死ぬよりも酷い目

柊原 ゆず

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死ぬよりも酷い目

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 とある男が悪魔を召喚した。黒いスーツに黒髪のオールバック、一見すると執事のような見た目の悪魔は笑みを湛えて男に声をかけた。

「私を呼んだのはあなたですか?」
「ああ。この写真に写る男、『大橋 航』を死ぬよりも酷い目にあわせてほしい」

 男はポケットから写真を取り出した。そこには、一人の男が写っている。

「ほう。この男を死ぬよりも酷い目にあわせてほしいと?」
「ああ。此奴には昔から虐められてきた。俺の人生を滅茶苦茶にした此奴を同じ目にあわせてやりたいんだ」

 男は忌々しいといった表情で写真の男を睨みつける。悪魔は笑みを崩すことなく男の話に相槌を打つ。

「……なるほど。では、悪魔との契約の代償はご存じで?」
「命だろう?」
「正確には寿命を頂きます。契約の内容に応じて寿命をいただくこととなっております」
「そうか。なら、この契約だと俺の寿命はどれほどになるんだ?」
「そうですね。この契約ですと、二十年ほどですかね」
「二十年?そんなものなのか?」

 男は驚いたようだった。想像していたよりも契約に必要な寿命は短いらしい。

「ええ。生命を奪うような契約ではありませんので、二十年が妥当でしょう」
「そうか……。ならば、寿命二十年で契約しよう」
「かしこまりました」

 悪魔は何もない場所から分厚い本とペンを取り出し、白紙のページに文字を書き込んでゆく。

「それでは、契約者に問います。『写真に写る男を死ぬよりも酷い目にあわせる』という契約に間違いはありませんか?」
「ああ」
「では、ここにサインを」

 悪魔に促されるまま、男は己の名をページに書き込んだ。

「契約成立です。それでは、寿命を頂きます」

 悪魔は男の頭に手を翳した。白い靄のような物体が男の頭から悪魔の手に渡る。男に表立った変化はない。不思議な顔で男は悪魔を見つめた。悪魔は、まるで白い火の玉のようなそれを吸い込む。ごくり、という嚥下音が聞こえ、悪魔の喉仏が上下する。悪魔は舌なめずりをして溜め息を吐いた。

「ふう。ご馳走様でした。では、楽しみにお待ちください」

 悪魔は一礼すると、靄に包まれ消えて行った。男は唖然としながらその様子を見つめていた。現実味はないが、これで復讐は成し遂げられる!男は大声で笑い、写真を握りつぶした。





 契約をしたその日に変化があった。航に彼女ができた。とびきり美人で気立てのよい女性だ。女遊びの派手だった航だが、彼女に夢中になった。友人に彼女を紹介して回り、仲の良さを見せつけていた。外で飲み歩き、遊び惚けていた航は、彼女と付き合ってからは友人と遊ぶ機会が減った。彼女との時間を大切にしたいのだそうだ。

「あいつは俺の全てを愛してくれるんだ。あんな女、他にはいない」

 航は熱に浮かされたような瞳で彼女を語る。その顔は幸せそのものだった。
 なんだこれは。約束が違う。男は沸々とわき出る怒りに任せて悪魔を再び召喚した。

「毎度ありがとうございます」
「おい!約束が違うぞ!」

 男は悪魔の胸倉を掴み、揺さぶる。悪魔は笑みを崩すことなく、男の手をやんわりと制止する。

「願いは必ず叶いますよ。契約ですから。もう暫くお待ちください。全てが終わり、それでも苦情があるようでしたらまた呼んでください」

 悪魔はそう一言残すと、霧になって消えた。有無を言わせない物言いだ。待たざるを得ないらしい。男は仕方なく航の動向を伺うことにした。
 航は彼女を大切にしており、浮気は一切しなかった。一年交際し、二人は結婚した。結婚式は盛大に行われた。花嫁姿の彼女は、この世の者とは思えないほど美しかった。航はそれはそれは幸せそうに笑う。心なしか顔つきが変わったような気がする。穏やかな顔だ。男は歯を噛み締めて耐えた。
 航が結婚してすぐに、妊娠が分かった。航は甲斐甲斐しく彼女の世話を焼いた。二人で膨れた腹を撫でる姿は見ていられなかった。こどもは彼女によく似た女の子だった。航はそれはそれは喜び、仕事を真面目に働き、終わるとすぐに家に帰った。同僚からは真面目で家族思いのいい奴だと話す。この頃には、遊びは一切せず、まるで別人のようだった。

「……敬太。すまなかった」

 男、敬太の前で頭を下げるのは航だった。

「こどもが出来て、自分がしてきたことをこどもが受けたらと考えたら怒りを覚えたんだ。俺はそれだけのことをお前にしたんだな。許されないことをしたと思う。俺を許してくれなくてもいい。ただ、謝りたかったんだ」

 航はすっかり別人のようだった。敬太は拳を握りしめた。

「……ああ、俺はお前を許さない。この拳でお前を殴りつけてやりたいが、お前と同じ人間になりたくないからそんなことはしない。もう、二度とあんなことはするな。それだけだ」

 航はボロボロと涙を流していた。敬太はそれを冷ややかな眼差しで見つめ、踵を返した。涙を流したところで過去が変わるわけではない。けれど、航が後悔しているのを知って、少しだけ胸が軽くなったような気がした。





 航は変わった。見ていられないほどに。
 航が仕事で家を留守にしていた時だった。強盗が家に押し入った。夕食の支度をしていた妻は強姦され、首を絞められ命を奪われた。妻の手伝いをしていたこどもは包丁で刺され、血の海に溺れるように亡くなった。仕事から帰った航が見たのは地獄絵図だった。航は衝動的に自殺を図ったが、死にきれなかった。真っ白な病室で、生き残った航は気が狂ったように泣き喚いた。酒に溺れ、自殺を図っては助かってしまい、抜け殻となった航。

「これにて契約は終了です」

 悪魔は変わらない笑顔でそう言い放った。

「ああ……」
「では、再び願いを叶えて欲しい時はいつでもお呼びください」

 敬太は確かに言った。『死ぬよりも酷い目にあわせてほしい』と。願いは確かに叶った。叶ったけれど後味はとても悪い。ああ、こんなことなら悪魔と契約しなければよかった。そう思ったが敬太にはどうすることもできなかった。

Fin.
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