35 / 41
第四章
三十五話
しおりを挟む
あれから二週間。
シンラがここへ顔を見せないまま、ベニモモちゃんが外へ出てくる日がやって来た。
『いっぱい寝て力を蓄えたので、そろそろ出ます。母さまはベッドに座っていてください。少し眩しいですが、すぐ済みますよ』
「は、はい……」
では……と、ベニモモちゃんが行動を起こそうとしたその時、窓の方からカタンという音がする。
「あ、間に合った……?」
この声は……。
(シ、シンラ……?)
そう言って、突然現れた銀髪の少年。
彼は銀色の狐耳をもち、後ろには九尾の尻尾を生やしている。
そして紺色の着物を羽織り、相も変わらず女性と見間違うほどの美しい顔立ちをしていた。
『父さま、またタイミングよく戻りましたねぇ』
「サノメから聞いて、そろそろかなと」
シンラはこちらに向かって話をしていたが、私はそっと彼から目を逸らした。
仲違いしてから顔を合わせていなかった二週間、今……彼とどう接したらいいのか、私には分からないのだ。
(正直、気まずいですね……)
『じゃあ……ひとまず出ますね』
ベニモモちゃんの合図だ。
私の腹の辺りが段々と温かくなっていく。
すると、ぽわんとした光の塊が、私の目の前に突然現れた。
まるで、小さな太陽が、部屋の中に入ってきてしまったみたいな。
その光は……思っていたよりもずっと眩しかった。
そして、少しずつ……少しずつだが、光の強さは和らいでいき、最終的には小さな女の子の狐神が、ストンと床に降りてきた。
幼女の狐神は黒髪で、私の子供の頃によく似ている。
違うところといえば、銀色の狐耳と六尾の尻尾、そしてシンラと同じ蒼い瞳を持っている部分だろうか。
「ベニモモちゃん……ですよね?」
「はい、そうですよ。私が紅百です。母さま、長い期間、私を育ててくれてありがとうございました。そして、お疲れ様でした。体の調子は変わりないですか?」
「は、はい。大丈夫です……何も変わりません」
このベニモモちゃん、すでに赤ちゃんには見えない。
けれど、このちょこんと立っている小さい狐耳付きの幼児姿……!
なんて可愛い生物なのだろう。
ベニモモちゃんの頭を撫でたり、抱っこしたい欲求が、私の頭の中へとどんどん攻めてきて、思わず体がうずうずしてくる。
「驚いたな……本当に、幼児化した志帆って感じ」
「そうですか? 母さまに、そんなに似てますかね」
ベニモモちゃんはそう言うと、首をコテンと横に傾けた。
ああ、その姿のなんと愛らしいことよ。
「昔の私に似ていますが、もっとずっと可愛いです! 四頭身の狐耳尻尾つき幼女! これはもう尊死レベルですよっ」
「と、とうとし?」
「母さま、とうとしとは一体?」
「あ、その……素晴らし過ぎて、天にも昇りそうだという意味の比喩です」
さすがにちょっと通じませんでしたね。
って……ん?
な、なんかシンラ、いつの間にか後ろから私の腰に腕を回しているんですが?
