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言うことを聞かない馬は、いりません 1 

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 マクファーソン侯爵家の館は、幼い頃の記憶と変わらずきらびやかな装飾で溢れかえっていたが、たった半月でも、王宮で過ごしていたビヴァリーには小ぢんまりしているように感じられた。

 とは言っても、一階の玄関ホールから続く大広間は数十人の客を収容しても狭さを感じさせず、書斎や応接間も十分な広さがある。

 二階には主寝室とは別に客用寝室が十数部屋とギャラリーがあり、高価な絵画や置物など富の象徴が客の目を楽しませる。
 宿泊を予定していなかった近隣に住まう客たちは、狩りが終わり次第去っていたが、数十人の客たちがまだ残っている。 

 贅を凝らした館の裏側にあたる地階では、そんな客たちをもてなすために、大勢の使用人たちが忙しく立ち働いていた。

 舞踏会に参加するでもなく、かといって部外者が侯爵家の使用人たちの手伝いをするわけにもいかず、手持ち無沙汰のビヴァリーは使用人用の食堂で晩餐の残りにありついた後、侍女たちとお喋りをして過ごしていた。

 ナサニエルとのレースの話はマクファーソン侯爵家の使用人たちの間にも既に広まっていて、質問攻めにされながらも、逆にナサニエルがマクファーソン侯爵の持ち馬にたびたび騎乗していることを聞けた。

 専属というわけではないようだが、厩舎にも自由に出入りし、かなり重用されているらしい。

 事実はどうかわからないが、コリーンとベッドにいたところを目撃したせいで、使用人がクビになったという噂もある。

 雇い主の醜聞をよそ者のビヴァリーに簡単に話すあたり、マクファーソン侯爵家の使用人たちの教育はとても行き届いているとは言い難かったが、敵意を持たれている身としては、知っておいて損はない。

 しかし、侍女たちは、ナサニエルのことに限らず、その他の危ない話題も持ち出す。
 そろそろお喋りに付き合うのも苦痛になってきたころ、ブリギッドの寝支度を手伝ってほしいというハロルドからの伝言を受け取った。

 切り上げるかっこうの言い訳が出来たことを喜びながら部屋へ向かうと、ブリギッドは疲れた果てた様子で寝椅子に横になっていた。

「お疲れですね……ブリギッドさま」

「その通りよ。退屈な会話に欠伸を堪えるのが辛かったわ」

 むくりと起き上がったブリギッドは不機嫌な表情だ。

「その上、またしても殿下が……」

「ジェフリー殿下が?」

 また何かブリギッドの機嫌を損ねるような真似をしたのだろうかと首を傾げると、ブリギッドは怒りを振り払うように首を振った。

「……いいえ。もうやめましょう。文句ばかり言っても仕方ないものね」

 重く窮屈なものをすべて脱ぎ去って、寝間着に着替えたブリギッドは、半分目を閉じているような状態だった。

「朝までぐっすり眠れそうだわ……」

「おやすみなさい、ブリギッドさま」

「ええ、おやすみ。ビヴァリー」

 明かりを消して、そっと部屋を出ようとしたビヴァリーだったが、扉が何かに引っ掛かって開かない。
 無理やり押し開けると、そこには横倒しになったジェフリーがいた。

「え……ジェフリー殿下っ!?」

 具合が悪くて倒れているのかと驚いて覗き込むと、うっすらと琥珀の瞳が覗く。
 赤い顔をしたジェフリーが呟いた。

「ブリギッド……」

「あの?」

「入れてくれ……」

「はぁ……」

 ブリギッドの部屋に入りたいということだろうかと首を傾げていると、背後からストロベリーブロンドの髪が落ちてくる。

「何しているのよ?」

「あの、ジェフリー殿下が……」

「入れてくれるまで、待てとハロルドが言うんだ」

「酔っ払いじゃないの……」

 呆れた様子で顔をしかめたブリギッドだが、そんなブリギッドを見上げるジェフリーはうっとりしたような笑みを浮かべる。

「ああ……かわいいな……」

 ジェフリーは、ブリギッドのストロベリーブロンドの髪をひと房掴むと髪の先に口づける。

「いつも、美味しそうだと思っていた……」

 じわじわと顔が赤くなってくるブリギッドは、王子を廊下に転がしておくわけにはいかないと思ったようだ。

「中へ運ぶわよ」

「は、はい」

 女二人ではあるが、ブリギッドもビヴァリーも乗馬で鍛えているので、二人掛かりでジェフリーを左右から支えて運ぶのはさほど苦ではなかった。

 どうにかベッドの上へ転がし、靴を引き抜く。

「何なのよ、もう……」

 溜息を吐いてベッドに腰掛けたブリギッドが、いきなり後ろへ倒れた。

「きゃぅ」

「うーん、私の妖精……」

 ジェフリーは、ブリギッドを抱え込むと足を乗せて完全に動きを封じた。

「び、ビヴァリー……」

 助けを求める視線を送られたが、引きはがそうとしてジェフリーが暴れ出しては困る。

 ビヴァリーは、取り敢えず風邪をひいてはいけないからと、足元で丸まっていた毛布を引っ張り上げ、二人にかけてやった。

「ちょっと苦しいかもしれないですけれど、そのうち放してくれると思います」

「ま、待ちなさい、ビヴァリー!」

 うろたえるブリギッドが少し気の毒ではあったが、満足そうなジェフリーの寝顔を見ると、引き離すのはかわいそうな気がした。

 顔を赤くしているブリギッドも、本気で抵抗しないあたり、まんざらでもないのだろう。

「おやすみなさい、ブリギッドさま」

「ビ、ビヴァリーっ……!」

 今度こそ、明かりを消して部屋を出たビヴァリーは、廊下の向こうから焦った様子で歩いてくる侍女に気がついた。

 先ほどまで、お喋りに興じていた侍女の一人だ。

「ビヴァリー。ちょうどよかった! これ、ジェフリー殿下へ届けたいのだけれど……」

「殿下へ……? でも、殿下はもう……」

「え、そうなの?……どうしよう……これ、うちのお嬢様からなんだけど、持ち帰ったら怒られるわ……」

 コリーンなら、侍女に責任がなくとも責め立てるに違いない。

「ジェフリー殿下の部屋の前で、私に預けたと言えばいいわ。何か言われても、私から殿下がもう寝ていたって説明すればいいだけだし」

「そうしてくれると、助かるわ……私も、うちのお嬢様よりぜったいブリギッド妃殿下のほうがお似合いだと思うもの」

 侍女は声を潜めてそう言うと、せっかくだからハロルドに持って行けばいいと言い出した。

「うん、そうするわ。ハロルドさまにも事情を説明しておけば、きっとうまくごまかしてくれると思う」

「きっと、伯爵さまも喜ぶわよ。頑張ってね! あとで、話を聞きたいけれど……無理ね」

 なぜかビヴァリーを励ました侍女は、明日の朝まで働きづめだと溜息を吐きながら、そそくさと去って行った。

 こんな時間にハロルドの部屋を訪ねるのは非常識だとは思ったけれど、ジェフリーを無事ブリギッドの部屋に収容したことも伝えなくてはならないだろう。

 ビヴァリーは、ハロルドの部屋はジェフリーの部屋の向かい側だったはずだと思いながら、控えめにノックした。

 一度では返事がなく、もしかして眠っているのかもしれないと思いながらももう一度ノックすると、くぐもった声で「勝手に入れ」と返事があった。

「失礼します……」

 そっと扉を開けると、薄暗い部屋の中、ソファにハロルドが寝そべっていた。

 片方の腕をだらりと下げ、もう片方は額に載せている。
 テーブルの上には空になったワインの瓶が二本転がっていた。

 おそらくジェフリーと二人で空け、二人共酔っ払ったのだろう。

 もう必要なさそうだと思いながら、空瓶とグラスを新しいものに取り換え、ワインがこぼれたテーブルを拭く。

 その間もハロルドは起きる様子がなく、このまま寝入ってしまっては風邪を引くのではないかと思って、呼びかけた。

「あの、ハロルドさま」

「ん……」

「眠いなら、ベッドで寝たほうが……」

「……ビヴァリー」

「はい?」

「ビヴァリーっ!?」

 いきなり起き上がったハロルドは、幽霊でも見たような顔でビヴァリーを見上げていたが、くしゃくしゃになった髪をかきあげると、深々と息を吐いた。

「ここで……何をしてるんだ……?」

 かすれた声で問うハロルドは眠いのだろうと思い、長居は無用と、必要なことだけを伝えた。

「あの……ジェフリー殿下なんですが、ブリギッドさまのお部屋に収容しました。ジェフリー殿下にワインが運ばれてきたんですが、もうお休みだったので代わりにハロルドさまにと思ったんです」

