当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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四章 進む道の先に映るもの

214話 『Lost of youth』

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 走る足音だけが、その道を木霊していた。

 幾つもの足音が重なり、バラバラでそれぞれがそれぞれ独特の音を流しながら長く続く通路を走り続けていた。その中、一番後ろ。少年に手を引かれて走る少女──ナツミの姿が見つけられる。

 やがて、その道にも終わりがやって来た。

 薄暗い通路の先、階段が奥にある。それを見つけ、先頭を走る青年──ウィルはちらりと振り返った。そこには、三人の少年少女。三人とも無傷でついて来ている。
 彼女は流石に疲れた顔をしているが、もう少し頑張ってもらおうと心の中で呟き、その階段に足をかけた。

 階段を上り切った先、そこにあるのは客間にしか見えない和室。その、これまでの道のりとはかけ離れた、あまりにも不可思議な組み合わせにウィルは一つ、息を吐いた。

「──侵入者対策の反転式ですか」

 覚えのある体感に、ウィルは煩わしげに言葉を吐き捨てた。

 ──反転式。それは、空間を反転させて、空間内に存在する生き物が空間から出ようとすると強制的に同じ部屋に戻らせるという、今はもう廃れて失われた魔法の一種だ。

『有馬家』はその反転式を用いて侵入者をこの屋敷内に深く潜らせないようにしていた。
 抜け出す方法はあるが、それはあまりに回りくどい。

「──早く、ここから出なければ」

 そう呟いて、ウィルは辺りを見渡した。見えるのは中央のちゃぶ台、三方向にふすまや障子、木製の扉の三つで進む道を提示されている。

 その三つを見比べ、ウィルは右手に見えるふすまに歩み寄り、勢いよく開けた。

 そこにあるのは、土の壁に囲まれた一本道。その奥をジッと見つめ、ウィルは振り向いて、二人の少年少女に頷きかけ、その道へと進んで行った。

 その奥に見えた、白い光を目指して。

 ※※※

「さて、どうしたのでしょうか?」

 にこにこと人当たりの良い微笑みを浮かべながら、カエデは自分を殺そうと迫っている忍者達をぐるりと見渡した。距離は正面の女性が五歩かそこら。その中の一人とて、友好的な顔をしているものはいない。

 そのどれもが、鬼気迫る鋭い哀しみと怒りを湛えた瞳を向けて来ている。

「命令違反とは情けない。あなた方忍者は生まれてこの方、任務を遂行するように訓練されてきたのではありませんでしたか? 少なくとも、私のき」

「黙れぇッ!」

 叫んだカエデの正面に立っていた忍者に向けて、にこりと笑って見せる。
 そしてその笑みを浮かべたまま、「どうしてですか?」と薄ら寒くすら感じてしまう声音で、けれども、優しい口調で、そう言った。

「貴様は、我らが仲間を一体何人使い潰した? 長を殺し、それからと言うもの、数週間と満たない内に……見ろ。後はこれだけだ。千を超えた軍隊だった我らが今やただの矮小な集団へと成り果てたのも、仲間達を全て使い潰したのも、全てお前だ」

「仲間意識がおありだったんですねえ。関心ですよ?」

 くすくすと。
 口元に手を当てて小馬鹿にしたように笑うカエデに、ついに堪忍袋の緒が切れ、彼女は一人吶喊する。が、それは腕を汲み取られ、またたく間に床に押さえつけられてしまう。虚ろな瞳の忍者の一人が、カエデを庇うようにして他の忍者達に立ちはだかっているのだ。
 彼の隙を突けず、他の忍者も歯がゆい思いを噛み締めていた。

「──ですが、あなた方の犠牲のお陰で、ようやく目的が達成できそうです。ありがとうございました。さようなら」

「貴様のせいで、班長は……!」

 涙を堪えるように目を固くつむり、同じくらい固く、握り拳を作る。
 それは、これまでの哀しみの全てを掴み、背負っているかのようで。大きく、覚悟が宿った瞳が瞼の向こう側から姿を現した。

 その瞳が見たものは、顔を下から斜めに切り上げるナイフの姿だったが。
 切りつけてきた彼女のその顔は、どこか怒りに歪んでいるかのように感じられた。勘違いかもしれない。なぜなら、彼女は笑っていたから冷えた瞳でこちらを見て、作り物めいた笑みを顔に刻んでいたから。

 この稼業をしていると、そう言った類のものとは縁深い。

 きっと、いや、彼女は、何かに怒っている。何に怒っているのかは、分からないが。

「──ッ!」

 声にならない絶叫が、顔を手で覆った女性から発せられる。

「班長、はんちょー……ああ、あの方ですか……」

 カエデはくすくすと、やはり小馬鹿にするような笑いで、指の隙間から涙で滲んだ瞳で睨んでくる彼女の耳元にそっと、囁くように言葉を掛ける。

「あの方が、好きだったんですね」

「……好きな、ものか……っ!」

「強がり」

「強がってなんかいない! 私は、無茶な依頼を受けてくるあの人が嫌いだった! 人を殺して、平気な顔でいられるあの人が恐ろしかった! そのくせ、仲間を気遣ったり、身内に優しくできるあの人の裏表の違いに心底吐き気を催した!」

