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第13話(後篇):困惑のあとに
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■第13話(後篇):困惑のあとに
――お昼過ぎ
「はぁ?お前聞いてなかったのかよ」
「何を?」
幸尋が間抜けな顔で訊き返した。
アカネが言った話の内容が分からなかった。
「委員長がさ、今度ダブルデートしようって、
言ってただろーが!この日曜日に!」
もう今夜寝て起きたら、日曜日である。
しかも寝る前にはバイトが入っている。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
いろいろと気掛かりで、うろたえてしまった。
・・・思い出してみる。
この前、委員長が「家庭訪問してあげる」
と言い出して、本当にやって来た。
半ば同棲していると認定され、それが気に入らなかったようだ。
委員長は初対面にもかかわらず、アカネと口喧嘩になった。
激しい応酬に幸尋は機転を利かせて、
コーヒーブレイクを勧めた。
すると、口喧嘩はウソのように収まった。
それだけではなかった。
お茶を飲みながら、楽しそうに話し出したのだ。
彼には彼女たちの変化についていけなかった。
動揺したのと、納得いかないのとで、会話がうわの空になっていた。
ダブルデートの約束なんて全く思い出せなかった。
うわの空、というのはホントに思考停止状態だった。
・・・もうひとつ気掛かりなことがある。
それはとても大事なことだった。
「デートってどうやるんだよ?!
ダブルデート・・・ダブルって、委員長もカレシと来るのか?!」
半ば叫びだった。
デートなんて分からない。
それを2組でするのも意味が分からない。
「ぜんぜん聞いてなかったな、
今っさら何言ってんの?」
アカネが呆れている。
幸尋はおろおろするばかりだった。
「委員長め~!激甘コーヒー飲んでるくせに~」
急に憎らしくなる。
ダブルデートなどというイベントを思い付くセンス。
そういうことを楽しもうということ自体が嫌だった。
「それ関係ねぇし!」
アカネは可笑しくてしょうがない。
彼は呻くように言った後で、急に不安になってきた。
「デ、デートってどうやるか分からないよ・・・」
今度は情けない顔で、アカネにすがった。
そういう異性同士の楽しみ方など全く分からない・・・。
「大丈夫だって、一緒にウロウロしてりゃいいんだからさ」
事もなげに応えられた。「ウロウロ」というのが分からない。
幸尋はアカネがそういうことにずいぶん慣れているような気がした。
「んじゃ、リハでもやっか!」
日曜日は目前である。
とりあえず外に出てみようということになった。
――河川敷
ふたりですぐ近くの川に行ってみた。
何となくぶらぶら歩く。
「アカネ・・・これってリハになるの?」
「なるなる!」
ギャル系女子と無気力系男子が並んで河川敷を歩く。
まだ日差しが暖かい。
微かに水の流れる音が聞こえてくる。
草木の茂った中州に鳥たちがいる。
「アカネはこういう散歩ってヘーキなの?」
「こういうの、けっこう好きかも」
すーっと吹いた風に、アカネは手で軽く髪を押さえる。
その仕草に幸尋は見入ってしまう。
以前はよくひとりで河川敷を歩いた。
それが今ではふたり。
絶対領域に女の子が入ってきた。
河川敷の遊歩道は上流へずっと続いている。
河口に向かう方は、以前に「あの一帯」に入って以降、
ふたりともそっちまで歩こうとは思わなくなった。
数羽の鳥が水面から飛び立っていく。
「ボクってさ・・・クラスの奴とほとんど遊んだことないんだ・・・」
デートを始めとして、人付き合いがまるで苦手だった。
そのことをアカネには知っておいてほしかった。
そんな彼にも知り合いと呼べる者もいたが、
学校外で遊ぶということは無かった。
だから、今回のダブルデートというのは、
いきなりハードルが高かった。
「あんまり関わりたくないっていうか・・・
みんなと一緒にいることに馴染めないっていうか・・・」
「ユッキー・・・あたしと同じだね・・・」
低いトーンにハッとした。
思わず彼女の顔を見る。
