
どうにか落とすことなく辿り着きそうだと思ったところで、一体何につまずいたというのか、小僧は平らな畳の上ですてんと転がった。
「あぁっ!」
思わず声を上げてしまったが、盆を飛び出した豆腐は高々と宙を舞い、無情にも襖にぶつかってぐしゃりと崩れ落ちた。
「……うっ……」
両手が盆でふさがっていたため、思い切り顔から転んだ小僧は、鼻の頭を赤くしながら大粒の涙をこぼす。
「泣くな。新しい豆腐を用意してやるから」
慌てて宥めれば、小僧はふるふると首を横に振る。
「新しい豆腐はいりません……」
「そうか?」
それにしては随分大事そうに豆腐を持っていたではないかと思ったが、小僧はぐずぐずと泣きながら先ほどとは打って変わって、スタスタと襖に歩み寄り、ついさっき無残に崩れたはずの――しかしなぜか元通りの四角になっている豆腐を拾い上げ、盆の上に載せた。
豆腐も妖の一種らしいと、秋弦は納得した。
妖の豆腐など、どこで売っているのか見当もつかないので、買わずに済んでほっとしたものの、小僧が再び盆を手にして秋弦の方へと歩きだそうとしたため、慌てて止める。
「動くんじゃない」
絶対にまた転ぶに違いないと確信を抱き、秋弦は自ら小僧へ歩み寄った。
再びあんなハラハラする心地を味わったら、安眠がますます遠のく。
「座れ」
盆を支えてやりながら、座るように促す。
「して、一体何用だ?」
ちょこんと正座した小僧は、目の高さに盆を掲げてみせた。
「どうやっても、豆腐が落ちるんです」
「……」
それは転ぶからだろうと思ったが、小僧は秋弦の心の中を読んだのか「転ばなくとも落ちるんです」と言った。
「それで?」
落ちて潰れても元に戻るなら問題ないのでは? と秋弦が言えば、「そういう問題ではないんです」とむっとした顔で言い返す。
「落とすたびに笑われるのが辛くてしかたがないんです。一生懸命運んでいるのに……」
再びぼろぼろと涙をこぼす小僧に、秋弦はつい同情してしまった。
きっと、豆腐を落としてしまう様子を目撃した者は、小僧が可愛らしいと思って笑うのだろうが、本人はいたって真面目に運んでいる。
寝支度を整えてからも、眠い目をこすりながら往生際悪く行灯の明かりで昼のうちに読み切れなかった文に目を通していた秋弦は、ようやく布団へ入り目をつぶった途端「ポンッ」という小さな鼓の音を聞きつけ、むくりと起き上がった。
暗闇に突如現れた青白い光が消した行灯に飛び込むと、ふわりと部屋が明るくなり、ぼうっと小さな人影らしきものが部屋の隅に浮かび上がる。
「う、うう……」
城の中はもちろんのこと、秋弦の寝所に不審な者は入って来られないようになっているが、あくまでも人間が対象だ。襖も開けず、音もたてずに突然現れる妖は想定外。しかも、誰にも見えない、聞こえないのであれば防ぎようもない。
「どうした?」
秋弦は、菅笠をかぶり豆腐を載せた小さな赤いお盆を手にして泣きじゃくる小僧へ、優しく問いかけた。
「う、ううっ」
「そんな隅のほうで泣いていては、何もわからぬ。困りごとがあるのなら、話してみよ。力になれるやもしれん」
いつものようにそう声を掛ければ、小僧は「はい、お殿さま」と頷いて、いそいそと秋弦へ歩み寄ろうとした。
そろそろと歩くたびに盆が傾いでふるりふるりと豆腐が揺れ、実にハラハラする。
どうにか落とすことなく辿り着きそうだと思ったところで、一体何につまずいたというのか、小僧は平らな畳の上ですてんと転がった。
「あぁっ!」
思わず声を上げてしまったが、盆を飛び出した豆腐は高々と宙を舞い、無情にも襖にぶつかってぐしゃりと崩れ落ちた。
「……うっ……」
両手が盆でふさがっていたため、思い切り顔から転んだ小僧は、鼻の頭を赤くしながら大粒の涙をこぼす。
「泣くな。新しい豆腐を用意してやるから」
慌てて宥めれば、小僧はふるふると首を横に振る。
「新しい豆腐はいりません……」
「そうか?」
それにしては随分大事そうに豆腐を持っていたではないかと思ったが、小僧はぐずぐずと泣きながら先ほどとは打って変わって、スタスタと襖に歩み寄り、ついさっき無残に崩れたはずの――しかしなぜか元通りの四角になっている豆腐を拾い上げ、盆の上に載せた。
豆腐も妖の一種らしいと、秋弦は納得した。
妖の豆腐など、どこで売っているのか見当もつかないので、買わずに済んでほっとしたものの、小僧が再び盆を手にして秋弦の方へと歩きだそうとしたため、慌てて止める。
「動くんじゃない」
絶対にまた転ぶに違いないと確信を抱き、秋弦は自ら小僧へ歩み寄った。
再びあんなハラハラする心地を味わったら、安眠がますます遠のく。
「座れ」
盆を支えてやりながら、座るように促す。
「して、一体何用だ?」
ちょこんと正座した小僧は、目の高さに盆を掲げてみせた。
「どうやっても、豆腐が落ちるんです」
「……」
それは転ぶからだろうと思ったが、小僧は秋弦の心の中を読んだのか「転ばなくとも落ちるんです」と言った。
「それで?」
落ちて潰れても元に戻るなら問題ないのでは? と秋弦が言えば、「そういう問題ではないんです」とむっとした顔で言い返す。
「落とすたびに笑われるのが辛くてしかたがないんです。一生懸命運んでいるのに……」
再びぼろぼろと涙をこぼす小僧に、秋弦はつい同情してしまった。
きっと、豆腐を落としてしまう様子を目撃した者は、小僧が可愛らしいと思って笑うのだろうが、本人はいたって真面目に運んでいる。
0
お気に入りに追加
67
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
初恋の兄嫁を優先する私の旦那様へ。惨めな思いをあとどのくらい我慢したらいいですか。
梅雨の人
恋愛
ハーゲンシュタイン公爵の娘ローズは王命で第二王子サミュエルの婚約者となった。
王命でなければ誰もサミュエルの婚約者になろうとする高位貴族の令嬢が現れなかったからだ。
第一王子ウィリアムの婚約者となったブリアナに一目ぼれしてしまったサミュエルは、駄目だと分かっていても次第に互いの距離を近くしていったためだった。
常識のある周囲の冷ややかな視線にも気が付かない愚鈍なサミュエルと義姉ブリアナ。
ローズへの必要最低限の役目はかろうじて行っていたサミュエルだったが、常にその視線の先にはブリアナがいた。
みじめな婚約者時代を経てサミュエルと結婚し、さらに思いがけず王妃になってしまったローズはただひたすらその不遇の境遇を耐えた。
そんな中でもサミュエルが時折見せる優しさに、ローズは胸を高鳴らせてしまうのだった。
しかし、サミュエルとブリアナの愚かな言動がローズを深く傷つけ続け、遂にサミュエルは己の行動を深く後悔することになる―――。
隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる