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Past#6 相違-difference-
Past#6 相違-difference- 8
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瞳が笑っているか、いないか。
それだけで、印象は随分と変わるものだ、そう改めて気づく。
今、彼の瞳は笑っている。
物覚えの悪い生徒を見るような、苦笑じみた笑み。
でも、普通の、ごく普通の微笑み。
「……へ……?」
ようやく回り始めた頭が、彼の言葉を巻き戻し、再生する。
その中で、どう考えても聞き間違えたとしか思えない言葉に、固まる。
……あ、い?
それはなんとこの場面に不釣り合いな言葉だろうか。
「『指一本、髪の一本までも貴方のものじゃない、僕のものだ』だっけ……。顔に似合わずなかなかラテンな口説き文句じゃねぇか」
口説き文句……
口説き!?
一気に熱が顔までかけ上がる。
視界に映る彼の口角がにや、と上がる。
そうして表情が変わる。
今度は、童心を忘れない少年のような。
「お、覚えてたの!?」
「いんや、」
思わず叫ぶ自分に、アズミは首を横に振る。
「今、思い出した」
うぎゃあああああッ!!
それはそれで恥ずかしすぎる……ッ!!
あの時は必死だった。とにかく必死で省みる事もせず思うがままに言葉にして声に乗せた。
だが冷静に省みれば、なんてことを。
もっと他に言い様もあったろうに、貧相な語彙を呪いたい……ッ!!
「大打撃だな」
「そりゃ……ッ」
「でも、俺にも大打撃だった」
すぅ、と彼の表情から笑みが抜けて、真剣さが滲む。つられるようにして、自分の上り詰めた熱が下がる。
「『死神』……それもまた、俺だ」
唐突に彼は、断言した。
「アンタが拾い上げたのは、この世の底辺で腐った……人間にもなれないただのクズ」
自嘲の響きはない。他人のことを話すように淡々と、淡々と彼は言ってのける。
「生きたいも死にたいもない、ただのロクデナシ」
低い声が乗せるのは、刃を隠し持つ残酷で、残虐な言葉たち。
「違う」
その言葉を聞いていることができなくて、思わず反論する。
「貴方は、ただの"アズミ"だ」
今の貴方は何も持たない、真っ白な"アズミ"にもなれるんだと、そう言えば彼はあっさりと首肯する。
「あぁ、俺は"アズミ"だ」
「だったら、」
「だからこそ、だよ」
変わらない単調な響きに、続けるはずだった言葉が呑まれた。
「"アズミ"がこの街で生きるために。この"アズミ"が持つのはその過去だけだってことを、俺もアンタも忘れるわけにはいかない」
それは、初めから分かっていたことだ。
新たな名前を与え、過去を捨てさせる。
自分が図った苦肉の策……精神の面での死によってでも変えることができない唯一つ。
自分が一番彼から取り除きたかった
彼に重く纏いつく肩書きと過去だけは、決して、無くなることはない。
何も変わらないのか。
自分は、やはり何も変えることができないのか。
握りしめた拳を、背中で隠す。
見られたくなかった。
知られたくなかった。
でも、見越したように、彼は少し苦笑を交えて笑う。
「アンタの問題じゃない。こればっかりはどうしようもねぇんだよ。俺がこのままの姿で"生きる"以上、俺を利用したい奴も、殺したいだろう奴も五万といる。だから、それだけは"なかったこと"にはできない……でも」
言い聞かせる声音にはっと目線を上げる。彼は変わらず少し笑みを宿した表情でいい募る。
「それ以外は、アンタの好きにすればいい」
人生を投げ捨てる響きではなかった。
暮れ、一日の終わりを迎えようとする世界で、それは始まりの色を伴っていた。
「肉体の生死、認められた自由、生き方の選択の権利。全てがアンタのものだ。アンタが望む限り、望むままに生きてやる。たとえ瀕死の淵でもアンタが死ぬなというなら死なない」
彼は相当無茶苦茶なことを言っている。人間は、そんな都合良く出来ていない。特に生死に至っては、人間は何の決定権も持たない、そのことを自分は知っている。
人間は儚い。
いつ死ぬかなんて誰にも分からない。
望まない死はいつだって訪れの可能性を秘めている。
もしかしたら、今この瞬間にだって、誰かが命を落としている。
でも。
彼は笑う。
「言ったろう? アンタの猫になってやる」
瞳の色を和ませて笑って、心地よい声で断言する。
ただそれだけのことなのに、彼がそういうならば本当に、瀕死の淵に至っても、彼が生きることを決める限りで生き続ける気さえする。
死にたいと繰り返した、死にたがりの死神。
その死への執念が生へ向けられるのだから、彼は絶対に死なないんだって。
「……アズミ」
「ん?」
先は見えない、分からない。
それでも、全て生きることから始まる。
生きることを選択しなければ始まらない。
その意味で、やっと自分たちの関わりはスタート地点に立ったのだ。
「ただいま、アズ」
二、三度唐突な言葉の意図を思案するように瞬きをした彼は、そしてその言葉の意図を汲み取ったらしく、困ったように微笑を浮かべ、観念したように言った。
「……おかえり、コタ」
茜が濃紺と混じり合い、一番星が微かに煌めき始めていた。
それだけで、印象は随分と変わるものだ、そう改めて気づく。
今、彼の瞳は笑っている。
物覚えの悪い生徒を見るような、苦笑じみた笑み。
でも、普通の、ごく普通の微笑み。
「……へ……?」
ようやく回り始めた頭が、彼の言葉を巻き戻し、再生する。
その中で、どう考えても聞き間違えたとしか思えない言葉に、固まる。
……あ、い?