「アカネはそういうの得意そうだけど、違うのか?」
「素のあたしと話せるのってそーそーいねーよ・・・」
アカネは幸尋に顔を向けることなく、
立ち止まって水面を見つめたまま言った。
こんなふうに話すのは初めてだった。
彼も立ち止まって、後姿を見つめる。
(・・・・・・・・・)
振り返った彼女と目が合う。
幸尋は真剣になっていた。
「アカネ・・・ボク、前にアカネの高校に行ったんだ・・・
アカネが話してたヒロとユミにばったり会ったよ・・・」
「あーそれ聞いた・・・」
リラックスしていた彼女が
みるみる真顔になっていった。
「アカネのこと少しだけ知ったよ」
真顔だった表情に、かすかな怯えが出る。
「コンビニであのふたりに会って、
学校を案内してもらったんだ・・・」
彼女は腕組みをして顔を背けた。
幸尋の勝手な詮索に腹を立てているのかもしれない。
「アカネのこと聞けてうれしかった。
でも、同時に自分の嫌なことを思い出したよ・・・」
それが意外なことだったのか、
少し視線を幸尋に向けた。
「・・・こんなこと・・・初めて話す・・・
聞きたくないかもしれないけど、聞いてほしいんだ・・・」
最初は話さないでおこうと思っていた。
でも、彼女の高校に行った話を持ち出してみると、
どうしても聞いて欲しくなった。
「ボクがここにひとりで暮らしているのって、
たぶんシェルターなんだと思う。」
喉がごくりと鳴る。
「ボク、親と合わないんだ・・・息苦しくて仕方なかった・・・。
ここで暮らすようになって、初めて自分らしくなったような気がする。」
「・・・だから、あたしのこと・・・訊かないんだ?」
飛躍した返しだった。
アカネの声が悲しそうに聞こえた。
幸尋はゆっくりと頷いた。
最初出逢ったときの光景が一気に脳裏を駆け巡っていく。
会ったばかりのふたりは、どちらも硬かった。
まるでアメ玉のように、カチンという音でもしそうな。
それでも、ふたりはカチンカチンとよく当たった。
やがて、アメ玉は熱をもち、
カチリカチリと次第に音が変わっていった。
今のふたりは、不信の果てにいる。
選べない親の存在。
親から受ける禍と福。
ふたりが自分らしく生きられるようになるまで、
こんなに長い時間がかかってしまった。
そこで、ふたりは出会った。
無意識のうちに、互いに希望を
見出そうとしていたのかもしれない。
計らずも、素を見せ合った。
それは決して心地の良いものではなかった。
相手の良いところ、悪いところ。
言い合って、ぶつかって、
砕けてしまうもののなかに、
少しずひっつくものがあった。
それは初めての希望だった。
一言も話していないのに、
互いにそれを分かっていた。
「あのふたりの話・・もしかしたら間違ってることもあると思う。
でも、聞いてて、ボク・・・親のこと考えちゃったんだ・・・。
とても他人事には思えなくて・・・」
彼女の目が少し大きくなる。
「・・・ごめん・・・こんなこと・・・
アカネのこと・・・立ち入ってしまって・・・」
気落ちしてうなだれた。
こんなこと言うべきではなかったと後悔した。
彼女は何も言わなかった。
「帰ろうよ・・・」
アカネが声を掛けて、幸尋の手を引いて歩き出した。
しばらくして彼は手をぎゅっと握った。
彼女はさらにぎゅっと握った。
・・・今日はいつにもましてバイトに行きたくなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――夜
幸尋が20時半前にバイトから帰ってきた。
バイトのシフトは折り込み済みの予定だったが、
日曜日にダブルデートが入っていたのが急に分かって、
何だか今日のバイトはいつもより疲れてしまった。
貰ってきた惣菜は日曜日の朝ごはんにしようと考えて、
予めアカネには夕ごはんの段取りを言っておいた。
アカネは彼に教えられて、米を洗って
予約炊きをセットしてくれていた。
献立は豚肉の甘酸っぱいレモンソース炒めだった。
付け合せにキャベツ、人参、じゃがいもの温野菜である。
「はぁ~うまかったぁ!」
「あーはいはい・・・ありがとー」
面倒そうな棒読みの返し。
今日の昼過ぎに河川敷で、シリアスな話をしたことが、
今ではどうも気まずかった。
それもごはんを食べる頃になると、いつものふたりになった。
