負けるもんか!

安野穏

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2.セイは今日も元気一杯

マチアスとの生活

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 あたしが一ヵ月もここでおとなしくしているわけはない。神妙に地獄の特訓を受けたのも、ここで情報を得るため。最初は逃げ出すことを考えていたけど、こうもあたしの周りにメイドが一杯いてはそれもままならない。仕方なくあたしは地獄の特訓の代りに、ここで研究室の提供を受けた。これくらいの役得がなくちゃ、こんな仕事やってやれるかっていうの。日中の地獄の特訓の後、あたしはこの部屋に篭って色々と造り始める。この部屋の中にはメイドは断固として入れなかった。メイドたちに囲まれて、息が詰ってどうしようもなくなる。唯一ここで本来のあたしに戻れる。ここに時々、マチアスが顔を出すようになった。

「セイ、あなたは技術者になった方がよかったのではないですか?」

 マチアスが初めてこの部屋に来たのは、この研究室を貰って二日後。あたしが部屋の真ん中であぐらをかいて座り込み、熱中しているといつのまに来ていたのかマチアスがいた。マチアスもヘインズもあたしと二人でいる時は、あたしのことを本名で呼んでくれた。ここにいる時はあたしは白いブラウスにキュロットスカート姿になっている。ここで着やすい服ってそんなものしかない。あたしは照れ臭そうに頬をかいた。

 よく見たら、マチアスも薄い水色の襟のないシャツを着ている。いつものビシッと決めたスーツ姿しか見ていないあたしは、マチアスのラフなスタイルに目を見張った。

「何かついてますか?」

 造りかけの物を注意深く壊さないように床に置いて、あたしは首を振った。

「マチアスのそんな格好を見たのは、初めてだから。あんたってマリエルと双子だから、考えたらあたしと一つしか違わないんだよね。性格は随分年上に見えるけど」

 あたしは思ったことをつい口に出しただけ。悪気なんかない。マチアスは寂しそうに微笑んだ。あたしの隣に注意深く座るとあたしをまた興味深そうに見る。

「アールグレイ社をまとめていくには、年相応にしていたら無理です。私は両親の亡くなった十二才の時から、このアールグレイ社を背負わされました。その点ではセイと同じですね。親の残したものを背負わされるのは子供に取って辛いことですね」

 そう言いながら、マチアスの顔は楽しそうに見える。あたしは癖で頭をかき回して、あわてて止める。昔と違って、短くないしクセッ毛じゃない分、どうも勝手が違う。

「あたしは自分の好きであいつらの面倒を見ることにしたんだ。あんたとは違う。子供の頃から、あたしはあいつらに面倒を見て貰って大きくなった。あたしと別れていても、あいつらはあたしのこと心配してずっと探してくれた。そんなあいつらにあたしは恩返ししたかっただけだ」

 あたしはふてくされたように言った。マチアスの前で、あたしは戸惑っている。こいつとは初対面から素直に話している。こんなこと同年代の子では初めて。なぜ? あたしは?マークを浮かべている。

「私もそうです。辛いとは言いましたが、仕事は好きです。出来たら、セイ、あなたをうちの技術者として迎えたいですね。あなたは楽しそうに機械をいじっている。その方があなたらしいような気がします」

 あたしはまた首を振った。冗談じゃない。

「あたしは宇宙警察官の方がいい。ここでジッとしているには好きじゃない。約束だから我慢してここにいるだけだ。あたしは外を飛び回っている方が好きだ。こんな風にしているのは息が詰る」

 マチアスはあたしの態度に微笑んだ。

「セイは自由なんですね」

「当然だ。誰にもあたしを止める権利などない。あたしはしたいことを好きにするのが一番いいもの」

「羨ましいですね。私には自由なスケジュールはないんですよ」

「自分で作ればいいじゃないか? 変な奴」

 あたしの言葉にマチアスは楽しそうに笑った。あたしは怪訝な顔を向ける。

「セイは思ったことを素直に口にするんですね。あなたみたいな女の子は初めてです。また、ここに来てもいいですか?」

「別に邪魔しなければいいけど」

 マチアスは立ち上がると、あたしに頬にキスをした。あたしは一層戸惑う。なぜ? こんな時に今までのあたしなら、思いっきり引っぱたいてこいつの頬に赤い痣を作ってやるのに、今日のあたしは赤くなって俯いている。自分で自分の気持ちに迷っている。

「お休み、セイ」

 微笑みを残して、マチアスは部屋を出ていった。あたしは自分の頬に手をあてて考え込む。こんな時、ミヤがいてくれたら何て言ってくれるだろう? あたしは自分の不可解な気持ちに途方に暮れている。



 とにかく、あたしは自分の計画に没頭することにした。既に準備は整った。

「ねえ、マチアス。あたしを狙った奴って誰なんだ」

 ここに来て二週間が過ぎた頃、あたしはマチアスが研究室を訪ねてきた時に、思いきって聞いた。準備しても敵がわからなくちゃ、どうにもならない。マチアスは困ったような顔になった。

「そろそろ、教えてくれてもいいんじゃないか?」

 あたしはマチアスに詰め寄った。

「あたしはあたしをこんな目に合せた奴に仕返しをしてやりたい。このセイちゃんを殺そうなんて考えが甘いことをしっかりと叩き込んでやる」

 そう、あたしは復讐よりも、あたしの命を狙った奴にきっちりケリをつけること。その方が大事。

「知りたいですか?」

「当たり前だろう! そいつはどこにいる?」

 マチアスはあたしを見つめる。その悲しそうな瞳にあたしの胸は痛み始める。マチアスは部品を避けるように、注意深く床に座るとあたしを辛そうに見た。あたしもマチアスの隣に座った。

「仕方ありませんね。私の伯父のチェンバレンです。はっきりとした証拠はありません。ただ、昔、マリエルがいなくなる前に伯父には気を付けろと私に言ったことがあります。マリエルは感が働く子でしたから、何か感じ取っていたのかも知れません」

 マリエルを思い出すのか、マチアスは首をうなだれる。あたしはマチアスの肩に手を置いた。マチアスは顔を上げて、あたしに寂しそうに微笑む。

「ありがとう。セイといるとマリエルと一緒にいるような気になります。私もマリエルも大人たちの間で育ってきましたので、同じような境遇のあなたにどこか通じるところがあるのかも知れませんね」

 マチアスが不意にあたしを抱きしめる。あたしはマチアスの頬を叩こうとして止めた。マチアスが身体を震わせて泣いていたからだ。あたしは座ったまま、黙ってマチアスを抱きしめてやった。マチアスは小さい子供みたいにあたしの胸に顔を埋めて泣く。あたしはジェニー母様が歌っていた子守り歌を口遊んでいた。いつもの姿はこいつの精一杯の虚勢なのかも知れない。あたしにはこいつの気持ちが理解できる。あたしの奇妙な気持ちは、こいつがもう一人のあたしだからなのか?



 次の日、あたしは自分の計画を実行した。ここはシティヴェアリストレイ。あたしはここに知り合いは一人しかいない。そう、フィリップの兄のリック。この際、誰でもいいから使ってやる。

 小鳥操作の連絡はこの屋敷の誰にも気付かれずにうまくいった。あたしはリックにビデオチップで事情を話し、アレックスからチャップマンにうまく連絡を付けて貰うことに成功した。あたしが生きていることは他の人には内諸にして貰った。チャップマンに調べて貰わないうちは安心できない。

 あたしの事故について、色々と調べていたチャップマンの報告は早かった。あたしは報告を元に作戦を練る。惑星同盟パトロールの中にマイクロチップを付けた敵がいる。それを見つけ出して排除しなければならない。マリエルの件で、操作する周波数を変えたかもしれない。あたしのチップを簡単に改良した奴、このセイちゃんと知恵比べよ。あたしは負けないものね。

 あたしは作り上げたものと仕様説明書を事細かに書いた。さて、考える。小鳥には運ばせられない。困った。マチアスにばれないようにどうにかしてここから出て、また戻らなければならない。

 案ずるより産むが易しってね。あたしがどこに出してもボロを出さないと判断したヘインズは、あたしをアールグレイ社の公式行事に出席させることにした。あたしはマチアスに連れられて、シティヴェアリストレイにあるホテルのレセプション会場に向かう。

  今、アールグレイ社は、各大学の教授を招いてのシンポジウムを開催している。そのレセプションで、あたしはマチアスにチェンバレンを紹介された。と言っても、記憶の無い時に会っているので、適当に話を合せるのに苦労した。チェンバレンは人の良さそうな顔をして、抜け目ない態度であたしを見る。あたしは初めて着せられた薄ピンクのドレスに気分が沈んでいる。髪はアップにキチキチに結い上げられて、頭がズキズキと痛い。耳のダイヤのイヤリングと首筋のダイヤのネックレスが重い。

「もう身体の具合はいいのかね。ダイアナ?」

「ええ、ご心配をお掛けしまして、申し訳ありませんでした」

 あたしは儀礼的に微笑む。この一ヵ月、あたしは病気で屋敷に篭っていたことなっている。チェンバレンはあたしの言葉に顔をほころばせる。こいつ、大した狸親父だ。

「それは良かった。結婚したばかりで、もしものことがあったらと心配だったよ。マチアスにはもう、悲しい思いをさせたくないからね」

「伯父さん、そのことはこの席では………」

「おお、そうだったね。では、これで失礼するよ。そのうちにマチアスとワシの屋敷にも遊びに来なさい」

 チェンバレンの言葉にあたしは微笑んで頷いた。古狸よろしく、マチアスににこやかな笑みを浮かべると人込みの中に消えていく。あたしはずっと微笑みを浮かべたまま、硬直している。疲れるぅ!

 あたしはどれだけ、ここで顔に微笑みを張り付かせていればいいのか?表情筋の訓練とばかりに頑張った。出席者に一通りの挨拶を済ますとマチアスはあたしを椅子に座らせてくれた。

「疲れたでしょう? ここに少し座っているといいですよ」

 そう言うとマチアスは人込みの中に戻って行った。こんなチャンスに休んでいられますかって。あたしはこれ幸いと会場を抜け出した。

 あたしはトイレに行く振りをして、エレベーターのそばで人待ちをしているような素振りの茶色い髪の懐かしい顔に近寄った。ホテルを気にしてか、生意気に紺のスーツを着込んでいる。近付いてきたあたしをそいつは訝し気に見つめる。

「アレックス、久しぶり。これを頼む。詳しいことはこの中に書いてある」

 あたしはソッとアレックスに荷物を渡した。アレックスは驚愕した顔であたしを見ている。そんな彼の姿がおかしくて、あたしは顔に張り付けた微笑みでない本物の笑顔をアレックスに向けて離れた。

 会場に戻るとまだマチアスは、人込みの中を微笑みながら歩いている。社長業も大変だなぁ。一般庶民でよかったぁ。

 あたしが椅子にぼんやりと座っていたら、どこかの大学の教授に声を掛けられた。世間話から始まって、教授の研究課題に話が及ぶと楽しくてあたしは目を輝かせて話し込んだ。幾人かの人が交じってきて、あたしの周りはいつのまにか今回のシンポジウムの議論を交わしている。まずい!これは非常にまずい。あたしの背を冷や汗が流れていく。

「先生方、今日はレセプションですので、議論は明日からまたゆっくりと拝聴させて頂きます」

 マチアスがにこやかな笑顔でそう言うと、

「社長の奥方はなかなかいい目をしておる。工学に対する知識も造詣が深い」

 あたしと最初に話し始めた教授が感心したようにそう言った。あたしは困ったようにマチアスを見る。マチアスは教授たちと楽しそうに話し始める。あたしは微笑みを顔に張り付けたまま、また硬直する。上流階級に縁のないあたしにはこの世界は窮屈でたまらない。

 レセプションが終わり、会場を出るとエレベーターの前にアレックスの姿がまだあった。あたしはマチアスの隣で顔に笑みを浮かべる。何か言いたそうな顔をさせているアレックス。あたしたちの間にはたくさんの人がいて、あたしはアレックスの前を顔に張り付けた微笑みのまま通り過ぎた。
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