本当は、二番目に愛してます

唯純 楽

文字の大きさ
上 下
55 / 57

偽物ではなく、本物の天使は翼をしまう 3

しおりを挟む
 ビヴァリーは、完成したばかりのクレイヴン厩舎の様子を隅から隅まで眺め、ここに馬たちが入る日のことを思い浮かべてにんまりした。

 真新しい馬房は空だったが、寝藁や飼い葉、手入れのための道具などは既に揃っている。

(あとは、馬がいれば完璧)

 ビヴァリーとハロルドが出資者兼共同経営者となるクレイヴン厩舎は、稼働させるための準備をすべて終え、馬たちを迎え入れるだけとなっていた。

 ギデオンが住んでいる侯爵家の本邸と区別するため、ハロルドはビヴァリーの厩舎やかつて暮らしていた館には『クレイヴン』の名を冠することを決め、正式な書類にはすべてその名が使われる。

 準男爵位はなくなっても、その名前が残ることをラッセルも少しは喜んでくれるだろう。

「ビヴァリーっ! 遊びに来たわよっ!」

 しみじみと感慨に浸っていたビヴァリーは、聞き覚えのある声にパッと振り返った。

「マーゴットっ!」

 厩舎の入り口にいたのは、小ざっぱりした青いドレス姿のマーゴットだった。

 ひと月ぶりに会う友人に駆け寄り、ひしと抱き合う。

「ようこそ! テレンスさんは?」

「偽物天使様と話し中よ。ようやく、全部の罪状について取り調べが終わったみたいだから、その報告でもあるんでしょ。もう、半年ちかく連日新聞はそのことばかりで、みんな飽き飽きしていると思うわ」

 マクファーソン元侯爵とバルクール担当官が犯した数々の罪は、大きな話題となり、取り調べの様子や様々な人物の証言など、偽の情報を含めて毎日新聞で取り上げられていた。

 ビヴァリーも、タウンハウスにいるときは目にしていたが、厩舎が完成間近となった先月、ハロルドと共に王都を離れてグラーフ侯爵領へ戻って以来、すっかり世間から取り残されている。 

 一番気になっていたラッセルの死については、証拠となる品も目撃者もいないが、マクファーソン元侯爵と取引のある商会について調べて行く中で、父ラッセルの死は母デボラと共に殺害された商人の男の仕業であること。その男の背後にマクファーソン元侯爵がいたことがわかったと、ハロルドから聞かされた。

「まぁ、どちらも処刑台行きは免れないと思うけど」

 取り調べが終わっただけで、刑が確定しているわけではないので、先は長そうだとマーゴットは肩を竦めた。

「ところで……偽物天使様は、いい夫になりそう?」

「うん。こっちに戻ってからも忙しくしてるけど、出かけるって言っても領内だし、夜はちゃんと家にいる。王都と違って、毎日毎晩どこかでパーティーが開かれるわけじゃないから。本当は、王宮勤めは忙しすぎるから、早く王都から足を洗いたいみたいだけれど、当分は無理かも」

 正式にギデオンの跡を継いでグラーフ侯爵となったこともあり、これを機にハロルドは王宮での職を辞するつもりだったようだが、ジェフリーとコルディア担当大臣の陰謀により、大臣の顧問役に任命された。

