当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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二章 無意味の象徴

91話 『続々』

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「嘘つきめ。──なんでお前が、ここにいる……」

 レイの口から出て来た問は酷い熱を孕んでおり、その視線は右腕に纏わる黒い剣となってその鋭さを喉元に突き付けられていた

「おやおや、何を言い出すかと思えば……」

「剣崎くん! やめて下さい! 今はその方と協力しないと切り抜けられないかもしれないんです! 薄々感じているでしょう!? この禍々しい感じを!」

「──分かってるよ。でも……」

 白い歯を削り、左腕を下ろした状態で右腕を喉元に突き付けたまま、両瞼を開く

「──許せない。嘘をつくコイツが……」

「ああ。そうですか。検討が着きました。道理で。はいはい、これまでの事にも合点がいきました。しかし厄介ですね。体が空いた『精霊』と言うのは」

 諦観しているような苦笑いは、レイに向けられたものではなくまた別の者に向けられたもののようで──、

「──やっと、戻って来ましたか」

 即座に漆黒の盾に侵食された左腕を振り上げたが僅かに遅く、肩にそれがめり込む

「ッはぁああ──ッ!」

 息を吐くように出された興奮の目立つその叫びはレイの苦々しい歯軋りの返答を受けて横腹に蹴りを加えて離れる

 よろめくレイは右腕を侵食する剣を支えになんとか体勢を整えて眼前に揃う面々を、カエデを含めた六人の人々を見る

「はぁ~い。残念だけど、私達はまだまだリーダーを失うわけにはいかないの」

 男は腰をくねらせ、手を当てて吐き気を外出させるかのようなウィンクをしてみせた

 「トア……さん……」と、さくらがつぶやく

「さて。時間稼ぎはこれにて終了。──では、私共はこれにて退散します。ここまでのお仕事、誠にありがとうございました。もう少しの間、頑張って私達の逃走時間を作ってくださいね?」

 手を振るカエデを肩に担ぐ肥えた男は上半身裸で、目元まで隠れるような赤いずきんを被っている

「さあ行きましょう」

 カエデがそう言うと同時に彼らは展望台から飛び降りるようにしてレイの視界から消えていった

「……ハダチさんは?」

 ──そんな問をトアに投げかけたのは展望台から離れて数分もしない山の中、小さい子供くらいの大きさの滝を側目に逃避行の小休止を挟んだ所での事だった

「やる事があるから先に行けって言ってたわよん」

 そう快く答えたトアの隣で座り、他の四人を目を細めて見つめながら眉をひそめる

「そうですか。分かりました。それでは先に帰りましょう。ああ、それと──」

 頼んでいた件は、と微笑むとトアは慎重にコクリと頷いた

「そうですか。では、あまりこの場に残る価値は無いですね。後処理は──やはりアオイさんに任せるのが一番でしょうか」

 ふと、カエデを運んでいた人物と会話をしていた十歳か九歳ともつかない童女が気付いたようにとてとてと慌てた様子で駆けてくる

「カエデたま! よんだ!?」

 満面の笑みを浮かべて座るカエデの膝に手を乗せ、今か今かと瞳から星屑を溢して腰を高速で左右に振りまくる童女の頭を撫でてあやすように微笑んだ

「ええ。この場の後始末を任せても良いですか?」

 華やぐ満面の笑みに星屑が光り輝く

「うんっ! まかてて! ……とれで……との……」

 元気よく首を上下に振ってすぐ、腰を左右に小刻みさせる童女の口から、躊躇いがちに舌足らずな言葉が幾つか零れる

「分かってますよ。帰ったら、絵本の続き、でよろしいですか?」

「うんっ! いってきまーちぅ──っ!」

 盛大に舌を噛んだ
 その星屑のように光り輝いていた瞳は今は大粒の涙で濡れに濡れているが、カエデに頭を撫でられてその涙ですらも星屑の光を輝かせて童女の愛らしさに貢献させたのだった

「焦らなくてもまだ大丈夫ですよ。──トアさん、行ってらっしゃい」

「おり? 仕方ないわねぇ……」

 そう言って下ろしていた腰を上げると空を見上げた

 その空はまだ明るいが、少しずつ、確実に夕暮れの訪れを告げようとしていた


 ※※※


「──なんで」

 両膝をつき、悔しげに歪めた顔をコンクリートの地面へと投げかけるも、できた影はうんともすんとも言わない
 口から漏れた呟きは誰に届くでもなくて、唇を締めて言葉を自制する

「剣崎くん……」

 車椅子に座るさくらは背中越しにレイを見て、不安げに見詰めるだけで声をかけるつもりもなかったのだろう。しかし、その声はしっかりとレイに届き──、

「ぁ、ぅ──……」

 眉間にシワを寄せ、後悔を噛み潰すように歯をすり減らした

 ごめんね──、と。苦々しく、泣きそうな笑みをさくらに向けて言い放ち、それだけを伝えると困惑するさくらに細めた視線と笑みを残して顔からコンクリートの上に倒れる

「何を……」

 その言葉の先が口に出る前に変化が起き始める

 ──遠くから狼の遠吠えと思しき鳴き声が大地を奮い立たせるほど壮絶な猛りが山中に響き渡る

「この、遠吠え……。っ! まさか……っ!」

 肘掛けアームサポートに手を置いて車椅子の隣に立ち続ける少女──ナナセの手を掴む手に握られたのは、岩の肌だった
 止まりそうな息を、ゆっくりと落ち着かせるように吐き出してから首を小さく横に振る
 それから意を決した風に深呼吸をし、背筋を伸ばして隣を見上げると同時にさくらは目を瞠った

 ──それは、竜だった

 正確には、爬虫類の顔のような形の岩にナナセの顔があった部分が覆われているのだ
 その岩肌は既に全身に纏わり付いていて、元の薄い橙色が見えない程だ

「ナナセ、さん……?」

 声をかけても返事は来ない。けれども、代替するかの如く幾つかの足音が駆けて来る。近づいて来る。タタッ、タタッ、タタッ、タタッ──。力強い足踏みが、猛る大地を追い駆けるように、壮絶な奮い立たせに応じるかのように、足音は徐々に強くなり──、

『見つけたぞ……! 風の精霊王──シルフィード!!』

 幼女を背に乗せた白い毛並みの狼が、展望台を真正面から軽やかに跳んでやって来た

「やはり、あなたでしたか──!」

 着地したオオカミは数匹の同種族を連れて来ていて、それらを左右に二匹ずつ並ばせる形で隊列を組み、前傾姿勢で威嚇の唸り声を上げる

『さあ、これまでの雪辱を晴らさせてもらうぞ!』

 そのオオカミの背中では幼女が頭を押さえて覚束ない首をふらふらと左右に振りながらオオカミの背中から前を見る

「ぁ──れ……?」

 検討が外れたかのような声を上げて幼女が車椅子に座っている人物から、その少し後ろに位置する所で倒れているレイを見詰めて眉をひそめた

「お兄ちゃん……?」

 彼女は──ナツミは、困惑する他なかった
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