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Past#7 日常-daily-
Past#7 日常-daily- 8
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「別に、警戒なんてしてない」
反射的に飛び出した言葉は、ふっと笑い飛ばされる。
「どっちでも構わねぇけどな、俺は」
僕の言葉を信じた様子のない声に、いくらほんとだって主張したところで無意味なことは分かったから、そのまま黙りこんだ。
静かな夜だ。どんな些細な呟きも、すべて彼に届けてしまうだろう、そんな夜。
そう思った時、またしても彼は自分の心のうちを見越したように、言葉を続けた。
「きっと、世の中ってのは、アンタが思うほど複雑じゃない」
彼は組んでいた腕を解いて、壁から背中を離す。
仕方ねぇなぁ、そう呟きながら。
その声は、少し笑っているようだった。
「アンタはちょっと考え過ぎだな。俺がヤクザに入った時だって、そんな覚悟決めたみてぇな顔はしてなかったんじゃねぇの」
その話も、追々してやるよ。
そう、彼は何でもないことのように言うけれど、それは本当に彼にとって何でもないことだったのか。
問うまでもなく、そんなはずはない。彼は多分、また自分を気遣っているだけだと分かっている。
だから、顔を上げられない。
「ったく。前は聞くなつっても関わろうとしてきただろうが。あの勢いはどうした」
「……あの時は、だって」
「俺は嬉しいよ。アンタが俺を知ろうとしてくれること」
俯く僕の髪を、声音と同じくらい優しい指先が撫でた。
「だからって訳でもねぇけど。徐々に、アンタがアンタの話をしてくれたらいい、と思う」
言葉に、目を見張った。
僕が、自分が、自分の話をすること。
彼の過去を気にするあまり、自分もまた、彼に自分の話を何もしていなかったことに、思い当たる。
彼が言った警戒を、万が一自分が無意識にしているとするならば、それは自分が彼の傷や痛みを抉ることに関しての警戒だと思っていた。
でも、そうじゃない。
彼は、自分が自分を開示しないことに対して、警戒と言ったのだ。
「……今日は、ただ寝れない、だけなんだ」
彼は、発見器なんだろうか。
「なんで?」
それとも、自分が単にわかりやすいんだろうか。
本当のことを言えば、必ず問いが返ってくる。
本当でなければ、彼はただ聞き流す。
「寝ようと思うと、色々考えるから」
「考えたくねぇの?」
「そうじゃない、そうじゃないけど」
どうして考えたくないのだろう。
本当は考えるまでもないことを。
「考えても、結局同じところにしか辿りつかないから……?」
自答は声に出していたらしい。
わしゃわしゃと髪を撫でていた手を止めて、彼は短く息をつく。
「シャワー、浴びんだろ?」
「え?」
「さっさと浴びてこい、アンタの部屋で待ってるから」
「え、アズ?」
「明日も起こしてやる。だから、気が済むまで喋ればいい」
そうしてゆっくりと道場を出ていく姿をしばらく見送って。
我に返って慌てて竹刀を片づける。
……自分の中で、答えは出ているのかもしれないこと。
言われて、気づく。気付いて、どうしてそんなことにも気づかなかったのかと不思議に思う。
こんなにも見え透いていた感情なのに。
自分の中では一つの答えしか存在しない。
でも、どこか。どこかその答えに、もしくはその考えの過程に、納得していない自分がいる。
かといって、自分の中に他の答えは見出すことができない。
その堂々巡りをどうにかしたくて、でも、さっきまでは誰にも話せなかった。
これまでは、どうしていただろう。
……いつもは、そう、幼馴染たちに話していた。
自分が悩んでることを自覚していなくても、幼馴染たちから問いかけられて悩みを話していたのだ。
今回ことは、自覚をしてる。
でも今回のことは、幼馴染には話しにくい。話せない。
どうにもできなかったから竹刀を一心不乱に振っていた。
どうにもできないなら、いっそ、思考から追い出そうと思った。
でも、彼は、聞きたいと言った。
僕が、僕のことを話すことを、待っていると。
「アズ」
簡単にシャワーを浴びて戻った部屋は、庭に面している。
縁側に腰かけた彼は口元に一本人差し指を立てて、それからゆっくり敷いてあった布団を指さした。
寝て喋れ、ということらしい。
これはきっと眠くなったらそのまま寝ろ、そういうことなんだろうと解釈する。
「んで、なんで寝れねぇんだって?」
柔らかな声は、夜の闇がよく似合う。
それに促されて、もう順序も考えないままに、口を開いた。
「……告白されたんだ」
「へぇ」
「初恋の子」
「良かったじゃねぇの」
ポツリポツリ、続く。
「四年の片思いだっけか」
「よく、覚えてるね」
「今時珍しいほどの初々しさで」
「うるさい」
くすり、と彼は笑う。
「それで?」
短い相槌が、今はありがたい。
「……本当に、好きなんだよ。チハっちゃんのこと」
「あぁ」
「だけど、上手く言えないけど、なんでかその場で答えられなかった。……今でも答えが出ない。なんか、違うな。たぶん答えは出てて、でも納得できなくて、そんな自分が分からないのかな」
チハっちゃんが好きだと知ってる幼馴染たち。
彼らには言えない。
決して言えない。
「なんでか、わからない」
僕も、そうチハっちゃんに答えることが、何か間違っているような、もう取り返しがつかないような、感覚。
