それは些細なことでして

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それは些細なことでして

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*****





視線を、感じる。






いつからか、覚えがない。
振り返っても、ヤツは居ない。



でもふと、我に返るようなその瞬間に。


強く、射竦めるような。
強く、何故その時まで気づかなかったのか不思議なほどに鋭く。


そして



強く、
熱の籠った視線を。


視線だけを、感じている。




*****



「いやそれ完全なストーカーじゃないさ、ソウちゃん!!」


 ばんっと大きな音を立てた机がその勢いに震えて、かたかたと悲鳴を上げた。
 眼前にまで迫ったその形相をまるで赤鬼のようだと思いながら、蒼一郎はふむ、と一度頷いてみせる。


「やっぱり、そうなるか」

「いやいやそうなるか、とかいってる場合じゃぁないからね!? ソウちゃんそのうちマジで包丁で刺されるよ!? 新聞一面だよ!?」

「ぎゃはは!! 姫カット男子ストーカー女子に刺されるって見出しな!? 小見出し男女のもつれって!?」

「だからやめた方がいいって言ったんだよコンビニで深夜バイトだなんて!! ソウちゃん絶対に変態親父に目をつけられるに違いないんだから!!」

「親父なん!? 俺敢えて男女のもつれ言ったのに親父にするん!?」

「ちょっと黙ってろヒッキー!!」

「ちょっと黙れないヒッキー!!」


「……とりあえず、二人とも落ち着いてくれないか」


 喚き立てる赤髪と、爆笑の止まない金髪と。そんな友人たちの間に座りながら、集まる視線に僅かに眉を潜め、蒼一郎は二人を諌めた。




 夏特有と言える生温い風が、開け放たれた窓を吹き抜け教室の淀んだ空気をそれとなく入れ換える。纏わり憑くような視線に加え、じんわりとシャツに滲む汗は確かに不快だが、今の蒼一郎にとって、それはさほど対した問題ではない。


 蒼一郎は視線に馴れていた。


 この騒がしい二人と居る限り、無遠慮な視線は付き回るものだと理解していたし、蒼一郎自身もまた視線を集める要因を持っていることを自覚していた。


 教室における視線は、実に色鮮やかだ。
 
 迷惑だとはっきりとした負の思念を送ってくるものもあれば、遠目に羨望や好意を込めたものもある。嫌悪や陰口、黄色い声や色めく言葉よりずっと雄弁な視線に、蒼一郎が馴れすぎていたことは認めざる得ない。


 だからこそバイト先で時折感じていた視線が、実は毎日であったことに気づくのが遅れ、気付いた時には既に無視ができないほど、その視線は強さを増していた。




 強さばかりではない。
 この教室の、どの視線にも勝る熱までが。


 蒼一郎がバイトを始めたのは、一ヶ月前ほどのことだ。


 たまたま入った

コンビニで、たまたま時給の良いバイト募集の張り紙を見つけ、そしてちょうど蒼一郎はバイトを探していた。

 さらには面接を申し込もうと話しかけた相手が偶然にも店長で、深夜における従業員の数が絶対的に足りていなかったことから、その場で面接、その場で採用。


 本来、高校生の深夜バイトは禁あまり好ましくない、とされているらしいが、幸いにも蒼一郎は高三で法律が定める既定の年齢は超えていたし、高校の校則も特に深夜バイトを禁止していない。



 これがご縁あった、ということなんだろうと呑気に思っていた蒼一郎だが、まさかこのような弊害が出てくるとは、夢にも思っていなかった。




“弊害が出たならばやめればいい。”

 
 蒼一郎も最近の若者らしくその選択肢を考えなかったわけでもない、が。彼の場合それはそれで弊害があった。


 というのも、田岡蒼一郎かつ愉快な二人組と言えば、結構な確率であまり素行のよろしくない連中として名が知られている。


『来るもの拒まず去るもの追わず』


 つい最近までそのスタイルで所構わずやってきたツケは、まさかのバイトで採用されないという形で現れた。つまり蒼一郎の前には、このバイトを逃して次のバイト先を決める、など簡単には言えない現状が立ちはだかっているのだ。
 少し遠くの町に行けば採用の可能性もずっと高まるだろうが、放課後にバイトをすることを考えるとやはりこの町、そしてできれば学校もしくは家の近くが望ましい。
 


 熟考の末、蒼一郎はまずは見た目からの更生を考え、美容師をやっている二番目の姉に散髪を頼んだのだが、この姉がまたとあるアニメにはまり込んでおり、二次元を三次元化などとよくわからないテーマのもと、まさかの姫カットをやってのけた。
 
