ぼくとあいつ

安野穏

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前線基地にて

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 基地司令は暗黒色の髪と茶褐色の瞳のショーン・ギリアム准将。三十代前半といった年頃で、インテリタイプの優男といった感じを受けた。まだ若くて准将ということはやり手ということだ。司令は目の前に立って敬礼したぼくを見て、フォリー同様にフゥゥッーと物憂げにため息を吐き出した。

 この男をどこかで見たような気もするが、今のぼくはそれどころじゃない。

「やられたな」

 椅子に踏ん反り返って、頭に手を当てるとしばらく考え込むように目を閉じた。ぼくは申告をすべきかどうか迷っていた。

「司令、どうしますか? 皆、一気に盛り上がってますよ」

 フォリーが声をかけると、「うん、そうだな」と言いながら、姿勢を正した。それから、ぼくの方をチラッと見て、

「ああ、申告はいい。どうせやってもやらなくても構わないんだ。面倒だからここでは肩苦しい挨拶は抜きにしている」

 と言った。ぼくは拍子抜けして、「ハア?」と間の抜けた返事をした。

「全く、上の奴らは何を考えてんだか。フォリー、至急官舎の変更だ。速やかに頼む」

「ええ、とりあえずは、キャリーと同室にします。それから、空きを調べて個室を考えますよ。女性士官はこの基地始まって以来ですからね」

「ああ、全くだ」

 フォリーは司令のデスク上にあるW・Sのコンソールを動かして、一人の女性下士官を呼出した。程なくして、ドアをノックする音が聞こえた。入ってきたのは、赤茶色の髪の朗らかな感じの女性だった。



「何かお呼びですか?」

「今日から君のルームメイトになるジャスティス・オークリー大尉だ。悪いが官舎に案内してくれるか? それから、例の話とドレスアップを頼む」

「わかりました」

 心得たという調子で、女はぼくに微笑んだ。

「オークリー大尉、彼女はキャロリーヌ・ラッセル曹長だ。士官の君には悪いが、しばらくは彼女と一緒に暮らしてもらう。何か困ったことがあれば、彼女に聞いてくれ」

 司令はぼくに告げると、退室を命じた。

「あたし、キャシーでいいわ」

 官舎に向かう途中で女がぼくに言った。ぼくも「ジョーでいい」と答えた。

「まるっきり、男みたい」

 キャシーが笑った。ぼくたちが歩いて行くのを男どもが好奇心たっぷりに見送る。値踏みする目、ねぶる目、興味津々といった目。ぼくはまた三白眼になりつつある。

 なんだ、この基地は。そんなにモラルが低下しているのか?

 申告なしでいいなんてあまりにも軽すぎる。軍の規律を何だと思っているんだと一応生真面目なぼくは憤りを感じていた。それにセクハラのせいでこんな辺境の地に飛ばされた身としては、基地の兵士や下士官がいやらしい目つきでぼくの身体を隅々まで見られるのに耐えられない。視線がぼくの身体に絡みつくのが気持ち悪い。吐き気がする。

「もてるわよ、きっと」

「別に関係ないよ」

 ジープに積んでおいたスーツケースを引き出して、コロコロと引き摺りながら、キャシーの脇を歩いた。司令部ビルを出てから、倉庫群を抜けて、各部隊本部ビルの前を通り過ぎた。ゲートで閉じられた向こうに官舎が見える。ゲート警備の隊員がニコニコと笑みを浮かべながら、ぼくたちを通してくれた。

「手前は狼どもの官舎、奥が世帯用と士官用の官舎よ。婦人兵の大部分はルームメイトと世帯用に住んでいるの。安全も兼ねてね。あっちは生活コミュニティ、家族で来ているちびちゃんたちの学校などがあるわ」

 キャシーの指差す方向には、幾つかのしゃれた建物が見えた。一つの街としての最低の機能を備えているらしい。

 二LDKの官舎の一室がぼくの新しい住まいになった。士官であるぼくの官舎が、個室でないということは初めてのことで、ぼくは戸惑っている。

「まあ、とりあえずはお近付きの印」

 冷蔵庫からバタンと音がしたと思ったら、キャシーがビールを取り出した。コップになみなみと注いで、ぼくの前に置いた。自分のコップにも注ぐと、「乾杯」と言いながらカチンとコップを鳴らした。ビールを一気飲みして、おいしいといった満足そうな顔で、「うーん、最高」と声を張り上げた。お約束のその言葉にぼくは半眼になる。

