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神様、サンタを拾う 2

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 明るい室内で見るサンタの瞳は、晴れた日にその全貌を見ると婚期が遅れるという逸話のある湖を思わせる美しい青だった。

 不吉極まりない。
 
「ええと……そのう、ナマモノは衛生上ちょっと難しくてですね……」

 サンタは、「何でも」と言った言葉の手前か、気まずそうに目を逸らした。

「何でもくれるんじゃないの?」

 すかさずそこを突けば、視線を彷徨わせる。

「た、確かに、そう言いましたが、ナマモノを取り扱うには色々と許可とか制約があってですね……」

 困り果てた顔で、しどろもどろに言い訳するサンタの額に滲む汗に気付き、菊理は自嘲の笑みを浮かべた。
 〇・五パーセントくらい、もしかしたらという期待があったのだが、やはり無理なようだ。

「冗談よ。そんな願い事叶えるサンタなんて、聞いたことないし。サンタは子供のところにしか来ないものだし」

 欲しいものをお願いして、靴下置いて寝ていたら自動的に貰えるなんてことになったら、世の中の結構な割合の結婚適齢期の男女が「彼氏・彼女」または「夫・妻」なんてものを要求するかもしれない。

 菊理は、黙りこんだサンタに、奥へ行けと顎で示した。

「体冷えてるでしょ。あったまっていけば? お茶くらい入れてあげるし、腰に湿布とかも」

「えっ! そ、それはありがたいですが……こ、こんな深夜、み、見知らぬ男を部屋に上げるなど……」

 家宅侵入常習犯のサンタのくせに、常識的だ。

「男じゃなくて、サンタだし?」

 菊理が、その腰では何も出来まいと嘲笑えば、サンタは硬直した。

「男は欲しいけど、サンタは欲しくないし?」

「……」

 硬直したその顔に、「ガーンッ」と吹き出しが入りそうな表情が浮かぶ。

 ここで「オーマイゴッド」と言ったら背負い投げるぞ、ゴラ! という気迫を持って睨みつければ、壁伝いにスゴスゴとリビングへ後退した。

 独身者には贅沢な2LDKの間取りのリビングには、大きなソファーと向き合うようにして、大画面のTVがあり、テーブルの上には、朝出掛けに置いて行ったDVDのBOXが鎮座している。

 コンビニ弁当たちをキッチンに置いて、所在なさげにソファーの片隅に座ったサンタを見下ろし、「脱げ! 横になれ!」と眼差しで指示すれば、本革と思われる黒いベルトを外し、上着を脱ぐ。

 受け取った上着は、アクリルではない。
 低く見積もっても、カシミア混のウール百パーセント。
 ストールひとつで二万くらいしそうな手触りだ。
 趣味にしては行き過ぎの気がするけれど、外国人の「コレクター」はスケールが違うものなのかもしれない。
 もしかしたら、自前のトナカイとソリも持っているかもしれない。

 そんなことを思っていた菊理は、上着を脱いだサンタを見て、思わず唸った。

 何だ、コレ。
 ちょっと待った。
 コレはないだろう。

 そこにあったのは、おそらく保温効果が高いと思われる、ぴったりと肌に張り付いた黒い下着に覆われた見事な肉体美だった。

 胸筋くっきり、腹筋くっきり。上腕二頭筋の程良い盛り上がり具合に、美しい僧帽筋。
 顔とのギャップが激しすぎる。
 脱いだら凄いって、反則技だ。

 ヤバイ。
 鼻血、出そう……。

「あ、あのう……ぜ、全部脱がないと駄目で……」
「ぜひっ!」

 若干食い気味に返答すれば、怯えきった眼差しで見上げられる。

「一応、怪我がないか確かめた方がいいと思うし」

 苦しい言い訳だ。
 
 しかし、こんな美しいものを間近で観察出来る絶好の機会を逃すわけにはいかない。
 好み、ど・ストライクの身体なのだ。

 昔から、ガタイのいい男性に慣れ親しんでいた菊理は、細い男性には食指が動かない。
 かと言って、不摂生が祟っているような緩み切った体も苦手だ。
 健康的で活力と生命力と……その他重要なものに満ち溢れた肉体が好みだ。
 ほどよくしなやかな筋肉に覆われたサンタの身体に、涎を垂らしそうだ。

