奴隷落ちした公爵令嬢はただの女になった

柊原 ゆず

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④ヒロインの末路

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 何で私、こんなにクタクタになっているの……。頭に浮かぶ疑問は、意識と共に泥のように沈んだ。
 固く寝心地の悪いベッドでアリエルは眠る。使用人が使うような質素な部屋は自分にふさわしくないと、普段の彼女ならば抗議しただろう。しかし、今の彼女には待遇の不満を騒ぎ立てる気力すら残されていなかった。





 私は質素なベッドに寝ていた。窓には中世ヨーロッパ風の景色が広がっている。暇があれば小説や漫画を見ていた私にはこの状況に心当たりがあった。

「うそ、私……異世界転生してる?!」

 平民の父と母の間に生まれたアリエルは七歳の頃、高熱にうなされ一晩中苦しんだ。翌朝になって、目を覚ましてみると前世の記憶が蘇っていることに気が付いた。アリエルは鏡を取り出して容姿を確認する。
 桃色のボブに、エメラルドのような瞳。目は大きく、守ってあげたくなるような可愛らしい容姿。この顔は間違いない。乙女ゲーム『君に祝福を』のヒロイン、アリエル・テイラーだ。私、大好きな乙女ゲームのヒロインに転生したんだ!
 アリエルの前世は、地味で目立たない女子高生であった。友達が少なく、容姿への自信の無さから卑屈になり、学校以外は家に引きこもって乙女ゲームをしていた。乙女ゲームだけが彼女の心を満たす日々であった。その日は、大好きな乙女ゲーム『君に祝福を』の続編が発売された日であった。彼女は続編を購入し、浮足立っていた。誰から攻略しようか、などと考え、注意散漫になっていた。彼女は、信号を無視して走る車に気付くことなく引かれてしまった。頭を強く打った彼女は朦朧とする意識の中で、購入した乙女ゲームを握り締めていた。
 アリエルは前世に未練など無かった。ヒロインに転生できた今、前世などどうでもよかったのだ。攻略対象者の攻略方法が頭に入っていることだけが唯一の利点であった。前世の記憶を取り戻した彼女は、早速行動を起こすことにした。幼いセドリックが視察で市街に訪れる、という幼少期のエピソードがあるためだ。
 素性を隠して行動していたセドリックは、彼の身に付ける装飾品を狙った強盗に襲われ怪我を負ってしまった。手負いの少年は、両親の手伝いで買い物に出かけていたアリエルと出会い、彼女から介抱を受ける。素性の不明な男の子にも心を砕き、優しく明るいアリエルにセドリックは恋心を抱くことになる……といった話だ。
 このエピソードは逃せない、とアリエルは必死だった。何故なら、彼女の推しはセドリックだったからだ。
 どんな時もヒロインを第一に考えてくれる、優しい皇子様。ゲームのように、私もセドからドロドロに愛されたい。
 乙女ゲームのスチルを参考にして、セドリックと出会う場所を特定したアリエルは毎日セドリックを待った。父や母は店を手伝ってほしいと言ったが、彼女は聞く耳を持たなかった。

「私はね、皇妃になる女なのよ。そんな汚らしい仕事はできないわ」

 アリエルの言葉に両親は言葉を失った。我が子が別人になったような変わり様に、どう接したらよいか分からなくなり、やがて両者の間に溝が生まれた。それでもアリエルは気にすることなく毎日セドリックを想い、ベンチに座っていた。
 ついにその日が来た。フードを深く被った少年が、ふらふらとした足取りで歩いてきた。フードからちらりと見える黒髪に、アリエルは目を細める。
 セドだわ……!お忍びでの視察だから、髪は黒なのよね!黒髪のセドも素敵!
 緩んだ口元を引き締めて、アリエルは近付いた。が、距離が縮まることはなかった。セドリックが彼女の首にナイフを突き立てていたからだ。驚いて悲鳴を上げたアリエルに、セドリックは見定めるようにじっと彼女を見つめた。

「……追手ではない、か」
「え……?」
「貴様、何者だ」
「え、あ、アリエル、です。……『あなた、怪我しているの?大丈夫?』」

 アリエルは動揺しながらも、用意していた乙女ゲームの台詞で話しかける。セドリックからは大丈夫だ、の一言のみ。アリエルは困ったように笑った。

「『私、こう見えて応急手当ては出来るの。ついて来て』!」

 そう言葉をかけて、セドリックの手を握ろうとするアリエル。しかし、セドリックはすぐさま距離を取った。

「手当は不要だ」

 パチン、と指を鳴らすと従者のような男が二人、姿を現した。

「遅いぞ」
「申し訳ありません」

 二人の男に介抱されたセドリックは、アリエルに目線を移した。

「この辺りは治安が悪いと聞く。君も早く家に帰るといい」

 アリエルに忠告したセドリックは、従者と共に消えた。

「な、なによ、あれ……」

 残されたアリエルは立ち尽くしていた。優しい皇子様では決してないセドリックの姿。冷えた彼の眼差しに震えた。その一方で、五感全てで感じる彼の姿に彼女の胸が高鳴る。ゲームでは得られなかったセドリックの息遣い。石鹸のいい匂い。鼓膜に直接響く声。それから、ゲームでは見られなかった展開にアリエルは心躍った。
 あんなに冷たいセドリックが、卒業パーティーの頃には私に甘々で優しい皇子様になるなんて……!私ってば魔性の女?
 アリエルは嬉しさを堪え切れず吹き出してしまう。彼女はこの時、セドリックと結ばれると信じて疑わなかった。何故ならば、乙女ゲームのヒロインだから。アリエルは帰路を目指し歩き出す。この先、どんな甘くてキュンとするエピソードが待っているのだろう。彼女は期待に胸を膨らませて、平民としての生活を嫌々続けた。





 ルーニア学園の入学式で、アリエルは青年となったセドリックを見つけた。彼は乙女ゲームの姿そのままで、アリエルは胸がときめいた。けれど、彼の隣を陣取る存在に気付いて、思い切り顔を顰めてしまった。
 悪役令嬢だ。ゲームでは別々に登校していたのに。どうして、笑い合っているの?二人は仲が悪かった筈なのに。
 アリエルは信じられなかった。仲睦まじい姿の二人が通り過ぎるのを、ただ茫然と見つめた。シナリオと違う、なにかがおかしい、という彼女の考えは的中する。セドリックはグロリアの傍を離れないのだ。生徒会で一人になった時も、アリエルには他人行儀で距離が縮まらない。むしろ遠のいている気すらする。グロリアもグロリアだ。彼女は、アリエルが平民上がりだからとアリエルを虐める。これが乙女ゲームのシナリオだが、彼女は何一つ手を出して来ない。むしろ、彼女の聡明さを慕う級友が多く、彼女はいつも人の輪の中心にいた。アリエルもセドリック以外の攻略対象に囲まれていたが、女子生徒からは『婚約者のいる高位貴族を侍らせる性悪女』と疎まれていた。シナリオでは、級友の殆どが人の良さと努力家なヒロインに好意を抱いていたにもかかわらず。
 アリエルは苛立ちが抑えられず、珍しく一人でいたグロリアに捲し立てた。彼女は驚いていたが、拍子抜けするほどあっさりと皇妃を辞退し、婚約破棄を受け入れた。アリエルは狂喜した。グロリアが婚約破棄すべく動けば、アリエルが本来のシナリオへ軌道修正する必要などない。不要な努力などしなくてよいのだ。
 翌日から、グロリアはアリエルを虐め始めた。彼女の言葉は作法やらしきたりなどと古臭く、アリエルにとって聞くに堪えなかった。セドリックが表立って自分を庇ってくれないのは残念に思うアリエルだったが、卒業パーティーでの断罪を心待ちにしていた。
 授業も作法も面倒だ。私が皇妃になれば、そんな煩わしいことから皆を解放してあげよう。革新的で素敵な皇妃様だと皆が私をちやほやしてくれるだろう。
 教師に小言を言われている間、アリエルは考えていた。成績が悪いのは自分ではなく、この古臭い世界のせいなのだ。
 我慢の末に断罪シナリオを迎えた。セドリック以外は全員アリエルが攻略し、全てが上手くいくはずだった。はずだったのに。





「起きなさい!」
「ギャッ!!」

 足に痛みが走り飛び起きると、ムチを持った意地悪いメイドが私を見下ろしていた。この女は皇妃教育のエキスパート、らしい。けど実際は何をするにもムチ、ムチ、ムチの暴力女だ。身体はボロボロで、抵抗したいけどあの女のムチが怖くて仕方がない。
 アリエルはメイドに怯えながら、支度を始める。皇妃教育は現時点で順調ではなかった。アリエルには厳しすぎる環境だが、抗議するにもセドリックや他の攻略対象には会えず、手紙を出しても音信不通だ。
 どうしてこんなことに。私は毎日考えていた。こんなことになるならば、悪役令嬢を側妃にすべきだった。アイツをこき使って、私は悠々自適に皇妃ライフを過ごせたのに。
 皇妃教育を始めて数週間の後。疲弊していた彼女の元に、セドリックが現れた。

「セド!会いたかったわ!!」

 飛びつかんとする勢いのアリエルの前に騎士が立ち塞がる。

「な、何よアンタ達!どきなさいよ!!」

 騎士はアリエルの腕を掴み、地面に伏せさせる。痛い、離しなさいよ、と声を上げるアリエルは、縋るようにセドリックを見つめる。彼は彼女の近くへと歩みより、口を開けた。

「アリエル・テイラー。皇太子妃であるグロリア・リヴィールの奴隷落ちを画策し実行を指示した罪で、君を拘束する」
「……え?」
「卒業パーティーの後、拘束していたリアが何者かに連れ去られた。彼女を連れ去った者は捕らえたが、奴隷として売られた後だった。現在リアは捜索中で、今だ見つかっていない。連れ去った連中は、君の指示で実行したと自供したよ」

 アリエルは、顔を青くさせた。在学中に、暗殺ギルドまで足を運び、依頼したことはあった。だが、男爵令嬢の指示で公爵令嬢を誘拐し奴隷として売るなど、リスクが高すぎると断られたのだ。どう考えても実行など出来ない筈だ。それでは、何故?どれだけ頭を巡らせても答えは出ない。口からは違う、私じゃない、といった一辺倒の言葉を発するのみだった。

「証拠はここにある。見苦しい言い訳はやめて、牢で一生反省するといい」

 アリエルは騎士によって、引きずられてゆく。

「セド、お願い助けて!これは何かの間違いよ!」

 必死で助けを乞うアリエルに、セドリックは笑みを浮かべた。

「間違っているよね。君が皇妃になりたいだなんて。僕のリアをたぶらかした君を僕は一生許さないよ」

 笑っている筈なのに、強い憎悪を感じる表情はアリエルを凍らせるには十分だった。
 私、入学してセドから好かれるためにいっぱい工夫して、皇妃教育も頑張ったのに。どうしてこんなことに。
 茫然自失のアリエルは薄暗い牢屋の中に座り、空の瓶を見つめる。手を翳すと、瓶に液体が満たされてゆく。彼女の魔力が液体に変化したものだ。皇族となる者に危害を加えた者は原則として死刑だが、稀有な聖魔法の素質があるアリエルには特別措置が執られた。聖魔法を注ぎ作られるポーションは治癒力が高く、魔力のない者でもポーションをかけるだけで傷が癒えてゆくという。彼女は絶えずポーションを作ることで死刑を免れることとなった。
 本来ならば死刑囚であるアリエルの待遇は良いものとは言えない。彼女は毎日ギリギリの魔力でポーションを作り、限界を迎えて気絶する。暫くして職員に発見され彼女は叩き起こされる。何度同じことを繰り返しただろうか、彼女はもう覚えていない。死刑よりも軽いなどとんでもない。彼女は、いっそのこと殺してくれと思いながら、今日も虚ろな瞳で空の瓶に魔力を込めるのだった。

つづく
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