空蝉

ひさかはる

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 男は自身の身体を汚すことなく舌先で何度となくあなたを大いによがらせ、シャワーを浴びず、手を洗い、歯磨きをしてから帰った。買い置いていた歯ブラシが予想外の日の目を浴び、洗面所に濡れて光った。夫と妻の間を堂々と割る三本目は間男ではなく、合意を得て他人の妻を抱く開けた淫蕩があった。

 もしも夫に他人と寝ているところを見せてくれと懇願されていたとしたら先日までの自分であれば気が狂ったのではないか、と心が躁いでいたはず。けれど今の自分であればどうか。躁ぐ心の意味も違ってくるのではないか。

 これほど早く死ぬのなら…。と脱衣所の壁越しに仏壇を想った。

 他人に寝取らせる趣味を持つ夫に望まれて仕方がなくという体裁のもと幾人かの男に喘ぐことを日常としていられたのなら、つまらない貞淑から身を守るに随分と楽が出来ただろうに、とあなたは鏡に映る自分に焦点を合わせた。

 目の言い分は心と違えていた。

 夫婦の日常となっていたのであれば裏切る快感など何処にもなく、今ほどの愉悦を知らされることはなかった。長い時間を妻に余らせて死んでいった夫が悪いと自身をも容易に騙せる言い訳に酔わず、理性により男と本能をより合う今に悦びはよがり喘いでいる、と瞳はあなたを透かして一縷の誤魔化しをも欲していない。

 マゾヒストの本懐は誰かに従わされる趣きにあるのではなく、何かを裏切ることにあるのではないか。厭がる自身の羞恥への裏切りに。知られればただでは済まない存在への裏切りに。心は湧き身体が濡れる。マゾヒズムはその実、自分もしくは大切な存在への加虐なのではないか。

 夫の前で他人に抱かれることに慣れ、性感に深く潜る妻を夫婦の認識として共有してしまえば、妻を抱かせる夫にしても嗜虐でも被虐でもなく肉塊の戯れを眺めているだけの時間を無闇に消化し、何の興も熾さず熱は静かなままではないか。

 電気屋が夫の差し金であったなら…。

 有り得もしない言い訳に靡くものがあった。

 シャワーを浴びることを脇に退け、夫の歯ブラシを手に廊下へ出た。

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