 そもそも蒼一郎が素行のよろしくない連中とお付き合いする原因を作ったのも、一番上の姉と二番目の姉による「見目改造実験」が原因であった。
 
 美容系の職に進む姉たちにとって都合がよかったのは、理想体型を持つこの末弟に、しかしそういう事柄に対する一切の関心がなかったことだろう。




 結論から言ってしまえば、見た目を変えたところで常に愉快な二人組と共に要る蒼一郎が、近隣のバイト先の面接を通ることはなかったのだが。


 そんな状況下で奇跡的に立地、そして時給まで理想のバイトにありつけたのだ。

 いくら危ない視線を感じるからとはいえ、蒼一郎は今のバイトをやめるわけにはいかない。



 二人も蒼一郎がバイトをやめるわけにもいかない理由は十分に理解している。
 だからといって、この状況を野放しにもできない。


 自分のことにも疎い蒼一郎だからこそ、余計に、だ。


「思い当たる客とか居ないの、ソウちゃん。そんなに視線感じてたら普通もう相手わかることない?」

「……客は居ないな」

「分かんねぇよォ? アオっち鈍感だもん。目の前でされた告白に、で金髪と赤髪どっちに伝えるんだってマジで問い返した時俺抱腹絶倒で死ぬかと思ったさ! ちげぇよ姫カットにだよって!!」

「……お前本当にソウちゃんの姫カット好きだね」

「だって前日まで青ウルフだったのが翌日黒髪姫カットってもうネタだろこれ」

「ソウちゃんイメチェンしてニヶ月はたつけど。それはさておき心当たりないなら尚更やめるべきだよ、ソウちゃん!!」

「いやいやいくら姫カット似合っちゃう美形とはいえアオっちが襲われるなんて心配はいらねぇだろォ? つか相手の心配するね、俺は」

「最近のストーカー変質者をなめんなよヒッキー!! いくらソウちゃんが最強でも刃物には勝てないんだから!!」

「いやいやお前、最近の不良舐めんなよ~、刃物なんてザラだったじゃねーか」

「とにかくソウちゃん、いくら時給良くてもそんなバイトは、」

「……心当たりなら、ある」


 廊下にまで響く声で言い争う二人の声に割って入り、蒼一郎は少し目線を下げた。いってよいものか、わるいものか。思案する蒼一郎をよそに、目を輝かせ真っ先にその言葉に飛びついたのは金髪の彼だった。


「だれ、どんなヤツさ、アオっち! 可愛い子?」

「かわいい……? いや、ごつい、に入ると思うが。いかにも番を張ってそうな」

「は、番!? ぎゃははは!! 何レディース系なの!? うわそれ超危険!!」

「笑ってる場合か!! それ本気でやばいでしょ、ちょっと!!」

「やばいってかコントじゃね!? やばい姫カット見つめるごり子さんすんげー見たいんすけど!!」

「お前は楽観視しすぎだバカ!! ていうか客で心当たりないっていったじゃん!!」

「あぁ、店長だからな」

「店長オォ!? さらりと店長とかいった!?」

「なにこの高まる危険臭!! 番張ってごり子で店長だと!? いや女店長だからごり子なのか……? それにしたってもうどこネタ!!」

「ちょっと本気でやめよう!! ソウちゃん俺ら離れるから、もう一回劇的変化をとげてバイト見つけてきて! ソウちゃんのためならそれくらい我慢するから!!」

「なぜ? 俺はお前らといるのが好きだ」

「そうちゃあぁああああああああん!! だから好き!大好き!だから本当にそのバイトやめて!!」

「てかアオっちはその視線の主をどう思ってわけ? その視線主は絶対アオっちのこと好きじゃん?」

「いや、それはないと思うが」

「いやいやそれこそないでしょ。そんだけあっつーい視線を送られといてそれ本気で言ってる?」

「……ごめん絶対バイト先には行かない約束だったけどもう俺ソウちゃんのバイト先乗り込んでくる! 俺らのソウちゃんに手ェ出したらどうなるか分からせてやんないと……頭洗って待ってろ女店長!」

「落ち着けよー、顔だろー、とりあえずまずは事情聴取をさ……」

「それをいうなら首だ。あとさっきから思っていたんだがな。お前たちは根本的に間違ってる」

「……え、何が?」


 予鈴など耳にも入っていないのだろう。今にも教室を飛び出そうとしていた赤髪は、蒼一郎を省みて、それから金髪を見た。

 一方でただ一人トーンを変えずに淡々と事態を明かしていた蒼一郎は、そう問い返されて再び眉根を寄せる。その困惑と言ってよい表情に、一瞬呆けた二人も首をかしげる。


「違うっていわれてもさ」

「だって俺らソウちゃんの言ったこと復唱してるだけだよ?」

 それもそうである。
 二人は蒼一郎が言葉にしたことを繰り返しただけであって、間違えるにも間違えようがない。

 しかし、薄い唇が紡ぎだした答えに、二人は嫌でも根本的の意味を知ることとなる。


「俺は女と、言ったか?」

「……は?」
「いや待ってソウちゃんまさかと思うけど、」

 耳を疑う前に耳を塞ぎたい、そんな二人の願望もよそに、蒼一郎は一拍置いて表情一つ変えず答えを明言した。


「店長は男だ」

「……」

「……」

「……」

「……」

「なぁ?」

「……」

「……」

「最近酷く視線を感じるんだが、俺はどうすれば、」

「「そっちかぁぁぁああああああああ!!!!!」」


 怒号とも取れる絶叫に、四方から小さな悲鳴が上がるのを聞きながら、蒼一郎はふと目を閉じた。視線を感じる。相変わらず、視線は雄弁に蒼一郎に語りかけてくる。


 それでも、やはり。
 ここにあの視線に勝る熱はないのだ。

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