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一 出会い
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この国の首都である、城塞都市の中心にある教会の中は広く、入り口前の広場には多くの人々が行き来していた。
人々はその教会の前を何気なく通り過ぎるが、祈りの日には必ず神との架け橋であるこの教会に出向いて祈りを捧げる。厄災が過ぎたからといって、人々の信仰心が揺らいだことは無い。
その外観は縦に長くそして高く、はるか天に思し召す神に少しでも近づいて敬意を表そうという思いが込められている。教会の壁には多くのレリーフが掘られ、人間と神がこれまでに強くつながってきた歴史を物語っていた。
老人は司祭に連れられて、教会の中へ足を踏み入れた。入口から最奥の方に小さく祭壇が見え、その道のりを彩るカラフルなステンドグラスは神への尊敬を表すような眩しさを放っていた。
祭壇の前には、一人の少女が跪き、手を組んで神に祈りを捧げていた。まるで何年もその場所で身動きひとつさせずに祈っていたのかと思わせるような、荘厳とした佇まいだった。司祭と老人の足音に気がついて、立ち上がり、振り向いた。その所作はまるで無駄がなく、可憐と言っても良いくらいに美しいものだった。
「司祭様、そのお方は」
少女の声はその佇まいに似合わず、少し幼さを感じさせるものだった。「いえいえ、大した者ではありませんよ」
老人は謙遜して両の手をパタパタとしながら言った。
少女は老人の素振りと立ち姿を見て、自然体ながらその奥に威厳のようなものを感じて、少し動揺したように尋ねた。
「そんなお方が、大司教様と共に教会にいらっしゃるとは思えないのですが…」
少女は少し困惑した表情を見せた。少し首を傾げていながらも、姿勢や所作は変わらずに可憐だった。
「なるほど、やはり君にはまどろっこしい物言いは通用しないね。では短刀直入に。この方こそ、かつての厄災を退けたドラゴンスレイヤー本人なのですよ」
司祭は少し自慢げに、そして謙虚さの両方を合わせたような口調で言った。
少女はハッとして、はじめからきれいな姿勢をさらに正し、老人にお辞儀した。
「失礼いたしました。あのドラゴンスレイヤー様とはつゆ知らずに、ご無礼をお許しください、老師様」
少女の声にはか細い、申し訳なさそうな響きと共に、わずかな興奮が感じられた。
「お顔をお上げください、小さな司祭様。そんな話もありましたが、とうの昔の話です。今はただの老いた隠居の身です」
少女は恐る恐るといった様子で顔を上げた。その視線の先には老人の柔らかな笑みがあった。
「話は聞いていますよ。小さな司祭様。一人前になるための試練に護衛をつけずに挑もうとして頑なだと」
それを聞いた少女の顔はキッと引き締まり、
「ご存じでしたか」
僅かに鋭い声で言った。老人は表情を変えずに、
「さしでがましいようですが、護衛をつけずに試練に挑むのはいささか無謀かと思います。道中には山賊や、弱体化したとはいえ魔獣もおりますよ」
「わかっております、老師様。しかし、護衛の方におんぶに抱っこというわけにはいきません。私自身の受ける試練なのですから。それに、教会で教わる白魔法は一通り会得していますので、身の安全も守れると考えています」
少女は先ほどの申し訳なさを感じない、多少の頑固さと、決意と、自信を込めた言葉を発した。老師はそれを何か懐かしいものを見るような目つきで見ていた。
「賢い子なのですが、少し頑固でして」
司祭は困ったと言わんばかりの仕草をしながら言った。
「いえいえ、頑固なのは私の若い頃に少し似ています。もっとも、私の場合は田舎の荒くれ者に過ぎませんでしたが」
老師は穏やかな口調で目を細めた。そして少し考えるように手を口元に当てたあと、
「どうでしょう、教会の外に出て、ぶらりと歩きながらお話ししては」
少し楽しそうに言った。
