当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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五章 『運命の糸』

233話 『探し人』

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 レイカは、街から少し離れた位置に来ていた。

 遠目に街が見える程度の距離だが、周囲に人の潜める場所も見当たらない。そこで、先程、エミリ達の背後、住宅の屋根の上に隠れていた人影を探していた。

 彼女らの目を盗み、足跡を辿ってここに来たわけだが──、

「いない、な……」

 そこには人はおろか、動物の影すらも見当たらない。だが、奴は確かにいたのだ。それを見た記憶はしっかりあり、それは自分よりも信頼価値が高い。

 とは言え、いつまでもここにいるわけにもいくまい。あと少し、と気が焦り、足が、ふらふらと進む方向を定めないまま進んでしまう。
 それは、進むべき道を、その道標を見失った旅人のように、寄りかかる場所を無くした人のように、トボトボと、足跡だけをそこに残しながら、歩き続けた。

「────」

 やがて彼は、静かにそこに現れた。
 まるで、この世界に表出するかのように、滲み出るように、何も無かったはずの場所に、正面に、静かに立っている。丸い、赤い瞳で、レイカを見つめていた。

「レジスタンス、よね……? その服は」

 黒く、足元まで隠れるようなコート。コートに付属するフードを被り、黒ずくめの姿で現れた青年は、ああ、とだけ告げて小さく頷いて見せた。

「……そうだ。ワタシはレジスタンスに所属している」

 少し敵対視するように目を細めた彼に、レイカは人形のような笑みを絶やさない。
 にこにこと浮かべながら、彼の立ち姿と、態度、言葉遣いに細心の注意を払う。

「……ホロゥ?」

 それは、人体の内に巡らされた魔力を素にして造る『人造人間』の一種だ。
 ホロゥの素にされた者は精神を壊し、植物状態になるか、あるいはまれに、姿形が変わり、記憶障害を起こす。それを正しく理解しないレイカは、ただその存在だけを知っている『生物』になんの感慨も抱かない。

 そしてそれを知らずか、僅かに眉尻を上げた青年が、声のトーンを下げた。

「だったらなんだ?」

「ううん、なんでもない」

 刺々しい感情を湛えたその瞳に首を振って、本題へと移る。

「ワタシを見て、何をしてたの?」

 聞き返したレイカに、彼は目を伏せて、思案する素振りを見せ沈黙する。
 そのまま五秒、十秒と経って、三十秒ほどしてから、彼は顔を上げて口を開いた。

「……記録だ」

「記録?」

「ああ」

「何を、記録するの?」

「……貴様の行動、態度、評価、諸々だ」

「何か、目に余る事でもした?」

「一つ、ある」

「それは、何?」

「あの白い髪の娘は誰だ。なぜ、貴様が連れている」

「エミリちゃん。記憶をなくして、行く場所もなく倒れてたから、拾った」

 彼を見た時、妙に体中が汗ばんだ。別段、恐怖したわけでもなし、理由は不鮮明で、その正体を知ってなお、やはりその汗の正体は分からずじまいに終わってしまっている。

 だからこそ、その汗の正体を知るべくこうして問い質しているわけだが──、

 はあ、と。

 まるで呆れ返るかのような、失望するかのような、そんなため息がつかれ、レイカは眉を上げた。彼はその態度に苛立ちを隠し切れておらず、腕を組んで、指で肘を叩きながらため息の続きを話した。

「拾った、だけで納得するはずがないだろう。本当の理由を告げなければ、本部にもそう連絡させてもらう。『虚偽の申請をした事により、離反者の可能性が濃厚』だと」

「嘘なんかじゃないよ。本当に、拾ったの」

 レイカに疑り深く、宝石のように赤い視線を注ぐ青年を真っ直ぐ見つめ返して、レイカは沈黙する。──やがて、目を細めた青年は、一つ、息をついた。

「──仮にそれが本当だとして、なんのために? 利用価値はあるのか?」

 一応はレイカの言い分に、事情は分かったと、理解だけはした様子を見せるホロゥの青年。しかし、それでもまだ得心できないようで食って掛かる彼に「分からない」と、レイカは首を振った。
 あからさまに不機嫌になる青年だが、その彼に指を一本立てて、レイカは伝える。

