当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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四章 進む道の先に映るもの

169話 『信じていたいこと、忘れてはならないもの』

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 ──彼女は、集合住宅の屋上から足を垂らしてその様を見下ろしていた。

「ふんふふんふふ~ん♪」

 少女は──リゼは、鼻唄を歌いながら笑顔を浮かべている。
 そんな少女の背後に、別の少女が立っていた。頭から二本の角の生えた、少女が。

「君は……どこかで会ったっけ?」

 街を見下ろしながら、リゼは聞いた。
 少女は目を細め、小さく開いた口から零したように告げた。

「……アリス」

「そう。それが君の名前なんだ。──ところでアリス? 君は、魔族だよね?」

 こくんと頷く少女──アリスに視線を向けて、リゼは目を細めて微笑んだ。

「懐かしいなぁ、あの時に魔王は死んだと思ってたんだけどなぁ」

「魔王様は、死にません」

「あの魔王も不憫だよねぇ……。人間に親を殺され、その復讐に魔族が加勢し、そして最後には随分昔の『青の巫女』に封印されたんだったっけ? そのまま死んだと思ってた」

「アルス・マグナを管理していた者達が滅びたので」

「ふぅん。……けれど、まあ、よく生きてたね。私ですら、あそこに出入りしただけで、もう記憶も能力も、ほとんど消えちゃったのに」

「魔王様は、とてもお強いですから」

「……たしかにね。ま、良いよ。暇潰しはできた。用件を話してよ」

「私達と共に来て下さい」

「……理由は?」

「我ら魔族は、邪神、そして魔王様の名の下に」

「……まあ、良いよ。分かった。食べ物は用意してよねっ──と」

 リゼは、楽しげに後ろに倒れ、転がり、ぴょんっと立ち上がった。

「レイ、君がどうするのか、とっても楽しみだ」

 そう言葉を吐いた少女は、眼下に広がる、混沌と混乱が渦巻き始める街へ期待と愉悦の入り混じった恍惚の笑みを送る。

「あ、そうだ」

 くるりと首だけで振り返り、リゼはにこっとあどけなさを住まわせた顔で言う。

「少しだけ用事があるんだ。君達について行くのは、その後だ」

 ※※※

 ──走る。走る。走る。

 レイは雑踏に塗れて走っていた。
 正確には、人の波に押し潰されないよう、踏み潰されないように、人の流れに沿って走っていた。ある時は左に曲がり、ある時は右に曲がり、レイはもう自分の居場所さえ把握し切れていなかった。

 ドォォ──ン。

 腹の底にまで響く爆発音も、もう何度目かになる。どこからともなく鳴り響くそれに、レイは首を巡らせるもその正体を掴めない中、混乱と焦燥だけが人々の心に伝染していく。
 近いようで遠いような爆発音は、しかし音の発生源すらも知らせずに鳴り響く。

「なんなんだ今のは!」「押さないでよ!」「いたっ!」「ほんと何なのこれ!?」「くそっ! 仕事がまだ残ってるってのに……!」「ままぁぁあああああああ!」「ふざけんなよ!」「早く皆行ってくれよ!」「爆発はどっから聞こえてくるんだ!?」

 しかし、その雑踏の言い争う声も、住宅の隙間にできた小道に入ってしまえばまるで他人事のように遠く聞こえてきた。レイは振り返り、どこかへ向かう雑踏を見つめ、瞬きをした。

 こんなに人がいるなんて。

 すぐに首を振り、レイは空を見上げた。住宅の壁と、庇の隙間から青空が見える。ちらりと少し視線を傾ければ、壁が、窓が、管が見えた。レイは走って管を掴み、するすると素早く屋根の上に登った。