「は、はい。構いませんが、どうして歩くのです?」
「なに、私の師の教えの一つです。考え事や難しい話し合いをするのには、歩きながらが最適だと」
「そういうものなのですか。それでは、ひとまずそういたしましょう。お供いたします、老師様」
老師の顔はさらに明るく楽しげになった。
この国の中央都市は教会を中心として、商業区画や居住区画などが放射状に広がっており、都市は城壁で囲まれている。
城壁は魔獣の侵入を防ぐためのもので、都市の入り口には関所があり、重武装の兵士が常に守りを固めている。ドラゴンが封印されてから、魔獣の力は弱体化し、数も減り、たとえ襲い掛かっても返り討ちにあってしまうこの都市に魔獣はほとんど近づかなくなっていた。
都市は活気付いていて、商業区画の広場では多くの店があり、出店がいくつも広場に出ているところもある。人々は思い思いの店を巡り、食材を買い求める者や、恋人に送るアクセサリーを物色する若者達もいる。それらを横目に見ながら、老師、少女、大司教が並んで歩いていた。
「たまにはこういうところに出向くのも必要ですな、私のような老人にも、人々の活力が自分にも移ってくるようで、良い気分転換になりますなあ」
老師はがやがやとした喧騒の中を歩きながら、少し嬉しそうに言った。
「はい、確かにそうかもしれません。こうやって街を歩く人々を見ると、この平和を脅かしてはならないと、一層気が引き締まります。老師様、さすがですね」
少女は両手の拳をぎゅっと握って気持ちを引き締める仕草を見せた。老師と大司教はそれを見て互いに苦笑いを浮かべた。
「お話を戻しましょうか、やはりさっきも言ったように、試練の旅には護衛が必要だと思いますよ。私とて、かつてドラゴンを封印した旅では多くの人々や仲間に助けられたものです。運が悪ければ命を落としていたかもしれない。いえ、運良く命を落とさず帰ってこられたに過ぎないと言った方がよいでしょう」
「しかし、老師様の旅の時にはドラゴンがいて、魔獣の力も強かったはずです。仕方のないことかと思います。けれど今は、ドラゴンの厄災は封印されていて、魔獣も弱体化しております。命を捨てる覚悟で、私は一人で旅に出ようと考えています」
少女は反論した。その言葉、その目には決意がみなぎり、迷いはないように見えた。
ふうむ、と老師は少し息を吐き、大司教を見やった。彼は少し肩をすくめ、両手を見せてお手上げの仕草をした。
「小さな司祭様、あなたの言うことはもっともです。本当に素晴らしい志をお持ちです。ですが、一つ提案があります。それだけでも聞いていただけませんか?」
「提案、ですか」
「ええ」
老師は首を傾げる少女に向かって穏やかな口調で言った。
次の日、首都の城壁の外の、少なくなったとはいえまだ魔獣の出現する森の中。数人がその森の奥に踏み入っていた。
老師と、少女と、大司教と、屈強そうな冒険者が二人。
少女は白を基調とした司祭見習いの服に、錫杖を携えていた。大司教は普段の厳かな装飾のある服ではなく、やや軽装だが少女と同じく白を基調とした、大司教の威厳が保たれる程度の着込みをしていた。
冒険者の一人は、革鎧を主として、部分的に鉄甲などを着けた、やや身軽そうな姿で、ロングソードを携えていた。
もう一人は、全身を重厚な鋼の鎧で身を包み、身の丈ほどの両手剣を担いでいた。いずれも装備の上にマントを着用していた。
老師は黒っぽく分厚い布でできた、袖や裾が大きく広がった、少し変わった服の腰をベルトで留めていた。ベルトにはロングソードよりも少し短く、やや弓形に反った形の得物が黒い鞘に収められていた。
「老師様、その獲物は何なのでしょう?初めて見る物です」
少女をはじめ、二人の冒険者も老師の珍しい武器に興味を示した。
「ああ、これはかつて私の師から頂いた物で、師の故郷でカタナ、と呼ばれる武器です。我々の国では作られておりません。とても熟練した職人だけが打つことができるものとされています」
老師はカタナと呼ばれたそれをベルトから外し、刀身を鞘からゆっくりと抜き、一行にそっと差し出して見せた。