「マジだっつってんだよ~」
そう言って彼に絡む。
何だか妙に甘えているようだった。
「おい、キスしてみっか?」
急に声のトーンが変わった。
いきなりのことに彼も呆気にとられてしまった。
「ま、童貞くんにはハードル高いかぁ・・・」
自分で話を振っておいて、勝手に終わらせようとする。
アカネはこういうことに慣れているのかもしれない。
ムッとした彼は近くにある彼女の顔に向かい合った。
「・・・初めてで悪かったな・・・」
両手で肩を掴むと、思い切った。
顔と顔が重なり合う・・・。
「ちょっ!おま・・・んんっ・・・」
一瞬、ふたりは無言になる。
最初は仕返しのつもりだった。
それが、彼女のくちびるに触れて気が変わった。
いつの間にか、夢中になった。
(くちびる・・・ふにふにしてる・・・)
一方的に、口で、舌で、貪った。
「・・・ぷは・・・ユッキー・・・
止めろよな・・・こんなキス・・・」
彼女は顔を真っ赤にしていた。
見せたことがない、どぎまぎした様子である。
「じゃぁ、もう1回する・・・」
「えっ!あっ!やめろって・・・あっ!」
ソファに押し倒して、
両手を強く握って動けないようにした。
何もしゃべれないように、くちびるを塞いだ。
彼女のくちびるは不思議でしょうがなかった。
どんどん自分の舌で舐めて、なぞって、
ぐいぐい押して、絡めて、それでも飽き足らず、
くち全体を使って吸い付いて、くちびるや舌を甘噛みした。
何か彼女はもごもご言っているようだったが、
次第に吐息しか聞こえなくなった。
やがて彼女も舌を遣って、彼の舌に何度も何度も絡みついた。
・・・頭の芯が痺れていくような心地。
キスの気持ち良さを知ってしまった瞬間。
胸がどきどきして、もっともっとしてみたいと思う。
とても抑え切れないような衝動だった。
・・・っはぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・
ふたりは長い間キスしていた。
ようやく彼はくちびるを離して、彼女を解放した。
ソファの上で状態を起こして、乱れた髪をかき上げる。
その様子がどこか初々しく思える・・・。
「ユ、ユッキーてば・・・どこで・・・
こんなキス覚えたんだよ、力抜けちゃうだろーが」
上気した顔で睨むようにして言った。
「アカネが悪いんだよ・・・君のくちびる・・・不思議だから・・・」
恥ずかしくて背を向けた。
こんなことを言うなんて、どうかしている。
「生意気ーっ!」
ゲシゲシ背中を蹴られた。
「いた!いたっ!充分力入ってますけどー?」
抗議しようと振り返ってみると、
どことなくうれしそうな顔をしていた。
「くそっ!あたしのファーストキスだったんだからな!!」
言い放たれた言葉に呆然とした。
アカネはいつも唐突だった。
突然の出来事に、夜は早く更けていった。
(つづく)
――お昼過ぎ
「はぁ?お前聞いてなかったのかよ」
「何を?」
幸尋が間抜けな顔で訊き返した。
アカネが言った話の内容が分からなかった。
「委員長がさ、今度ダブルデートしようって、
言ってただろーが!この日曜日に!」
もう今夜寝て起きたら、日曜日である。
しかも寝る前にはバイトが入っている。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
いろいろと気掛かりで、うろたえてしまった。
・・・思い出してみる。
この前、委員長が「家庭訪問してあげる」
と言い出して、本当にやって来た。
半ば同棲していると認定され、それが気に入らなかったようだ。
委員長は初対面にもかかわらず、アカネと口喧嘩になった。
激しい応酬に幸尋は機転を利かせて、
コーヒーブレイクを勧めた。
すると、口喧嘩はウソのように収まった。
それだけではなかった。
お茶を飲みながら、楽しそうに話し出したのだ。
彼には彼女たちの変化についていけなかった。
動揺したのと、納得いかないのとで、会話がうわの空になっていた。
ダブルデートの約束なんて全く思い出せなかった。
うわの空、というのはホントに思考停止状態だった。
・・・もうひとつ気掛かりなことがある。
それはとても大事なことだった。
「デートってどうやるんだよ?!