 サンタは菊理のただならぬ様子を勘付いているのか、時折顔を歪めながら、ぴたりと素肌にフィットしていた黒い肌着をもぞもぞと引き上げた。

 全部は脱がない気のようだ。
 チッ。
 
「お、お見苦しい格好ですみません……」

 いやいや、見苦しくなんかない。
 むしろ、美味しそう……。

 今直ぐ全部脱がせたい、という湧きあがる熱い欲望に、菊理はそこかしこに木端微塵になって散らばっている理性をかき集めた。 

 落ち着け、落ち着くんだ、自分っ!
 いくら理想の肉体美がそこにあるからと言って、襲っていいことにはならない。
 深呼吸。心頭滅却。祓い給え、清め給え……。
 
 ……よし。

 菊理は、平常心を装ってソファーに横たわったサンタの背中をうっとりと見つめるだけで止まることに成功した。 

「あ、あのう……」

 いつまでも動かない菊理を不審に思ったサンタが、おずおずと尋ねる。

 いかん。

 何時間でも愛でてしまいそうな自分を叱咤し、菊理は薬箱から取り出した塗るタイプの湿布を美しく滑らかな背筋と引き締まった腰に塗りたくった。
 出来ることなら、そのヘッド部分になりたいと思いながら……。

 ひと通り塗り終えた後、菊理は「ありがとうございました」と言いながら、そそくさと起き上がろうとするサンタを無理矢理ソファーへ沈めた。

「ひぁっ」

 ちょっと肌着からはみ出た、引き締まった腰に直接触れたのは、もちろん故意だ。

「あ、ごめん、冷たかった?」

「は、はいぃぃ……」

 仰け反った拍子に再び腰を痛めたらしく、サンタは涙目になっている。
 菊理は、あらゆる筋肉を撫でまわしたい欲求を堪え、邪念を出来るだけ祓い、腰を両手で摩った。

「あ、あのっ、ちょ、ちょっとそこは……えっ…あっ…うっ、あっ、……あ……ふあっ」

 初めのうちは抵抗する素振りを見せたサンタだっただが、菊理の手が何度か行き来するうちに気持ち良さそうな吐息を漏らすようになった。

 すっかり、その腰にあった違和感が手の平から伝わらなくなるまで摩った後、菊理は名残惜しいと思いながらも手を離し、徐々に捲り上げていたシャツを引き下ろした。

「治ったわけじゃないけど、もう痛みはなくなったはず。起きてみて」

 固く目を瞑っていたサンタは、菊理を見上げると恨めしそうな顔をした。 

「……無理です」

 そんなわけがない。
 それとも、やはり異国のもの相手では、効果も薄いのか。

「足りないんなら、もう少し……」

 その腰に再び手を伸ばそうとすると、悲鳴のような声で訴えられた。

「こ、これ以上は駄目ですっ! 大惨事になりますっ!」

「なに? また漏らしそうだとか?」

 トイレが近いのは、冷えていたせいかと菊理が理解を示せば、サンタは白い顔を真っ赤にして叫んだ。

「た、タッてしまっているんですぅっ!」

「は?」

 タッている? ナニが?

「あ、あまりに気持ち良くって、つい……これは生理現象ですからっ! ヤラシイことを想像していたわけではありませんからっ!」 

 つまり……?

 菊理は、己の手とサンタの腰を交互に見つめ、驚いた。
 撫で摩っただけでそんな風になるなんて、変態か?
 それとも、自覚はなかったが素晴らしい技をいつの間にか身に着けていたか?

 驚く菊理に、サンタはソファーに顔を埋めて身の潔白を訴えた。

「じ、十代の飢えたヤリタイ盛りではありませんが、ここ何年も決まった相手もいなく、ここのところ連日激務が続き、合コンなんかにも行けず、ひとりでする暇もなく、溜まっていたんです……」

 サンタの涙声の告白を聞きながら、イヤラシイことを思い切り考えていた菊理は、ちょっとした罪悪感を覚えた。
 そこで、こちらから解決策を提案してみた。

「じゃあ……する?」

 菊理が尋ねれば、サンタはガバッと顔を上げた。
 驚きのあまりか、ぽかんと口を開けている。

 少年のような雰囲気のあるサンタだが、明るいところでじっくり見れば、肌の色艶、頬の削げ具合とくたびれた色も窺え、年齢的には似たり寄ったり。犯罪にはならないと思われた。

 いざ「する」にあたっては、色々と準備が必要なのだが、今のサンタならば何でも言うことを聞きそうだ。

 そう言えば、今年初めに実家で引いたおみくじに「千載一遇の機会あり」と書いてあったような気がする。
 異国民だろうと、長年嫌いだった相手だろうと、競合他社だろうと、この際構わない。

 菊理は、これで長年の懸念事項が解決されるかもしれないと、部屋の片隅に積まれた段ボールを横目に、ごくりと唾を飲み込んだ。

 年末までに実家に送り返さなくてはならないものが、ぎっしり詰まっている段ボール。
 リア充でなければこなせないミッションが、そこにある。
 カンフル剤のような一過性のものであっても、効き目はあるに違いない。
 ついに、長年の悩みが解決する可能性が目の前に……。
 
 しかし、そんな菊理の目論みも虚しく、サンタは泣き崩れた。

「……無理です」

 この期に及んで、好みじゃないとか、胸が足りないとか言い出す気かと、その首に手をかけようとした菊理は、震えるサンタの葛藤と苦しみを聞いて手を止めた。
 
「ヤりたいけど、ヤれません! ヤッてる最中にぎっくり腰になったら、悲惨すぎますっ! トラウマになりますっ!」

 サンタの腰の痛みは取れたとしても、打撲自体が完治したわけではない。
 加えて、凍死寸前の状態だった身体は強張っており、柔軟性に欠けているだろうから、そんな状態でコトに及ぶのは危険極まりない。
 クリスマスイブを明日に控え、ギックリ腰になるわけにはいかないというサンタ事情は、考慮すべきだろう。
 競合他社の足を引っ張りたい気持ちはヤマヤマだが、ギブアンドテイク。こちらの要望を飲ませるには、相手の立場に理解を示して懐柔するのもひとつの手だ。

 菊理は、素晴らしい肉体を我が物にする、という企みを一旦は、諦めた。

「無念です……」

 サンタは、この世の終わりのような声で呟いた。

 菊理とて、同感だ。
 しかも、こっちは、二十五年分の無念だ。

「取り敢えず……その、落ち着いたらでいいけど、何か食べる?」

 満たされぬ性欲は、食欲を満たすことで埋め合わせようと、菊理はキッチンに放置して来た弁当たちに取りかかることにした。

「そんなことまでして頂くわけには……」

「目の前で涎流したりしないってんなら、私だけ食べるけど」

 そう言い放てば、サンタは即座に前言を撤回した。

「いただきます。実は、晩御飯を食べていませんでした……」

 おでんとコンビニ弁当を温め、つまみをテーブルに並べた菊理が、常備している缶ビールのプルタブを開けたところで、通常運行に戻ったらしいサンタがようやく起き上がった。

 ちらりと問題の個所に目をやって見たが、サンタズボンは緩めの作りなので実態を確かめられなかった。

 ソファーに寄りかかれるようにテーブルを少し近づけてやれば、「お気遣い、痛み入ります」などと言われ、どこの国の人間だとツッコミたくなった。

 おでんの具を半分にして差し出すと、上品な仕草でカラシを塗し、器用に箸を操って、美味しそうに食べる。
 しかも、適当に摘んでいいと差し出した弁当には、返し箸ではなく、直に箸を付けてもいいかと断るなど、「おぬし、やるな」という台詞しか思い浮かばない。
 
「今更だけど……どちらのご出身で?」

「生まれは日本ですが、幼少の頃はドイツで育ち、高校の頃からは日本です。その後、仕事の関係で海外に赴任することはありましたが、家族は日本に住んでいます。ちなみに、父はドイツ人と英国人のハーフで、母は生粋の日本人です。そちらは……」

「ご覧の通り、生粋の日本人です。純度百パーセントです」

「そうですか。地方のご出身で?」

「ええ。ここよりずっと雪深い地方です。大学がこちらで、卒業して就職して、そのままです」

「長いお休みには、帰省するのですか?」

「はい。実家は自営業で、年始がとても忙しいので、手伝いに。そちらは?」

「年末は無理ですが、年始には帰っています。ただ、今年は両親がドイツの祖父のところへ遊びに行くので、こちらでゆっくりする予定です」

 まるで見合いのような遣り取りに、にやりと笑みを交わす。

「飲む?」

 ワインはないが、缶ビールで良ければ提供すると言うと、サンタは頷いた。
 しばらくすると、酒が入ったことで、サンタのかしこまり具合が解れた。

「そのDVDの時代劇は有名なシリーズですね。面白いですか?」

「面白い」

 菊理が即答すると、サンタはいかにもサンタらしく朗らかな笑みを浮かべた。

「オススメですか?」

 キラキラとした瞳には、あからさまな期待が浮かんでいる。

「……見る?」

 菊理が問えば、にこにこと笑って頷く。

「はい」

 すっかり長居する気である。
 
 拾ったイケメンサンタと深夜に二人。時代劇を鑑賞するなんて、現実離れした展開だ。
 常識とか警戒心とか、その他いろんなものがそんな行動を批判するけれど、悪いことにはならないだろうと、菊理にはわかっていた。

 説明は出来ないが、わかる。

 先ほどの一件のとおり、サンタは「男」ではあるが、現在の腰事情により、危険ではない。
 それに、ソファーに隣り合って座っていても、肌がゾワゾワするような嫌悪はない。
 いつの間にか、太股が触れ合う距離にいても、不快ではない。

 菊理にとって、嫌悪感を微塵も抱かない男性というのは、家族以外では初めてだった。

 これまでお付き合いした人たちは、それなりに好きだったけれど、どうしても微かな穢れを感じずにはいられなかった。 
 そのため、触れ合うときに、どうしても我慢出来ないこともあった。
 
 でも、サンタには欠片も感じない。
 むしろ、とっても心地よい。
 温もりや、匂いや、その存在から漂う雰囲気に包まれるのが、ちっとも嫌じゃなかった。

 ちょっとした驚きと当惑に見舞われて、やけに真剣な眼差しで画面を見つめるサンタの横顔を見上げていると、ふと青の瞳が菊理を見下ろした。

「あの……大変不躾な質問で恐縮なのですが、明日のクリスマスイブ……ご予定はありますか?」

 寂しい女と認定されないためには、「ある」と見栄を張って答えるべきだろう。
 だが、少々酩酊状態にあった菊理の頭は、考えるより先に答えを紡ぐ。

「ないよ」

「では……一緒に過ごして頂けませんか? その……一緒に、行って欲しい場所があってですね……その……あなたでないと駄目で……」

 しどろもどろに理由を並べるサンタの頬が赤いのは、酔っ払っているからだろうか。
 それとも、ちょっとは自惚れてもいいだろうか。
 
「いいよ」

 へらっと笑って快諾すれば、サンタはまるで欲しかったプレゼントを貰った子供みたいに、実に嬉しそうに笑った。

「ありがとうございますっ! では、夕方迎えに来ますのでっ!」

「迎えに来なくとも、ここにいれば?」

 菊理がそう囁けば、サンタはますます頬を赤くして、ふるふると首を横に振った。
 それでいながら、おずおずと、申し訳なさそうな上目遣いで尋ねて来る。

「い、色々と準備がありますので。……で、でも、そのう……始発が出るまで居てもよろしいでしょうか」

「……仕方ないね」

「ありがとうございます」

 ぎゅっと手を握り締めたサンタに、菊理は微笑みを返した。

 なんだか、ほわほわした気分で、緩んだ頬を引き締められない。
 また明日会える。
 そう思うと、俄然嬉しくなって、つい叫んでしまった。

「じゃあ、飲もう! 心置きなく、飲もう!」
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