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弥生の章
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「ゆ…りか?」
先に口を開いたのはママだ。
女の方がいざというとき精神力が強いというのは本当のようだ。
しかし百合香はにこりと笑って、いただきますと手を合わせただけだった。
「うーん、ハンバーグは久しぶりだね。あ、パパ、ソース取ってくれないかな」
もちろんパパは動けない。
それもそうだろう。パパはわたしたちが生まれたときから(そのときの記憶はもうないけど)、つまり物心着いたときから百合香姫、弥生姫と育ててきたのだ。双子のわたしと全てお揃いで何でも買ってきてくれたし、文字通り、蝶よ花よと、だった。
小学校の頃、長い髪が縺れて癇癪を起こした百合香がパパの目前で鋏を取り出したとき卒倒しそうになったことがあることがある。もしかして今も気を失っているのだろうか。
「パパ?」
同じことを考えたのか、百合香が首を傾げてパパを覗き込んだ。
「か、髪…髪が…」
「髪?」
百合香は初めて思い出したかのように自分の髪を指さし、わたしを見た。事前に説明してなかったわたしをちょっとだけ睨んだけど、すぐに笑って食卓を囲む面々を観察するように見た。この目は完全に面白がっている。
「似合わない?」
とてもよく似合っていた。
それに、短くなった髪は百合香が好きな今の服装にも、とても合っていた。だけど、それはパパとママの趣味ではない。ふたりの趣味は乙女チックなひらひらレースたっぷりのお姫様スタイルだった。今のわたしの格好だ。
「な、な、何で……」
パパは鯉のように口をぱくぱくさせながら椅子を引いた。百合香はちょっと考えてから悲しげに目を伏せた。
きっとパパの頭の中はいろんなことが駆け足で行進しているのだろう。少し覗いてみたい気もしたけど、家の中でそれをするのはルール違反になるからやめた。
「な、何かあったのか?」
「…失恋したの」
あっさりと百合香は言った。
食卓は、しん、と静まりかえった。が、すぐにそれは終わった。
「相手はどこのバカ野郎だ? 百合香ちゃんを振るなんて絶対ゆるさん!」
「パパ…もういいの。ごめんね、勝手に髪を切ったりして。ママも…ごめんなさい」
箸をおいて、百合香は頭を下げた。顔を真っ赤にして怒っていたパパはみるみるうちにしゅんとなってママの顔をそっと見た。
「百合香、いいのよ。髪型なんて好きにしても」
ママは優しく笑った。ママはたぶん知っている。百合香が失恋くらいで髪を切ったりしないことを。
だけどパパは何もしらない。
「そうだよ、百合香ちゃんはどんな髪型だってよく似合うし、かわいいんだから。な、そうだろう? 木村くん」
「え? あ、はい」
慌てて相づちを打った貴憲に満足してからパパは百合香に微笑んだ。
「さ、早く食べなさい。本当によく似合うよ」
「…ありがと、パパ」
百合香は平然とハンバーグを口に放り込んだ。
その表情はどうみても失恋して髪を切るような女の子のものではなかったけど、パパ達には精一杯頑張っているようにとれるに違いない。
現に透ちゃんが目をうるうるとさせながら百合香を見ていたから。
貴憲は…俯いて肩を震わせていた。わたしの事前説明が見てきたかのようにぴったりあっていたので笑いを堪えるのに必死なのだろう。
それに気付いた百合香がパパ越しに、ちらりとわたしに視線を送った。吹き出してしまう前に連れて行け、というサインだ。
「ごちそうさまでした。貴憲、一緒に勉強しよう。今日の分のノート、写さなきゃ」
「は、はい! ごちそうさまでした」
貴憲は、助かったと言わんばかりに立ち上がった。
「百合香も後でおいでね」
そう言ってわたしは貴憲を自分の部屋に連れて行った。
「やっぱり双子だからなんでしょうか」
部屋に入るなり考え込むように貴憲が呟いた。
「何が?」
ノートと教科書を広げ始めたわたしの前に貴憲はぺたりと腰を下ろす。折り畳み式の小さなテーブルを挟んでふたりは向き合った。
「…弥生は百合香さんの行動が手に取るように判ってるみたいだから、すごいなぁと思って」
「そんなの、双子じゃなくても一緒に暮らしてたら判るようになるよ」
いいえ、と貴憲は首を振った。
「僕の父と母だって二十年近く一緒に暮らしているけどお互いのことをそこまで理解できてません」
「そっか。そうだね、でもわたしも百合香のことを何でも判っているわけじゃないし、今日はたまたまビンゴだったんだよ」
貴憲はわたしの顔をまじまじと見てから、目を伏せて小さな溜息をついた。
「どうしたの」
「いえ…」
「ちゃんと言って」
短い沈黙の後、貴憲はシャーペンを持って口を開いた。
「どうして、こんなことになってしまったんだろうと思って」
「こんなこと?」
「あ、いえ、悪い意味ではないんです。その、僕が今、藤島さんの、いえ、弥生の家にお世話になっているということが信じられなくて。クラスの人たちに知られたら大騒ぎですね。ははは」
「もうばれてるよ」
貴憲はあんぐりと口を開けた。
「富樫たちと根本さんは繋がってたから」
「そ…それじゃ…」
「貴憲、知ってた? わたし根本さんに嫌われてたんだ」
貴憲の沈黙は肯定を物語っている。
「わたし、今日初めて知ったの」
「あの…」
「わたしは平気なんだけど、貴憲に害が及ぶかもしれないと思って。昨日だって直接の原因はわたしだったんだから」
「いえ、それは…」
「二度とさせないから」
「弥生…?」
「貴憲には二度と、手を出させない」
わたしは静かに言い放った。
先に口を開いたのはママだ。
女の方がいざというとき精神力が強いというのは本当のようだ。
しかし百合香はにこりと笑って、いただきますと手を合わせただけだった。
「うーん、ハンバーグは久しぶりだね。あ、パパ、ソース取ってくれないかな」
もちろんパパは動けない。
それもそうだろう。パパはわたしたちが生まれたときから(そのときの記憶はもうないけど)、つまり物心着いたときから百合香姫、弥生姫と育ててきたのだ。双子のわたしと全てお揃いで何でも買ってきてくれたし、文字通り、蝶よ花よと、だった。
小学校の頃、長い髪が縺れて癇癪を起こした百合香がパパの目前で鋏を取り出したとき卒倒しそうになったことがあることがある。もしかして今も気を失っているのだろうか。
「パパ?」
同じことを考えたのか、百合香が首を傾げてパパを覗き込んだ。
「か、髪…髪が…」
「髪?」
百合香は初めて思い出したかのように自分の髪を指さし、わたしを見た。事前に説明してなかったわたしをちょっとだけ睨んだけど、すぐに笑って食卓を囲む面々を観察するように見た。この目は完全に面白がっている。
「似合わない?」
とてもよく似合っていた。
それに、短くなった髪は百合香が好きな今の服装にも、とても合っていた。だけど、それはパパとママの趣味ではない。ふたりの趣味は乙女チックなひらひらレースたっぷりのお姫様スタイルだった。今のわたしの格好だ。
「な、な、何で……」
パパは鯉のように口をぱくぱくさせながら椅子を引いた。百合香はちょっと考えてから悲しげに目を伏せた。
きっとパパの頭の中はいろんなことが駆け足で行進しているのだろう。少し覗いてみたい気もしたけど、家の中でそれをするのはルール違反になるからやめた。
「な、何かあったのか?」
「…失恋したの」
あっさりと百合香は言った。
食卓は、しん、と静まりかえった。が、すぐにそれは終わった。
「相手はどこのバカ野郎だ? 百合香ちゃんを振るなんて絶対ゆるさん!」
「パパ…もういいの。ごめんね、勝手に髪を切ったりして。ママも…ごめんなさい」
箸をおいて、百合香は頭を下げた。顔を真っ赤にして怒っていたパパはみるみるうちにしゅんとなってママの顔をそっと見た。
「百合香、いいのよ。髪型なんて好きにしても」
ママは優しく笑った。ママはたぶん知っている。百合香が失恋くらいで髪を切ったりしないことを。
だけどパパは何もしらない。
「そうだよ、百合香ちゃんはどんな髪型だってよく似合うし、かわいいんだから。な、そうだろう? 木村くん」
「え? あ、はい」
慌てて相づちを打った貴憲に満足してからパパは百合香に微笑んだ。
「さ、早く食べなさい。本当によく似合うよ」
「…ありがと、パパ」
百合香は平然とハンバーグを口に放り込んだ。
その表情はどうみても失恋して髪を切るような女の子のものではなかったけど、パパ達には精一杯頑張っているようにとれるに違いない。
現に透ちゃんが目をうるうるとさせながら百合香を見ていたから。
貴憲は…俯いて肩を震わせていた。わたしの事前説明が見てきたかのようにぴったりあっていたので笑いを堪えるのに必死なのだろう。
それに気付いた百合香がパパ越しに、ちらりとわたしに視線を送った。吹き出してしまう前に連れて行け、というサインだ。
「ごちそうさまでした。貴憲、一緒に勉強しよう。今日の分のノート、写さなきゃ」
「は、はい! ごちそうさまでした」
貴憲は、助かったと言わんばかりに立ち上がった。
「百合香も後でおいでね」
そう言ってわたしは貴憲を自分の部屋に連れて行った。
「やっぱり双子だからなんでしょうか」
部屋に入るなり考え込むように貴憲が呟いた。
「何が?」
ノートと教科書を広げ始めたわたしの前に貴憲はぺたりと腰を下ろす。折り畳み式の小さなテーブルを挟んでふたりは向き合った。
「…弥生は百合香さんの行動が手に取るように判ってるみたいだから、すごいなぁと思って」
「そんなの、双子じゃなくても一緒に暮らしてたら判るようになるよ」
いいえ、と貴憲は首を振った。
「僕の父と母だって二十年近く一緒に暮らしているけどお互いのことをそこまで理解できてません」
「そっか。そうだね、でもわたしも百合香のことを何でも判っているわけじゃないし、今日はたまたまビンゴだったんだよ」
貴憲はわたしの顔をまじまじと見てから、目を伏せて小さな溜息をついた。
「どうしたの」
「いえ…」
「ちゃんと言って」
短い沈黙の後、貴憲はシャーペンを持って口を開いた。
「どうして、こんなことになってしまったんだろうと思って」
「こんなこと?」
「あ、いえ、悪い意味ではないんです。その、僕が今、藤島さんの、いえ、弥生の家にお世話になっているということが信じられなくて。クラスの人たちに知られたら大騒ぎですね。ははは」
「もうばれてるよ」
貴憲はあんぐりと口を開けた。
「富樫たちと根本さんは繋がってたから」
「そ…それじゃ…」
「貴憲、知ってた? わたし根本さんに嫌われてたんだ」
貴憲の沈黙は肯定を物語っている。
「わたし、今日初めて知ったの」
「あの…」
「わたしは平気なんだけど、貴憲に害が及ぶかもしれないと思って。昨日だって直接の原因はわたしだったんだから」
「いえ、それは…」
「二度とさせないから」
「弥生…?」
「貴憲には二度と、手を出させない」
わたしは静かに言い放った。
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