ダブルデート・・・ダブルって、委員長もカレシと来るのか?!」
半ば叫びだった。
デートなんて分からない。
それを2組でするのも意味が分からない。
「ぜんぜん聞いてなかったな、
今っさら何言ってんの?」
アカネが呆れている。
幸尋はおろおろするばかりだった。
「委員長め~!激甘コーヒー飲んでるくせに~」
急に憎らしくなる。
ダブルデートなどというイベントを思い付くセンス。
そういうことを楽しもうということ自体が嫌だった。
「それ関係ねぇし!」
アカネは可笑しくてしょうがない。
彼は呻くように言った後で、急に不安になってきた。
「デ、デートってどうやるか分からないよ・・・」
今度は情けない顔で、アカネにすがった。
そういう異性同士の楽しみ方など全く分からない・・・。
「大丈夫だって、一緒にウロウロしてりゃいいんだからさ」
事もなげに応えられた。「ウロウロ」というのが分からない。
幸尋はアカネがそういうことにずいぶん慣れているような気がした。
「んじゃ、リハでもやっか!」
日曜日は目前である。
とりあえず外に出てみようということになった。
――河川敷
ふたりですぐ近くの川に行ってみた。
何となくぶらぶら歩く。
「アカネ・・・これってリハになるの?」
「なるなる!」
ギャル系女子と無気力系男子が並んで河川敷を歩く。
まだ日差しが暖かい。
微かに水の流れる音が聞こえてくる。
草木の茂った中州に鳥たちがいる。
「アカネはこういう散歩ってヘーキなの?」
「こういうの、けっこう好きかも」
すーっと吹いた風に、アカネは手で軽く髪を押さえる。
その仕草に幸尋は見入ってしまう。
以前はよくひとりで河川敷を歩いた。
それが今ではふたり。
絶対領域に女の子が入ってきた。
河川敷の遊歩道は上流へずっと続いている。
河口に向かう方は、以前に「あの一帯」に入って以降、
ふたりともそっちまで歩こうとは思わなくなった。
数羽の鳥が水面から飛び立っていく。
「ボクってさ・・・クラスの奴とほとんど遊んだことないんだ・・・」
デートを始めとして、人付き合いがまるで苦手だった。
そのことをアカネには知っておいてほしかった。
そんな彼にも知り合いと呼べる者もいたが、
学校外で遊ぶということは無かった。
だから、今回のダブルデートというのは、
いきなりハードルが高かった。
「あんまり関わりたくないっていうか・・・
みんなと一緒にいることに馴染めないっていうか・・・」
「ユッキー・・・あたしと同じだね・・・」
低いトーンにハッとした。
思わず彼女の顔を見る。
「アカネはそういうの得意そうだけど、違うのか?」
「素のあたしと話せるのってそーそーいねーよ・・・」
アカネは幸尋に顔を向けることなく、
立ち止まって水面を見つめたまま言った。
こんなふうに話すのは初めてだった。
彼も立ち止まって、後姿を見つめる。
(・・・・・・・・・)
振り返った彼女と目が合う。
幸尋は真剣になっていた。
「アカネ・・・ボク、前にアカネの高校に行ったんだ・・・
アカネが話してたヒロとユミにばったり会ったよ・・・」
「あーそれ聞いた・・・」
リラックスしていた彼女が
みるみる真顔になっていった。
「アカネのこと少しだけ知ったよ」
真顔だった表情に、かすかな怯えが出る。
「コンビニであのふたりに会って、
学校を案内してもらったんだ・・・」
彼女は腕組みをして顔を背けた。
幸尋の勝手な詮索に腹を立てているのかもしれない。
「アカネのこと聞けてうれしかった。
でも、同時に自分の嫌なことを思い出したよ・・・」
それが意外なことだったのか、
少し視線を幸尋に向けた。
「・・・こんなこと・・・初めて話す・・・
聞きたくないかもしれないけど、聞いてほしいんだ・・・」
最初は話さないでおこうと思っていた。
でも、彼女の高校に行った話を持ち出してみると、
どうしても聞いて欲しくなった。
「ボクがここにひとりで暮らしているのって、
たぶんシェルターなんだと思う。」
喉がごくりと鳴る。
「ボク、親と合わないんだ・・・息苦しくて仕方なかった・・・。
ここで暮らすようになって、初めて自分らしくなったような気がする。」
「・・・だから、あたしのこと・・・訊かないんだ?」
飛躍した返しだった。
アカネの声が悲しそうに聞こえた。
幸尋はゆっくりと頷いた。
最初出逢ったときの光景が一気に脳裏を駆け巡っていく。
会ったばかりのふたりは、どちらも硬かった。
まるでアメ玉のように、カチンという音でもしそうな。
それでも、ふたりはカチンカチンとよく当たった。
やがて、アメ玉は熱をもち、
カチリカチリと次第に音が変わっていった。
今のふたりは、不信の果てにいる。
選べない親の存在。
親から受ける禍と福。
ふたりが自分らしく生きられるようになるまで、
こんなに長い時間がかかってしまった。
そこで、ふたりは出会った。
無意識のうちに、互いに希望を
見出そうとしていたのかもしれない。
