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米を洗い、炊飯ジャーを作動させ、混み合う時間を避けてスーパーに赴き、質素な食材を手にレジへと向かった。派手なものを口にする気概はまだないとする演出は、夫を亡くしたばかりの貞淑な妻を誰に見られても良いとする算段と、そうしている自身の快さを綯い交ぜにしたものだった。
家に帰り着き、フライパンを操れば錆てはいない主婦が手に宿ってゆくのを見た。所帯に熟れた技術は虚しさのほか何も映しはしないが、空いた腹と本来であればもう派手なものを口に出来る舌がもたげる下卑た逞しさに胃がきりきりと痛む。
昼には早く、朝は遠に過ぎた食卓に久々の料理が並ぶ。
箸で炒め物を抓んで口に放り込めば安く済ませた材にも拘わらず唾液が溢れ、炊きたての白米はあなたを歓ばせた。
つまらない演出などしなければ良かったと悔いたが、それでも質素な食い物は味を損なわず、箸をやめる言い訳にまでは届かなかった。
口と箸を動かし続け、あっという間に平らげた茶碗と皿を流しのボウルに浸け込み、重くなった腹を抱えてソファにしな垂れ掛かりテレビを点け、焦点を定めず曖昧に眺めた。
夫に知られない時間にぐうたらを満喫する主婦に返り咲いた感触から意識のない罪を覚え、堕ちるところまで落ちたかと自分を嘲るが、充たされた腹が罪悪にも恥にも辛辣さを与える労力を厭い、自己弁護を図らずも自己を嫌忌する気さえ起きあがらなかった。
今なら仏壇の前に立っても何も思いはしないのではないかと勘繰れば、至ってはならない領域まで踏み込もうとする心が疼き、妖しい痒さを伴って足はくすぐられた。
ソファから足を降ろせば妻として終わる。
夫を亡くして間もない女の矜持と過去には生きられない現実が天秤となり揺れ始め、釣り合う素振りなくどちらかに重みを決め切る向きがあった。
インターフォンが鳴った。
あなたは救われた。男の顔が輪郭を濃く描き脳を埋めた。
あの男の性格であれば可能性は低いと思われたが、期待せずにリビングを抜け廊下を歩く事は適わなかった。
玄関のドアを前にスコープを覗くと葬儀で目を泳がせていた若い男が立っていた。
厭な予感以外に何もなかった。
先日、訪れた重役の誰かであれば夫の件と察しが付くが、この男に会社が何かを頼む訳がない。
しばし息をとめて眺めた。
怪しさを顔だけでなく背でも体現しているのか時折り振り返り近所を窺っている。
女を抱きに訪れた安易な男と楽に判じられた。
が、忘れかけていた復讐の焔を再度焚きつけられるのであればそれも悪くはないと思われた。
あなたは鍵をまわしドアを開いた。
「あの。お線香をあげさせて頂けませんでしょうか?」
名乗る事も急に訪れた詫びもなく、唐突にあげられた声は家に上がり込めるのなら何でも良いとする心を隠す気があるとは思えない程の嘘に細かく震え、あなたの鼻先は不快に撫でられ、目奥が締まった。
男の目に怯えが走り、あなたは慌てて顔を崩した。
「わざわざ有難うございます。主人も歓びます」
あなたが声を作ると、男の目は弛み、自身が名乗らなかったことに思いが至り、会社の者とは気付かれず訝られたに過ぎないと、先程の女の目の鋭さの訳を落ち着けている浅はかさが顔一面に拡がり、それから申し訳程度に名乗った。
一旦、リビングへ通し、アイスコーヒーを出してからあなたひとりで夫の部屋へ入り冷房を点け、不審な点がないか確かめた。線香の薫りのないことが妻の怠慢を指摘したが気が付くような男ではないだろう、とリビングへ戻った。
戻ってから夫の写真を一瞥すらしなかった自分に気が付き妻として終わってしまった決着を図らずも思い知らされ、この男に抱かせる身体はもうないと、電気屋との思い出で上書きされたテーブルでアイスコーヒーを舐める男に嫌悪を催した。
男に声を掛け、テーブルから離した。
リビングを抜け、ドアを閉めずについてくる男の両手がバッグとアイスコーヒーで塞がれている事が腹立たしく、わざわざ冷房を点けてやったこともこの際厭わしく感じられた。
仏壇の部屋のドアを開き、男に先を譲った。
廊下を眺め、当て付けにリビングのドアを閉めに戻るか思案したが、そこまで汚れ切れない女が自制心をもたげ、あなたは大人しくそれに倣った。
すでに線香は薫りを燻らせ、仏壇のリンの金属音が鳴り響くなか、あなたは静かに足を踏み入れ、ドアを静かに閉め、男とは距離を置いて座った。
「ひとりはお淋しいでしょう」
男は早々と合掌を解き、瞼を開いてあなたのほうを向いた。
脚の低い仏間のテーブルへとにじり寄るかに見せ掛けあなたとの距離を詰める試みに背が寒くなった。
「親戚の者が頻繁に出入りしておりますので」
下がりそうになる背を抑え、つれない声を意図して出した。
アイスコーヒーをひとくち舐めて澄んだリンの音からは程遠い鈍い金具を鳴らしながら男はバッグを開き、四枚の写真を取り出した。
「こちらも親戚の方で?」
電気屋の男が出入りしている姿だった。
あなたの背は情け容赦なく汗を噴かせたが、顔は歪ませずに済ませられた。
が、こういった場合、隠し撮りをしていることにまず怒りを露わにするのが自然であったのではないか、と冷静な顔を繕った判断に過ちを覚えた。しかし、今さらどうにも出来ず、そのまま突き進んだ。
「ええ、そうです。この写真はどうされたんです?」
あなたの問いには答えない男の下卑た目が、会社から頼まれて張り込んでいたと言外に示している。会社につまらないはったりを打ったことを悔いたが、顔は澄ませ膠着を続けた。