「怖いんだろ」
「え?」
月が微笑む。
「関係が変わること」
反射的に飛び出した言葉は、ふっと笑い飛ばされる。
「どっちでも構わねぇけどな、俺は」
僕の言葉を信じた様子のない声に、いくらほんとだって主張したところで無意味なことは分かったから、そのまま黙りこんだ。
静かな夜だ。どんな些細な呟きも、すべて彼に届けてしまうだろう、そんな夜。
そう思った時、またしても彼は自分の心のうちを見越したように、言葉を続けた。
「きっと、世の中ってのは、アンタが思うほど複雑じゃない」
彼は組んでいた腕を解いて、壁から背中を離す。
仕方ねぇなぁ、そう呟きながら。
その声は、少し笑っているようだった。
「アンタはちょっと考え過ぎだな。俺がヤクザに入った時だって、そんな覚悟決めたみてぇな顔はしてなかったんじゃねぇの」
その話も、追々してやるよ。
そう、彼は何でもないことのように言うけれど、それは本当に彼にとって何でもないことだったのか。
問うまでもなく、そんなはずはない。彼は多分、また自分を気遣っているだけだと分かっている。
だから、顔を上げられない。
「ったく。前は聞くなつっても関わろうとしてきただろうが。あの勢いはどうした」
「……あの時は、だって」
「俺は嬉しいよ。アンタが俺を知ろうとしてくれること」
俯く僕の髪を、声音と同じくらい優しい指先が撫でた。
「だからって訳でもねぇけど。徐々に、アンタがアンタの話をしてくれたらいい、と思う」
言葉に、目を見張った。
僕が、自分が、自分の話をすること。
彼の過去を気にするあまり、自分もまた、彼に自分の話を何もしていなかったことに、思い当たる。
彼が言った警戒を、万が一自分が無意識にしているとするならば、それは自分が彼の傷や痛みを抉ることに関しての警戒だと思っていた。
でも、そうじゃない。
彼は、自分が自分を開示しないことに対して、警戒と言ったのだ。
「……今日は、ただ寝れない、だけなんだ」
彼は、発見器なんだろうか。
「なんで?」
それとも、自分が単にわかりやすいんだろうか。
本当のことを言えば、必ず問いが返ってくる。
本当でなければ、彼はただ聞き流す。
「寝ようと思うと、色々考えるから」
「考えたくねぇの?」
「そうじゃない、そうじゃないけど」
どうして考えたくないのだろう。
本当は考えるまでもないことを。
「考えても、結局同じところにしか辿りつかないから……?」
自答は声に出していたらしい。
わしゃわしゃと髪を撫でていた手を止めて、彼は短く息をつく。
「シャワー、浴びんだろ?」
「え?」
「さっさと浴びてこい、アンタの部屋で待ってるから」
「え、アズ?」
「明日も起こしてやる。だから、気が済むまで喋ればいい」
そうしてゆっくりと道場を出ていく姿をしばらく見送って。
我に返って慌てて竹刀を片づける。
……自分の中で、答えは出ているのかもしれないこと。
言われて、気づく。気付いて、どうしてそんなことにも気づかなかったのかと不思議に思う。
こんなにも見え透いていた感情なのに。
自分の中では一つの答えしか存在しない。
でも、どこか。どこかその答えに、もしくはその考えの過程に、納得していない自分がいる。
かといって、自分の中に他の答えは見出すことができない。
その堂々巡りをどうにかしたくて、でも、さっきまでは誰にも話せなかった。
これまでは、どうしていただろう。
……いつもは、そう、幼馴染たちに話していた。
自分が悩んでることを自覚していなくても、幼馴染たちから問いかけられて悩みを話していたのだ。
今回ことは、自覚をしてる。
でも今回のことは、幼馴染には話しにくい。話せない。
どうにもできなかったから竹刀を一心不乱に振っていた。
どうにもできないなら、いっそ、思考から追い出そうと思った。
でも、彼は、聞きたいと言った。
僕が、僕のことを話すことを、待っていると。
「アズ」
簡単にシャワーを浴びて戻った部屋は、庭に面している。
縁側に腰かけた彼は口元に一本人差し指を立てて、それからゆっくり敷いてあった布団を指さした。
寝て喋れ、ということらしい。
これはきっと眠くなったらそのまま寝ろ、そういうことなんだろうと解釈する。
「んで、なんで寝れねぇんだって?」
柔らかな声は、夜の闇がよく似合う。
それに促されて、もう順序も考えないままに、口を開いた。
「……告白されたんだ」
「へぇ」
「初恋の子」
「良かったじゃねぇの」
ポツリポツリ、続く。
「四年の片思いだっけか」
「よく、覚えてるね」
「今時珍しいほどの初々しさで」
「うるさい」
くすり、と彼は笑う。
「それで?」
短い相槌が、今はありがたい。
「……本当に、好きなんだよ。チハっちゃんのこと」
「あぁ」
「だけど、上手く言えないけど、なんでかその場で答えられなかった。……今でも答えが出ない。なんか、違うな。たぶん答えは出てて、でも納得できなくて、そんな自分が分からないのかな」
チハっちゃんが好きだと知ってる幼馴染たち。
彼らには言えない。
決して言えない。
「なんでか、わからない」
僕も、そうチハっちゃんに答えることが、何か間違っているような、もう取り返しがつかないような、感覚。
「怖いんだろ」
「え?」
月が微笑む。
「関係が変わること」
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