4 / 32
噂と絆
しおりを挟む
「なんてこった…どおりで先任のじいさんあんな憐れむような目で俺を…」
参ったと言うような声色を聞き、噂の根深さを改めて思い知る。
「本当なのか、その…王とじゃ飽き足りず…ってのは」
「皆まだそう思ってるのか?」
「ああ。そう聞いてるからな」
呆れてため息が漏れてしまう。
「執務中以外ほぼ王と居たのに…どうすればそんな噂が出るんだろうな。
王だって馬鹿じゃないんだから噂通りいつも男を咥え込んでいたならさすがに気付かれるだろう」
「そ…そうか…」
「心配しなくても色仕掛けでお前を誘ったりはしないし、あの事件までは王しか俺に触れていない。
お前たちが聞いているのは誰かが流した根も葉もない嘘だ」
「あ、ああ」
明らかにほっとした様子の塔守に触発され気が緩んだのか、今まで渇ききっていた感情が堰を切ったように溢れ出して口をついた。
「父上は…アルグ伯爵はどうした?ご無事なのか!?
妹は?グダイユ伯爵に嫁いだマルールは!?」
矢継ぎ早にまくしたてるランシェットに塔守は一瞬言葉を失ったが、思い出したようにぽつりと話し出した。
「アルグ伯爵は…三年前胸を患って領地に引きこもった。
王の計らいで爵位や領地は取り上げられなかったが、周りの貴族連中の風当たりは酷いもんだな」
「…っ」
根も葉もない嘘を並べ立てられ、心労が祟った末のことだろうと見てとれて、悔しさが増した。
「グダイユ伯爵夫人は…あれからすぐ離縁されて尼僧になられた。
今アデールの寺院にいるそうだな」
「な…っ…」
母を早くに亡くしており、父には他に側室もいない為、妹のマルールはランシェットにとってただ一人の妹だった。
太陽の光を思わせる金色の髪、薔薇色の頬と口唇が身内ながら可愛らしく、性格も穏やかで、どこへ出しても何の非の打ち所も無い娘だと知る者全てが口を揃えていた。
事件が起こる少し前に十五になり、幼いころから婚約していたグダイユ伯爵家へ嫁いだばかりだった。
その娘の幸せを、自分自身が奪ってしまったのかと大きな罪悪感を感じた。
今まで家族だけが無事であれと、それだけを心の支えに生きてきたのだ。
足元が深い闇に飲み込まれるような錯覚に襲われ、虚無がランシェットの心の全てを支配していった。
「何だ?今度はだんまりか。
自分勝手な奴だな…もう寝るぞ」
「ああ…すまなかった」
ランシェットは力なくその場に崩れ落ちるようにうずくまり、膝を抱えていつしか眠りに落ちていた。
「…おい。朝だぞ。…起きてるか?」
「ん…」
「飯だ」
嵌め込んでいた石が外される音と共に塔守の声。
いつもの水分の抜けた硬いパンを掴んだ手が伸びてくる。
昨日聞いた家族の話がまだ心に影を落としていて、食欲など消え失せてしまっていた。
「いらない…」
「あんだと?…お、いつもこんな贅沢なもん食ってるのか、さすが王の花」
「何が…」
王都から運ばれてくる食事は通常の囚人の食事と同じ堅焼きのパンと、野菜が少し見える程度のスープだ。
取り立てて豪華なものなど何もない。
「ほらよ、ソースだ」
「え?」
最後に置かれたのは、見覚えのあるガラスの小瓶。
中には濃い昏い赤のとろりとした液体。
忘れようもない、王と共に朝食を摂ったときに必ずテーブルに並べられていたものだった。
王が手ずから、二人が出会った庭園で育て、ランシェットの為に用意させていたもの。
「クランベリーソース…なのか?
…何故急に?今まで一度も…」
震える指で瓶を手に取り、小さなその蓋を開けた。
息を吸い込むと、クランベリーの懐かしい、爽やかな酸味が鼻腔をくすぐった。
「大方前の塔守のじいさんが自分で食って入れ物だけ返してたんだろうさ。
良くあるこった」
「…もう王は私の事など…忘れてしまっているとずっと思っていた。
王を…恨んでしまっていた…!」
嗚咽が込み上げてきて、ランシェットはしばらくの間、我を忘れて子供のように泣きじゃくっていた。
これは本来、会えない王とランシェットの心を繋ぐものであるはずだった。
参ったと言うような声色を聞き、噂の根深さを改めて思い知る。
「本当なのか、その…王とじゃ飽き足りず…ってのは」
「皆まだそう思ってるのか?」
「ああ。そう聞いてるからな」
呆れてため息が漏れてしまう。
「執務中以外ほぼ王と居たのに…どうすればそんな噂が出るんだろうな。
王だって馬鹿じゃないんだから噂通りいつも男を咥え込んでいたならさすがに気付かれるだろう」
「そ…そうか…」
「心配しなくても色仕掛けでお前を誘ったりはしないし、あの事件までは王しか俺に触れていない。
お前たちが聞いているのは誰かが流した根も葉もない嘘だ」
「あ、ああ」
明らかにほっとした様子の塔守に触発され気が緩んだのか、今まで渇ききっていた感情が堰を切ったように溢れ出して口をついた。
「父上は…アルグ伯爵はどうした?ご無事なのか!?
妹は?グダイユ伯爵に嫁いだマルールは!?」
矢継ぎ早にまくしたてるランシェットに塔守は一瞬言葉を失ったが、思い出したようにぽつりと話し出した。
「アルグ伯爵は…三年前胸を患って領地に引きこもった。
王の計らいで爵位や領地は取り上げられなかったが、周りの貴族連中の風当たりは酷いもんだな」
「…っ」
根も葉もない嘘を並べ立てられ、心労が祟った末のことだろうと見てとれて、悔しさが増した。
「グダイユ伯爵夫人は…あれからすぐ離縁されて尼僧になられた。
今アデールの寺院にいるそうだな」
「な…っ…」
母を早くに亡くしており、父には他に側室もいない為、妹のマルールはランシェットにとってただ一人の妹だった。
太陽の光を思わせる金色の髪、薔薇色の頬と口唇が身内ながら可愛らしく、性格も穏やかで、どこへ出しても何の非の打ち所も無い娘だと知る者全てが口を揃えていた。
事件が起こる少し前に十五になり、幼いころから婚約していたグダイユ伯爵家へ嫁いだばかりだった。
その娘の幸せを、自分自身が奪ってしまったのかと大きな罪悪感を感じた。
今まで家族だけが無事であれと、それだけを心の支えに生きてきたのだ。
足元が深い闇に飲み込まれるような錯覚に襲われ、虚無がランシェットの心の全てを支配していった。
「何だ?今度はだんまりか。
自分勝手な奴だな…もう寝るぞ」
「ああ…すまなかった」
ランシェットは力なくその場に崩れ落ちるようにうずくまり、膝を抱えていつしか眠りに落ちていた。
「…おい。朝だぞ。…起きてるか?」
「ん…」
「飯だ」
嵌め込んでいた石が外される音と共に塔守の声。
いつもの水分の抜けた硬いパンを掴んだ手が伸びてくる。
昨日聞いた家族の話がまだ心に影を落としていて、食欲など消え失せてしまっていた。
「いらない…」
「あんだと?…お、いつもこんな贅沢なもん食ってるのか、さすが王の花」
「何が…」
王都から運ばれてくる食事は通常の囚人の食事と同じ堅焼きのパンと、野菜が少し見える程度のスープだ。
取り立てて豪華なものなど何もない。
「ほらよ、ソースだ」
「え?」
最後に置かれたのは、見覚えのあるガラスの小瓶。
中には濃い昏い赤のとろりとした液体。
忘れようもない、王と共に朝食を摂ったときに必ずテーブルに並べられていたものだった。
王が手ずから、二人が出会った庭園で育て、ランシェットの為に用意させていたもの。
「クランベリーソース…なのか?
…何故急に?今まで一度も…」
震える指で瓶を手に取り、小さなその蓋を開けた。
息を吸い込むと、クランベリーの懐かしい、爽やかな酸味が鼻腔をくすぐった。
「大方前の塔守のじいさんが自分で食って入れ物だけ返してたんだろうさ。
良くあるこった」
「…もう王は私の事など…忘れてしまっているとずっと思っていた。
王を…恨んでしまっていた…!」
嗚咽が込み上げてきて、ランシェットはしばらくの間、我を忘れて子供のように泣きじゃくっていた。
これは本来、会えない王とランシェットの心を繋ぐものであるはずだった。
10
お気に入りに追加
34
あなたにおすすめの小説
【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。
桜月夜
BL
前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。
思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