充分な間を持たせた後、 「まだ会社には伝えていません」と男はすでに女を抱いたかのような決まり切った声を出し、グラスを再度持ちあげ口へ運び、氷をからんと鳴らせた。
「どういった意味でしょうか?」
あなたはひとり嘘を続けた。
男は呆れた顔を遠慮なく拡げた。
「もう分かっているでしょう?」
あなたの親戚筋にはうちの会社が恐れなければならない存在はなく、夫を亡くしたことを吉報とした男と余すところなく性に興じている醜聞がここにある以外には何もない、と男は顔で言い、意図が明瞭な気配をあなたの身体に向かってのばした。
夫が死ぬ前から関係があったと睨んでいると思われた。防犯カメラの設置の時期さえ明らかにすれば逃がれられるとも考えたが、それにしても夫を亡くして早々というのは聞こえが悪い。
が、写真だけでは何も証拠はない。脅すにしても材料が少ないのはこの男の知能の問題かと考えを推し進めていると、女の嬌声が男のスマートフォンから洩れ始めた。
庭に忍び込み寝室の外で録音したのだろう。
あなたの背は諦め、緊張を解いた。昇ってゆく羞恥はなく電気屋に抱かれる女の声を聴かされる悦びが心を埋め、不可思議な安堵が訪れた。
男の顔が硬くなった。
一切の焦りなく、寛いでさえ見える女の態度に思いも寄らない失策を打った緊張が男のなかを駆けまわっていると見受けられた。あなたは可笑しさに緩く微笑んだ。
不気味に映ったらしく、男の背が後ろに引いた。
四枚の写真と映像のないただの喘ぎ声では材料不足である、と今さら気付いた男の頭のなかがあなたにも読め、誤魔化すことを諦めたのは早計であった、と自分をも嗤った。
男の目は怯えに凝り、会社への背任しか残らない失態に心をやつれさせていった。
弱い男を甚振る興があなたのうちで熾り、何も言わずじっとりとした時間を進ませた。
家に帰り着き、フライパンを操れば錆てはいない主婦が手に宿ってゆくのを見た。所帯に熟れた技術は虚しさのほか何も映しはしないが、空いた腹と本来であればもう派手なものを口に出来る舌がもたげる下卑た逞しさに胃がきりきりと痛む。
昼には早く、朝は遠に過ぎた食卓に久々の料理が並ぶ。
箸で炒め物を抓んで口に放り込めば安く済ませた材にも拘わらず唾液が溢れ、炊きたての白米はあなたを歓ばせた。
つまらない演出などしなければ良かったと悔いたが、それでも質素な食い物は味を損なわず、箸をやめる言い訳にまでは届かなかった。
口と箸を動かし続け、あっという間に平らげた茶碗と皿を流しのボウルに浸け込み、重くなった腹を抱えてソファにしな垂れ掛かりテレビを点け、焦点を定めず曖昧に眺めた。
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今なら仏壇の前に立っても何も思いはしないのではないかと勘繰れば、至ってはならない領域まで踏み込もうとする心が疼き、妖しい痒さを伴って足はくすぐられた。
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夫を亡くして間もない女の矜持と過去には生きられない現実が天秤となり揺れ始め、釣り合う素振りなくどちらかに重みを決め切る向きがあった。
インターフォンが鳴った。
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あの男の性格であれば可能性は低いと思われたが、期待せずにリビングを抜け廊下を歩く事は適わなかった。
玄関のドアを前にスコープを覗くと葬儀で目を泳がせていた若い男が立っていた。
厭な予感以外に何もなかった。
先日、訪れた重役の誰かであれば夫の件と察しが付くが、この男に会社が何かを頼む訳がない。
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が、忘れかけていた復讐の焔を再度焚きつけられるのであればそれも悪くはないと思われた。
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「あの。お線香をあげさせて頂けませんでしょうか?」
名乗る事も急に訪れた詫びもなく、唐突にあげられた声は家に上がり込めるのなら何でも良いとする心を隠す気があるとは思えない程の嘘に細かく震え、あなたの鼻先は不快に撫でられ、目奥が締まった。
男の目に怯えが走り、あなたは慌てて顔を崩した。
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一旦、リビングへ通し、アイスコーヒーを出してからあなたひとりで夫の部屋へ入り冷房を点け、不審な点がないか確かめた。線香の薫りのないことが妻の怠慢を指摘したが気が付くような男ではないだろう、とリビングへ戻った。
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男の顔が硬くなった。
一切の焦りなく、寛いでさえ見える女の態度に思いも寄らない失策を打った緊張が男のなかを駆けまわっていると見受けられた。あなたは可笑しさに緩く微笑んだ。
不気味に映ったらしく、男の背が後ろに引いた。
四枚の写真と映像のないただの喘ぎ声では材料不足である、と今さら気付いた男の頭のなかがあなたにも読め、誤魔化すことを諦めたのは早計であった、と自分をも嗤った。
男の目は怯えに凝り、会社への背任しか残らない失態に心をやつれさせていった。
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