それはなんとこの場面に不釣り合いな言葉だろうか。
「『指一本、髪の一本までも貴方のものじゃない、僕のものだ』だっけ……。顔に似合わずなかなかラテンな口説き文句じゃねぇか」
口説き文句……
口説き!?
一気に熱が顔までかけ上がる。
視界に映る彼の口角がにや、と上がる。
そうして表情が変わる。
今度は、童心を忘れない少年のような。
「お、覚えてたの!?」
「いんや、」
思わず叫ぶ自分に、アズミは首を横に振る。
「今、思い出した」
うぎゃあああああッ!!
それはそれで恥ずかしすぎる……ッ!!
あの時は必死だった。とにかく必死で省みる事もせず思うがままに言葉にして声に乗せた。
だが冷静に省みれば、なんてことを。
もっと他に言い様もあったろうに、貧相な語彙を呪いたい……ッ!!
「大打撃だな」
「そりゃ……ッ」
「でも、俺にも大打撃だった」
すぅ、と彼の表情から笑みが抜けて、真剣さが滲む。つられるようにして、自分の上り詰めた熱が下がる。
「『死神』……それもまた、俺だ」
唐突に彼は、断言した。
「アンタが拾い上げたのは、この世の底辺で腐った……人間にもなれないただのクズ」
自嘲の響きはない。他人のことを話すように淡々と、淡々と彼は言ってのける。
「生きたいも死にたいもない、ただのロクデナシ」
低い声が乗せるのは、刃を隠し持つ残酷で、残虐な言葉たち。
「違う」
その言葉を聞いていることができなくて、思わず反論する。
「貴方は、ただの"アズミ"だ」
今の貴方は何も持たない、真っ白な"アズミ"にもなれるんだと、そう言えば彼はあっさりと首肯する。
「あぁ、俺は"アズミ"だ」
「だったら、」
「だからこそ、だよ」
変わらない単調な響きに、続けるはずだった言葉が呑まれた。
「"アズミ"がこの街で生きるために。この"アズミ"が持つのはその過去だけだってことを、俺もアンタも忘れるわけにはいかない」
それは、初めから分かっていたことだ。
新たな名前を与え、過去を捨てさせる。
自分が図った苦肉の策……精神の面での死によってでも変えることができない唯一つ。
自分が一番彼から取り除きたかった
彼に重く纏いつく肩書きと過去だけは、決して、無くなることはない。
何も変わらないのか。
自分は、やはり何も変えることができないのか。
握りしめた拳を、背中で隠す。
見られたくなかった。
知られたくなかった。
でも、見越したように、彼は少し苦笑を交えて笑う。
「アンタの問題じゃない。こればっかりはどうしようもねぇんだよ。俺がこのままの姿で"生きる"以上、俺を利用したい奴も、殺したいだろう奴も五万といる。だから、それだけは"なかったこと"にはできない……でも」
言い聞かせる声音にはっと目線を上げる。彼は変わらず少し笑みを宿した表情でいい募る。
「それ以外は、アンタの好きにすればいい」
人生を投げ捨てる響きではなかった。
暮れ、一日の終わりを迎えようとする世界で、それは始まりの色を伴っていた。
「肉体の生死、認められた自由、生き方の選択の権利。全てがアンタのものだ。アンタが望む限り、望むままに生きてやる。たとえ瀕死の淵でもアンタが死ぬなというなら死なない」
彼は相当無茶苦茶なことを言っている。人間は、そんな都合良く出来ていない。特に生死に至っては、人間は何の決定権も持たない、そのことを自分は知っている。
人間は儚い。
いつ死ぬかなんて誰にも分からない。
望まない死はいつだって訪れの可能性を秘めている。
もしかしたら、今この瞬間にだって、誰かが命を落としている。
でも。
彼は笑う。
「言ったろう? アンタの猫になってやる」
瞳の色を和ませて笑って、心地よい声で断言する。
ただそれだけのことなのに、彼がそういうならば本当に、瀕死の淵に至っても、彼が生きることを決める限りで生き続ける気さえする。
死にたいと繰り返した、死にたがりの死神。
その死への執念が生へ向けられるのだから、彼は絶対に死なないんだって。
「……アズミ」
「ん?」
先は見えない、分からない。
それでも、全て生きることから始まる。
生きることを選択しなければ始まらない。
その意味で、やっと自分たちの関わりはスタート地点に立ったのだ。
「ただいま、アズ」
二、三度唐突な言葉の意図を思案するように瞬きをした彼は、そしてその言葉の意図を汲み取ったらしく、困ったように微笑を浮かべ、観念したように言った。
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