 王宮務めをする必要はないが、何かあった際には呼び出されるということらしい。

「そうじゃなくて、ちゃんと優しくしてくれているかってこと! もし違うようなら……」

 ビヴァリーは苦笑しながら大丈夫だと頷いた。

「ハルは、ちゃんと言うこと聞いてくれているよ。ドルトンとは仲が悪いけど」

 アルウィンのように、簡単に餌やおやつでは釣られないドルトン相手に、ハロルドは苦戦中だ。未だ一人では乗せてもらえない。

「……でしょうね」

「でも、冬の間、一生懸命世話をしてあげれば大丈夫だと思う」

 来年の春には頭数を増やす予定なので、馬丁や調教のできる人物などを雇うつもりでいるが、今年の冬はドルトンとその子どもたちだけだ。

 ビヴァリーとギデオンの厩舎で働く馬丁を一人借りて、乗り切るつもりだった。
 もちろん、ハロルドも作業をする人間の頭数に含まれている。

「それにしても……想像以上に大きいわねぇ」

 マーゴットは、少し離れた場所から建て直された煉瓦造りの頑丈な厩舎を見て、目を丸くした。

「そうかな? 王宮のは、この三倍くらいあるけど」

 火事で焼失してしまった王宮の厩舎は、ダメになった部分を取り壊した後、新たに建て直された。

 夏に完成し、家を失った馬たちはアルウィンを除いて王宮暮らしへ戻った。

 アルウィンは、ブリギッドとジェフリーと共に、他の馬たちが去ったあとも離宮に留まっている。

 妊娠していることが発覚したブリギッドが、無事出産を終えるまで王宮には戻らないことになったからだ。

 身重のブリギッドに代わり、ジェフリーがアルウィンの世話を買って出たようだが、角砂糖を持っていないと振り向きもしないと、自分のことをすっかり棚に上げたハロルドが笑っていた。

「全部で十五頭くらいまで入るけど、まずは五、六頭から始めるつもり」

「来年もレースに出るの?」

 甘い匂いが漂って来る館へマーゴットを誘いながら、ビヴァリーは「ちょっと考えてることがあって」と呟いた。

「ドルトンの子たちは、来年ようやく二歳になるんだけど、大きなレースは三歳馬以上が多いの。だから、その子たちにはあんまり乗らないし、各競馬場のコースは今年ほとんど下見できたから、騎乗の依頼も見送るかも」

「一年くらい休んでもいいんじゃない? 稼ぎすぎでしょ。そのうち、他の騎手から妬まれるわよ?」

 ブレント競馬場でのレースの後、ビヴァリーには騎乗の依頼が殺到した。

 競馬場でその日開催される全レースに乗るような時もあったくらいで、週末はいつもへとへとだった。

 泊まりがけで行かなくてはならない競馬場でのレースもあり、ハロルドには、ハロルド自身かギデオンが必ず同行することを約束させられた。

 馬車馬のごとく乗りまくった結果、ビヴァリーはかなりの金額を稼ぎ、銀行の預金額はハロルドの援助も必要ないのではと思われるくらいに膨れ上がった。

「それはないと思うけど……でも、その……繁殖を頑張ろうかなって思って」

「ふうん? 種牡馬はもう用意しているの? ドルトンだけ?……あ、この匂い、アップルクランブルかしら? ベイクウェルタルトもありそうね。あら! もしかして、チョコレートプディングも……?」

 鼻を引くつかせ、見事に本日のメニューを当てるマーゴットは、お針子じゃなくて菓子屋になったほうがいいんじゃないかと思いながら、予定している種牡馬の名前を告げた。

「ハルなんだけど」

「ふうん…………ええっ!?」

 あっさり納得したマーゴットは、玄関を入りかけたところでいきなり振り返った。

「あんた、種牡馬って……繁殖って……」

「上手く種付けできれば、来年には生まれる。人間の種牡馬もいつでもできるっていうし、毎日すれば私の発情期を計算しなくてもいいよね? ハルがあまり王都へ行かない今がぴったりだと思うの! 来年夏から秋にかけて出産して、生まれてから半年くらいで自立するとして……」

 頭の中で立てた繁殖計画を述べると、マーゴットに冷たい目で睨まれた。

「しないわよ。馬じゃないんだから」

「え……そうなの?」

「あんたねぇ……人間は育つのに、ものすごく時間がかかるの! 馬みたいに、生まれ落ちてすぐに立ったりできないでしょっ!?」

「そ、そうかも……」

 マーゴットは「はぁ」と大きな溜息を吐いたが「でも、悪くないわね」と言った。

「子どもが生まれたら、偽物天使様はそっちにかかりきりになって、ビヴァリーはもうちょっと自由に過ごせるんじゃない? 天使様なだけあって、子どもには好かれるみたいだし」