そして心なしか、胸の下あたりを親指でスリスリと軽く撫でているような……。
(ちょ、何この微妙な触り方……どこの痴漢ですかという)
「あ……そ、そうでした。私はこれをベニモモちゃんに実行せねば……」
私はそう言って、さりげなくシンラの手から逃れ、ベニモモちゃんの元へ……そして、彼女の体をぎゅっと抱きしめた。
「あのう……母さま? これは一体……」
「人間の医療では、生まれた子と母が体を密着させるカンガルーケアを大切にしているらしいのです。なので、私も真似してやってみました」
ええ、決してセクハラシンラから逃げたかった訳でも、ベニモモちゃんが可愛すぎて抱っこしたかっただけということでもなく……。
でも、小さい子の匂いって、ただただ癒されますね。
「母さま……」
ベニモモちゃんの体は産まれたばかりの赤ちゃんほどではないにしても、本当に小さい。
小さくて小さくて……とても愛おしい。
「……ちっ、逃げられた」
「ん? 父さま、何か言いました?」
「いや、別に……まぁ、俺はサノメを呼んでくるよ」
時間を忘れて、しばらくベニモモちゃんと抱き合っていると、シンラはそう言って部屋を出ていく。
私は自分の役割を思い出して、ベニモモちゃんを抱っこしながら、入口へ向かうシンラの後ろを追いかけた。
「シンラ、私もトウワさんに声をかけなくてはいけなかったのでした。今はお部屋にいらっしゃるのかな……」
「母さま、それは……」
「志帆……狐神の嫁は、主人以外の狐神の階層に行くことは禁じられている。それに、燈倭に何の用?」
そう言ってシンラは、キッとした目つきで私を睨んだ。
もちろん、トウワさんの部屋に単身で行くつもりはなかったですが……。
「それは……誰かがついていても、例えばその方のお嫁さんがその場にいらっしゃっても、ダメな感じなのですかね?」
「そう。他神の人間の嫁は、足を踏み入れてはいけない禁忌になっている。少しでも好みの人間の女が部屋に来たら、狐神はたちまち抱いてしまうから。そうすれば罰を喰らうのはその寝取った狐神だ」
「罰を……」
「千年禁錮の罰だ。まぁ、燈倭は……特別大事に想っている志帆に、手を出さない気もするが、万が一もある」
トウワさんが私を特別大事に想っているって……?
シンラ、また何か勘違いをしてますね。
それにしても、少しでも好みの女性が部屋に来たら、すぐに抱いてしまう狐神の感覚って……怖っ。
罰を喰らうという話は、前にもシンラがトウワさんに言っていた気がしますが。
そして、千年も禁固刑に……うぅ、怖い事実を知って、ぶるぶるっと身震いがしました。
「ちなみに人間の男性が私の元へ来ても、私はそんなことしませんよ? 母さま、それは男型の狐神だけの衝動という言葉を補足しておきます」
「俺たちは嗅覚が優れているから、好みの女の匂いはヤバいんだよ。それで? 結局、志帆は燈倭に何の用なの?」
あ、ここでようやく話が戻りましたね。
そうですそうです、とりあえず要件を伝えなくては……。
「その……ベニモモちゃんが行く八狐神神社への付き添いを、先日トウワさんに頼んだのです。も、もちろん屋上で。その神社は老朽化がかなり酷いとのことでしたので、ベニモモちゃん独りでは、私も心配だったものですから……」
「ああ、なんだ。それならば、俺が燈倭を呼んでこよう」
シンラはそう言うと、すぐさま昇降機へと向かっていった。
シンラがここへ顔を見せないまま、ベニモモちゃんが外へ出てくる日がやって来た。
『いっぱい寝て力を蓄えたので、そろそろ出ます。母さまはベッドに座っていてください。少し眩しいですが、すぐ済みますよ』
「は、はい……」
では……と、ベニモモちゃんが行動を起こそうとしたその時、窓の方からカタンという音がする。
「あ、間に合った……?」
この声は……。
(シ、シンラ……?)
そう言って、突然現れた銀髪の少年。
彼は銀色の狐耳をもち、後ろには九尾の尻尾を生やしている。
そして紺色の着物を羽織り、相も変わらず女性と見間違うほどの美しい顔立ちをしていた。
『父さま、またタイミングよく戻りましたねぇ』
「サノメから聞いて、そろそろかなと」
シンラはこちらに向かって話をしていたが、私はそっと彼から目を逸らした。
仲違いしてから顔を合わせていなかった二週間、今……彼とどう接したらいいのか、私には分からないのだ。
(正直、気まずいですね……)
『じゃあ……ひとまず出ますね』
ベニモモちゃんの合図だ。
私の腹の辺りが段々と温かくなっていく。
すると、ぽわんとした光の塊が、私の目の前に突然現れた。
まるで、小さな太陽が、部屋の中に入ってきてしまったみたいな。
その光は……思っていたよりもずっと眩しかった。
そして、少しずつ……少しずつだが、光の強さは和らいでいき、最終的には小さな女の子の狐神が、ストンと床に降りてきた。
幼女の狐神は黒髪で、私の子供の頃によく似ている。
違うところといえば、銀色の狐耳と六尾の尻尾、そしてシンラと同じ蒼い瞳を持っている部分だろうか。
「ベニモモちゃん……ですよね?」
「はい、そうですよ。私が紅百です。母さま、長い期間、私を育ててくれてありがとうございました。そして、お疲れ様でした。体の調子は変わりないですか?」
「は、はい。大丈夫です……何も変わりません」
このベニモモちゃん、すでに赤ちゃんには見えない。
けれど、このちょこんと立っている小さい狐耳付きの幼児姿……!
なんて可愛い生物なのだろう。
ベニモモちゃんの頭を撫でたり、抱っこしたい欲求が、私の頭の中へとどんどん攻めてきて、思わず体がうずうずしてくる。
「驚いたな……本当に、幼児化した志帆って感じ」
「そうですか? 母さまに、そんなに似てますかね」
ベニモモちゃんはそう言うと、首をコテンと横に傾けた。
ああ、その姿のなんと愛らしいことよ。
「昔の私に似ていますが、もっとずっと可愛いです! 四頭身の狐耳尻尾つき幼女! これはもう尊死レベルですよっ」
「と、とうとし?」
「母さま、とうとしとは一体?」
「あ、その……素晴らし過ぎて、天にも昇りそうだという意味の比喩です」
さすがにちょっと通じませんでしたね。
って……ん?
な、なんかシンラ、いつの間にか後ろから私の腰に腕を回しているんですが?
そして心なしか、胸の下あたりを親指でスリスリと軽く撫でているような……。
(ちょ、何この微妙な触り方……どこの痴漢ですかという)
「あ……そ、そうでした。私はこれをベニモモちゃんに実行せねば……」
私はそう言って、さりげなくシンラの手から逃れ、ベニモモちゃんの元へ……そして、彼女の体をぎゅっと抱きしめた。
「あのう……母さま? これは一体……」
「人間の医療では、生まれた子と母が体を密着させるカンガルーケアを大切にしているらしいのです。なので、私も真似してやってみました」
ええ、決してセクハラシンラから逃げたかった訳でも、ベニモモちゃんが可愛すぎて抱っこしたかっただけということでもなく……。
でも、小さい子の匂いって、ただただ癒されますね。
「母さま……」
ベニモモちゃんの体は産まれたばかりの赤ちゃんほどではないにしても、本当に小さい。
小さくて小さくて……とても愛おしい。
「……ちっ、逃げられた」
「ん? 父さま、何か言いました?」
「いや、別に……まぁ、俺はサノメを呼んでくるよ」
時間を忘れて、しばらくベニモモちゃんと抱き合っていると、シンラはそう言って部屋を出ていく。
私は自分の役割を思い出して、ベニモモちゃんを抱っこしながら、入口へ向かうシンラの後ろを追いかけた。
「シンラ、私もトウワさんに声をかけなくてはいけなかったのでした。今はお部屋にいらっしゃるのかな……」
「母さま、それは……」
「志帆……狐神の嫁は、主人以外の狐神の階層に行くことは禁じられている。それに、燈倭に何の用?」
そう言ってシンラは、キッとした目つきで私を睨んだ。
もちろん、トウワさんの部屋に単身で行くつもりはなかったですが……。
「それは……誰かがついていても、例えばその方のお嫁さんがその場にいらっしゃっても、ダメな感じなのですかね?」
「そう。他神の人間の嫁は、足を踏み入れてはいけない禁忌になっている。少しでも好みの人間の女が部屋に来たら、狐神はたちまち抱いてしまうから。そうすれば罰を喰らうのはその寝取った狐神だ」
「罰を……」
「千年禁錮の罰だ。まぁ、燈倭は……特別大事に想っている志帆に、手を出さない気もするが、万が一もある」
トウワさんが私を特別大事に想っているって……?