「だから彼女には、仕事を任せたの」

「仕事?」

 訝しげに眉をひそめた青年に頷きを返して「そう。仕事」と答える。
 素っ気のない、詳細に乏しい答えに彼は眉間にシワを寄せる。

「……何を?」

 赤い激情を内包したその語調に、レイカは顔を強張らせ、全身に流れる原因不明の脂汗を感じ、自分の手を見下ろした。確かに滲み出る汗を握り締め、正面に立つ青年を見つめる。

「怪しい人の、調査」

「……ほう?」

 興味深そうに、片眉を上げた青年は、ひとまずはレイカの話を聞くつもりのようで、沈黙してその続きを、詳細を話すように促した。

「エミリちゃんに何かあれば、その人が『七つの大罪』の関係者と見ていいと思う」

「……結果を期待している」

 そう言い残し、周りの景色に同化して、まるで溶けていくかのように消えていったホロゥの青年を見送った。彼は消える直前に一言言い残していった。

 ──調子に乗るなよ。薄汚い『ツナギ』風情が。

 彼が消えた、何も無い中空を見つめて、レイカは一つ、ため息をついた。
 首を揉んで、一言。

「ハッタリ効いて、良かったぁ……」

 一人佇む雪原にて、その密談は幕を閉じた。

 ※※※

 ここでは、迷子センター兼、取締役を補佐する仕事に従事するまほまほくん。彼は仕事柄、人と触れ合う機会が多いので、本来の仕事の方も、順調に進むかに思われたのは、初めの頃だけ。

 実際はそれほど情報は得られず、ここに『七つの大罪』を冠する罪人はいないのではないかと、そんな感想を抱きながら、念のために、こうして仕事を続けていた。

「ゆーくん?」

「んあ? ああ、お前か」

 知らず知らずの内に寝入ってしまっていたまほまほくんを起こしたのは、小さな女の子。
 まだ五歳で、人懐っこい性格が特徴的だ。それ以外は何もない、平凡な女の子。

 このご時世、人懐っこい子供は少ない。皆、ピリピリとした大人の空気に飲まれて疑心暗鬼とはいかないまでも、どこか人に話しかけたり、頼ったりする事に怯えを見せていた。

 その点で言えばこの子は平凡とは言い難い。

 机に突っ伏して座っていたまほまほくんは、起こしてきた彼女の困った顔を見て、体を起こして、彼女に正面を向ける。

「どうした?」

「あのねあのね! さすくんとみーちゃんがケンカしてる!」

「……またあの二人かぁ」

 腰を上げて、大きく伸びをする。
 そんな彼を見上げたまま、彼女は未だ困った顔をしていて──、

「心配するな。止めに行くから」

 ぽんぽんと頭を叩かれ、彼女はにこりと笑う。
 そんな彼女に笑いかけて頷いた。

「うん!」

「よし、どこでケンカしてる?」

 パソコンが並ぶ部屋の扉を開け開くと、傍らを歩く少女にそう尋ねた。
 立ち止まって、えっとね、と下を向いた少女を、少し遅れて立ち止まり振り返って、しばらく待つ。その廊下には、今は二人以外の姿は無い。

 等間隔に並ぶ窓を、小さな風が、ノックするように叩いていた。
 その音を無視しながら、沈黙を守り、少女の答えを待つ。

 やがて、ハッと顔を上げた少女が大きく目を見開いた。

「……どこだっけ?」

「いや知らねえよ」

 ため息交じりに頭をかいて、どうしたものかと頭を悩ませる。
 ケンカをしている二人の性格は正反対で、よくケンカをしているのも分かっていた。いつもなら監視しているはずなのに、どうして今日に限って──、