「これよこれ、生きてるって感じよね」

 ぼくは上目遣いにキャシーを見た。今って、勤務中だよね。ぼくの視線に気付いたのか、キャシーは悪びれもせずにニコッて微笑んだ。その笑みは小悪魔的な口角を少し上げたような感じで、ぼくは言いようのない不安を抱えて姿勢を正した。まるで何もかもお見通しってそんな気がしたからだ。

「堅いこと言いっこなし。どうせ、今日はもう仕事になんないもん」

 椅子に腰掛けると足を組んで、彼女はぼくの方に身を乗り出した。これは何かの尋問かと身構えるぼく。

「しかし、ジョーの前の上司って相当陰険ね。転属先に性別を変えて提出なんてさ。人事やってるから、結構エゲツない奴をたくさん知ってるけど、これは初めてのケースね」

 ぼくは目の前のコップをにらんだ。琥珀色の液体の中で泡がスパークしている。これを飲む年齢にぼくは達していない。つまり、彼女の持っている情報は偽物だということを示している。こんなことならとぼくは何度目かの後悔をする。あのヒヒ親父、今度会ったら息の根を止めるくらいに叩きのめしてやる。

「あ、あとで、プロファイルデータを書き換えなくちゃ、よろしくね。どうせ、皆出鱈目なんでしょう? で、本当の年は?」

「十八」

「へっ?」

 ぼくがボソッと年を言うと、キャシーの目が点になった。それから、腕組みして、「まいったな」とぼやいた。ぼくの推測は当たっていたらしい。つまり、ぼくに関するデータは全て嘘なのだ。これは軍法会議ものだ。あのヒヒ親父め、嫌がらせしたつもりでいて自分の首を絞めてやがると思うと、ぼくは心から愉快になる。これらの証拠を基にきちんと裁かれるがよいとぼくは今後の策を練る。

「てっきり二十二、三くらいはいってると思ってたのに」

「ぼく、飛び級で大学を卒業したんだ。十二才で士官学校に入った」

 キャシーが人事担当の下士官で、プロファイルを後で書き換えると言った都合上、ぼくには経歴で嘘をつくことは許されない。ぼくはキャシーの前で変なボロを出さないようにと緊張していた。

「へえ、天才少女ね。そうか、十八ね」

 キャシーはコップにビールを注ぐと半分くらいまで飲干した。それから徐に僕を見るとぼくのコップを指さした。

「飲まないの?」

「あ、はい」

 おいとぼくは心の中で突っ込みたくなる。ぼくの年を聞いておきながら酒を勧める彼女の気持ちがわからない。辺境の前線基地のモラルとはこんなものなのかとぼくは心の中で舌打ちをした。ぼくの今までの人生のは首都星で過ごした。首都星の軍部とここでは違うのかもしれない。郷に入っては郷に従えとばかりにぼくは意を決した。

 ぼくはコップを手にすると、恐る恐る口をつけた。ゲッ、ニガァー。ぼくは眉間に皺を寄せて、顔をしかめた。キャシーがアハハ、アッハハと大口を開けて笑い出した。こんなものが美味しいという輩の味覚が信じがたい。

「お嬢様だね。ビールも飲んだことないんだ。というと、男もまだだね。これは、これは、狼の群に羊を投げ込んだようなもんだわ」

 キャシーはとび色の瞳をイキイキと輝かせた。楽しみを見つけた子供みたいな顔だ。ぼくの顔がカアァァァッと赤く染まった。彼女は真実をついている。ぼくはそんなに簡単にわかりやすかったのかと少し慄いた。背筋を汗が流れていく。

「ビールくらい飲めるよ」

 ぼくはコップを持つと目を閉じて一気に飲み下した。後味がエグイ。ぼくは咳き込んでしまった。涙目になりながら、ぼくは精一杯虚勢を張ろうとするが、無駄だった。

「バッカだね。無理することないよ」

「大丈夫」

 ぼくはビール瓶を取ると、コップに注ぎ込んだ。負けられない。例え、ここにいる期間は短くても、なめられてたまるか。ぼくはまた、クイッとあおった。苦い。それは変わらないのに身体全体がカアァァァァァッと暑くなってきた。



「バカヤロウ! 今度会ったら、覚悟しとけよ。また、ぶっとばしてやるぅ!」

 気がついたら、ぼくは前の艦隊を追い出された経緯をキャシーに話していた。キャシーはさすがに人事担当らしく、話を引き出すのが巧かった。ぼくは危ういところで、口をつぐんだ。ぼくが何をしているか、まだばれるわけにはいかない。気を付けよう。ぼくは自分を戒めるために両頬をバチンと叩いた。