生まれ変わりは嫌われ者
青ムギ
BL
無数の矢が俺の体に突き刺さる。
「ケイラ…っ!!」
王子(グレン)の悲痛な声に胸が痛む。口から大量の血が噴きその場に倒れ込む。意識が朦朧とする中、王子に最後の別れを告げる。
「グレン……。愛してる。」
「あぁ。俺も愛してるケイラ。」
壊れ物を大切に包み込むような動作のキス。
━━━━━━━━━━━━━━━
あの時のグレン王子はとても優しく、名前を持たなかった俺にかっこいい名前をつけてくれた。いっぱい話しをしてくれた。一緒に寝たりもした。
なのにー、
運命というのは時に残酷なものだ。
俺は王子を……グレンを愛しているのに、貴方は俺を嫌い他の人を見ている。
一途に慕い続けてきたこの気持ちは諦めきれない。
★表紙のイラストは、Picrew様の[見上げる男子]ぐんま様からお借りしました。ありがとうございます!

囚われた元王は逃げ出せない
スノウ
BL
異世界からひょっこり召喚されてまさか国王!?でも人柄が良く周りに助けられながら10年もの間、国王に準じていた
そうあの日までは
忠誠を誓ったはずの仲間に王位を剥奪され次々と手篭めに
なんで俺にこんな事を
「国王でないならもう俺のものだ」
「僕をあなたの側にずっといさせて」
「君のいない人生は生きられない」
「私の国の王妃にならないか」
いやいや、みんな何いってんの?

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

実はαだった俺、逃げることにした。
るるらら
BL
俺はアルディウス。とある貴族の生まれだが今は冒険者として悠々自適に暮らす26歳!
実は俺には秘密があって、前世の記憶があるんだ。日本という島国で暮らす一般人(サラリーマン)だったよな。事故で死んでしまったけど、今は転生して自由気ままに生きている。
一人で生きるようになって数十年。過去の人間達とはすっかり縁も切れてこのまま独身を貫いて生きていくんだろうなと思っていた矢先、事件が起きたんだ!
前世持ち特級Sランク冒険者(α)とヤンデレストーカー化した幼馴染(α→Ω)の追いかけっ子ラブ?ストーリー。
!注意!
初のオメガバース作品。
ゆるゆる設定です。運命の番はおとぎ話のようなもので主人公が暮らす時代には存在しないとされています。
バースが突然変異した設定ですので、無理だと思われたらスッとページを閉じましょう。
!ごめんなさい!
幼馴染だった王子様の嘆き3 の前に
復活した俺に不穏な影1 を更新してしまいました!申し訳ありません。新たに更新しましたので確認してみてください!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる