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summerdays:『一期一会』
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※少し本編に繋げようと思ったけど、ネタバレ含みそうなので今回もほぼIFです。
前回のよりはマシになったかも。いや、そーでもないかも。最後だけ、知ってれば本編もうちょっと楽しめるかもしれない、そんなお話にしてます。特別編です。
前回も酷かったけれど、今回も相当酷いです。なので読むとしたらあんまり期待しないで読んで下さい。
番外編……『ホラー! 夜の学校』
レイカはその日、忘れ物を取りに夜の学校に訪れていた。
職員室にはレイカの知らない先生が一人だけ残っていて、別の学年の先生かな、と思いながら懐中電灯と鍵だけを受け取り、教室までそれを取りに行くことになった。現在、レイカがいるのは二階、職員室の前だ。
まだ明るい職員室の前はともかく、ついさっき通って来たあの暗くて薄気味悪い道を通るのはもう懲り懲りだと言う気もしたが、ここまで来て帰ると言う選択肢はなかった。パチッ、と懐中電灯をつけてみる。結構強い光が出て来て、期待に自然と笑顔が浮かび上がったが呆気なく笑顔は消え去った。
その理由はこれだ。
懐中電灯の光が、廊下に当てた途端、薄くて少し黄色と言うか緑がかっているような色をしていて、それが更にホラーゲームを想起させて背中を逆撫でし、粟立たせる。
ごくりと唾を呑んで、職員室からトイレを経由して階段へと向かう途中、背中を物理的に触られた気がして振り返ってライトを当てる。
「……誰も、いない」
安心したような、やはりまだ不安なような、そんな気がして、レイカは再び前を向く。
怖いなぁ、と思いながら背中を闇に呑まれそうな感覚に陥ってどうしようもなく震えそうになり、走りに近い速さで足早に教室へと向かう。
一階にある教室は、どこか物々しさを纏い、中に入ろうとドアを開けたレイカを怖がらせる。真っ暗な教室が嫌で、電気を付けると少しだけ肩の荷が下りた気がした。
ライトを教壇に置く。
廊下側から二列目の一番前にある自分の机の中を探すため椅子を引き、机の中を覗き込む。あった。宿題。すぐに宿題を取り、手際良く枚数チェックする。
三枚、しっかりとある。
「よし! さ、早く家に帰ろ!」
椅子を戻してライトを手に取った瞬間、酷く寒く感じ、レイカはに、にゃわわ……と声が出てしまう。たらりと気持ちの悪い汗が頬を伝い、床にぴちょん、と落ちる。
その雫が跳ねる音が遠く木霊したように聞こえて、全身の毛が逆立ちして全力で廊下を駆け抜けて明かりが付いているはずの職員室まで階段を上っていく。
職員室は二階で、レイカの教室は一階。距離的にもそこまで遠い訳ではない。走ると一分もしないで到着した。
「せんせーっ!」
ガラガラガラッ、と大きな音を立てて引き戸を引くと、少し離れた机の上でビクッと男性職員が肩を震わせていた。
「うわっ、びっくりしたなぁ……。って、さっきの子? 教室の戸締まりはちゃんとした?」と椅子に座りながら振り向いて言う。
「え? ぁ、ぁ、ぁぅ、ぅにゃぁぁぁ~……」
涙目になるレイカを見て、小さく吐息すると立ち上がってレイカの前まで歩いていく。
「ちゃんと閉じて来てくださいよ。今回は、私が閉めておきますけれど。次──は無いようにお願いしますが、もしあった場合はちゃんと戸締まり、して下さいね」
「は、はい……!」
「さもないと──」
レイカの前に立つ影が段々と大きくなってレイカを見下ろしていき、それを見上げながらレイカは目を見開いて口をぱくぱくさせて体を震えさせていた。
「キミヲ、タベチャイマスカラネェ?」
「ぎにゃあああああああああああああああああああああああ──ッっッ!!?」
全速力で逃げ出したレイカの頭の中には、目玉が飛び出した一つ目の巨大な赤鬼が延々と映り続けていた……。
番外編2……『そして伝説へ……。商人の街編』
勇者レイカ、元魔法使いの戦士レイ、武闘家ネネ、賢者ミズキ。
四人は今は、とある某不死鳥の卵を孵化させる為の旅をしていた。
そんな時に、元仲間の商人コオロギが牢屋にぶち込まれたと風の噂で聞きつけて面会に来ている所だった。
「おおっ! 嬢ちゃんじゃないスか!」
ガシャン、と鉄格子に張り付くようにコオロギが奥の方から走って来た。
「うわぁ……。コウくん、ホント何してるの」
両手に手錠、片脚に人の頭ほどの鉄球が付いた枷が着けられたコオロギが少しやつれた顔で「いやぁ……」と気恥ずかしそうに後頭部をかく。
「ホントよ。街を作るって言ってたからせっかく別れたのに。まさかブラックして街の人達の反感を買うなんて、とんだドジ踏んだものねー。はははははー」
「うぅぅぅ……姐さん、酷いッス。俺はただ、皆のためと思ってやって来たのに……この有様……。街の人達のために、街の人達の為におれはぁぁぁぁぁああああああああああ……ッッッ!!」
「「これが、権力者の成れの果て……」」
レイカとネネ。二人は互いの声が重なった事が可笑しく、その場で腹を抱えて笑ってしまう。レイカなんて、青い鎧を身に着けたまま石造りの床を転がりまわっているのだから音が途轍もなく酷い。
その点、軽装のネネはとても静かで、笑いも口に手を当てて堪えているのではた迷惑なレイカとは大違いだ。
「ね、ねえ、二人とも、何もそこまで言わなくても良いんじゃないかな……。ちょっと、コオロギさんが可哀想だよ……」
ぽんっ、と肩に手を置かれ、レイは振り返る。
そこには白い衣服に身を包んだ彼女が立っていて、レイは真顔の彼女を見てひぅ、と声を洩らしてしまう。
「レイくん」
「ミズキさん?」
赤くなった顔で、少しカチコチと固くなりながらも聞くと、ミズキは妖艶に微笑んでレイの耳元に顔を近づけ、そしてチラッとコオロギを見ながら言う。
「この人は、この状況を喜んでいるんです。ほら、あの笑顔を見てくださいです。とても楽しそうですよね?」
「楽しくなんかないッス! 笑うのやめてくださいッスよ嬢ちゃん達! あとさっきのはから笑いッス!」
「ミズキさん。コオロギさんは、ああ言ってるけど……」
ガッシャンガッシャン、と鉄格子を揺らして喚き始めるコオロギを指さして、レイはミズキに視線を移して、やっぱりはにかんで聞く。
「ああ、アレはただの照れ隠しです。ほら、照れていると嘘ついちゃわないです?」
「ボク、ミズキさんに嘘、つかないよ?」
本気で困惑したように眉をひそめて言うレイの顔を見て、ミズキは意表を突かれたかのように目を見開き、少しの間を開けてから顔を赤くしていき──、
「きゅんっ」
目をハートにしてこれまでにないだらしのない笑顔になりながらその場で直立したままの姿勢で倒れ、ぷすぷすと真っ赤にした顔から煙のように愛を立ち上らせて ハァ……ハァ……、と胸を押さえ、がはっ、と鼻血を噴いて気絶した。
「ミズキさん!?」
「じゃあ私には嘘つくの!?」
背中の上に乗って来るレイカの顔を見ながら、慌てた様子で答える。
「レイカちゃんにもつかないよ。でも──」と、倒れて気絶したミズキを見ようとして、今度はぬっ、と右側にネネが現れた。
「じゃあ私には!?」
「ネネさんにもつかないです。えっと、だから──」
再びミズキを見ようとして鉄格子を揺らす音が聞こえ、そっちに顔を向けると、コオロギが自分を指さしながら嬉しそうに聞く。
「じゃあじゃあ、俺はどうッスか!?」
「……あ、えっと……その……」
少し答えづらそうに顎に手を当てて、おろおろと視線を彷徨わせ、苦々しげに目線を逸して笑いながら、
「つかない、です」
そう、言った。
「えっ、ちょっ! なんスかその反応!? レイくん、もっと俺にも優しくしてくださいッス!」
「ブラック企業の社長さんなんだから別にいいじゃ~ん」
「嬢ちゃんには分からないンス! 俺はこの街の為に必死で頑張ってきたンス!」
しくしくと泣き始めるコオロギに真顔で「知らないです」と突っ込んだのはレイでも、レイカでも、ネネでもない。気絶したはずのミズキだった。
「そんな泣かれても分からないです」
「ミッちゃぁぁぁん……! 皆ハクジョーッス!」
うっうっうっ、と顔に手を当てて泣き始めるコオロギを、レイはただおろおろと見詰めている事しか出来なかった。
……いや、おろおろと視線を彷徨わせてしまったので、見詰めている事すら出来なかった。
番外編3……『いざ尋常に……!』
レイは座らされていた。
ここは何もない部屋。窓も無ければ、出入り口も鍵がかけられ、椅子に縛られてレイは動けないでいた。あるのは椅子と共に置かれていた机のみ。しかしレイは目隠しをされていて、それすらも気が付けずにいた。
「鼻孔を擽る仄かで刺激的な香り……それこそが全てなのだッ!」
幼さの残る、少しはっちゃけた声に聞き覚えがあり、レイは目隠しの下で何度か瞬きをして、え、と疑問を抱く。
「……何を、言ってるの? レイカちゃん?」
「わわっ、私はレイカなどと言う名では無い! 私の名は『シュガーちゃん』なのだ!」
ダンッ、と机を叩く音がして、レイは少しだけこの部屋の内装を把握した。目の前に机があるという事だけだが。それでも素晴らしいことだ。何かがある、と言うだけで少しばかりホッとできる。しかし、それよりも強い疑問がレイの頭にへばり付いて仕方がない。
「え? ……いやでも、完全にレイカちゃ──」
「わーっ! わーっ! わーっ! きーこーえーなーいぃぃぃー!」
ブンブンブンブン。そう首を振りながらの否定に加えて耳を両手で塞いで聞き入れない姿勢を表現──しても、目隠しをされていてその表現は全くと言っていいほど伝わっていなかった。
「………………………………………………ぇあっ、そういう事……。わ、分かったよ。えっと、シュガー、ちゃん?」
「ふふんっ! そうなのだ! 分かればいいのだ!」
腕を組んで高笑い。上体を反らし、顔を背後だった場所へ向け、にゃふぁははははは、と高笑いする。レイは苦笑して声のする方へと顔を上げ、少し震えたから笑いを浮かべる。
「それでボクは、何をすればここから出してもらえるのかな?」
にゃっふっふっ……、と腕を組み直し、上体を元に戻して目を閉じ、堪えるようにして笑う。──カッ、と突如開眼し、レイカは人差し指を当てて天を指さす。
「レイくんには! ──ぁっ、間違えた……。えっと……ごほんっ! お前にはこれから、私達の料理を食べてもらう!」
それを聞いたレイは目隠しの下でまじろぎ、口を小さく驚いたように、呆けたように開けていた。
「……りょう、り……?」
「そうなのだ! この私、シュガーちゃんが作る料理と!」
「この私、レイくん大好きマスクが作る料理とを」
突如出現した別の少女の声に驚き、レイは「ひゃわっ!」とびっくりした声を上げた。
それからえっ、えっ、と言った風に左右を見回し──たかったのに、目隠しをされているせいでできずに無表情となりはて、その場に佇んだ。それから少しして、ふとその声の持ち主に思い至ったレイは、正面を向いたまま聞いてみる。
「えっ? ミズキさん?」
「いいえ。違うです。『レイくん大好きマスクマン』です」
背後から聞こえてきて、首だけを動かして背後を向く。
「でもその声って──」
「『レイくん大好きマスク仮面』です」
今度は左側から。
「え、でも」
「『レイくん大好きマスク仮面マン』です」
今度は右側から聞こえてきた。
「……わ、分かったよ。えーっと、レイくん大好きマスク仮面マン、さん?」
……そう言ってハッと気が付く。彼女の声が四方から聞こえてきたのに、彼女が移動する時間が自分が首を振る時間しかないことに。少しゾッとした。
「もー! 続き言いたいんだけど!」
「あっ、ごめんねレイカちゃん」
少し青褪めているとレイカから声をかけられ、レイは小さく頭を下げて謝罪の意を示そうとしてみたが、手が後ろ手で固定されていて上手くできなかった。
そんなレイを見ながら、レイカはほっぺたを膨らませて、
「シュッ! ガッ! アッ! ちゃッ! んッ!」
そう、机を叩いて怒鳴りつけた。
乾いた音が間近で炸裂し、レイはぎょっと目を見開いてひっ、と声を洩らしたが見開いた目は目隠しの下で誰に伝わるでもなかった。それでも向けられた怒りに反応する余裕は、この雰囲気が作り出しているのか否か、レイには分からなかった。
「あっ、そうだったね。ごめんね、シュガーちゃん」
「レイくんレイくん」
「は、はい。なんですか? えっと……レイくん、大、す、すす、好き……マスク……仮面? マン? さん?」
「もーっ! ミッちゃん! やめてよ! バレちゃうじゃん!」
「あっ、そうでした。今の私はレイくん大好きマスク仮面マン……。レイくんとはラブラブにはなれないのです……」
少しガッカリ気味に、いや、悲壮感を表しながらぐすっ、ぐすっ、と涙まで流す始末で、レイカもぎょっとして大慌てでミズキの肩を揉みながらははははは、とから笑いを浮かべる。
「ちょ、ちょっと……そんな悲しそうにしないでよ……」
「かっ、悲しくなんてありませんからっ!」
ぷいっ、とそっぽを向くミズキに、ガーン、と目に涙を溜めながらよろよろと後退し、しかし諦めずに「にゃぁぁぁあああああ!」と叫びながらミズキの肩をガシッと力強く掴む。
「ちょっと! そっぽ向かないでよぉ! ちゃんとやってよぉぉぉー!」
「ぷいっ」
しかし顔を背けるミズキとレイカ、二人の会話を聞きながら、レイは目隠しの下で瞬きをしながら思った。
──なんだこれ。
ただただ、他意はなく、そう思った。
番外編4……『真夏の太陽』
「夏だ!」
サンサンと照らされる砂浜。
「海だ!」
キラキラと輝く海辺。
「ゲームだァァァあああああ!」
──しかしそれは、全て画面の向こう側の話だった。
「……レイくんレイくん、私は悲しいよ。彼氏が欲しいよぉぉぉ」
「あははは……。あっ、彼氏と言えば、ネネさん、彼氏ができたって言ってたよね」
「あー。あの人? あの、金髪でロン毛で、よく分からないキラキラがずっと周りに浮かんでる?」
「うん。あの人」
「私、あんなキラキラが浮かんでるのってマンガとか、ゲームの中だけだと思ってたのに──ちょっと怖いよね」
「今日はネネさん、彼氏さんと海に行ってるから、あの人は今日は来ないよ」
「あ、そうだった」
「じゃあ、今日のお昼何にしよっか。何か、近くに買いに行くのも良いけど、そうだなぁ……。夏だし、素麺とか、冷やし中華とか、夏っぽい物が食べたいよね」
「はぁ……。なんか、過激な水着着てさ、あは~ん、とか言ってみたい……」
「それは──うん、どうかと思うけど」
「えっ!? なんか、アニメとかでやってるみたいな感じでさ! あと、『ちょっと男子~』とかも言ってみたい!」
「何に憧れを感じてるのかいまいち分からないけど、やめた方がいいよ。それは」
「えー。なんでー?」
「だって、プールでそんな事言ってる人、見たこと無いよ。──あんまり行かないけど」
「プール? あっ、そう言えばビニールプールあったんだった」
レイカが、コントローラーのボタンをポチッと押すと海と赤い水着を着た女の子を映すテレビ画面に『PAUSE』と表示された。
「ねえねえレイくん」
「何かな? レイカちゃん」
「プールしよう! ビニールプール! ちょっと待って! 持って来るから!」
バタンッ!と、突如その空気に割り込んだ音が響く。
その音に二人が固まっていると、疲れた声でぶっきらぼうに「ただいまー」と聞こえてきた。その声に二人が目を合わせ、それからゆっくりと振り返ってみれば、そこにはちょうどリビングに戻って来たネネが、肩を落として歩いて来ていた。
「ネネ、さん?」
様子のおかしい彼女に、レイカが尋ねる。
「どうしたの?」
「どーしたもこーしたもないわよ……」
朝から張り切って家を飛び出して行った彼女は、朝とは対極的な印象を醸しながら、二人の前にぺたんっと座り込んで、言う。
「ドタキャンされたのよぉぉぉおおおお……!」
それは悲痛な、悲しみ満ちた叫びだった。
番外編5『ふぁんたじっくすたぁらいと』
天空に浮かぶ小屋があった。
それは遥か昔、誰かが何らかの理由で雲の上に建て、そのまま放置したものだ。
今、そこには一人の少女と相棒の小さな竜が住んでいる──。
「はぁぁあああ! 出て来い! 火!」
伸ばす手の先からは、小さな火の玉が、ぽぅと淡い光を放って現れた。
「レイカちゃん、そんなのじゃまだまだ弱いです。もっとこんな感じに強くするです」
小さな竜がそう言うと、レイカと呼ばれた少女に顔を向けて大きく息を吸い始める。その行動にレイカはぞっと顔から血の気を追い出していき──、
「まままま待って待って待ってって! それホントにヤバイやつぅ──ッ!」
頭を抱えながら竜に背を向けて走り出すレイカの後ろで、息を溜め終わった竜がそれに炎を纏わせて噴射する。
走るレイカ。その背後に迫る轟々と盛る一回りも二回りも大きな火炎。それを振り向き見て、瞳に映るその一面を覆い尽くす巨大な火の手がレイカに追いつき──、
「こんな感じに火を出せばいいんです」
ドヤッ、とキメ顔を決める竜は凄惨なその光景を見た。
雲の一部は蒸発し、炎が通り過ぎた後には一体の焦げた肢体がある。それは崩折れ、蒸発し、少し窪みのできた雲の床の上に捨てられたようにそこにあった。それを見つめ、竜はぱたぱたと小さな翼で空を扇いで肢体のすぐ側まで飛び寄る。
「レイカちゃん?」
「ぷはっ」
まるで水面から顔を出した時のように息を吸い込むと、レイカは咳き込んだ。
そしてゆったりとした動きで起き上がると、振り返って竜をジト目で睨む。
「もー! 私が不死身じゃなかったら死んじゃってたんだからね!」
「ごめんなさいです」
「まあ良いけどっ。……でもさ、すごいよねー、ミッちゃんはさー。どーしてそんなすごい魔法とか使えるのー?」
「私のは種族特性とか言う、チーターが足が速いとか、鳥が空を飛べるとか、そう言った竜専用のものだから使えるんです」
「えー、じゃーあー、私みたいな『吸血鬼もどき』はー?」
「人の血を吸えるです」
「他にはー?」
「身体能力が高いです」
「それだけー?」
「もどきなので、太陽に当たっても平気です」
「もー! 全然魔法関係ないじゃん! てか運動神経良いただの人じゃん!」
駄々をこねて窪みの中でじたばた暴れ始めたレイカを見て、竜は小さく吐息する。それにも気付かず、レイカはうぎゃー!と叫ぶ。少しずつ周囲の蒸気を吸収して、盛り上がり始めた雲を背中で感じ、レイカは一息ついた。
「吸血鬼は、魔法を使えないんですよ。『エレメント』に嫌われているですから」
「えー。──エレメントさぁぁん! 嫌わないでよぉぉぉ! 私何もしてないー!」
頭を抱えながらぐるぐるその場で回り始めるレイカを白い目で見て、レイカの方を向いたまま少し後ろに距離を取って続ける。
「エレメントは、吸血鬼に近づくと消えてしまうので嫌っちゃうんです」
「え、ウソ!? ──てか、エレメントって何?」
「エレメントは、まあ、魔法を使わせてくれる、微生物みたいなものです」
「なんかその説明やだ。──言うならさ、もっとこう……妖精とかにしようよ! なんで微生物!?」
「──ちっちゃいので。あと、普通には見えないですから」
「ふんふん。──いやそれでももう少し言い方考えようよ!」
ぐるぐるをやめ、レイカは「もーなんで!」と悪態をつきながらその場にぼふんっと背中から倒れる。それから、太陽光が目に入って目に涙が浮かぶ。目を閉じても紫色の太陽の跡が残り、レイカはひりひりと痛むその目を両手で押さえた。
「魔法、使いたい……」
「知ってるです」
「お母さんとお父さん、もういないけど、それでも、魔法、見せたい」
「知ってるです」
「なんで、使えないの……?」
「──レイカちゃんが吸血鬼だからです」
「……吸血鬼、良いことないじゃん」
「吸血鬼になって、発狂したお兄さんから逃げられたんですよね? お母さん達は殺されてしまって」
「……お兄ちゃん、良い人だったから、何か、理由があったんだよ」
「そうだと良いですね」
「だって、私が寝坊しそうな時は起こしてくれたし、ケガした時とか、病気になった時とかは看病してくれたし。二人が仕事の時もご飯とか作ってくれたり、一緒に遊んでくれたり……」
「それが、嫌になったんじゃないですか?」
冷たく言い放つそれに、レイカは勢い良く起き上がって涙で潤んだ黒い瞳を小さな竜へと向ける。
「そんなわけない! だってお兄ちゃん、私の事、大切に想ってるって言ってくれたもん! 好きだって、そう言ってくれたもん!」
「まあ、レイカちゃんがそのお兄さんの事を好きなのは知ってるです。禁断の恋愛ですよね?」
突然の爆弾発言。それに瞬間だけ呼吸を忘れ、固まってしまう。それを噛み砕き、咀嚼し、飲み込める程度にまで思考すると、目を大きくして頭の中で爆発が起こった。
「ちっ、違うしっ! そんなんじゃないし! ただ家族として! 好きなだけ!」
「──脱線してしまったので話を戻すです。レイカちゃんの愛に免じて、一つだけ可能性を教えてあげるです」
「えっ、何なに!?」
「今から二週間と二日後、とある島の中央にある巨大樹木の前、月が一番高くなる時間に祈ってみてくださいです。そうしたら、その時にだけ、誰にでも魔法が使えるそうです」
「そんな情報、どこで手に入れて来たの?」
「ふふふ、秘密です♪」
その笑みに陰りが見えた気がして、レイカは聞くのをやめた。
※※※
指定された時刻の少し前、レイカはその場所の上空を飛ぶ雲から飛び降り、落下地点を予測しながら体勢を変えて下降していく。島の中央には不自然にできた草原がドーナツ状に存在し、その周りには木々が生い茂っている。
その中央にはそれらの木々を見下ろすほど大きな樹木が一本。それの近くへと、背中から蝙蝠のような羽根を背中から出して、羽ばたき始める。
「ほんとにあそこ?」
「はいです。あそこで祈ると、光る雪が降るそうです」
「よし、頑張る……!」
──樹木の前に降り立つと、少しむしっとした暑さにレイカは顔をしかめる。それから、樹木を見上げて小さく感嘆の声を漏らした。
「ほら、私の作った火時計が時間がもうすぐだと言ってるです」
「それすごいよね。なんだっけ。物を燃やし尽くすまで絶対に消えない、燃え移らない火を、ある時間が経つまで絶対に燃えない葉っぱに付けるんだっけ? よく覚えてないけど」
「はいです。それであってるです」
レイカが、樹木の前で片膝をついて胸の前で両手を握り締め、瞑目すると「あ、燃えたです」と背後で聞こえてきたのを皮切りに、全身が緊張に粟立っていく。
沈黙に、夜の風が緩やかに頬を、髪を撫ぜる。
視界を暗闇が支配し、互いを握り締めた両手に力が加わり、手汗が滲み始める。
「ぁ──」
背後でそう聞こえた気がして、レイカは更に手に力を、手を握り潰さんとばかりに込める。
瞬間、ぽつ、と手の上に水の感触を感じる。
「み──」
──ず、と続けようとして、絶句した。
目の前を、光が通過する。目を見開き、顔をゆっくりと地面に下ろすと、そこには光る雫が、草原の上にあり、声が固まって喉の奥に留まる。
すると、続けて光る『雨』が周囲に降り始めた。
「な、んで……」
「──もしかしたら、この暑さで『雪』が溶けて『雨』になったのかもしれないです」
信じられない光景に、強く歯を噛んで軋りを上げる。
頬を、『雨』が伝った。
特別編……『約束』
──『姉』が死亡して、片割れを失って、まだ幼い彼女は床の冷たい感触を味わって肩を自分より大きなクマのぬいぐるみ──クーちゃんと、そう呼ぶぬいぐるみに預けて涙を流していた。
それは、惨憺たる光景だった。
押し込められたクローゼットの隙間から覗く部屋は赤い血に滴り、苦しみに喘ぐ『姉』が男に押し倒されていた。首を絞められ、破けた腹部からは血を流している。力が入らないのか、その手は痙攣し、血の上にただ置かれていた。
「俺は悪くない俺は悪くない。全てあいつらが悪い、あいつらが、あいつらがいなければ、お前達も──」
ぱく、ぱく、ぱく、ぱく、ぱくぱく、ぱくぱくぱく。魚のように動く口が、酸素を欲してゆっくりと開閉する。目からは涙が、鼻から、口から、ありとあらゆる箇所から体液が出ている。血と、それらが流動的に混ざり合っていく。声が出ない、体が動かない。まるで、誰かにそこに縛り付けられたかのようだった。
「お前達はなんであんなに似ているんだ。あいつに──妹に……。怖い、お前らが怖い。アレは俺のせいじゃない、アイツが勝手に……」
「な、にを……」
それは、別の声だった。彼女は、レジ袋を落として、目を剥いている。まだ大人になり切れていない、子供のような低身長に童顔を併せ持つ女性。
「ねえ、お兄ちゃん……なに、してるの……?」
「俺のせいじゃない、お前が、お前らが、皆が、皆が悪い! 俺は何もしてないんだ! 俺は何も悪くない!」
既に動かない『姉』を見て、女性が震える。
「──ミレイ、も、何も、してないでしょ?」
レジ袋の中から、ころころとオモチャが転がって、血の上を転がって、『姉』の腿に当たる。
「そもそも! お前が俺に──ッ!」
『姉』からどいて、女性に食って掛かる男は、周囲を見回す女性の胸倉を掴んで持ち上げた。その動作すら無視して、女性は男に聞く。
「──あの子は? レイミは?」
聞いて、無駄だと知り、その手を離してから「レミちゃん?」と呼びかけるように言う。それでも返事がなく、息を飲んでから「レミちゃん!?」と走り出した。
その後を追いかけ、怒鳴る男の声と足音が聞こえ、クローゼットに隠されていた彼女は、ギィ、と軋りを立てて、クローゼットを押し開く。
「おねえ、ちゃん?」
血溜まりの中、動かない彼女まで四つん這いで進んで行って、ぴちゃ、と水音が聞こえた。何かと手を見れば、赤い絵の具に濡らしたような手が、そこにはあった。目を大きくして、目の前の少女へと目を向ける。そこには、虚ろに目を向け倒れている彼女の姿があり、小さく息を飲んだ。
「おねえちゃん、おねえちゃんっ」
血溜まりを進んで行き、彼女の体を揺する。
動かない。彼女はただ、少女の揺すりに身を任せ、ゆるゆると力の入らない首を動かすのみだ。それも、自分の力では無いことも、恐らくそうだろうと無意識下に理解してしまった幼い少女は、強くなる鼓動に耳を打たれ、それを防ぐために耳を押さえる。
「ぁ、ぁぁ、あぁアあ……」
尻餅を着くと、ぴちゃん、と大きな水音がして、少女は涙を目に浮かべて言葉にならない思いを、先走った口だけが、音を伴わない言葉を並べていく。
心の中で様々なものが渦巻き、蠢き、次の瞬間には遠くから、悲鳴が聞こえてきた。
悲鳴が泣いている。叫んで叫んで叫んで、一度勢いが弱くなったと思うと、即座にまた、悲しみを紛らわすように叫んで叫んで叫ぶ。
──それが自分だと気が付いた時には、部屋に一人で座っていた。
「──」
部屋を見回すと、部屋の一箇所に赤いシミができていた。
「気にしなくて良いわよ。アレは、お兄ちゃんが悪い。レミちゃんは何も悪くない」
ふと声に反応して顔を上げると、そこには見知った顔が狭い視界の中にあった。
女性は少女の顔を見て、にこっ、と笑って見せると、再び前を向いた。
「ごめんね、レミちゃん」
ぽつぽつと、夕暮れの中を歩いていた。
繋ぐ手と反対の手に固い感触を感じて、少女はその手を開けて中を見る。
「──っ」
中には、いちごの髪留めがあった。
それを見て、理解する。今の状況を。
『姉』は死に、自分は生かされ、どこかに連れて行かれる途中だという事が。
少しして、少女は止まった。止められた。
決して大きくはない、けれども、小さくもない、どこにでもあるような、普通の家、と言った印象だ。その家の前に、二人は立っている。
女性がチャイムを鳴らすと、少しして初老を迎えたばかりらしき男性が駆け寄ってきた。
「先程電話した、剣崎です」
「あなた達が。なるほど、それで、この子を……?」
「はい、一時的で構いません、この子を匿ってください」
「──分かりました」
「レミちゃん」
しゃがんで、少女の肩を掴んだ女性がそう言う。
「少しの間、ここにいて。私が、お兄ちゃんを説得してみせるから」
そう言って立ち上がると、初老の男性にぺこりとお辞儀をして「それでは、よろしくお願いします」と言い残して少女から手を離すと、背を向けてもと来た道を歩いて行った。
──去って行く彼女の後ろ姿を追おうとして、少女は固まる。動けなくなった。と言うより、周りのもの、少女を含めたおよそ全てが固まった。
停滞した世界を、黒い靄が動く。
靄は、少女の視界の端にいた。それは前を左から右へ通り、一旦消えたかと思うと少ししてから再び左から現れる。──少女の周囲を旋回しながら、ゆっくりと近づいて行く。
靄は中空を回りながら少女へと近づいて行き──、少女の眼前で留まった。
『約束、守りに来たよ』
視界の左側に少しズレたその靄はゆっくりと形を成していき、やがて、黒い衣を纏う少女の姿になった。浴衣のような振り袖の付いた、太腿辺りまで隠れ、身八つ口が広い。そんな衣を纏う少女は、アスファルトの地面に降り立ち、そう言ってから少女に遠慮がちに微笑みかける。
『あなた達との約束を守る。あなたが受け入れられるまで、私はあなたを過去から守る。代わりにあなたは、私に『形』をくれる。──契約は、今ここで成された』
カチリと、世界が動き始めると共にその靄は消えた。
「レイミちゃん?」
「──」
少女は、左目を押さえて隠して、振り返った。
その瞳に空虚を宿し、少女は答える。
「なに?」
「君は、少しの間、ここに泊まることになったんだけど、よろしくね」
「──よろしく」
[あとがき]
特別編、やっぱり本編とあまり関係ない気がします。
作者の自己満足とは言いましたが、ほんと、その通りでしたね。
さて、なんだかちょっと足りてない感じがしない気もしないので、特別編の補足をば。
特別編は、二章等で触れたレイくんの記憶、その断片を繋いだ感じになってます。
所々穴抜けしてますが、それは追々。
そして、あの黒い靄さんが前回話してた『シェイド』さんです。
まだまだ穴抜けしている所は読者様方の想像などで補完してもらったりするかもしれませんが、ちゃんと全部書けたらなと思っておりますです。
そして、レイくんのお父さんと、その妹さん。──レイトさんと、ろおざ(メィリル)さんですが、本編の方では二人はそれぞれ別行動してました。その理由の一つがこの特別編です。
レイトさんはレイくんを探してあちこち回り、それを探して妹さんもあちこち回って。妹さん、昔はまだまともだったんですよ。本編みたいな頭のおかしい人になったのはこれよりももうちょっと先です。
そして、シェイドさんが言っている『形』とは、所謂体の事です。
彼女は精霊の中でもちょっと偉い立場にあって、その立場の精霊達はとある出来事でその存在としての形の維持が難しくなってしまい、その為に契約しているのです。
少し本編に触れますが、二弥ちゃんもその精霊の一体と関係があります。
こうして見ると、意外とファンタジーしてますね。
さて、このまま話してると更にネタバレしてしまいそうなので止めておきます。
IFストーリー、今回も頭のおかしいものばかりだったように思います。
今度のIFストーリーもたぶん頭のおかしいものばかりです。
それでも飽きずに見に来てくれる人は、ありがとうございます。
それでは、本編はまだまだ続くのでお楽しみください。
前回のよりはマシになったかも。いや、そーでもないかも。最後だけ、知ってれば本編もうちょっと楽しめるかもしれない、そんなお話にしてます。特別編です。
前回も酷かったけれど、今回も相当酷いです。なので読むとしたらあんまり期待しないで読んで下さい。
番外編……『ホラー! 夜の学校』
レイカはその日、忘れ物を取りに夜の学校に訪れていた。
職員室にはレイカの知らない先生が一人だけ残っていて、別の学年の先生かな、と思いながら懐中電灯と鍵だけを受け取り、教室までそれを取りに行くことになった。現在、レイカがいるのは二階、職員室の前だ。
まだ明るい職員室の前はともかく、ついさっき通って来たあの暗くて薄気味悪い道を通るのはもう懲り懲りだと言う気もしたが、ここまで来て帰ると言う選択肢はなかった。パチッ、と懐中電灯をつけてみる。結構強い光が出て来て、期待に自然と笑顔が浮かび上がったが呆気なく笑顔は消え去った。
その理由はこれだ。
懐中電灯の光が、廊下に当てた途端、薄くて少し黄色と言うか緑がかっているような色をしていて、それが更にホラーゲームを想起させて背中を逆撫でし、粟立たせる。
ごくりと唾を呑んで、職員室からトイレを経由して階段へと向かう途中、背中を物理的に触られた気がして振り返ってライトを当てる。
「……誰も、いない」
安心したような、やはりまだ不安なような、そんな気がして、レイカは再び前を向く。
怖いなぁ、と思いながら背中を闇に呑まれそうな感覚に陥ってどうしようもなく震えそうになり、走りに近い速さで足早に教室へと向かう。
一階にある教室は、どこか物々しさを纏い、中に入ろうとドアを開けたレイカを怖がらせる。真っ暗な教室が嫌で、電気を付けると少しだけ肩の荷が下りた気がした。
ライトを教壇に置く。
廊下側から二列目の一番前にある自分の机の中を探すため椅子を引き、机の中を覗き込む。あった。宿題。すぐに宿題を取り、手際良く枚数チェックする。
三枚、しっかりとある。
「よし! さ、早く家に帰ろ!」
椅子を戻してライトを手に取った瞬間、酷く寒く感じ、レイカはに、にゃわわ……と声が出てしまう。たらりと気持ちの悪い汗が頬を伝い、床にぴちょん、と落ちる。
その雫が跳ねる音が遠く木霊したように聞こえて、全身の毛が逆立ちして全力で廊下を駆け抜けて明かりが付いているはずの職員室まで階段を上っていく。
職員室は二階で、レイカの教室は一階。距離的にもそこまで遠い訳ではない。走ると一分もしないで到着した。
「せんせーっ!」
ガラガラガラッ、と大きな音を立てて引き戸を引くと、少し離れた机の上でビクッと男性職員が肩を震わせていた。
「うわっ、びっくりしたなぁ……。って、さっきの子? 教室の戸締まりはちゃんとした?」と椅子に座りながら振り向いて言う。
「え? ぁ、ぁ、ぁぅ、ぅにゃぁぁぁ~……」
涙目になるレイカを見て、小さく吐息すると立ち上がってレイカの前まで歩いていく。
「ちゃんと閉じて来てくださいよ。今回は、私が閉めておきますけれど。次──は無いようにお願いしますが、もしあった場合はちゃんと戸締まり、して下さいね」
「は、はい……!」
「さもないと──」
レイカの前に立つ影が段々と大きくなってレイカを見下ろしていき、それを見上げながらレイカは目を見開いて口をぱくぱくさせて体を震えさせていた。
「キミヲ、タベチャイマスカラネェ?」
「ぎにゃあああああああああああああああああああああああ──ッっッ!!?」
全速力で逃げ出したレイカの頭の中には、目玉が飛び出した一つ目の巨大な赤鬼が延々と映り続けていた……。
番外編2……『そして伝説へ……。商人の街編』
勇者レイカ、元魔法使いの戦士レイ、武闘家ネネ、賢者ミズキ。
四人は今は、とある某不死鳥の卵を孵化させる為の旅をしていた。
そんな時に、元仲間の商人コオロギが牢屋にぶち込まれたと風の噂で聞きつけて面会に来ている所だった。
「おおっ! 嬢ちゃんじゃないスか!」
ガシャン、と鉄格子に張り付くようにコオロギが奥の方から走って来た。
「うわぁ……。コウくん、ホント何してるの」
両手に手錠、片脚に人の頭ほどの鉄球が付いた枷が着けられたコオロギが少しやつれた顔で「いやぁ……」と気恥ずかしそうに後頭部をかく。
「ホントよ。街を作るって言ってたからせっかく別れたのに。まさかブラックして街の人達の反感を買うなんて、とんだドジ踏んだものねー。はははははー」
「うぅぅぅ……姐さん、酷いッス。俺はただ、皆のためと思ってやって来たのに……この有様……。街の人達のために、街の人達の為におれはぁぁぁぁぁああああああああああ……ッッッ!!」
「「これが、権力者の成れの果て……」」
レイカとネネ。二人は互いの声が重なった事が可笑しく、その場で腹を抱えて笑ってしまう。レイカなんて、青い鎧を身に着けたまま石造りの床を転がりまわっているのだから音が途轍もなく酷い。
その点、軽装のネネはとても静かで、笑いも口に手を当てて堪えているのではた迷惑なレイカとは大違いだ。
「ね、ねえ、二人とも、何もそこまで言わなくても良いんじゃないかな……。ちょっと、コオロギさんが可哀想だよ……」
ぽんっ、と肩に手を置かれ、レイは振り返る。
そこには白い衣服に身を包んだ彼女が立っていて、レイは真顔の彼女を見てひぅ、と声を洩らしてしまう。
「レイくん」
「ミズキさん?」
赤くなった顔で、少しカチコチと固くなりながらも聞くと、ミズキは妖艶に微笑んでレイの耳元に顔を近づけ、そしてチラッとコオロギを見ながら言う。
「この人は、この状況を喜んでいるんです。ほら、あの笑顔を見てくださいです。とても楽しそうですよね?」
「楽しくなんかないッス! 笑うのやめてくださいッスよ嬢ちゃん達! あとさっきのはから笑いッス!」
「ミズキさん。コオロギさんは、ああ言ってるけど……」
ガッシャンガッシャン、と鉄格子を揺らして喚き始めるコオロギを指さして、レイはミズキに視線を移して、やっぱりはにかんで聞く。
「ああ、アレはただの照れ隠しです。ほら、照れていると嘘ついちゃわないです?」
「ボク、ミズキさんに嘘、つかないよ?」
本気で困惑したように眉をひそめて言うレイの顔を見て、ミズキは意表を突かれたかのように目を見開き、少しの間を開けてから顔を赤くしていき──、
「きゅんっ」
目をハートにしてこれまでにないだらしのない笑顔になりながらその場で直立したままの姿勢で倒れ、ぷすぷすと真っ赤にした顔から煙のように愛を立ち上らせて ハァ……ハァ……、と胸を押さえ、がはっ、と鼻血を噴いて気絶した。
「ミズキさん!?」
「じゃあ私には嘘つくの!?」
背中の上に乗って来るレイカの顔を見ながら、慌てた様子で答える。
「レイカちゃんにもつかないよ。でも──」と、倒れて気絶したミズキを見ようとして、今度はぬっ、と右側にネネが現れた。
「じゃあ私には!?」
「ネネさんにもつかないです。えっと、だから──」
再びミズキを見ようとして鉄格子を揺らす音が聞こえ、そっちに顔を向けると、コオロギが自分を指さしながら嬉しそうに聞く。
「じゃあじゃあ、俺はどうッスか!?」
「……あ、えっと……その……」
少し答えづらそうに顎に手を当てて、おろおろと視線を彷徨わせ、苦々しげに目線を逸して笑いながら、
「つかない、です」
そう、言った。
「えっ、ちょっ! なんスかその反応!? レイくん、もっと俺にも優しくしてくださいッス!」
「ブラック企業の社長さんなんだから別にいいじゃ~ん」
「嬢ちゃんには分からないンス! 俺はこの街の為に必死で頑張ってきたンス!」
しくしくと泣き始めるコオロギに真顔で「知らないです」と突っ込んだのはレイでも、レイカでも、ネネでもない。気絶したはずのミズキだった。