それは片刃の刃物で、刀身には美しい波模様が切先から縦に走っていた。一同はその刃物に、何か吸い込まれるような美しさを感じ、息を呑んだ。
「かつてドラゴンを撃ち倒した聖剣ほどではありませんが、使いこなせればなかなか頼りになる武器です」
そう言って老師はゆっくりと、かつ無駄が削ぎ落とされた所作でカタナを鞘に納めた。
「さあ、そろそろ魔獣も出てくるところでしょうか。みなさん、気を引き締めて参りましょう」
老師が言うと、はい、と少女はキッと顔を引き締めた。
しばらくの後、
少女が先頭に立ち、少し離れた後ろから、老師をはじめとして大司教、そしてもしもの時にと雇われた冒険者二人。
少女の顔にはやや焦りの色が見えていた。
少女が対峙していたのは一体の魔獣だった。四足歩行で、鋭い牙を持ち、前脚には強力な爪がある、狼に似た異形の魔獣だった。
一行は森のさらに深くに入った所でその魔獣と遭遇した。
少女は待ってましたと言わんばかりに飛び出して、
「さあ来なさい、少しかわいそうな気もしますが、これも修行の一つ。私の実力を皆さんに見せて差し上げます」
その声は躊躇いや恐れの代わりに自信が込められたものだった。
魔獣はその力強い声に反応し、意識を少女に向け、臨戦体制に入った。少女の声を圧倒する咆哮を発し、すぐさま少女に飛びかかった。牙と爪の直撃を受けたらただではすまない。
少女は錫杖を掲げ、祈りの白魔法を念じた。
魔獣の爪が少女を切り裂かくかという寸前、少女の周囲にうっすらと虹色に光る壁が現れ、魔獣の爪を弾き飛ばした。少女は体勢を崩した魔獣の後ろに素早く回り込み、距離をとった。続けざま、魔獣が体勢を立て直す前に、再び錫杖を掲げた。今度は錫杖から壁ではなく、同じく虹色をした球体が飛び出した。球体は魔獣をめがけて一直線に飛び、炸裂した。魔獣は大きく吹き飛び、地面に体を打ち付け、うめき声をあげた。
少女は一行の方に振り向き、どうだといわんばかりの表情で一行を見た。
「すごいな。防御も攻撃も、並みの冒険者じゃ歯が立たないくらいだ」
ロングソードを持った男がうなるように言った。
「ああ、だが」
大剣を持った男が低い声で呟き、剣に手をかけた。
「まだ終わっちゃいないようだ」
少女が不穏な様子に気づいて振り向くと、魔獣は獰猛な本能をあらわにした顔つきで少女をにらみつけていた。周囲のものすべてを威圧するような咆哮をあげ、魔獣は再び少女に襲い掛かった。
素早く防御魔法を展開する。再び虹色の壁が現れる。魔獣の爪と牙は壁にはじかれることなく、食い込むようにしがみついた。
「ぐうう」
少女は祈りの力を強め、やっとの思いで魔獣の攻撃をしのいだ。
魔獣は素早く体勢を立て直し、もう一度咆哮を上げた。
「まずいな、押され気味だ。加勢に入ろう」
二人の冒険者はそれぞれの剣を構え、少女の加勢に入ろうとした。
「はっ!」
鋭い声を上げたのは老師だった。魔獣を含め一同が老師の方を見た。
「皆さん、私の後ろに」
言われるがまま、一同は素早く老師の後ろに回りこみ、老師と魔獣が対峙する形になった。一瞬ひるんだ魔獣の意識は老師に向かい、ガルルと唸り、とびかかる体勢を整えた。
老師は左手を刀の鞘にもっていき、カチンと鯉口を切った。そしてさっきの鋭さが嘘のようなゆるりとした所作で構えた。
魔獣は例によって一足飛びに老師に飛び掛かり、爪と牙が一瞬にして老師に迫り、直撃したかに見えた。
老師の体は魔獣をすり抜け、両者はすれ違った。老師の刀は抜かれ、小さく振り抜かれていた。一瞬の静寂の後、老師が刀を鞘に納めるのと魔獣が倒れこむのは同時だった。
何が起こったのか、把握ができず呆然とする一行。
老師はゆっくりと少女の方を向き、
「小さな司祭様、旅には今回のような危険がつきものです。やはり護衛がいたほうが安心だと思います。それに、私もあなたの旅に同行したいと思っております。ぜひ、私をあなたの旅に同行させていただけませんか」
そう言って頭を下げた。