「ここからなら……!」

 屋根へ飛び出した瞬間、レイは見た。

 飛んでくる刃の衆を。

「──っッッ!?」

 迫り来る刃に、咄嗟に引き出した漆黒の盾で体を守り、弾く金属音と衝撃を肩に喰らい、上体を反らしながら屋根の端に着地してみせる。
 茨の紋様が画かれたその盾に篭もるように身を屈めると、衝撃に下に落ちそうになった。爪先だけで数秒保ったが、やはり堪えられずに上体が大きく反れ、アスファルトの上へと落ちていく。
 盾を下に挟んで身を縮めると、アスファルトの地面がバキッと割れる音がする。見上げた空には黒い流星群の如く刃が飛んでいた。
 ──それらが止むまで、数分はあった。刃が止むと、レイはふぅ、とため息を吐いた。

「やっぱり、あの人が……。でも、どうして……。あの時、約束したはずじゃ……」

 屋根からちらりとその向こうを覗くように、レイは顔を出した。どろりと、眼帯の向こうから黒い筋が垂れてくる。
 何も来ないことを確認し終えると、レイは溶けるようにどろりと崩れ、ぎゅる、と回転しながら縮んでいくそれを目を細めて見つめて、残された、ぶらりと下がる腕を眺め、それから目を閉じ、首を横に振り、屋根の上に上がった。

 ──刃の衆が飛んでくることはなかった。

「まずは──」

 そう呟きながら、レイは足下を見下ろす。
 そこには、飛んできた刃達が転がり、横たわっていた。

「これ……手裏剣?」

 片眉を下げたレイは足下のそれらを一枚拾い、物色するように裏返したり掴む指に力を込めてみたりと色々試してから──

「あの忍者達もいるんだ……。気を付けないと」

 手裏剣をその場に落とし、レイは周囲を確認。ここが住宅街である事を認識する。
 その一つ、瓦の屋根の上に、レイは立っていた。

「──」

 一先ずの目的として、レイは忍者達の撃退を掲げ、瓦の屋根を正面に走り、跳んだ。
 隣の住宅までの間隔は人二人分程度しかなく、軽く跳ぶだけで飛び移れるほどだった。

「うあっ──」と目を瞠る。

 力が抜けたような声が出てしまったのは飛び移った際に足を滑らせてしまったからだ。足を滑らせ、顔を打ち付けて地面に縦回転しながら落ちていく。

「ぐへっ」

 ガサッ、と生垣に落ちて、レイは涙目になって震えた。

「ん? おい、今、音がしたぞ」

 びくっ、とレイは瞠目する。幸い、生垣の向こうへ転がり落ちたのでなんとかなっているが、バレている。その事実を知るだけで、警鐘が速く、高くなる。

「どこからよ。何も無いじゃない。これだから信用の無い家臣って嫌いなのよ。老獪なバドルド様?」

「我らは貴様の家臣ではない。そして、その嫌味はやめろ。気持ち悪い」

「はいはい。んで? どこから?」

 少女のような声が聞こえ、レイは顔をしかめた。聞いた事の、ある声だ。
 誰の声だったかは、いまいち思い出せない。どろりと、眼窩の奥で何かが蠢くのが分かった。眼帯を押さえ、レイは仰向けになったまま、生垣へ目を向ける。枝葉の隙間から覗けるかと期待してみたが、骨折りに終わる。

「そこの、生垣だ」

「──ふぅん? じゃあちょっと、突いてみましょうか」

 レイは瞬きをした。

 どうする、どうやって、ここを切り抜ける。

 自問自答を繰り返し、レイは青い空を眺め──、

「──なぁんだ」

 にたぁ、と、楽しげで、けれども意地悪な笑みを浮かべる少女の顔が、そこに現れた。

「レミちゃんじゃない」

「おば、さん……?」

 左目から、どす黒いそれがどろりと涙のように垂れた。

 ※※※

 ──カラン。

 グラスの中の氷が溶けて、音を立てた。

 少女が二人、静かな雰囲気の、アンティーク調の喫茶店で食事を摂っている。

「……」

「──」

 片方は少しおどおどと辺りを見回していて、もう片方は見た目不相応な新聞を読んでいる。はら、と静かにめくられたそれをちらちらと見ながら、向かいに座った少女はサンドイッチを囓った。