「そんな泣かれても分からないです」
「ミッちゃぁぁぁん……! 皆ハクジョーッス!」
うっうっうっ、と顔に手を当てて泣き始めるコオロギを、レイはただおろおろと見詰めている事しか出来なかった。
……いや、おろおろと視線を彷徨わせてしまったので、見詰めている事すら出来なかった。
番外編3……『いざ尋常に……!』
レイは座らされていた。
ここは何もない部屋。窓も無ければ、出入り口も鍵がかけられ、椅子に縛られてレイは動けないでいた。あるのは椅子と共に置かれていた机のみ。しかしレイは目隠しをされていて、それすらも気が付けずにいた。
「鼻孔を擽る仄かで刺激的な香り……それこそが全てなのだッ!」
幼さの残る、少しはっちゃけた声に聞き覚えがあり、レイは目隠しの下で何度か瞬きをして、え、と疑問を抱く。
「……何を、言ってるの? レイカちゃん?」
「わわっ、私はレイカなどと言う名では無い! 私の名は『シュガーちゃん』なのだ!」
ダンッ、と机を叩く音がして、レイは少しだけこの部屋の内装を把握した。目の前に机があるという事だけだが。それでも素晴らしいことだ。何かがある、と言うだけで少しばかりホッとできる。しかし、それよりも強い疑問がレイの頭にへばり付いて仕方がない。
「え? ……いやでも、完全にレイカちゃ──」
「わーっ! わーっ! わーっ! きーこーえーなーいぃぃぃー!」
ブンブンブンブン。そう首を振りながらの否定に加えて耳を両手で塞いで聞き入れない姿勢を表現──しても、目隠しをされていてその表現は全くと言っていいほど伝わっていなかった。
「………………………………………………ぇあっ、そういう事……。わ、分かったよ。えっと、シュガー、ちゃん?」
「ふふんっ! そうなのだ! 分かればいいのだ!」
腕を組んで高笑い。上体を反らし、顔を背後だった場所へ向け、にゃふぁははははは、と高笑いする。レイは苦笑して声のする方へと顔を上げ、少し震えたから笑いを浮かべる。
「それでボクは、何をすればここから出してもらえるのかな?」
にゃっふっふっ……、と腕を組み直し、上体を元に戻して目を閉じ、堪えるようにして笑う。──カッ、と突如開眼し、レイカは人差し指を当てて天を指さす。
「レイくんには! ──ぁっ、間違えた……。えっと……ごほんっ! お前にはこれから、私達の料理を食べてもらう!」
それを聞いたレイは目隠しの下でまじろぎ、口を小さく驚いたように、呆けたように開けていた。
「……りょう、り……?」
「そうなのだ! この私、シュガーちゃんが作る料理と!」
「この私、レイくん大好きマスクが作る料理とを」
突如出現した別の少女の声に驚き、レイは「ひゃわっ!」とびっくりした声を上げた。
それからえっ、えっ、と言った風に左右を見回し──たかったのに、目隠しをされているせいでできずに無表情となりはて、その場に佇んだ。それから少しして、ふとその声の持ち主に思い至ったレイは、正面を向いたまま聞いてみる。
「えっ? ミズキさん?」
「いいえ。違うです。『レイくん大好きマスクマン』です」
背後から聞こえてきて、首だけを動かして背後を向く。
「でもその声って──」
「『レイくん大好きマスク仮面』です」
今度は左側から。
「え、でも」
「『レイくん大好きマスク仮面マン』です」
今度は右側から聞こえてきた。
「……わ、分かったよ。えーっと、レイくん大好きマスク仮面マン、さん?」
……そう言ってハッと気が付く。彼女の声が四方から聞こえてきたのに、彼女が移動する時間が自分が首を振る時間しかないことに。少しゾッとした。
「もー! 続き言いたいんだけど!」
「あっ、ごめんねレイカちゃん」
少し青褪めているとレイカから声をかけられ、レイは小さく頭を下げて謝罪の意を示そうとしてみたが、手が後ろ手で固定されていて上手くできなかった。
そんなレイを見ながら、レイカはほっぺたを膨らませて、
「シュッ! ガッ! アッ! ちゃッ! んッ!」
そう、机を叩いて怒鳴りつけた。
乾いた音が間近で炸裂し、レイはぎょっと目を見開いてひっ、と声を洩らしたが見開いた目は目隠しの下で誰に伝わるでもなかった。それでも向けられた怒りに反応する余裕は、この雰囲気が作り出しているのか否か、レイには分からなかった。
「あっ、そうだったね。ごめんね、シュガーちゃん」
「レイくんレイくん」
「は、はい。なんですか? えっと……レイくん、大、す、すす、好き……マスク……仮面? マン? さん?」
「もーっ! ミッちゃん! やめてよ! バレちゃうじゃん!」
「あっ、そうでした。今の私はレイくん大好きマスク仮面マン……。レイくんとはラブラブにはなれないのです……」
少しガッカリ気味に、いや、悲壮感を表しながらぐすっ、ぐすっ、と涙まで流す始末で、レイカもぎょっとして大慌てでミズキの肩を揉みながらははははは、とから笑いを浮かべる。
「ちょ、ちょっと……そんな悲しそうにしないでよ……」
「かっ、悲しくなんてありませんからっ!」
ぷいっ、とそっぽを向くミズキに、ガーン、と目に涙を溜めながらよろよろと後退し、しかし諦めずに「にゃぁぁぁあああああ!」と叫びながらミズキの肩をガシッと力強く掴む。
「ちょっと! そっぽ向かないでよぉ! ちゃんとやってよぉぉぉー!」
「ぷいっ」
しかし顔を背けるミズキとレイカ、二人の会話を聞きながら、レイは目隠しの下で瞬きをしながら思った。
──なんだこれ。
ただただ、他意はなく、そう思った。
番外編4……『真夏の太陽』
「夏だ!」
サンサンと照らされる砂浜。
「海だ!」
キラキラと輝く海辺。
「ゲームだァァァあああああ!」
──しかしそれは、全て画面の向こう側の話だった。
「……レイくんレイくん、私は悲しいよ。彼氏が欲しいよぉぉぉ」
「あははは……。あっ、彼氏と言えば、ネネさん、彼氏ができたって言ってたよね」
「あー。あの人? あの、金髪でロン毛で、よく分からないキラキラがずっと周りに浮かんでる?」
「うん。あの人」
「私、あんなキラキラが浮かんでるのってマンガとか、ゲームの中だけだと思ってたのに──ちょっと怖いよね」
「今日はネネさん、彼氏さんと海に行ってるから、あの人は今日は来ないよ」
「あ、そうだった」
「じゃあ、今日のお昼何にしよっか。何か、近くに買いに行くのも良いけど、そうだなぁ……。夏だし、素麺とか、冷やし中華とか、夏っぽい物が食べたいよね」
「はぁ……。なんか、過激な水着着てさ、あは~ん、とか言ってみたい……」
「それは──うん、どうかと思うけど」
「えっ!? なんか、アニメとかでやってるみたいな感じでさ! あと、『ちょっと男子~』とかも言ってみたい!」
「何に憧れを感じてるのかいまいち分からないけど、やめた方がいいよ。それは」
「えー。なんでー?」
「だって、プールでそんな事言ってる人、見たこと無いよ。──あんまり行かないけど」
「プール? あっ、そう言えばビニールプールあったんだった」
レイカが、コントローラーのボタンをポチッと押すと海と赤い水着を着た女の子を映すテレビ画面に『PAUSE』と表示された。
「ねえねえレイくん」
「何かな? レイカちゃん」
「プールしよう! ビニールプール! ちょっと待って! 持って来るから!」
バタンッ!と、突如その空気に割り込んだ音が響く。
その音に二人が固まっていると、疲れた声でぶっきらぼうに「ただいまー」と聞こえてきた。その声に二人が目を合わせ、それからゆっくりと振り返ってみれば、そこにはちょうどリビングに戻って来たネネが、肩を落として歩いて来ていた。
「ネネ、さん?」
様子のおかしい彼女に、レイカが尋ねる。
「どうしたの?」
「どーしたもこーしたもないわよ……」
朝から張り切って家を飛び出して行った彼女は、朝とは対極的な印象を醸しながら、二人の前にぺたんっと座り込んで、言う。
「ドタキャンされたのよぉぉぉおおおお……!」
それは悲痛な、悲しみ満ちた叫びだった。
番外編5『ふぁんたじっくすたぁらいと』
天空に浮かぶ小屋があった。
それは遥か昔、誰かが何らかの理由で雲の上に建て、そのまま放置したものだ。
今、そこには一人の少女と相棒の小さな竜が住んでいる──。
「はぁぁあああ! 出て来い! 火!」
伸ばす手の先からは、小さな火の玉が、ぽぅと淡い光を放って現れた。
「レイカちゃん、そんなのじゃまだまだ弱いです。もっとこんな感じに強くするです」
小さな竜がそう言うと、レイカと呼ばれた少女に顔を向けて大きく息を吸い始める。その行動にレイカはぞっと顔から血の気を追い出していき──、
「まままま待って待って待ってって! それホントにヤバイやつぅ──ッ!」
頭を抱えながら竜に背を向けて走り出すレイカの後ろで、息を溜め終わった竜がそれに炎を纏わせて噴射する。
走るレイカ。その背後に迫る轟々と盛る一回りも二回りも大きな火炎。それを振り向き見て、瞳に映るその一面を覆い尽くす巨大な火の手がレイカに追いつき──、
「こんな感じに火を出せばいいんです」
ドヤッ、とキメ顔を決める竜は凄惨なその光景を見た。
雲の一部は蒸発し、炎が通り過ぎた後には一体の焦げた肢体がある。それは崩折れ、蒸発し、少し窪みのできた雲の床の上に捨てられたようにそこにあった。それを見つめ、竜はぱたぱたと小さな翼で空を扇いで肢体のすぐ側まで飛び寄る。
「レイカちゃん?」
「ぷはっ」
まるで水面から顔を出した時のように息を吸い込むと、レイカは咳き込んだ。
そしてゆったりとした動きで起き上がると、振り返って竜をジト目で睨む。
「もー! 私が不死身じゃなかったら死んじゃってたんだからね!」
「ごめんなさいです」
「まあ良いけどっ。……でもさ、すごいよねー、ミッちゃんはさー。どーしてそんなすごい魔法とか使えるのー?」
「私のは種族特性とか言う、チーターが足が速いとか、鳥が空を飛べるとか、そう言った竜専用のものだから使えるんです」
「えー、じゃーあー、私みたいな『吸血鬼もどき』はー?」
「人の血を吸えるです」
「他にはー?」
「身体能力が高いです」
「それだけー?」
「もどきなので、太陽に当たっても平気です」
「もー! 全然魔法関係ないじゃん! てか運動神経良いただの人じゃん!」
駄々をこねて窪みの中でじたばた暴れ始めたレイカを見て、竜は小さく吐息する。それにも気付かず、レイカはうぎゃー!と叫ぶ。少しずつ周囲の蒸気を吸収して、盛り上がり始めた雲を背中で感じ、レイカは一息ついた。
「吸血鬼は、魔法を使えないんですよ。『エレメント』に嫌われているですから」
「えー。──エレメントさぁぁん! 嫌わないでよぉぉぉ! 私何もしてないー!」
頭を抱えながらぐるぐるその場で回り始めるレイカを白い目で見て、レイカの方を向いたまま少し後ろに距離を取って続ける。
「エレメントは、吸血鬼に近づくと消えてしまうので嫌っちゃうんです」
「え、ウソ!? ──てか、エレメントって何?」
「エレメントは、まあ、魔法を使わせてくれる、微生物みたいなものです」
「なんかその説明やだ。──言うならさ、もっとこう……妖精とかにしようよ! なんで微生物!?」
「──ちっちゃいので。あと、普通には見えないですから」
「ふんふん。──いやそれでももう少し言い方考えようよ!」
ぐるぐるをやめ、レイカは「もーなんで!」と悪態をつきながらその場にぼふんっと背中から倒れる。それから、太陽光が目に入って目に涙が浮かぶ。目を閉じても紫色の太陽の跡が残り、レイカはひりひりと痛むその目を両手で押さえた。
「魔法、使いたい……」
「知ってるです」
「お母さんとお父さん、もういないけど、それでも、魔法、見せたい」
「知ってるです」
「なんで、使えないの……?」
「──レイカちゃんが吸血鬼だからです」
「……吸血鬼、良いことないじゃん」
「吸血鬼になって、発狂したお兄さんから逃げられたんですよね? お母さん達は殺されてしまって」
「……お兄ちゃん、良い人だったから、何か、理由があったんだよ」
「そうだと良いですね」
「だって、私が寝坊しそうな時は起こしてくれたし、ケガした時とか、病気になった時とかは看病してくれたし。二人が仕事の時もご飯とか作ってくれたり、一緒に遊んでくれたり……」
「それが、嫌になったんじゃないですか?」
冷たく言い放つそれに、レイカは勢い良く起き上がって涙で潤んだ黒い瞳を小さな竜へと向ける。
「そんなわけない! だってお兄ちゃん、私の事、大切に想ってるって言ってくれたもん! 好きだって、そう言ってくれたもん!」
「まあ、レイカちゃんがそのお兄さんの事を好きなのは知ってるです。禁断の恋愛ですよね?」
突然の爆弾発言。それに瞬間だけ呼吸を忘れ、固まってしまう。それを噛み砕き、咀嚼し、飲み込める程度にまで思考すると、目を大きくして頭の中で爆発が起こった。
「ちっ、違うしっ! そんなんじゃないし! ただ家族として! 好きなだけ!」
「──脱線してしまったので話を戻すです。レイカちゃんの愛に免じて、一つだけ可能性を教えてあげるです」
「えっ、何なに!?」
「今から二週間と二日後、とある島の中央にある巨大樹木の前、月が一番高くなる時間に祈ってみてくださいです。そうしたら、その時にだけ、誰にでも魔法が使えるそうです」
「そんな情報、どこで手に入れて来たの?」
「ふふふ、秘密です♪」
その笑みに陰りが見えた気がして、レイカは聞くのをやめた。
※※※
指定された時刻の少し前、レイカはその場所の上空を飛ぶ雲から飛び降り、落下地点を予測しながら体勢を変えて下降していく。島の中央には不自然にできた草原がドーナツ状に存在し、その周りには木々が生い茂っている。
その中央にはそれらの木々を見下ろすほど大きな樹木が一本。それの近くへと、背中から蝙蝠のような羽根を背中から出して、羽ばたき始める。
「ほんとにあそこ?」
「はいです。あそこで祈ると、光る雪が降るそうです」
「よし、頑張る……!」
──樹木の前に降り立つと、少しむしっとした暑さにレイカは顔をしかめる。それから、樹木を見上げて小さく感嘆の声を漏らした。
「ほら、私の作った火時計が時間がもうすぐだと言ってるです」
「それすごいよね。なんだっけ。物を燃やし尽くすまで絶対に消えない、燃え移らない火を、ある時間が経つまで絶対に燃えない葉っぱに付けるんだっけ? よく覚えてないけど」
「はいです。それであってるです」
レイカが、樹木の前で片膝をついて胸の前で両手を握り締め、瞑目すると「あ、燃えたです」と背後で聞こえてきたのを皮切りに、全身が緊張に粟立っていく。
沈黙に、夜の風が緩やかに頬を、髪を撫ぜる。
視界を暗闇が支配し、互いを握り締めた両手に力が加わり、手汗が滲み始める。
「ぁ──」
背後でそう聞こえた気がして、レイカは更に手に力を、手を握り潰さんとばかりに込める。
瞬間、ぽつ、と手の上に水の感触を感じる。
「み──」
──ず、と続けようとして、絶句した。
目の前を、光が通過する。目を見開き、顔をゆっくりと地面に下ろすと、そこには光る雫が、草原の上にあり、声が固まって喉の奥に留まる。
すると、続けて光る『雨』が周囲に降り始めた。
「な、んで……」
「──もしかしたら、この暑さで『雪』が溶けて『雨』になったのかもしれないです」
信じられない光景に、強く歯を噛んで軋りを上げる。
頬を、『雨』が伝った。
特別編……『約束』
──『姉』が死亡して、片割れを失って、まだ幼い彼女は床の冷たい感触を味わって肩を自分より大きなクマのぬいぐるみ──クーちゃんと、そう呼ぶぬいぐるみに預けて涙を流していた。
それは、惨憺たる光景だった。
押し込められたクローゼットの隙間から覗く部屋は赤い血に滴り、苦しみに喘ぐ『姉』が男に押し倒されていた。首を絞められ、破けた腹部からは血を流している。力が入らないのか、その手は痙攣し、血の上にただ置かれていた。
「俺は悪くない俺は悪くない。全てあいつらが悪い、あいつらが、あいつらがいなければ、お前達も──」
ぱく、ぱく、ぱく、ぱく、ぱくぱく、ぱくぱくぱく。魚のように動く口が、酸素を欲してゆっくりと開閉する。目からは涙が、鼻から、口から、ありとあらゆる箇所から体液が出ている。血と、それらが流動的に混ざり合っていく。声が出ない、体が動かない。まるで、誰かにそこに縛り付けられたかのようだった。
「お前達はなんであんなに似ているんだ。あいつに──妹に……。怖い、お前らが怖い。アレは俺のせいじゃない、アイツが勝手に……」
「な、にを……」
それは、別の声だった。彼女は、レジ袋を落として、目を剥いている。まだ大人になり切れていない、子供のような低身長に童顔を併せ持つ女性。
「ねえ、お兄ちゃん……なに、してるの……?」
「俺のせいじゃない、お前が、お前らが、皆が、皆が悪い! 俺は何もしてないんだ! 俺は何も悪くない!」
既に動かない『姉』を見て、女性が震える。
「──ミレイ、も、何も、してないでしょ?」
レジ袋の中から、ころころとオモチャが転がって、血の上を転がって、『姉』の腿に当たる。
「そもそも! お前が俺に──ッ!」
『姉』からどいて、女性に食って掛かる男は、周囲を見回す女性の胸倉を掴んで持ち上げた。その動作すら無視して、女性は男に聞く。
「──あの子は? レイミは?」
聞いて、無駄だと知り、その手を離してから「レミちゃん?」と呼びかけるように言う。それでも返事がなく、息を飲んでから「レミちゃん!?」と走り出した。
その後を追いかけ、怒鳴る男の声と足音が聞こえ、クローゼットに隠されていた彼女は、ギィ、と軋りを立てて、クローゼットを押し開く。
「おねえ、ちゃん?」
血溜まりの中、動かない彼女まで四つん這いで進んで行って、ぴちゃ、と水音が聞こえた。何かと手を見れば、赤い絵の具に濡らしたような手が、そこにはあった。目を大きくして、目の前の少女へと目を向ける。そこには、虚ろに目を向け倒れている彼女の姿があり、小さく息を飲んだ。
「おねえちゃん、おねえちゃんっ」
血溜まりを進んで行き、彼女の体を揺する。
動かない。彼女はただ、少女の揺すりに身を任せ、ゆるゆると力の入らない首を動かすのみだ。それも、自分の力では無いことも、恐らくそうだろうと無意識下に理解してしまった幼い少女は、強くなる鼓動に耳を打たれ、それを防ぐために耳を押さえる。
「ぁ、ぁぁ、あぁアあ……」
尻餅を着くと、ぴちゃん、と大きな水音がして、少女は涙を目に浮かべて言葉にならない思いを、先走った口だけが、音を伴わない言葉を並べていく。
心の中で様々なものが渦巻き、蠢き、次の瞬間には遠くから、悲鳴が聞こえてきた。
悲鳴が泣いている。叫んで叫んで叫んで、一度勢いが弱くなったと思うと、即座にまた、悲しみを紛らわすように叫んで叫んで叫ぶ。
──それが自分だと気が付いた時には、部屋に一人で座っていた。
「──」
部屋を見回すと、部屋の一箇所に赤いシミができていた。
「気にしなくて良いわよ。アレは、お兄ちゃんが悪い。レミちゃんは何も悪くない」
ふと声に反応して顔を上げると、そこには見知った顔が狭い視界の中にあった。
女性は少女の顔を見て、にこっ、と笑って見せると、再び前を向いた。
「ごめんね、レミちゃん」
ぽつぽつと、夕暮れの中を歩いていた。
繋ぐ手と反対の手に固い感触を感じて、少女はその手を開けて中を見る。
「──っ」
中には、いちごの髪留めがあった。
それを見て、理解する。今の状況を。
『姉』は死に、自分は生かされ、どこかに連れて行かれる途中だという事が。
少しして、少女は止まった。止められた。
決して大きくはない、けれども、小さくもない、どこにでもあるような、普通の家、と言った印象だ。その家の前に、二人は立っている。
女性がチャイムを鳴らすと、少しして初老を迎えたばかりらしき男性が駆け寄ってきた。
「先程電話した、剣崎です」
「あなた達が。なるほど、それで、この子を……?」
「はい、一時的で構いません、この子を匿ってください」
「──分かりました」
「レミちゃん」
しゃがんで、少女の肩を掴んだ女性がそう言う。
「少しの間、ここにいて。私が、お兄ちゃんを説得してみせるから」
そう言って立ち上がると、初老の男性にぺこりとお辞儀をして「それでは、よろしくお願いします」と言い残して少女から手を離すと、背を向けてもと来た道を歩いて行った。
──去って行く彼女の後ろ姿を追おうとして、少女は固まる。動けなくなった。と言うより、周りのもの、少女を含めたおよそ全てが固まった。
停滞した世界を、黒い靄が動く。
靄は、少女の視界の端にいた。それは前を左から右へ通り、一旦消えたかと思うと少ししてから再び左から現れる。──少女の周囲を旋回しながら、ゆっくりと近づいて行く。
靄は中空を回りながら少女へと近づいて行き──、少女の眼前で留まった。
『約束、守りに来たよ』
視界の左側に少しズレたその靄はゆっくりと形を成していき、やがて、黒い衣を纏う少女の姿になった。浴衣のような振り袖の付いた、太腿辺りまで隠れ、身八つ口が広い。そんな衣を纏う少女は、アスファルトの地面に降り立ち、そう言ってから少女に遠慮がちに微笑みかける。
『あなた達との約束を守る。あなたが受け入れられるまで、私はあなたを過去から守る。代わりにあなたは、私に『形』をくれる。──契約は、今ここで成された』
カチリと、世界が動き始めると共にその靄は消えた。
「レイミちゃん?」
「──」
少女は、左目を押さえて隠して、振り返った。
その瞳に空虚を宿し、少女は答える。
「なに?」
「君は、少しの間、ここに泊まることになったんだけど、よろしくね」
「──よろしく」
[あとがき]
特別編、やっぱり本編とあまり関係ない気がします。
作者の自己満足とは言いましたが、ほんと、その通りでしたね。
さて、なんだかちょっと足りてない感じがしない気もしないので、特別編の補足をば。
特別編は、二章等で触れたレイくんの記憶、その断片を繋いだ感じになってます。
所々穴抜けしてますが、それは追々。
そして、あの黒い靄さんが前回話してた『シェイド』さんです。
まだまだ穴抜けしている所は読者様方の想像などで補完してもらったりするかもしれませんが、ちゃんと全部書けたらなと思っておりますです。
そして、レイくんのお父さんと、その妹さん。──レイトさんと、ろおざ(メィリル)さんですが、本編の方では二人はそれぞれ別行動してました。その理由の一つがこの特別編です。
レイトさんはレイくんを探してあちこち回り、それを探して妹さんもあちこち回って。妹さん、昔はまだまともだったんですよ。本編みたいな頭のおかしい人になったのはこれよりももうちょっと先です。
そして、シェイドさんが言っている『形』とは、所謂体の事です。
彼女は精霊の中でもちょっと偉い立場にあって、その立場の精霊達はとある出来事でその存在としての形の維持が難しくなってしまい、その為に契約しているのです。
少し本編に触れますが、二弥ちゃんもその精霊の一体と関係があります。
こうして見ると、意外とファンタジーしてますね。
さて、このまま話してると更にネタバレしてしまいそうなので止めておきます。
IFストーリー、今回も頭のおかしいものばかりだったように思います。
今度のIFストーリーもたぶん頭のおかしいものばかりです。
それでも飽きずに見に来てくれる人は、ありがとうございます。
それでは、本編はまだまだ続くのでお楽しみください。
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