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②皇太子は婚約者を愛している

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 初めて彼女を見た時に、灰色だった世界が色付いて見えた。

「は、はじめましてっ!グロリア・リヴィールともうします……っ」

 セドリックの顔をまじまじと見てから、我に返ったように緊張してオドオドとするグロリア。表情の固いグロリアに、セドリックは微笑んでみせた。セドリックは、どう見せれば相手から好印象がもらえるのかを熟知していた。しかし実際にセドリックが笑顔を見せることは少なかった。皇族であり、相手から好かれることの方が多いため、労力を使ってわざわざ相手に好かれたいと思ったことが無かったからだ。
 セドリックは初めて、好かれたいと思った。だから彼はグロリアに対して、努めて優しく、飴細工に触れるように大切に大切に接した。セドリックの努力が実り、グロリアは次第に強張った顔が解け、笑顔を見せてくれるようになった。グロリアの笑顔はとても美しく、まるで夜の女神のような尊さがあった。セドリックは胸が高鳴るのと同時に、頬に熱を帯びてゆくのを感じた。
 一方のグロリアはセドリックに対して異性としてではなく友としての感情を抱いているようだった。親友のような信頼を抱き、屈託のない笑みを向けられる度に、セドリックは複雑な心境で笑い返すことしか出来なかった。セドリックは片想いに胸を痛めながらも、この友情が育ち、やがては愛へ昇華することを願った。
 幼い頃からリアと共に過ごしてきたのだ。時間と共に感情も熟成されてゆくだろう。
 ルーニア学園へ入学する前のセドリックは、そう信じて疑わなかった。
 グロリアと共に入学したセドリックは、彼女の身の安全を考慮し、護衛騎士を配置させた。彼女は昔から、人が良く純粋であり、騙されやすい。地位の高さもあり、犯罪に巻き込まれやすい存在であったためだ。加えて、彼女の様子を逐一知りたいというセドリックの邪な考えもあった。
 学園には、皇族は生徒会に入り学園の秩序を守る、というしきたりがあった。国を統治する前に皇族の手腕を見せろということなのだろう。セドリックも例に漏れず、生徒会に入ることとなった。グロリアは皇妃教育があるため、生徒会には入らなかった。セドリックは一緒に過ごす時間が減ると残念に思っていたのだが、歴代の皇妃もそうであったため、不満を飲み込んだ。
 生徒会の役員はセドリックの他に、将来側近となる予定の伯爵令息に騎士団長の息子、有力な貴族の子息数名と成績優秀な平民が数名。……それから、男爵令嬢アリエル。彼女は希少な聖魔法の才を持っていたため入学の運びとなった。生徒会への参加も、将来聖女となり影響力を持つ可能性が高いからだろう。セドリックはこの時、さして彼女には興味がなく、他人事のように受け流していた。
 セドリックは、学園内でもグロリアの側にいようとした。入学してから数日間、授業での席は隣に陣取り昼食も共にし、帰りも彼女と帰っていた。しかし、いつの間にか二人の間にはアリエルがいた。アリエルは、セドリックの隣に座り授業を受け昼食も同席し、帰りも共にあろうとした。昼食に至っては、アリエルを囲むように群がる生徒会役員も同席を始めてしまった。

「おはようございますっ!」

 セドリックに大きな声で挨拶するのは、アリエルだ。本来であれば、皇族に声をかけることや隣に座ることは許可を得てから行うもので、無礼極まりないことだ。数年前に平民から男爵家へ養子となった彼女は知らないかもしれない。そもそも、この状況に苦言を呈することなく、彼女を見て赤面する男子生徒の愚かさにセドリックは頭が痛くなった。見かねたセドリックは、当然のように無許可で隣に腰を下ろしたアリエルに苦言を呈した。

「……おはよう、アリエル・テイラー。早速だけど、立ってくれないかな。僕は隣に座る許可を出していないよ」
「へ……?」

 ぽかんと口を開けたアリエルは、暫くしてぼろぼろと涙を零し始めた。

「ご、ごめんなさいっ!私、貴族になったばかりで作法を知らなくて……」

 セドリックは、言い訳を始めるアリエルに溜め息を吐いた。

「知らないなら、これから覚えればいいよ。席は後ろも空いているから、そこに座るといい」
「え……?あ、ありがとう、ございます……」

 アリエルは驚きながらも、どこか悔しそうに声を振るわせ、後ろの席に移動した。

「で、殿下。アリエルはまだ慣れていないのです。もう少し寛大な対応を……」

 アリエルの取り巻きの男達から次々と苦言を言われて、セドリックはうんざりした。しかし、それ以上に胸を痛めたのは、グロリアの言葉だった。

「セド、明日からお昼は別にいたしましょう」

 グロリアの言葉に、セドリックは冷や水をかけられたような衝撃を受けた。

「……何だって?」

 セドリックは動揺を悟られないように、優し気に声をかけようとしたが、無理だった。グロリアと会話のできる数少ない機会が失われようとしているのだ。落ち着いていられるはずがなかった。

