25 / 27
第14話(前篇):海辺の日
しおりを挟む
■第14話(前篇):海辺の日
海沿いを電車が走る。
小さな温泉街を目指して、4人は電車に揺られる。
アカネと幸尋、委員長と安城のダブルデートの日だった。
2両しかない電車はガタンゴトンとゆっくりである。
車内は窓に沿って長いシートが向かい合わせに設けられている。
4人は海が見えるように一方のシートに並んで座った。
暮羽駅から東線の電車に乗るのは初めてだった。
これから向かう温泉街は、そんなに何駅も離れていない。
気軽に温泉に入りに行けるのだが、それほど人気は無い。
地形上、暮羽の町とはつながりが薄い。
委員長がこの温泉街を選んだのは、それが大きな理由だった。
地元の人目を気にせずに過せる場所だった。
幸尋はデートスキルが全くの“0”なので、
「どうなることか」と内心そわそわしていた。
しかし、普段は温泉に入ることなど考えられなかったので、
デートということは別にして、温泉に入れるのは楽しみだった。
今回のダブルデートは、コースもイベントも
委員長が独りで決めたと思ったが、そうでもないらしい。
今朝、駅にアカネと向かっているときに、そのことを教えられた。
電話でいろいろ話し合いをしていたらしい。
彼はそんなことをしていたのが意外だったが、
それ以上の問題で、ふわついている。
アカネと付き合っていること自体、今ひとつ実感をもてなかった。
デートをどうやればいいのか、電車に揺られている今でも分からない。
ただ確かなのは、傍に座るアカネとの距離感が近くなっていることだった。
以前はとてもこんなことできなかったし、しようとも思わなかった。
横目で窺うアカネは、委員長と話していて何やら楽しそうである。
委員長は話をしながらも、予定をチェックしているようで手元は忙しそうだ。
そうであっても、一番奥の安城と話したり、アカネと話したりと、
真似できない動きをしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目的の駅に降りると、
風が吹き抜けていった。
潮の匂いが強い。
日差しが眩しい。
もう夏真っ盛りの暑さだった。
目の前に緩やかな登り道が伸びている。
その通りには小さな店が軒を連ねていた。
奥の方に旅館がいくつかあるようだった。
建物がやや大きく、幾つもの小さな煙突がにょっきり出ている。
休日といっても、人出はまばらだった。
委員長と安城に、アカネが幸尋の手を引いて付いて行く。
「さっそく温泉に入ろうよ!」
そう言うと、迷うことなく、
ひとつの温泉旅館に入っていった。
すぐに委員長がフロントで支払いを済ませる。
「男湯はあっちね」
「お、おぅ・・・」
「後でなユッキー」
アカネが片目を閉じてにっこりしながら、
委員長と女湯に入っていった。
彼女たちを目で見送りながら、
安城と一緒に男湯に入っていった。
脱衣場に入ると、すでに熱気を少し感じた。
おじさんたちが数名いた。
誰も無言の空間だった。
洗面台で顔に何か塗りたくっているおじさん。
体重計に乗ったり降りたりしているおじさん。
扇風機の前で、回る首に合わせて、
反復横跳びしているようなおじさん。
脱衣場はまるで異空間だった。
そうしたおじさんたちから微妙に距離をとって、
安城とふたり、隅っこのロッカーに陣取る。
気安く絡まれたくないので、「寄ってくるな」雰囲気を出す。
幸尋が脱いだ服をぎゅーぎゅーロッカーに突っ込む。
その横で、安城はパパッと器用に畳んで、
キレイにロッカーに入れていく。
幸尋はそのロッカーの中身と、
シャツを脱いだ安城の上半身を、
横目でさりげなく追った。
よく引き締まった身体だった。
それに引き替え、自分はやっぱり見劣りした。
(・・・とほほ・・・)
自分より優秀であると思うと、本当に切なくなる。
他人がふたりを見比べたら、幸尋もそんなに悪くない、
と言ってくれるかもしれない。
本人には気になるところがより際立って見える。
ふたり完全にハダカになった。
幸尋は敢えて堂々と、安城と一緒に洗い場に入っていった。
(お・・・安城も髪から洗うのな・・・)
いちいち新鮮で観察してしまう。
手際よく洗う彼の様子を見ていると、
そんなに悪い気はしない。
そろそろ幸尋の視界を泡が閉ざしてきた。
委員長のカレシは「いい奴」に違いなかったが、
幸尋から見れば、住む世界が違う感じがした。
断然、男子力が違う。
何だかキラキラしている。
まるで彼の周囲がリアルに輝いている感じ。
(・・・天は二物を与えず・・・
って言うけど、違うじゃないか・・・)
顔が良く、頭が良く、スポーツも上手い。
おまけに社交性もある。
男子力のポイントを数えてみたが、もうこの辺にしておかないと、
幸尋の自尊心が立ち直れないような気がした。
誰にもやさしく、当たり障りのないことを言う。
幸尋は自分と比べて、酷く見劣りする気がしていた。
(・・・ええい、今日は気を確かにもってないと、
イケメンに当てられるぞ・・・がんばれ、ボク!)
