隠し村の狐神〜異類婚姻譚〜

みなみ抄花

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第四章

三十五話

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 あれから二週間。
 シンラがここへ顔を見せないまま、ベニモモちゃんが外へ出てくる日がやって来た。
『いっぱい寝て力を蓄えたので、そろそろ出ます。ははさまはベッドに座っていてください。少し眩しいですが、すぐ済みますよ』
「は、はい……」
 では……と、ベニモモちゃんが行動を起こそうとしたその時、窓の方からカタンという音がする。
「あ、間に合った……?」
 この声は……。
(シ、シンラ……?)
 そう言って、突然現れた銀髪の少年。
 彼は銀色の狐耳をもち、後ろには九尾の尻尾を生やしている。
 そして紺色の着物を羽織り、相も変わらず女性と見間違うほどの美しい顔立ちをしていた。
ちちさま、またタイミングよく戻りましたねぇ』
「サノメから聞いて、そろそろかなと」
 シンラはこちら腹の方に向かって話をしていたが、私はそっと彼から目を逸らした。
 仲違いしてから顔を合わせていなかった二週間、今……彼とどう接したらいいのか、私には分からないのだ。
(正直、気まずいですね……)

『じゃあ……ひとまず出ますね』
 ベニモモちゃんの合図だ。
 私の腹の辺りが段々と温かくなっていく。
 すると、ぽわんとした光の塊が、私の目の前に突然現れた。
 まるで、小さな太陽が、部屋の中に入ってきてしまったみたいな。
 その光は……思っていたよりもずっと眩しかった。
 そして、少しずつ……少しずつだが、光の強さは和らいでいき、最終的には小さな女の子の狐神が、ストンと床に降りてきた。
 幼女の狐神は黒髪で、私の子供の頃によく似ている。
 違うところといえば、銀色の狐耳と六の尻尾、そしてシンラと同じ蒼い瞳を持っている部分だろうか。
「ベニモモちゃん……ですよね?」
「はい、そうですよ。私が紅百べにももです。ははさま、長い期間、私を育ててくれてありがとうございました。そして、お疲れ様でした。体の調子は変わりないですか?」
「は、はい。大丈夫です……何も変わりません」
 このベニモモちゃん、すでに赤ちゃんには見えない。
 けれど、このちょこんと立っている小さい狐耳付きの幼児姿……! 
 なんて可愛い生物いきものなのだろう。
 ベニモモちゃんの頭を撫でたり、抱っこしたい欲求が、私の頭の中へとどんどん攻めてきて、思わず体がうずうずしてくる。

「驚いたな……本当に、幼児化した志帆って感じ」
「そうですか? ははさまに、そんなに似てますかね」
 ベニモモちゃんはそう言うと、首をコテンと横に傾けた。
 ああ、その姿のなんと愛らしいことよ。
「昔の私に似ていますが、もっとずっと可愛いです! 四頭身の狐耳尻尾つき幼女! これはもうとうとレベルですよっ」
「と、?」
ははさま、とは一体?」
「あ、その……素晴らし過ぎて、天にも昇りそうだという意味の比喩です」 
 さすがにちょっと通じませんでしたね。
 って……ん?
 な、なんかシンラ、いつの間にか後ろから私の腰に腕を回しているんですが?
 そして心なしか、胸の下あたりを親指でスリスリと軽く撫でているような……。
(ちょ、何この微妙な触り方……どこの痴漢ですかという)

「あ……そ、そうでした。私はこれをベニモモちゃんに実行せねば……」
 私はそう言って、さりげなくシンラの手から逃れ、ベニモモちゃんの元へ……そして、彼女の体をぎゅっと抱きしめた。
「あのう……ははさま? これは一体……」
「人間の医療では、生まれた子と母が体を密着させるカンガルーケアを大切にしているらしいのです。なので、私も真似してやってみました」
 ええ、決してセクハラシンラから逃げたかった訳でも、ベニモモちゃんが可愛すぎて抱っこしたかっただけということでもなく……。
 でも、小さい子の匂いって、ただただ癒されますね。
ははさま……」
 ベニモモちゃんの体は産まれたばかりの赤ちゃんほどではないにしても、本当に小さい。
 小さくて小さくて……とてもいとおしい。

「……ちっ、逃げられた」
「ん? ちちさま、何か言いました?」
「いや、別に……まぁ、俺はサノメを呼んでくるよ」
 時間を忘れて、しばらくベニモモちゃんと抱き合っていると、シンラはそう言って部屋を出ていく。
 私は自分の役割を思い出して、ベニモモちゃんを抱っこしながら、入口へ向かうシンラの後ろを追いかけた。
「シンラ、私もトウワさんに声をかけなくてはいけなかったのでした。今はお部屋にいらっしゃるのかな……」 
ははさま、それは……」
「志帆……狐神の嫁は、主人以外の狐神の階層に行くことは禁じられている。それに、燈倭とうわに何の用?」
 そう言ってシンラは、キッとした目つきで私を睨んだ。
 もちろん、トウワさんの部屋に単身で行くつもりはなかったですが……。

「それは……誰かがついていても、例えばその方のお嫁さんがその場にいらっしゃっても、ダメな感じなのですかね?」
「そう。他神の人間の嫁は、足を踏み入れてはいけない禁忌になっている。少しでも好みの人間の女が部屋に来たら、狐神はたちまち抱いてしまうから。そうすれば罰を喰らうのはその寝取った狐神だ」
「罰を……」
「千年禁錮きんこの罰だ。まぁ、燈倭とうわは……特別大事に想っている志帆に、手を出さない気もするが、万が一もある」
 トウワさんが私を特別大事に想っているって……?
 シンラ、また何か勘違いをしてますね。
 それにしても、少しでも好みの女性が部屋に来たら、すぐに抱いてしまう狐神の感覚って……怖っ。
 罰を喰らうという話は、前にもシンラがトウワさんに言っていた気がしますが。
 そして、千年も禁固刑に……うぅ、怖い事実を知って、ぶるぶるっと身震いがしました。

「ちなみに人間の男性が私の元へ来ても、私はそんなことしませんよ? ははさま、それは男型おのこタイプの狐神だけの衝動という言葉を補足しておきます」
「俺たちは嗅覚が優れているから、好みの女の匂いはヤバいんだよ。それで? 結局、志帆は燈倭とうわに何の用なの?」
 あ、ここでようやく話が戻りましたね。
 そうですそうです、とりあえず要件を伝えなくては……。
「その……ベニモモちゃんが行く八狐神やっこしん神社への付き添いを、先日トウワさんに頼んだのです。も、もちろん屋上で。その神社は老朽化がかなり酷いとのことでしたので、ベニモモちゃん独りでは、私も心配だったものですから……」
「ああ、なんだ。それならば、俺が燈倭とうわを呼んでこよう」
 シンラはそう言うと、すぐさま昇降機へと向かっていった。
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