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第5話
しおりを挟む出勤途中、あの人が出演してるドラマの看板を見つけた。
スクーターから見上げた彼はどこか険しい表情をしていて、それが今回の役柄なのだろう。
柚希はなんとなく似合わないなと思って、そんなことを考えている自分に苦笑してしまった。
(……翔太のことなんて、全然興味なかったのに……)
こういうふとした瞬間に、大好きなハズの潤也のことではなく、翔太のことを思い出している自分が不思議だった。
***** ***** ***** ***** *****
この仕事が好きだ。
猫の手も借りたいほど忙しい人を裏からお手伝いして、秩序ある生活に戻していく。
大抵忙しくて疲れてる人って、生活のどこかが壊れていたりするから、柚希の仕事はそれを直していくようなものだ。
部屋が片付けられない人には、整理整頓された快適な空間を。
インスタントものばかりで身体が悲鳴を上げている人には、栄養のバランスを考えた温かな食事を。
この仕事は、自分自身にコンプレックスを持ちがちな柚希が見つけた、たったひとつの誰にでも誇れる仕事だった。
「染井くんとこはもう慣れた?」
今日の柚希のシフトは、午前中から正午にかけてが、あのMAINSの翔太や潤也たちと遭遇するきっかけとなったTV局の番組ディレクター・篠原の家で、夕方からが翔太のマンションだった。
柚希は、目の前にある大量の食材をさばきながら、こっそりとテーブルで新聞を読んでいる篠原の様子をうかがった。
「まぁ、それなりには……」
「そうかぁ。いやぁ、安心したよ」
実は翔太に柚希の人となりや仕事っぷりを紹介したのは、この篠原だった。
そのあまりの絶賛っぷりに、じゃあ自分もと珍しく翔太がノリ気になったらしい。
(……なんて余計なことを……)
柚希は内心そう思いながらも、嬉しそうな篠原の表情を目の当たりにして、ありがとうございます、と苦笑するしかなかった。
篠原の家での仕事を終えて一旦事務所へ戻ってきた柚希は、日誌を書きながら次の仕事時間を待っていた。
この日誌は柚希が自分のために始めたもので、主に炊事を任されるクライアントのときにだけ記入していた。
柚希の担当するクライアントの中では、篠原がこの日誌の常連で、レシピが前回と被らないようにするだけで精一杯だ。
毎週、日持ちする料理をタッパーに小分けして、これでもかというくらい冷蔵庫に詰めていくのだが、次の週にはきれいさっぱりなくなっている。
いままで健康診断で引っかかってばかりだったのが最近は調子がいい、と笑う篠原が素直に嬉しかった。
(そういえば…………)
柚希は、翔太にフレンチトーストを作ったことを思い出した。
あんな簡単なものでも喜んでいた姿に、自然と口元が緩む。まだ連絡はないようだけど、この分なら近いうちに掃除や洗濯の他に、炊事が追加されるだろう。
「んー、……新しい料理本でも買おうかなぁ」
柚希はどうしようと考え込んだ。
いつものように翔太のマンションにやってきた柚希は、オートロックのボタンを押した。
「あれ?」
反応がない。
こちらの時間は合っているので、もしかしたら急な仕事でも入ったのだろうか?
柚希が事務所に何か連絡が入っているか確認しようとしたとき、不意にガチャンとオートロックが開錠して、自動ドアが開いた。
「…………?」
これは勝手に入れということなのだろうか?
柚希は首を傾げつつ、翔太の部屋へ行ってみることにした。
部屋のチャイムを押すと、ピンポンッとお決まりの電子音がして、何事もなかったように玄関のドアが開いた。
ドアを開けてくれた翔太も普段と変わりなく、柚希はますますわけがわからなかった。
「すまん、ちょっと立て込んでた」
ただそう言った翔太がどこか疲れているような気がして、柚希はまじまじと翔太を見上げた。だがやはり、いつもと同じようにも見える。
(おかしいなぁ……)
柚希は翔太の様子を気にしながらも、仕事に取り掛かることにした。
「あれ…………」
静かだ。
柚希は、自分の他にまったく人の気配がないことに気付いて、慌てて辺りを見渡した。
いつもなら、うるさいくらいまとわりついてくる翔太の姿がない。
柚希は嫌な予感がして、アイロンがけをしていたシャツを放り出した。
トイレやお風呂場、キッチンなどを見て回って、さらには物置となっている客間のドアも開けてみる。そうして寝室までたどり着いた柚希は、ゴクリと息を呑んだ。
「……し、失礼しまーす……」
柚希が恐る恐る寝室のドアを開けると。
「っ、翔太!!」
薄暗い部屋の中に、倒れている人影。
慌てて翔太に駆け寄ると、真っ赤な顔で荒く呼吸を繰り返していた。
額に手を当てれば、驚くほど体温が高い。しかも直前までお風呂に入っていたようで、髪がまだ濡れている。
このままではいけないと、柚希がどうにか翔太を仰向けにした。
「ひっ!」
仰向けにした拍子に着ていたバスローブがはだけて、たくましい胸板があらわになってしまう。
(ちょ、ちょっと、なんでちゃんと着てないの!)
目のやり場に困った柚希が恐る恐るバスローブの前をあわせていると、翔太の目がうっすらと開いた。
「…………ゆず、き……?」
「だ、大丈夫?」
弱々しい翔太の姿に、柚希はいつのまにか素に戻って接していた。
「もし起きれるなら、ベッドに……」
「わりぃ……、肩……貸してくれ」
そうして柚希に助けられる形でベッドに横になった翔太は、深々とため息をついた。こうやって薄暗いところで見ると、目の下のクマが酷い。
「……最近、寝れてねぇんだ」
レコーディングが終わらなくてな、と苦笑する翔太に、柚希は顔をしかめる。翔太の表情は、典型的なワーカホリックのそれだった。
「…………何か食べますか?」
「いや、……このまま少し寝る」
「……なら、何か作って冷蔵庫に入れておきますから、起きたら食べてください」
「………………」
柚希が言い聞かせるようにそう言うと、翔太がじっとこちらを見つめた。
熱でぼうっとしているのか、一向に視線を逸らそうとしない翔太に、だんだん柚希の方が落ち着かなくなってくる。
(うぅ……なんか気まずい…………)
「じゃ、じゃあ……」
わたし作ってきますね、と柚希がベッドのそばから離れようとしたときだった。
「あ…………」
熱を持った翔太の手が、自分の手首を掴んでいた。
思わぬ熱さに、柚希はどきっと肩が震えたのがわかった。
「…………て……」
翔太が何かを呟いた。
「え?」
よく聞き取れなかった柚希が聞き直せば、今度は手首ではなく手を包み込むように握られる。
「……ここに、いてくれ」
頼む、とすがるような翔太の瞳が自分を見ていた。
柚希が思わず頷くと、翔太は安心したように微笑んで、やがてゆっくり沈むように眠ってしまった。
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