シンラ、また何か勘違いをしてますね。
それにしても、少しでも好みの女性が部屋に来たら、すぐに抱いてしまう狐神の感覚って……怖っ。
罰を喰らうという話は、前にもシンラがトウワさんに言っていた気がしますが。
そして、千年も禁固刑に……うぅ、怖い事実を知って、ぶるぶるっと身震いがしました。
「ちなみに人間の男性が私の元へ来ても、私はそんなことしませんよ? 母さま、それは男型の狐神だけの衝動という言葉を補足しておきます」
「俺たちは嗅覚が優れているから、好みの女の匂いはヤバいんだよ。それで? 結局、志帆は燈倭に何の用なの?」
あ、ここでようやく話が戻りましたね。
そうですそうです、とりあえず要件を伝えなくては……。
「その……ベニモモちゃんが行く八狐神神社への付き添いを、先日トウワさんに頼んだのです。も、もちろん屋上で。その神社は老朽化がかなり酷いとのことでしたので、ベニモモちゃん独りでは、私も心配だったものですから……」
「ああ、なんだ。それならば、俺が燈倭を呼んでこよう」
シンラはそう言うと、すぐさま昇降機へと向かっていった。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。


初めから離婚ありきの結婚ですよ
ひとみん
恋愛
シュルファ国の王女でもあった、私ベアトリス・シュルファが、ほぼ脅迫同然でアルンゼン国王に嫁いできたのが、半年前。
嫁いできたは良いが、宰相を筆頭に嫌がらせされるものの、やられっぱなしではないのが、私。
ようやく入手した離縁届を手に、反撃を開始するわよ!
ご都合主義のザル設定ですが、どうぞ寛大なお心でお読み下さいマセ。

俺の不運はお前が原因、と言われ続けて~婚約破棄された私には、幸運の女神の加護がありました~
キョウキョウ
恋愛
いつも悪い結果になるのは、お前が居るせいだ!
婚約相手のレナルド王子から、そう言われ続けたカトリーヌ・ラフォン。
そして、それを理由に婚約破棄を認める書類にサインを迫られる。
圧倒的な権力者に抗議することも出来ず、カトリーヌは婚約破棄を受け入れるしかなかった。
レナルド王子との婚約が破棄になって、実家からも追い出されることに。
行き先も決まらず、ただ王都から旅立つカトリーヌ。
森の中を馬車で走っていると、盗賊に襲われてしまう。
やはり、不運の原因は私だったのか。
人生を諦めかけたその時、彼女は運命的な出会いを果たす。
※カクヨムにも掲載中の作品です。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

聖女様と間違って召喚された腐女子ですが、申し訳ないので仕事します!
碧桜
恋愛
私は花園美月。20歳。派遣期間が終わり無職となった日、馴染の古書店で顔面偏差値高スペックなイケメンに出会う。さらに、そこで美少女が穴に吸い込まれそうになっていたのを助けようとして、私は古書店のイケメンと共に穴に落ちてしまい、異世界へ―。実は、聖女様として召喚されようとしてた美少女の代わりに、地味でオタクな私が間違って来てしまった!
落ちたその先の世界で出会ったのは、私の推しキャラと見た目だけそっくりな王(仮)や美貌の側近、そして古書店から一緒に穴に落ちたイケメンの彼は、騎士様だった。3人ともすごい美形なのに、みな癖強すぎ難ありなイケメンばかり。
オタクで人見知りしてしまう私だけど、元の世界へ戻れるまで2週間、タダでお世話になるのは申し訳ないから、お城でメイドさんをすることにした。平和にお給料分の仕事をして、異世界観光して、2週間後自分の家へ帰るつもりだったのに、ドラゴンや悪い魔法使いとか出てきて、異能を使うイケメンの彼らとともに戦うはめに。聖女様の召喚の邪魔をしてしまったので、美少女ではありませんが、地味で腐女子ですが出来る限り、精一杯頑張ります。
ついでに無愛想で苦手と思っていた彼は、なかなかいい奴だったみたい。これは、恋など始まってしまう予感でしょうか!?
*カクヨムにて先に連載しているものを加筆・修正をおこなって掲載しております
あなたと恋に落ちるまで~御曹司は一途に私に恋をする~ after story
けいこ
恋愛
あなたと恋に落ちるまで~御曹司は一途に私に恋をする~
のafter storyになります😃
よろしければぜひ、本編を読んで頂いた後にご覧下さい🌸🌸
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる