キツネつきのお殿さま

唯純 楽

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はじまりはじまり

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 ――柔らかい。

 手のひらに感じる、しっとりとして弾力のあるものを揉みしだきながら、秋弦しづるはふっと笑みを漏らした。搗きたての餅のようで、つい食べたくなる。

「あ、のっ」

 赤い唇から漏れる、戸惑いの混じった声に顔を上げると、金色の瞳と目が合った。
 黒いはずの瞳は、闇の中でも目の効く獣のように鋭い輝きを放っている。
 黒いはずの髪は、雪のように白い。

 ほの白く暗がりに浮かび上がる女は、異形であっても美しかった。

 ――なんといい夢だ。

 腕の中にいる女は、まるで秋弦のために誂えられたかのようだ。
 胸の中にすっぽり収まってしまう小さな身体は、抱き心地抜群の柔らかさ。片手にちょうど収まる乳房のほどよい大きさも、甘く蕩ける嬌声も、名を呼ぶ愛らしい声も、獣のような悲鳴さえもしっくりとなじむ。
 こんな都合のよい女がいるはずがないから、夢に違いないと思う。

 ――夢ならば、遠慮はいらぬだろう。

 女の上げる声が、苦痛ではなく喜びの悲鳴であることを免罪符にして、秋弦は夜が明けるまで、その身体を隅々まで味わい、堪能した。
 すっかり満足して、女を抱えたまま夢の中で眠りに落ちる。

 できれば、目覚めたくないなどと思いながら……。
 しかし、どんなに願っても朝は来て、目が覚める。

 ――ああ、いい手触りだ。

 腹の横にあるふわふわした毛並みを撫でながら、秋弦はにやけた。
 ぬくぬくと温かく、ぴたっと自分に添い寝してくれる存在は、素晴らしい毛並みをしている。猫にしては大きすぎる。犬だろうか。
 できれば毎晩通ってきてほしいと本気で考えかけたところで、いつものように目覚めを促す声が聞こえた。

「おはようございます、兄上」

 弟である春之助(はるのすけ)の声だ。
 しかし、いつもなら春之助ひとりの声しか聞こえないはずなのに、もう一つ別の声がした。

「おはようございます、殿」

「は?……じい? こんな朝早くから何用だ?」

 幼い頃から陰に日向にと秋弦をずっと支えてくれている『じい』こと角右衛門(かくえもん)が寝所に秋弦を起こしにくるなんて、滅多にないことだ。

「昨夜はよくお眠りになられたようですね? 兄上」

「……どういう意味だ?」

「すっきり眠れただろうと推察しただけです」

「あ、あれはその、夢だと思ってだな……」

「兄上。言い訳はおよしになってください」 

 春之助はいまさら何を言う、と呆れ顔で頭を振る。

「じいも春之助さまと同意見ですぞ、殿。今時子供でも使わぬ言い訳はみっともない」

 夢の中のことにまで文句をつけられるなんて理不尽だと顔をしかめると、春之助がわざとらしい溜息を吐く。

「頭隠して尻隠さず、というやつですね。見えてますよ、兄上」

 はっとして見下ろした視界に、夜着の裾から覗く真っ白なふさふさした四本の尾を捉えた。

 ガバッと夜着をはぐと、大人の男でも両手で抱え上げるのは骨が折れそうなくらい大きな白狐が、ぴたりと秋弦に寄り添い、丸くなっている。

 白狐は正体もなく眠りこけていたが、夜着を奪われてようやく目覚める気になったらしい。

 緩慢な動作で起き上がると「くわっ」と大口を開けて欠伸をし、ハッとした様子で金の瞳で秋弦を見上げた。

 まるで大口を開けて欠伸をしたのが恥ずかしいとでも言うように頭を下げ、甘えるような仕草で秋弦の膝の上に顎を乗せ、ぱたぱたと犬のように尾を振った。
 器用なことに、四本の尾は別々の動きをしている。

 ――もしかして……昨夜の夢は、夢ではなかったのか? 

 ごくり、と唾を飲み込みながらも、秋弦はつい手触りのよい狐の毛並みを撫でた。

 角右衛門が「くうっ」と呻きながら目頭を押さえて嘆いた。

「ようやく殿が共寝ともねなさったと思ったら、女子でないどころか人間ですらないとは……」

 春之助はにやりと笑い、秋弦が思っていたことそのまんまを口にした。

「まさかの相手に驚きですが……キツネのお殿さまには、お似合いです」
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