「……アイツの、せいか?」

 いつもと違うことと言えばそれくらいしか思い当たらず、歯を噛み合わせる。
 だとしたら、彼女が運命を操るというのもあながち間違いではないのかもしれない。

 頭の中を読んだ時、それだけは認識していたようだから、きっと、彼女も──、

「ああ、クソっ……。なんでこんなに苛つくんだよ」

 速くなる心臓が判断を鈍らせ、答えを簡単に、楽に、間違っているものを出そうとする。それを我に返った自我が食い止め、正常な判断力を取り戻した。
 とは言え、それでも目の前の問題が解決するわけでもなく、再び思考の渦へと潜り込む。

「どうしたの?」

 その直前に、不安そうに見上げる少女の顔を見て、ふ、と息を詰めて、すぐにまほまほくんは取り繕うように笑いかける。気丈に、強がって、笑う。

「何もねえよ」

 どこか調子の狂っている自分の事は一旦後回し。ひとまずは、目の前の問題と、彼女の不安を取り除くのが先だと、そう優先づける。

「……それより、どうするかな」

 パリン、と。

 高い音が聞こえてきて、弾かれたように顔を上げるまほまほくん。
 その音のした方を記憶し、少女を肩に担いで「急ぐぞ」と、慌てふためく少女の意見を無視。頭をぽかすかやられながら、まほまほくんは音のした方へ足を動かした。

 それからほどなくして、その現場は見つかった。

 割れたガラス。外から流れ込む冷たい空気。散らばるガラス片、ひらひらと揺れるぶら下がるガラスの破片。その惨状を通路の少し先に見つけて、まほまほくんは足に急ブレーキをかけて止まった。

「チッ、アイツらか」

「あ、ここココ! ここだよゆーくん!」

 肩をぺちぺちと叩きながら、既に答えに辿り着いていたまほまほくんは、だろうな、と少し気怠げに言葉を返し、彼女をガラス片が散らばった現場と反対の方に下ろす。
 そうして再び現場へと向き直った彼は、ガラス片を見つめながら小さく吐息。

「それより、まず塞がねえと……」

 足下に転がるガラス片に触れたまほまほくん。彼は振り向いて、その作業をジッと見つめている少女を見る。彼女はしんしんと、興味深げにまほまほくんの手を見つめる。

「危ないから離れてろ」

「────」

 聞こえていないのか、静かにその作業を見つめ続ける少女に、まほまほくんは目を背けて眉根を寄せる。でも、すぐにその目の向く先をガラス片に移し、作業に集中する。

 ──ガラス片に触れた手から、極細で極彩色の無数の糸が、散らばったガラス片へと伸びていく。その先端が、ぴたりとガラス片に引っ付くとそのまま持ち上げ空中に浮遊するようにさえ見えた。

 少女の瞳に映るその光景は、キラキラと、輝いていた。

 糸に持ち上げられたそのガラス片は、元々あったはずの位置に、割れていたガラス窓に、パズルのピースが嵌め込まれていくように、次々に塞がっていく。
 やがて、最後の一欠片を嵌め込んだ時、ヒビになった紋様は淡く虹色に輝き、シャボン玉のような、ふわりとした印象のその光が収まると同時に、ヒビが消える。

「……わあ」

 おそるおそる、窓に近づく少女の指先がガラスに触れた瞬間に出た声だった。
 それは感動か、驚きか。しかしその目は、きらきらと、光っている。

「私も、できるかな?」

「……こんなもん、できない方がいい」

「ええー、かっこいいもん!」

「はいはい。気が向いたら教えてやるよ。──それより、あの二人は本当にどこに行ったんだ」

 ぼやくまほまほくんは、むくれる少女に適当な笑顔を向けながら、手がかりの無さに疲れ、辟易していた。冷たい風が、窓を叩いていた。





[あとがき]
月末連続更新中。次回更新は明日です。
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