 とにかく、孤児院の子どもたちの、ハロルドに対する懐き具合がすごいのだと、マーゴットは頭を振った。

「あの子たち、完全に見た目に騙されてるわよ」

「騙されてるって……ハルは、パンとかお菓子とかを届けに行っているだけだと思うんだけど……」

 マーゴットとテレンスの結婚式で訪れた教会の孤児院に、あれ以来ハロルドは定期的にお菓子や服、日用品などを差し入れていた。

 もちろん、礼拝堂の長椅子をすべて新品に取り換え、壊れかけていた門を修繕し、板で塞がれていた窓にガラスを嵌めるといったことも手伝った。

 崩壊しかけている外壁は、ハロルドが派遣した煉瓦職人によって綺麗に直され、穴が開いていた屋根も大工がしっかり塞いだ。

「司祭用に、酸っぱくないワインも届けているわ」

 ハロルドは、かつて軍で一緒だったらしい司祭とよほどウマが合うらしく、働ける年齢になった孤児たちの今後について、住み込みの務め先だけでなく、通いの勤め先も選べるように、孤児院を増築しようという話までしているようだ。

「急に慈悲の心に目覚めたのかしらね?」

「ハルは……自分より弱い人たちには、優しいよ。ただ、偉そうなだけで」

「まぁ、口先だけで何もしないヤツラよりはマシだけど」

「実は……来年、厩舎が本格稼働し始めたら、一人か二人、孤児院から来てもらおうかと思っているの」

「それは喜ぶわね、きっと! こんな空気の綺麗なところで息が吸えるだけでも、幸せよ」

 マーゴットは大きく息を吸いこんで、広い空を見上げる。

「テレンスも、きっとこういうところで広い庭を持ちたいと思っているでしょうね。メアリの身体のことを考えたら、王都暮らしがいいとはとっても思えないもの」

「だったら、ギデオンさまのところの庭師に弟子入りしたらどうかな? 確か、跡を継いでくれる人がいないって困ってたから……」

 ビヴァリーの提案に、マーゴットは大きな目をさらに見開き、満開の笑顔になった。

「いいわね、それ! 話してみるわ」

「うん。今日の夜は、ギデオンさまのお屋敷のほうで晩餐だし……」

「ありがとう、ビヴァリー!」

 ぎゅっと抱きしめられて、柔らかい胸の感触が羨ましいなと思いかけ、そう言えば保留になっていた質問があったことを思い出した。

「そう言えば、マーゴット。前に聞いたときは、テレンスさんのは入れたことがないって言ってたけど……その、試してみた? どうだった?」

「入れたことがない? 何のこと?」

「く、口に……あの……その……は、繁殖に必要なものを……」

 マーゴットはしばらく沈黙していたが、やけに真剣な顔つきで問い返した。

「ビヴァリー。それを聞いてどうするの?」

「え……あの……は、ハルが喜ぶかなと思って。おやつというか、ご褒美? になるかなと思って……」 

「確かに、喜ぶでしょうよ。それに……繁殖計画には役立つでしょうよ」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね

江崎美彩
恋愛
 王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。  幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。 「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」  ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう…… 〜登場人物〜 ミンディ・ハーミング 元気が取り柄の伯爵令嬢。 幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。 ブライアン・ケイリー ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。 天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。 ベリンダ・ケイリー ブライアンの年子の妹。 ミンディとブライアンの良き理解者。 王太子殿下 婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。 『小説家になろう』にも投稿しています

記憶のない貴方

詩織
恋愛
結婚して5年。まだ子供はいないけど幸せで充実してる。 そんな毎日にあるきっかけで全てがかわる

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...