少女はまだ呆然とした表情が抜けきらないまま、小さく頷いた。
そして少女と老師の、二人の旅が始まることとなった。
人々はその教会の前を何気なく通り過ぎるが、祈りの日には必ず神との架け橋であるこの教会に出向いて祈りを捧げる。厄災が過ぎたからといって、人々の信仰心が揺らいだことは無い。
その外観は縦に長くそして高く、はるか天に思し召す神に少しでも近づいて敬意を表そうという思いが込められている。教会の壁には多くのレリーフが掘られ、人間と神がこれまでに強くつながってきた歴史を物語っていた。
老人は司祭に連れられて、教会の中へ足を踏み入れた。入口から最奥の方に小さく祭壇が見え、その道のりを彩るカラフルなステンドグラスは神への尊敬を表すような眩しさを放っていた。
祭壇の前には、一人の少女が跪き、手を組んで神に祈りを捧げていた。まるで何年もその場所で身動きひとつさせずに祈っていたのかと思わせるような、荘厳とした佇まいだった。司祭と老人の足音に気がついて、立ち上がり、振り向いた。その所作はまるで無駄がなく、可憐と言っても良いくらいに美しいものだった。
「司祭様、そのお方は」
少女の声はその佇まいに似合わず、少し幼さを感じさせるものだった。「いえいえ、大した者ではありませんよ」
老人は謙遜して両の手をパタパタとしながら言った。
少女は老人の素振りと立ち姿を見て、自然体ながらその奥に威厳のようなものを感じて、少し動揺したように尋ねた。
「そんなお方が、大司教様と共に教会にいらっしゃるとは思えないのですが…」
少女は少し困惑した表情を見せた。少し首を傾げていながらも、姿勢や所作は変わらずに可憐だった。
「なるほど、やはり君にはまどろっこしい物言いは通用しないね。では短刀直入に。この方こそ、かつての厄災を退けたドラゴンスレイヤー本人なのですよ」
司祭は少し自慢げに、そして謙虚さの両方を合わせたような口調で言った。
少女はハッとして、はじめからきれいな姿勢をさらに正し、老人にお辞儀した。
「失礼いたしました。あのドラゴンスレイヤー様とはつゆ知らずに、ご無礼をお許しください、老師様」
少女の声にはか細い、申し訳なさそうな響きと共に、わずかな興奮が感じられた。
「お顔をお上げください、小さな司祭様。そんな話もありましたが、とうの昔の話です。今はただの老いた隠居の身です」
少女は恐る恐るといった様子で顔を上げた。その視線の先には老人の柔らかな笑みがあった。
「話は聞いていますよ。小さな司祭様。一人前になるための試練に護衛をつけずに挑もうとして頑なだと」
それを聞いた少女の顔はキッと引き締まり、
「ご存じでしたか」
僅かに鋭い声で言った。老人は表情を変えずに、
「さしでがましいようですが、護衛をつけずに試練に挑むのはいささか無謀かと思います。道中には山賊や、弱体化したとはいえ魔獣もおりますよ」
「わかっております、老師様。しかし、護衛の方におんぶに抱っこというわけにはいきません。私自身の受ける試練なのですから。それに、教会で教わる白魔法は一通り会得していますので、身の安全も守れると考えています」
少女は先ほどの申し訳なさを感じない、多少の頑固さと、決意と、自信を込めた言葉を発した。老師はそれを何か懐かしいものを見るような目つきで見ていた。
「賢い子なのですが、少し頑固でして」
司祭は困ったと言わんばかりの仕草をしながら言った。
「いえいえ、頑固なのは私の若い頃に少し似ています。もっとも、私の場合は田舎の荒くれ者に過ぎませんでしたが」
老師は穏やかな口調で目を細めた。そして少し考えるように手を口元に当てたあと、
「どうでしょう、教会の外に出て、ぶらりと歩きながらお話ししては」
少し楽しそうに言った。
「は、はい。構いませんが、どうして歩くのです?」
「なに、私の師の教えの一つです。考え事や難しい話し合いをするのには、歩きながらが最適だと」
「そういうものなのですか。それでは、ひとまずそういたしましょう。お供いたします、老師様」
老師の顔はさらに明るく楽しげになった。
この国の中央都市は教会を中心として、商業区画や居住区画などが放射状に広がっており、都市は城壁で囲まれている。
城壁は魔獣の侵入を防ぐためのもので、都市の入り口には関所があり、重武装の兵士が常に守りを固めている。ドラゴンが封印されてから、魔獣の力は弱体化し、数も減り、たとえ襲い掛かっても返り討ちにあってしまうこの都市に魔獣はほとんど近づかなくなっていた。
都市は活気付いていて、商業区画の広場では多くの店があり、出店がいくつも広場に出ているところもある。人々は思い思いの店を巡り、食材を買い求める者や、恋人に送るアクセサリーを物色する若者達もいる。それらを横目に見ながら、老師、少女、大司教が並んで歩いていた。
「たまにはこういうところに出向くのも必要ですな、私のような老人にも、人々の活力が自分にも移ってくるようで、良い気分転換になりますなあ」
老師はがやがやとした喧騒の中を歩きながら、少し嬉しそうに言った。
「はい、確かにそうかもしれません。こうやって街を歩く人々を見ると、この平和を脅かしてはならないと、一層気が引き締まります。老師様、さすがですね」
少女は両手の拳をぎゅっと握って気持ちを引き締める仕草を見せた。老師と大司教はそれを見て互いに苦笑いを浮かべた。
「お話を戻しましょうか、やはりさっきも言ったように、試練の旅には護衛が必要だと思いますよ。私とて、かつてドラゴンを封印した旅では多くの人々や仲間に助けられたものです。運が悪ければ命を落としていたかもしれない。いえ、運良く命を落とさず帰ってこられたに過ぎないと言った方がよいでしょう」
「しかし、老師様の旅の時にはドラゴンがいて、魔獣の力も強かったはずです。仕方のないことかと思います。けれど今は、ドラゴンの厄災は封印されていて、魔獣も弱体化しております。命を捨てる覚悟で、私は一人で旅に出ようと考えています」
少女は反論した。その言葉、その目には決意がみなぎり、迷いはないように見えた。
ふうむ、と老師は少し息を吐き、大司教を見やった。彼は少し肩をすくめ、両手を見せてお手上げの仕草をした。
「小さな司祭様、あなたの言うことはもっともです。本当に素晴らしい志をお持ちです。ですが、一つ提案があります。それだけでも聞いていただけませんか?」
「提案、ですか」
「ええ」
老師は首を傾げる少女に向かって穏やかな口調で言った。
次の日、首都の城壁の外の、少なくなったとはいえまだ魔獣の出現する森の中。数人がその森の奥に踏み入っていた。
老師と、少女と、大司教と、屈強そうな冒険者が二人。
少女は白を基調とした司祭見習いの服に、錫杖を携えていた。大司教は普段の厳かな装飾のある服ではなく、やや軽装だが少女と同じく白を基調とした、大司教の威厳が保たれる程度の着込みをしていた。
冒険者の一人は、革鎧を主として、部分的に鉄甲などを着けた、やや身軽そうな姿で、ロングソードを携えていた。
もう一人は、全身を重厚な鋼の鎧で身を包み、身の丈ほどの両手剣を担いでいた。いずれも装備の上にマントを着用していた。
老師は黒っぽく分厚い布でできた、袖や裾が大きく広がった、少し変わった服の腰をベルトで留めていた。ベルトにはロングソードよりも少し短く、やや弓形に反った形の得物が黒い鞘に収められていた。
「老師様、その獲物は何なのでしょう?初めて見る物です」
少女をはじめ、二人の冒険者も老師の珍しい武器に興味を示した。
「ああ、これはかつて私の師から頂いた物で、師の故郷でカタナ、と呼ばれる武器です。我々の国では作られておりません。とても熟練した職人だけが打つことができるものとされています」
老師はカタナと呼ばれたそれをベルトから外し、刀身を鞘からゆっくりと抜き、一行にそっと差し出して見せた。
それは片刃の刃物で、刀身には美しい波模様が切先から縦に走っていた。一同はその刃物に、何か吸い込まれるような美しさを感じ、息を呑んだ。
「かつてドラゴンを撃ち倒した聖剣ほどではありませんが、使いこなせればなかなか頼りになる武器です」
そう言って老師はゆっくりと、かつ無駄が削ぎ落とされた所作でカタナを鞘に納めた。
「さあ、そろそろ魔獣も出てくるところでしょうか。みなさん、気を引き締めて参りましょう」
老師が言うと、はい、と少女はキッと顔を引き締めた。
しばらくの後、
少女が先頭に立ち、少し離れた後ろから、老師をはじめとして大司教、そしてもしもの時にと雇われた冒険者二人。
少女の顔にはやや焦りの色が見えていた。
少女が対峙していたのは一体の魔獣だった。四足歩行で、鋭い牙を持ち、前脚には強力な爪がある、狼に似た異形の魔獣だった。
一行は森のさらに深くに入った所でその魔獣と遭遇した。
少女は待ってましたと言わんばかりに飛び出して、
「さあ来なさい、少しかわいそうな気もしますが、これも修行の一つ。私の実力を皆さんに見せて差し上げます」
その声は躊躇いや恐れの代わりに自信が込められたものだった。
魔獣はその力強い声に反応し、意識を少女に向け、臨戦体制に入った。少女の声を圧倒する咆哮を発し、すぐさま少女に飛びかかった。牙と爪の直撃を受けたらただではすまない。
少女は錫杖を掲げ、祈りの白魔法を念じた。
魔獣の爪が少女を切り裂かくかという寸前、少女の周囲にうっすらと虹色に光る壁が現れ、魔獣の爪を弾き飛ばした。少女は体勢を崩した魔獣の後ろに素早く回り込み、距離をとった。続けざま、魔獣が体勢を立て直す前に、再び錫杖を掲げた。今度は錫杖から壁ではなく、同じく虹色をした球体が飛び出した。球体は魔獣をめがけて一直線に飛び、炸裂した。魔獣は大きく吹き飛び、地面に体を打ち付け、うめき声をあげた。
少女は一行の方に振り向き、どうだといわんばかりの表情で一行を見た。
「すごいな。防御も攻撃も、並みの冒険者じゃ歯が立たないくらいだ」
ロングソードを持った男がうなるように言った。
「ああ、だが」
大剣を持った男が低い声で呟き、剣に手をかけた。
「まだ終わっちゃいないようだ」
少女が不穏な様子に気づいて振り向くと、魔獣は獰猛な本能をあらわにした顔つきで少女をにらみつけていた。周囲のものすべてを威圧するような咆哮をあげ、魔獣は再び少女に襲い掛かった。
素早く防御魔法を展開する。再び虹色の壁が現れる。魔獣の爪と牙は壁にはじかれることなく、食い込むようにしがみついた。
「ぐうう」
少女は祈りの力を強め、やっとの思いで魔獣の攻撃をしのいだ。
魔獣は素早く体勢を立て直し、もう一度咆哮を上げた。
「まずいな、押され気味だ。加勢に入ろう」
二人の冒険者はそれぞれの剣を構え、少女の加勢に入ろうとした。
「はっ!」
鋭い声を上げたのは老師だった。魔獣を含め一同が老師の方を見た。
「皆さん、私の後ろに」
言われるがまま、一同は素早く老師の後ろに回りこみ、老師と魔獣が対峙する形になった。一瞬ひるんだ魔獣の意識は老師に向かい、ガルルと唸り、とびかかる体勢を整えた。
老師は左手を刀の鞘にもっていき、カチンと鯉口を切った。そしてさっきの鋭さが嘘のようなゆるりとした所作で構えた。
魔獣は例によって一足飛びに老師に飛び掛かり、爪と牙が一瞬にして老師に迫り、直撃したかに見えた。
老師の体は魔獣をすり抜け、両者はすれ違った。老師の刀は抜かれ、小さく振り抜かれていた。一瞬の静寂の後、老師が刀を鞘に納めるのと魔獣が倒れこむのは同時だった。
何が起こったのか、把握ができず呆然とする一行。
老師はゆっくりと少女の方を向き、
「小さな司祭様、旅には今回のような危険がつきものです。やはり護衛がいたほうが安心だと思います。それに、私もあなたの旅に同行したいと思っております。ぜひ、私をあなたの旅に同行させていただけませんか」
そう言って頭を下げた。
少女はまだ呆然とした表情が抜けきらないまま、小さく頷いた。
そして少女と老師の、二人の旅が始まることとなった。
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