「これまで、生徒会の方々とお昼を共にして参りましたが、私がいてはお話の邪魔になるでしょう」

 にこり、と淑女の微笑みを見せるグロリアに、セドリックは首を振る。

「リア、君が気を使わなくていいんだよ。彼らには僕から言っておくから」
「いいえ、なりませんわ。生徒会の皆様と交流するのも大切なことです。ですから、私のことは気になさらず」

 グロリアはセドリックの言葉を待つ前に、淑女の礼をして立ち去ってしまった。セドリックにとって、グロリアとの時間は唯一無二であり、何物にも変え難い幸福であった。それを、よりによってグロリアの方からあっさりと手放されてしまった。セドリックは指をパチンと鳴らした。すぐさま前方に、騎士が現れた。彼女は、セドリックが任命したグロリアの専属護衛騎士の一人だった。

「リアの様子に変わりはあったか」

 セドリックの問いに、彼女は答えた。グロリアの前にアリエルが現れ、意味不明な苦言を呈したと。グロリアは迷惑がるどころか、皇妃を譲る旨の発言をしたという。グロリアはアリエルの理解の範疇を超えた言葉を鵜呑みにし、行動を始めたようだ。……皇妃とならないために。
 リアが、皇妃を譲る?
 それはつまり、セドリックとの婚約破棄を意味していた。セドリックは目の前が暗闇に包まれてしまったような絶望感に立っていられず、そばにあったベンチに腰を下ろした。

「リアが……そんなことを……」

 セドリックはグロリアと生涯を共にし、皇后となった彼女の傍ら皇帝として民を導いてゆく覚悟があったし、彼女と添い遂げたいと思っていた。しかしそれは、一方的な想いで、幼い頃に育んだ友情が熟成されることはなかったようだ。
 リアは僕から背を向けて、歩いていくつもりなのか。僕はもう、君なしじゃ生きていけないというのに。
 腹の底を渦巻く黒く濁った何かが、セドリックの胸を、頭を、身体を支配していく。セドリックは両手で顔を覆った。悲しくて仕方がなく、涙で視界が滲む。けれど乾いた笑いが止まらず、口元が歪んだ。

「そんなこと、させるものか」

 婚約破棄したところで、自分が彼女を諦められるはずがない。いっそのこと、リアを僕だけのものにできたら……。
 ふと、セドリックは護衛騎士の言葉を思い出した。

「グロリアが、奴隷落ち……」

 リアは婚約破棄のことで頭がいっぱいだったようで、奴の言葉を聞き逃していたようだ。奴は確かに言ったようだ。『悪役令嬢は婚約破棄されて奴隷落ちするのよ!』と。リアを悪役令嬢と呼ぶのも腹立たしいが、何よりもあのリアが、奴隷落ちする未来が見えなかった。そもそも元々平民だった男爵令嬢をいじめたところで処分は謹慎程度だろう。奴隷落ちなど、処罰が重すぎる。
 普段のセドリックであれば、アリエルの妄想じみた言葉に軽蔑もしくは無関心であっただろう。しかし今のセドリックにとって、アリエルの言うグロリアの奴隷落ちは魅力的にさえ思えた。
 リアが奴隷となれば、当然所有者を望む声が出るはずだ。夜の女神と称される彼女の美貌ならば、望む声も多いだろう。だが、リアは誰にも渡さない。奴隷落ちした彼女を匿い、永遠に自分のものとするのだ。皇妃教育によって心身共に疲弊している彼女を救うこともできる。自分にとっても、彼女にとっても得策でしかない。
 セドリックはグロリアがアリエルに注意する場面を何度も傍観した。皇妃教育を受ける者であればその指摘は至極真っ当なものであったが、皇妃教育を受ける者は現在グロリアただ一人で、彼女の正当性を知る者はセドリックを除いて存在しなかった。やがてグロリアの指摘が理不尽ないじめとされ、彼女は孤立していった。それでもグロリアは悲しむことなく、どこか浮き足立っているような様子だった。それは、週に一度欠かさず行なっているお茶会であっても同じ様子で、上の空だった。
 婚約破棄され自由になった自分を想像しているのだろうか。婚約者が目の前にいるというのに。
 セドリックは、グロリアを抱きしめて、そのまま囲ってしまいたくなる欲求を必死に抑えて、努めて笑顔で口を開いた。

「リア、考え込んでどうしたんだい?」

 グロリアは我に返った様子で、笑顔を取り繕った。卒業式を話題に上げたグロリアの脳内はやはり、婚約破棄だろうか。彼女の予想通り、生徒会の面々がグロリアの断罪を計画している。セドリックが手を出すことはない。グロリアを手に入れたいが、彼女を断罪するつもりはないからだ。
 リアには、断罪ではなく、罪を生涯にかけて償ってもらうのだ。婚約破棄を望み、僕から離れようとした罪は重い。

「楽しみですわね」
「ああ」

 微笑むグロリアに、セドリックも笑みを浮かべる。初めて会った時と同じ、完璧に見える笑顔。果たして彼女にはどう映っているのだろうか。グロリアは今日も、頬を染めることなく、短い逢瀬を惜しむこともなかった。

つづく
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