 キャシーは冷蔵庫から新しいビールを取り出した。テーブルの上には空き瓶が四本にもなっている。ぼくのコップに新しいビールを注ぐと、自分のコップにも注いで、クイッと空けた。

 これはキャシーから聞かされた話だ。ルッシタン基地の名物は基地司令公認の総員バトル大会。賞品はこの基地に新しく転配属してきた新人を一晩自由にできること、身分、性別いかんを問わずにだ。総員という名の通り、当直担当員を除く全員が参加自由。もっとも、たいていは腕に自慢のあるものしか本気で参加しない。腕に自身のないものがたまに出るにしても、鬱憤ばらしに暴れたいという気持ちからだ。優勝者を予想するトトカルチョもあるらしい。娯楽に乏しい前線基地勤務者のために考え出されたゲームだ。新人の男に関しては、自分の身は自分で守れとばかりに、バトル大会に強制参加させられる。婦人兵の場合は司令が代わりに参加するとのこと。

「司令ってば、あんな一見頼りない優男に見えても、白兵戦技レベルは空艇機甲機動連隊隊長のジム大佐にも負けないのよ。お陰でこの基地の婦人兵は随分助かってるけどね」

 ビールを飲干しながら、キャシーは意味ありげにニヤッと笑って、パチンとウィンクした。婦人兵の場合、司令へお礼代わりのキスがバトル大会の賞品なのだそうだ。ぼくは立ち上がって、バンとテーブルを叩いた。

「冗談じゃない! ぼくはそんなこと認めない!」

 怒り心頭に達するというのはこのことだ。ぼくは真っ赤な顔で、「認めないぞ!」と怒鳴った。キャシーがヤレヤレといった様子で、肩を竦めた。

「やっぱりお子様にはまだお酒は早かったか。こんなに酒乱になるとは思ってもみなかった。いろいろといい情報は聞けたけど」

 彼女からそんな呟きが漏れた気もするが、ぼくは異様に興奮していてその言葉の意味に気付かなかった。




 ぼくがどんなに抗議しようがわめこうが、郷に入れば郷に従えの言葉通りに、夕方からバトル大会は賑々しく開かれた。当然、ぼくも参加を決めた。婦人兵の参加は初めてのことらしく、ギャラリーが膨れ上がった。司令なんぞにぼくの運命を任せられるか。ぼくはバトルスーツに身を包んで、ギンギンと司令をにらんだ。ぼくが参加するといっても、司令はバトル大会への参加を取り止めなかった。バトル大会の最後はいつもお祭り騒ぎになるらしい。フォリーはその準備に大わらわで、バトル大会には参加していない。

「フォリー中佐は基地の独身者の中では、唯一のまともな幹部だからね。この基地が崩壊せずにすんでいるのも彼がいるお陰よ」

 キャシーがぼくの脇で人物ウォッチングを兼ねて、説明してくれた。この基地の最大の問題児は空艇機甲機動連隊隊長のジェームス・マクレーン大佐とルッシタン駐留艦隊戦術戦闘機部隊隊長のハリー・メルビル小佐だとキャシーは言う。基地の大半は独身者で、ご多分にもれずにジムとハリーも優雅な独身生活を楽しんでいる。基地にいる佐官クラスで既婚者は、副司令も兼ねる年配の幕僚長ロバート・セレック大佐だけだ。もっとも、司令とフォリーには首都星キャンベルンに婚約者がいるらしい。それが残念だと彼女は言う。

「ジムとハリーのコンビにだけは十二分に気をつけるのよ。あいつらに泣かされた婦人兵は一杯いるんだから。プライベートな問題だからね、人事が口出しするものでもないんだけど、目に余るのよね。全く、何考えてるんだか」

 物憂げにため息を吐きながら、キャシーは呟いた。

「ところで、本気で出る気? ジョー、もし、あんたが負けたらどうなるかわかってんの?勝った奴と一晩共にするんだよ。今までは婦人兵は特例で司令が勝てば不問にされてきたけど、あんたが出るということは、それを蹴るということだよ」

「勝てばいいんでしょう、勝てば。これでも白兵戦では一度も負けたことがないんだ」

「甘いね。自分の身体を心配しなよ。負けたら、キスなんかじゃ済まないからね」

 ぼくはギュウッと唇をかみ締めた。そんなことわかってる。だから、ぼくは出るんだ。自分の身は自分で守る、敵に後ろを見せるな。それがオークリー家の家訓だ。得体の知れない男にぼくの運命を預けることなどできるものか。ぼくはフォリーとセレックを相手に何か指示を出しているバトルスーツ姿の司令を上目遣いににらみつけた。

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