 ごくん、と喉が鳴る。

「その……メィリル、さん」

「ん? どうしたの」

 新聞を閉じて横に避け、メィリルは向かい合う少女に尋ねた。少女はサンドイッチを持ったまま、視線を膝の上に落としている。片眉を上げるメィリルが口を開こうとすると、少女が顔を上げた。

「その……このまま、ここにいても、良いのかなって……」

「……どうして?」

「ナツメも、あの人達に任せたままだし、お母さんも、まだ、帰って来てないし……。こんな事、してて良いのかなって……」

 はぁ、と短いため息の後に、メィリルは残り一つしかないサンドイッチを口に入れ、立ち上がった。小さな鞄を肩にかけ、財布を片手にレジまで向かう。

 お金を払い終わる頃にはサンドイッチは一欠片程度しかなく、それを口の中に放り込んでごくんと飲むと、「ついて来なさい」と少女に告げた。

「ちょっとした方法、教えたげる」

 ──その話をされて、かれこれ数時間が経った。

 今は一人──違う。正確には、一人ではない。何人か、人混みに紛れて後ろをついて来ている。けれど、一人で出てきた。

 ナツミは、辺りを見回す。もうすぐ、目的地に着く。そこで、彼と待ち合わせをしているらしい。渡された紙には地図が書かれていて、そこには目的地までの道のりが書かれている。もう、すぐ目の前だ。

「到着。──あとは、時間まで待つだけ……」

 すぐそばの電柱にもたれて、空を見上げる。昼前の空は、どこか白けて見えた。
 見上げ、瞬きをして、それから下を向いてため息を吐く。

「──やっぱり、お母さん達と、一緒が良いな」

 下を向いて、見つけた小石を蹴ると、影が近づいてくるのが見えて、顔を上げた。そこには見たことの無い女性が、肩まで掛かった髪を後ろで一纏めに括っている姿が見えた。

「こんにちは。──君が、『組織』の被害者?」

 屈んでそう言った彼女に、ナツミは頷いて、唇を震わせながら、

「……はい」

 と小さく、息を吐くような声で言う。

「──うん、分かった」

 そう、彼女はナツミの頭の上に手を置いた。
 瞬きを繰り返して見ると、彼女はにこっと笑う。

「辛かったね。また辛くなるお話しかもしれないけれど、それが終わったら、お姉さんが解決してあげるからねっ」

 小さくガッツポーズして言うと、彼女はそっと微笑む。

「だから、その時の事、教えて欲しいの。お願いできる?」

「分かり、ました」

 彼女が手を伸ばす。

「私の名前は有馬 夕。気軽にゆう姉って呼んで」

「え、えっと……。私の名前は、ナツミです」

「そっかそっか。ナツミちゃんか。可愛い名前だね」

 彼女はやはり笑って、ナツミの頭の上をぽんぽんと軽く、宥めるように叩いた。
 手から伝わる体温に、どこかじんわりと溶けていくような、染み渡るような、なんとも言えない温かさが伝わってきて──、

「あ、れ……」

 泣いていた。頬を伝うその涙を拭っても拭っても、少しも治まらない。

 なんで、泣くんだろう、と考える。
 懐かしいのかな、と答えを出した。

 それでも、違くても、

「あり、がとう……」

「怖かったんだね。もう大丈夫。お姉さんが全部、元通りにしてあげるから」

 きゅっ、と唇を巻き込んで、鼻から大きく息を吸う。
 抱かれた温かさに、ナツミは泣きそうになって目を細める。

 違う、違うの……。

 そうは、言えなかった。





[あとがき]
 最近は文章にキレが無くなってきたように感じる……。
 多分目が肥えてきたからだな。うん。
 次回は三月十五日!次回もよろしく!
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