 ハロルドは、両手で顔を覆って俯いていたが「入れてくれ」とグラスを示した。

 飲みすぎではないかと思ってためらっていると、「ワインはジェフが一人で空けたんだ。俺はほとんど飲んでない」と言う。

 使用人のビヴァリーには、飲みたいというのを止める権利はないので、言われたとおりに新しい綺麗なグラスに注いだ。

「ビヴァリーも飲むといい」

「いえ、あの……私は、お酒は苦手なんです。すぐに顔が真っ赤になるし……」

 休日でもないのに使用人が酔っ払うなんて、どこの館でも許されないし、飲まなくても眠れるくらいに疲れているビヴァリーには、寝酒も必要なかった。

「少しくらい、付き合ってもいいだろう?」

 むっとした顔で言われ、少しだけとグラスからひと口だけ飲んだが、すぐに顔が熱くなってくる。

「今日のレースは、驚いた。昔から凄いとは思っていたが、レースに慣れた騎手相手でも負けないなんて……しかし、ずっと厩舎で働いていたわけじゃないんだろう?」

「え……あ、う、はい……」

 ギクリとして曖昧に返事をすると、ハロルドはぐいっとグラスを押し出す。

「前に言っていたが、貴族の館でも働いていたのか?」

 新たにワインを注ぐと、ハロルドは一息で飲み干す。

「え、は、はい……」

「ほかには?」

 注げ、と目配せされて再び注ぐ。

「え、あの……の、農場でリンゴの収穫を手伝ったり……」

「それから?」

「え、ええと……こ、工場でもちょっとだけ。あまり手先が器用じゃなかったから、すぐにクビになったけど……」

「その他には?」

「宿屋とか……パブ……そ、掃除だけだけど……」

 答えるたびに差し出されるグラスに言われるままワインを注ぎながら、ビヴァリーはどうやってこの話題から逃れようかと必死に考えを巡らせた。

 競馬の話に辿り着く前に、切り上げたかったが、ハロルドが質問の仕方を変えたため、逃れられなくなった。

「今の仕事の前は……」

「え、あ、あの……」

 じっと鳶色の瞳に見つめられ、上手い言い訳を探して視線をさまよわせていると、ハロルドがグラスをテーブルに叩きつけようとする。

 高価なグラスが割れてしまうと慌ててその手を掴んで止めると、睨まれた。

「どうして……」

「わ、割れちゃうから……」

(ジェフリー殿下以上の酔っ払い……しかも、絡み酒……)

 パブで働いていたとき、泥酔して暴れる客を見かけたことがあるが、大人しくさせるには気絶させるか、酔いつぶれるまで飲ませるしかないと店主が言っていたことを思い出す。

(気絶させるのは無理だから……酔い潰れるまで飲ませるしかない……?)

「なんで、前の仕事がいいんだ? そんなに王宮が、嫌なのかっ!?」

「そ、そういうわけじゃ……ハロルドさま、ワインが足りないんじゃ?」

「ハロルドじゃない。ハルだ」

「は、ハル、もうちょっと飲んだほうが……」

 ビヴァリーがグラスを目の前に差し出すと、ハロルドはむすっとして答える。

「もう十分飲んでいる」

(た、確かに……)

「そんなに飲ませて、どうする気だ……?」

「ど、どうするって……」

「しかも……」

 ハロルドは息苦しいと言うようにウェストコートを脱ぎ、シャツのボタンを次々と外していく。

「は、ハルっ!?」

「しかも、…………入りだ」

「え?」

 ハロルドの顔が近づいたと思ったら、唇を塞がれた。
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