幸尋がひととおり体を洗い終わると、
安城もほぼ同時に終わった。
(あれ、合わせてくれたのか・・・)
素直にうれしかった。
男同士というのは言葉意外にも、
サイレントコミュニケーションがある。
(そういう感覚、嫌いじゃないよ・・・)
・・・ザプーン・・・
一気に肩まで湯に浸される。
湧き立つ湯気、かすかな香り。
圧倒的な湯量に体が同化していくような感じだった。
近くの壁の大きな温度計があって、針が41℃を指していた。
それが高いのか低いのか、幸尋には分からなかったが、
家で入る風呂とは次元の違う気持ち良さだった。
思いっきり手足を伸ばせる開放感。
ふと傍らの安城を見ると、目を閉じていた。
「こうやって話すの、初めてだよな。」
安城がそう切り出した。
声を掛けられると、彼がとても近い位置にいるのが
今さらながらに分かる。そのことに少しドギマギしてしまう。
「うん、これまで会うことなんか無かったもんな。
最近でこそ、ちょこちょこ会うけど・・・」
幸尋は最近の出来事を思い返していた。
「このまま何も変わらない」と思っていた今年が
ここ最近で急激に変わってしまった。
「委員長から聞いて初めて知ったよ。
あいつとは幼馴染だったんだろ?」
これはどうしても訊いておきたいことだった。
自分で言いながら、委員長は遠い存在だったんだと、
思い知らされてしまった。
「うん・・・でも、小学生の頃だからな・・・」
それは中学生のときに一度関係が途絶えていたことを
暗に言っているに違いなかった。
幼馴染という関係を幸尋は感覚的に分からない。
彼にはそういう人がいなかった。
それでも、その関係が強い結びつきであることは理屈では分かる。
委員長が中学生の頃、暗黒の時を過したのは、安城を失ったからだった。
「俺もユッキーが付き合ってるなんて知らなかったよ。」
にっこり言う安城に、視線を反らして苦笑してしまう。
委員長にふたりの関係を断言されるまで、分かっていなかったのだ。
それは自覚が無かったと言ったほうがいいかもしれない。
付き合うという関係は、なかなかとりとめのない形だろう。
幸尋は中学生、高校生になってみても、
自分にはそういうこととは無縁だろうと思っていた。
周囲にそういう関係ができ始めていって、
最初は自分もそうなりたいと思っていた。
・・・ところが、現実は非情だった。
幸尋のささやかな希望はどんどん打ちのめされた。
(みんな楽しんでいるのに、どうしてボクは・・・)
そうした自問自答を繰り返した。
それはやがて毒となり、自分自身をも蝕んだ。
周囲ばかりが気になる。
周囲ばかりがうまくいっているように思う。
中学生の時期を、高校生の時期を幸せに過せるのは幾人いるだろう。
実際にはそんな者など滅多にいない。
外からはよく見えても、当人以外には内情など分からない。
その者が幸せなのか不幸なのか当人にしか分かり得ない。
・・・幸尋にとって、アカネは初めて常識を打ち破る存在だった。
出会いは難癖をつけられたときだった。
勝手に出入され、勝手に気に入られて居候されて、
あれやこれやと衝突ばかりしてきた。
変な男に絡まれていたときの、アカネの言葉が甦る。
(う~ん・・・あのウソは実はホントだったのか・・・)
真偽の判断は難しい。
彼女の言う言葉、表情、振る舞い。
どれもこれもよく分からず、必死になって分かろうとした。
よく分からない存在であるのに、
傍にいることを何となく心地よく感じる。
委員長を近くに感じていたのに、急に遠くなってしまった。
アカネは傍にいながら遠かったのに、ふと気付けば近くなった。
皮肉なようで、不思議なめぐり合わせだった。
「委員長を取られてしまった」
という気はもうしなくなっていた。
告白したと言ってくれたとき、ショックだった。
幸尋は自分で勝手なものだと思った。
彼女は自分には「合わない」と感じていたのだ。
それでも彼女は魅力的だった。
頭では認めていなかったが、心では惹かれていた。
それから何度か安城に会っているうちにだんだんと、
彼なら仕方ない、彼ならふさわしいと思うようになった。
・・・同じ湯につかるカノジョ持ち男子同士。
幸尋は妙にふわついて、落ち着かない感じがするのを
ひた隠しにしていた。
そのため、あまり仲良くない委員長のカレシに
「ユッキー」と言われていることに、ツッコめなかった。
(・・・クソッ!アカネがノリでつけたアダ名が
安城にまですっかり定着してるなんて・・・)
女湯から、アカネの無邪気な笑い声が聞こえてくる。
その声にイラッとしてしまう。
「安城はボクから見たら完全無欠だな。
ボクは安城みたいに明るくないし、考え方だって変だし。」
「例えば?」
顔を横に振りながら、敢えて訊いてくれた。
幸尋はその仕草を見習おうと思った。
「今、女湯すげぇ覗きたくてしょうがない。」
こんなことはアカネと委員長の前では絶対に言えない。
言えば最後、時空を越えた異変が起こるだろう。
「え?それは俺も思うよ?」
「アカネはともかくとして、委員長のハダカを見たいのだよ」
余計なことを言った。
安城だから大丈夫という妙な計算が働いた。
「ふふっ・・・あははは・・・そっちかよ」
まぁ・・・俺は両方見たいけどな」
安城は寛容だった。
しかも、欲張りな欲望を教えてくれたのがうれしかった。
男子の欲望を女子は知らないほうが幸せである。
「遥はけっこう堅いだろ?
どうやって一線を越えるか難しいよ。」
安城はちょっぴり心配しているようだった。
完全無欠の彼でも恋愛となると難しいのか。
(安城と委員長の仲って、ぜんぜん進展してないのか?)
現在のふたりの状態について、すぐに推理が始まる。
「でも、ふたりでいるときの委員長は普段とは違うんだろ?」
「まぁ、ちょっとは違うけどね。俺はユッキーが羨ましいんだぜ?
アカネちゃんってはっきりしてるだろ?」
「それはズケズケ、とも言うけどね」
安城はちょっと気を遣って言ってくれたのは幸尋にも分かった。
幸尋の言葉に安城は苦笑している。
「最近、遥が弁当作ってきてくれるようになったんだ。」
(ふふっ・・・無理をしおって・・・)
そう思ったのも一瞬だった。
あの日のことが甦ってくる。
別に思い出したくはないのだが。
「味はイマイチだろ?」
確信を持って訊いた。
味がいいワケが無い。
「はっはっは!」
以前、教材準備室に呼び出されたときのことを話した。
たまご焼きのイメージをブチ壊した、あのじゃりじゃり食感。
あの後、しばらくたまご恐怖症を発症したほどだった。
「まぁ、なかには美味しいのもあるんだけどね。」
「ボクがそれ当ててみる。・・・たまご焼きだろ?」
幸尋、今日のこの瞬間だけは冴えていた。
ムダに目の輝きも違う。
「正解。」
呆れた。
それ以外には何も出てこなかった。
委員長が料理の腕を上げたのは、
たまご焼き限定らしい。
「ぬぅうう・・・結局ボクは実験台に・・・」
弁当の件は、安城と幸尋だけの秘密になった。
「ユッキーはアカネともうヤッたのか?」
「と、突然だなぁ~」
彼の目を見ると真剣だったので、
答えざるを得なかった。
「・・・キスは・・・したよ?」
負けを覚悟して、正直にそう打ち明けた。
安城になら負けて当然である。
すると、安城は意外そうな顔をした。
「・・・俺たちまだ何もしてないんだ。」
そう言われて、幸尋は目を丸くしたた。
(あの委員長が意外な・・・)
もしかしたら、まだ彼女に躊躇いがあるのかもしれない。
でも、委員長と安城は付き合い始めた。
そうして大きく踏み込んだのだから、
きっとうまくいくだろう。
「ボクとアカネって理想的な付き合いじゃないから・・・
弁当を作ってもらえるなんて、アカネじゃ考えられないもん。」
そう言いながら、幸尋は「ヤル」ことを想定してみた。
襲い掛かってみる→返り討ちにされる
襲い掛かられる→そんなのあるわけねぇ
脳内作戦司令部はポンコツだった。
「好きならいいじゃないか・・・俺は安城のこと、大好きだから。」
「よくそんなこと言えるよな・・・」
また、男子力の格差を感じた。
恥ずかしいこと言ってるクセに、嫌な感じがしない。
ムダに対抗心が湧いてきた。
身も心も熱くなってきたと思ったが、
よく考えれば逆上せそうになっていた。
・・・そろそろ湯から上がることにした。
(つづく)
海沿いを電車が走る。
小さな温泉街を目指して、4人は電車に揺られる。
アカネと幸尋、委員長と安城のダブルデートの日だった。
2両しかない電車はガタンゴトンとゆっくりである。
車内は窓に沿って長いシートが向かい合わせに設けられている。
4人は海が見えるように一方のシートに並んで座った。
暮羽駅から東線の電車に乗るのは初めてだった。
これから向かう温泉街は、そんなに何駅も離れていない。
気軽に温泉に入りに行けるのだが、それほど人気は無い。
地形上、暮羽の町とはつながりが薄い。
委員長がこの温泉街を選んだのは、それが大きな理由だった。
地元の人目を気にせずに過せる場所だった。
幸尋はデートスキルが全くの“0”なので、
「どうなることか」と内心そわそわしていた。
しかし、普段は温泉に入ることなど考えられなかったので、
デートということは別にして、温泉に入れるのは楽しみだった。
今回のダブルデートは、コースもイベントも
委員長が独りで決めたと思ったが、そうでもないらしい。
今朝、駅にアカネと向かっているときに、そのことを教えられた。
電話でいろいろ話し合いをしていたらしい。
彼はそんなことをしていたのが意外だったが、
それ以上の問題で、ふわついている。
アカネと付き合っていること自体、今ひとつ実感をもてなかった。
デートをどうやればいいのか、電車に揺られている今でも分からない。
ただ確かなのは、傍に座るアカネとの距離感が近くなっていることだった。
以前はとてもこんなことできなかったし、しようとも思わなかった。
横目で窺うアカネは、委員長と話していて何やら楽しそうである。
委員長は話をしながらも、予定をチェックしているようで手元は忙しそうだ。
そうであっても、一番奥の安城と話したり、アカネと話したりと、
真似できない動きをしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目的の駅に降りると、
風が吹き抜けていった。
潮の匂いが強い。
日差しが眩しい。
もう夏真っ盛りの暑さだった。
目の前に緩やかな登り道が伸びている。
その通りには小さな店が軒を連ねていた。
奥の方に旅館がいくつかあるようだった。
建物がやや大きく、幾つもの小さな煙突がにょっきり出ている。
休日といっても、人出はまばらだった。
委員長と安城に、アカネが幸尋の手を引いて付いて行く。
「さっそく温泉に入ろうよ!」
そう言うと、迷うことなく、
ひとつの温泉旅館に入っていった。
すぐに委員長がフロントで支払いを済ませる。
「男湯はあっちね」
「お、おぅ・・・」
「後でなユッキー」
アカネが片目を閉じてにっこりしながら、
委員長と女湯に入っていった。
彼女たちを目で見送りながら、
安城と一緒に男湯に入っていった。
脱衣場に入ると、すでに熱気を少し感じた。
おじさんたちが数名いた。
誰も無言の空間だった。
洗面台で顔に何か塗りたくっているおじさん。
体重計に乗ったり降りたりしているおじさん。
扇風機の前で、回る首に合わせて、
反復横跳びしているようなおじさん。
脱衣場はまるで異空間だった。
そうしたおじさんたちから微妙に距離をとって、
安城とふたり、隅っこのロッカーに陣取る。
気安く絡まれたくないので、「寄ってくるな」雰囲気を出す。
幸尋が脱いだ服をぎゅーぎゅーロッカーに突っ込む。
その横で、安城はパパッと器用に畳んで、
キレイにロッカーに入れていく。
幸尋はそのロッカーの中身と、
シャツを脱いだ安城の上半身を、
横目でさりげなく追った。
よく引き締まった身体だった。
それに引き替え、自分はやっぱり見劣りした。
(・・・とほほ・・・)
自分より優秀であると思うと、本当に切なくなる。
他人がふたりを見比べたら、幸尋もそんなに悪くない、
と言ってくれるかもしれない。
本人には気になるところがより際立って見える。
ふたり完全にハダカになった。
幸尋は敢えて堂々と、安城と一緒に洗い場に入っていった。
(お・・・安城も髪から洗うのな・・・)
いちいち新鮮で観察してしまう。
手際よく洗う彼の様子を見ていると、
そんなに悪い気はしない。
そろそろ幸尋の視界を泡が閉ざしてきた。
委員長のカレシは「いい奴」に違いなかったが、
幸尋から見れば、住む世界が違う感じがした。
断然、男子力が違う。
何だかキラキラしている。
まるで彼の周囲がリアルに輝いている感じ。
(・・・天は二物を与えず・・・
って言うけど、違うじゃないか・・・)
顔が良く、頭が良く、スポーツも上手い。
おまけに社交性もある。
男子力のポイントを数えてみたが、もうこの辺にしておかないと、
幸尋の自尊心が立ち直れないような気がした。
誰にもやさしく、当たり障りのないことを言う。
幸尋は自分と比べて、酷く見劣りする気がしていた。
(・・・ええい、今日は気を確かにもってないと、
イケメンに当てられるぞ・・・がんばれ、ボク!)