「──人を愛する事は、良いことですよ?」

「私は、あの人の事が嫌いだ!」

 カエデは、ふと何かに気づいた様子でちらりと横を見た。
 そこに何かを見つけたのか、カエデは小さく鼻で笑う。

「なら、そういう事にしておきましょう。他の皆さんも、どうやらご立腹のようですし。──それでは、本当に、さようなら」

 スッ、と。

 または、すとんと。いとも簡単にそれは、彼女の右目に突き刺さった。

「──ふぇ」

「プレゼントです。閉じた瞼で、いつまでも嫌いな人を思い出してくださいね。離反者への罰は、これで良しとしましょう」

 絶叫。

 辺りに響く彼女の叫び声は、特攻の号令となるには充分なほど、彼らの怒りは膨れ上がっていた。四方八方から迫るその攻撃を、虚ろな瞳の忍者が一人で全てを対応する。

「──今日の献立は、何にしましょうか」

 そんな事を呟きながら、カエデは柵を飛び越えて、下へと落ちていった。
 落ちる最中、少し前に別れた少年に扮した少女を見てみようと視線を傾けた。なんとか見えたその姿は、はしごに飛び移った彼女の姿を映した。

 ──見てみたい気もしましたが、確認はほとんど済ませましたしね。

 自分の左胸に、払うように手を当てて一つ、小さな息を吐いた。

「さて、『勇者』の正体は、かくして彼女であった訳ですが……引き入れるにはまだ少々手が掛かりそうですね」

 そんなことを言って、落ちていった。

 ※※※

 ──レイは空を見上げ、唇を引き結んだ。

「……流石に、そうずっと待ってるわけにもいかないよね」

「レイくん?」

 その傍ら、首を傾げるミズキの後ろで「落ちるの怖いから下ろしてくれませんかねぇ!」と泣き叫ぶ少年の姿は意識の外側に追いやって、ミズキを瞳の中心に入れる。

「この上の。ぼく一人でなんとかしてくるよ」

「……っ! それはダメですレイくん! 行くなら私も──」

とミズキちゃんとは、相性が悪いから……」

 にこりと、子供のような笑顔で笑うレイに、ミズキは涙を堪えるように薄く唇を巻き込んだ。その目は、何かを呪うように見開かれ、眉がひそめられる。

「大丈夫。絶対に、戻って来るから」

 向けられた笑顔は、とても綺麗に思えて。──そして、その笑顔が彼女の双子の姉の、最後に見た笑顔と被っているような気がして、ミズキは自然と唇が震えた。

「──ぁ」

 気が付けば、伸ばした手の先には何も無く、追いかけるように見上げればはしごを上り切って飛び出して行ったレイの足が一瞬だけ見えた。もう見えない幻影を追いかけるように飛び上がる。

「い、良いんですかぁっ?」

「────」

 それは、ついさっきまで泣き叫んでいたはずの少年だった。
 バッと振り返り、ミズキはその目を驚きに満たして絶句する。

「その、あの人、ついて来てほしくなさそうでしたし……あ、いや、怒らないで下さいよ? あくまで意見ですから。ちょ、無反応怖い! やめて! 何か答えて!?」

 少年の話す内容が、頭の中を滑って右から左へ、言葉が流れていく。
 まず初めに、自分の姿を見られていた事。そして、レイが自分を必要としていないと、そう聞こえたような気がして、ミズキはただ固まった。


 これではまるで、私が足手まといか、役立たずみたいじゃないですか。


 そんな事を言える気力も根こそぎ削がれ、心に大きく開いたように感じる穴が、どこか寂しい。スースーする。何かで埋めておきたいのに、何で埋めれば良いのかが分からない。
 ──ただただ悔しく、ショックだった。

 それを理解した時、湧き上がってきたのは虚無感よりも、哀しみよりも、頭が感情に追いつく前にそれは溢れ出した。──きらきら、と。

 輝くビー玉のようにきらきらと、ぶわっと、大粒の涙が溢れていった。
 涙が溢れ、きらきらと、踊るように下へと落ちていく。それを目で追い、それを掬うように手をその道の先に伸ばすと、掌に乗って、指の隙間や手の端から簡単に零れ落ちていった。
 それらを見つめ、自分がこんなに多くの涙を流しているのだと、そう実感した。

「ぁ、あ……」

 こんなにも涙が出る事がなかった。だから、どうすれば良いのか余計に頭の中が混雑して分からなくなり、そっと、片手を耳に当てるように頭、米神の辺りに撫でるように触れた。

「え、大丈夫? 君……」

「ッ、平気、です」

 軽く頭を押さえながら、ミズキはようやっと返事をする。
 それから、頭を押さえていた手を下ろして、だらりと腕を垂らした。

「それで、君はどうするんですか?」

 再び問われる選択に、ミズキは迷いを見せていた。
 主体性の無かったこれまでのレイとは違い、確かな意思を持ち、行動に移した彼女の選択を、無下にはしたくない。そして、それとは別の、彼女を手助けしたいという気持ちも、胸を掻き毟りたいくらいの衝動に駆られながら持っていた。

「それは……」

 ──それでも、彼女は成長していたのだ。自分が行けば、その結果を無駄にすることはなくとも、無下にしてしまうのではないのだろうか。
 そんな、罪悪感にも似た後ろめたさがミズキの体を引き留めていた。

 人の気持ちを無下にすると、ろくな事が無かった。
 それは軋轢を生み、あらぬ所での断裂を余儀なくされる。

「私は……」

 行っても、良いのだろうか。

 そんな問いだけが、心の中にわだかまっていた。
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