計らずも、素を見せ合った。
それは決して心地の良いものではなかった。
相手の良いところ、悪いところ。
言い合って、ぶつかって、
砕けてしまうもののなかに、
少しずひっつくものがあった。
それは初めての希望だった。
一言も話していないのに、
互いにそれを分かっていた。
「あのふたりの話・・もしかしたら間違ってることもあると思う。
でも、聞いてて、ボク・・・親のこと考えちゃったんだ・・・。
とても他人事には思えなくて・・・」
彼女の目が少し大きくなる。
「・・・ごめん・・・こんなこと・・・
アカネのこと・・・立ち入ってしまって・・・」
気落ちしてうなだれた。
こんなこと言うべきではなかったと後悔した。
彼女は何も言わなかった。
「帰ろうよ・・・」
アカネが声を掛けて、幸尋の手を引いて歩き出した。
しばらくして彼は手をぎゅっと握った。
彼女はさらにぎゅっと握った。
・・・今日はいつにもましてバイトに行きたくなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――夜
幸尋が20時半前にバイトから帰ってきた。
バイトのシフトは折り込み済みの予定だったが、
日曜日にダブルデートが入っていたのが急に分かって、
何だか今日のバイトはいつもより疲れてしまった。
貰ってきた惣菜は日曜日の朝ごはんにしようと考えて、
予めアカネには夕ごはんの段取りを言っておいた。
アカネは彼に教えられて、米を洗って
予約炊きをセットしてくれていた。
献立は豚肉の甘酸っぱいレモンソース炒めだった。
付け合せにキャベツ、人参、じゃがいもの温野菜である。
「はぁ~うまかったぁ!」
「あーはいはい・・・ありがとー」
面倒そうな棒読みの返し。
今日の昼過ぎに河川敷で、シリアスな話をしたことが、
今ではどうも気まずかった。
それもごはんを食べる頃になると、いつものふたりになった。
「マジだっつってんだよ~」
そう言って彼に絡む。
何だか妙に甘えているようだった。
「おい、キスしてみっか?」
急に声のトーンが変わった。
いきなりのことに彼も呆気にとられてしまった。
「ま、童貞くんにはハードル高いかぁ・・・」
自分で話を振っておいて、勝手に終わらせようとする。
アカネはこういうことに慣れているのかもしれない。
ムッとした彼は近くにある彼女の顔に向かい合った。
「・・・初めてで悪かったな・・・」
両手で肩を掴むと、思い切った。
顔と顔が重なり合う・・・。
「ちょっ!おま・・・んんっ・・・」
一瞬、ふたりは無言になる。
最初は仕返しのつもりだった。
それが、彼女のくちびるに触れて気が変わった。
いつの間にか、夢中になった。
(くちびる・・・ふにふにしてる・・・)
一方的に、口で、舌で、貪った。
「・・・ぷは・・・ユッキー・・・
止めろよな・・・こんなキス・・・」
彼女は顔を真っ赤にしていた。
見せたことがない、どぎまぎした様子である。
「じゃぁ、もう1回する・・・」
「えっ!あっ!やめろって・・・あっ!」
ソファに押し倒して、
両手を強く握って動けないようにした。
何もしゃべれないように、くちびるを塞いだ。
彼女のくちびるは不思議でしょうがなかった。
どんどん自分の舌で舐めて、なぞって、
ぐいぐい押して、絡めて、それでも飽き足らず、
くち全体を使って吸い付いて、くちびるや舌を甘噛みした。
何か彼女はもごもご言っているようだったが、
次第に吐息しか聞こえなくなった。
やがて彼女も舌を遣って、彼の舌に何度も何度も絡みついた。
・・・頭の芯が痺れていくような心地。
キスの気持ち良さを知ってしまった瞬間。
胸がどきどきして、もっともっとしてみたいと思う。
とても抑え切れないような衝動だった。
・・・っはぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・
ふたりは長い間キスしていた。
ようやく彼はくちびるを離して、彼女を解放した。
ソファの上で状態を起こして、乱れた髪をかき上げる。
その様子がどこか初々しく思える・・・。
「ユ、ユッキーてば・・・どこで・・・
こんなキス覚えたんだよ、力抜けちゃうだろーが」
上気した顔で睨むようにして言った。
「アカネが悪いんだよ・・・君のくちびる・・・不思議だから・・・」
恥ずかしくて背を向けた。
こんなことを言うなんて、どうかしている。
「生意気ーっ!」
ゲシゲシ背中を蹴られた。
「いた!いたっ!充分力入ってますけどー?」
抗議しようと振り返ってみると、
どことなくうれしそうな顔をしていた。
「くそっ!あたしのファーストキスだったんだからな!!」
言い放たれた言葉に呆然とした。
アカネはいつも唐突だった。
突然の出来事に、夜は早く更けていった。
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