幸尋がひととおり体を洗い終わると、
安城もほぼ同時に終わった。
(あれ、合わせてくれたのか・・・)
素直にうれしかった。
男同士というのは言葉意外にも、
サイレントコミュニケーションがある。
(そういう感覚、嫌いじゃないよ・・・)
・・・ザプーン・・・
一気に肩まで湯に浸される。
湧き立つ湯気、かすかな香り。
圧倒的な湯量に体が同化していくような感じだった。
近くの壁の大きな温度計があって、針が41℃を指していた。
それが高いのか低いのか、幸尋には分からなかったが、
家で入る風呂とは次元の違う気持ち良さだった。
思いっきり手足を伸ばせる開放感。
ふと傍らの安城を見ると、目を閉じていた。
「こうやって話すの、初めてだよな。」
安城がそう切り出した。
声を掛けられると、彼がとても近い位置にいるのが
今さらながらに分かる。そのことに少しドギマギしてしまう。
「うん、これまで会うことなんか無かったもんな。
最近でこそ、ちょこちょこ会うけど・・・」
幸尋は最近の出来事を思い返していた。
「このまま何も変わらない」と思っていた今年が
ここ最近で急激に変わってしまった。
「委員長から聞いて初めて知ったよ。
あいつとは幼馴染だったんだろ?」
これはどうしても訊いておきたいことだった。
自分で言いながら、委員長は遠い存在だったんだと、
思い知らされてしまった。
「うん・・・でも、小学生の頃だからな・・・」
それは中学生のときに一度関係が途絶えていたことを
暗に言っているに違いなかった。
幼馴染という関係を幸尋は感覚的に分からない。
彼にはそういう人がいなかった。
それでも、その関係が強い結びつきであることは理屈では分かる。
委員長が中学生の頃、暗黒の時を過したのは、安城を失ったからだった。
「俺もユッキーが付き合ってるなんて知らなかったよ。」
にっこり言う安城に、視線を反らして苦笑してしまう。
委員長にふたりの関係を断言されるまで、分かっていなかったのだ。
それは自覚が無かったと言ったほうがいいかもしれない。
付き合うという関係は、なかなかとりとめのない形だろう。
幸尋は中学生、高校生になってみても、
自分にはそういうこととは無縁だろうと思っていた。
周囲にそういう関係ができ始めていって、
最初は自分もそうなりたいと思っていた。
・・・ところが、現実は非情だった。
幸尋のささやかな希望はどんどん打ちのめされた。
(みんな楽しんでいるのに、どうしてボクは・・・)
そうした自問自答を繰り返した。
それはやがて毒となり、自分自身をも蝕んだ。
周囲ばかりが気になる。
周囲ばかりがうまくいっているように思う。
中学生の時期を、高校生の時期を幸せに過せるのは幾人いるだろう。
実際にはそんな者など滅多にいない。
外からはよく見えても、当人以外には内情など分からない。
その者が幸せなのか不幸なのか当人にしか分かり得ない。
・・・幸尋にとって、アカネは初めて常識を打ち破る存在だった。
出会いは難癖をつけられたときだった。
勝手に出入され、勝手に気に入られて居候されて、
あれやこれやと衝突ばかりしてきた。
変な男に絡まれていたときの、アカネの言葉が甦る。
(う~ん・・・あのウソは実はホントだったのか・・・)
真偽の判断は難しい。
彼女の言う言葉、表情、振る舞い。
どれもこれもよく分からず、必死になって分かろうとした。
よく分からない存在であるのに、
傍にいることを何となく心地よく感じる。
委員長を近くに感じていたのに、急に遠くなってしまった。
アカネは傍にいながら遠かったのに、ふと気付けば近くなった。
皮肉なようで、不思議なめぐり合わせだった。
「委員長を取られてしまった」
という気はもうしなくなっていた。
告白したと言ってくれたとき、ショックだった。
幸尋は自分で勝手なものだと思った。
彼女は自分には「合わない」と感じていたのだ。
それでも彼女は魅力的だった。
頭では認めていなかったが、心では惹かれていた。
それから何度か安城に会っているうちにだんだんと、
彼なら仕方ない、彼ならふさわしいと思うようになった。
・・・同じ湯につかるカノジョ持ち男子同士。
幸尋は妙にふわついて、落ち着かない感じがするのを
ひた隠しにしていた。
そのため、あまり仲良くない委員長のカレシに
「ユッキー」と言われていることに、ツッコめなかった。
(・・・クソッ!アカネがノリでつけたアダ名が
安城にまですっかり定着してるなんて・・・)
女湯から、アカネの無邪気な笑い声が聞こえてくる。
その声にイラッとしてしまう。
「安城はボクから見たら完全無欠だな。
ボクは安城みたいに明るくないし、考え方だって変だし。」
「例えば?」
顔を横に振りながら、敢えて訊いてくれた。
幸尋はその仕草を見習おうと思った。
「今、女湯すげぇ覗きたくてしょうがない。」
こんなことはアカネと委員長の前では絶対に言えない。
言えば最後、時空を越えた異変が起こるだろう。
「え?それは俺も思うよ?」
「アカネはともかくとして、委員長のハダカを見たいのだよ」
余計なことを言った。
安城だから大丈夫という妙な計算が働いた。
「ふふっ・・・あははは・・・そっちかよ」
まぁ・・・俺は両方見たいけどな」
安城は寛容だった。
しかも、欲張りな欲望を教えてくれたのがうれしかった。
男子の欲望を女子は知らないほうが幸せである。
「遥はけっこう堅いだろ?
どうやって一線を越えるか難しいよ。」
安城はちょっぴり心配しているようだった。
完全無欠の彼でも恋愛となると難しいのか。
(安城と委員長の仲って、ぜんぜん進展してないのか?)
現在のふたりの状態について、すぐに推理が始まる。
「でも、ふたりでいるときの委員長は普段とは違うんだろ?」
「まぁ、ちょっとは違うけどね。俺はユッキーが羨ましいんだぜ?
アカネちゃんってはっきりしてるだろ?」
「それはズケズケ、とも言うけどね」
安城はちょっと気を遣って言ってくれたのは幸尋にも分かった。
幸尋の言葉に安城は苦笑している。
「最近、遥が弁当作ってきてくれるようになったんだ。」
(ふふっ・・・無理をしおって・・・)
そう思ったのも一瞬だった。
あの日のことが甦ってくる。
別に思い出したくはないのだが。
「味はイマイチだろ?」
確信を持って訊いた。
味がいいワケが無い。
「はっはっは!」
以前、教材準備室に呼び出されたときのことを話した。
たまご焼きのイメージをブチ壊した、あのじゃりじゃり食感。
あの後、しばらくたまご恐怖症を発症したほどだった。
「まぁ、なかには美味しいのもあるんだけどね。」
「ボクがそれ当ててみる。・・・たまご焼きだろ?」
幸尋、今日のこの瞬間だけは冴えていた。
ムダに目の輝きも違う。
「正解。」
呆れた。
それ以外には何も出てこなかった。
委員長が料理の腕を上げたのは、
たまご焼き限定らしい。
「ぬぅうう・・・結局ボクは実験台に・・・」
弁当の件は、安城と幸尋だけの秘密になった。
「ユッキーはアカネともうヤッたのか?」
「と、突然だなぁ~」
彼の目を見ると真剣だったので、
答えざるを得なかった。
「・・・キスは・・・したよ?」
負けを覚悟して、正直にそう打ち明けた。
安城になら負けて当然である。
すると、安城は意外そうな顔をした。
「・・・俺たちまだ何もしてないんだ。」
そう言われて、幸尋は目を丸くしたた。
(あの委員長が意外な・・・)
もしかしたら、まだ彼女に躊躇いがあるのかもしれない。
でも、委員長と安城は付き合い始めた。
そうして大きく踏み込んだのだから、
きっとうまくいくだろう。
「ボクとアカネって理想的な付き合いじゃないから・・・
弁当を作ってもらえるなんて、アカネじゃ考えられないもん。」
そう言いながら、幸尋は「ヤル」ことを想定してみた。
襲い掛かってみる→返り討ちにされる
襲い掛かられる→そんなのあるわけねぇ
脳内作戦司令部はポンコツだった。
「好きならいいじゃないか・・・俺は安城のこと、大好きだから。」
「よくそんなこと言えるよな・・・」
また、男子力の格差を感じた。
恥ずかしいこと言ってるクセに、嫌な感じがしない。
ムダに対抗心が湧いてきた。
身も心も熱くなってきたと思ったが、
よく考えれば逆上せそうになっていた。
・・・そろそろ湯から上がることにした。
(つづく)
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説


今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。


淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


一宿一飯の恩義
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
妹のアイミが、一人暮らしの兄の家に泊まりに来た。コンサートで近くを訪れたため、ホテル代わりに利用しようということだった。
兄は条件を付けて、アイミを泊めることにした。
その夜、条件であることを理由に、兄はアイミを抱く。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる