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四十三話「シュトラール」
しおりを挟む精霊の森は静寂に包まれていた。
森の木々に導かれるように、ボクは迷わず昨日精霊様にお会いした泉に着いた。
精霊の森に精霊の姿はなかった。
「精霊様ーー!」
呼びかけてみたが返事はない。
ただ泉の水が風に揺れ、太陽の光をキラキラと反射していた。
なんとなく泉をのぞき込むと、昨日と同じように、湖の底からなにかが浮かんできた。
それはアルファベットの「M」の文字に似ていた。
文字をすくい取ろうと泉に手を入れる。文字はボクの手に触れると、ボクの手に吸い込まれるように消えていった。
「エイワズ……」
ボクの頭の中に文字の呼び方が浮かぶ。アルファベットの「M」に似たあの文字は「エイワズ」と読むらしい。
「あなたはよほど、ルーン文字に好かれているようですね」
聞き覚えのある声に、振り返る。
「精霊様!」
昨日泉でお会いした、美しい精霊様がボクの後ろに立っていた。
精霊様は厳かなほど清らかな空気をまとっている。
「精霊様、白樺の森を授けてくださりありがとうございます!」
ボクは立ち上がり精霊様に頭を下げた。
「頭をあげてください」
精霊様にうながされ、ゆっくりと頭を上げる。
「わたしは力を貸しただけ、白樺の枝が大きな森になったのはあなたの力です」
「ボクの?」
「あなたのこの土地を思い、民を守りたい気持ちが荒野を豊かな白樺の森に変えました。モンスターが住めない清らかな森」
ボクの気持ちが荒野を白樺の森に変えた?
「あなたに民を思う気持ちがなければ、小さな林ぐらいにしかならなかったでしょう。少しでも邪な気持ちがあれば、モンスターが出現する危険な森になったでしょう」
そうだったんだ。
「あなたの自分を犠牲にしても民を助けたいという気持ちが、死の荒野を豊かな森に変え。あなたの美しい心が、あの地をモンスターの出ない清らかな土地に変えたのです」
精霊様に褒められこそばゆくなった。ボクはそんなにすごい人間じゃない。
「そして今日は、エイワズのルーン文字を授かりました」
「エイワズというのは?」
「エイワズの意味は『馬』」
「『馬』ですか?」
ボクの脳裏に綺麗な毛並みの二頭の馬が浮かんだ。一頭は真っ白で、もう一頭は漆黒だった。
「直(じき)に馬の方からあなたのもとを訪れるでしょう」
ボクのところに馬の方から来てくれるの?
「精霊様に、聞きたいことがあるのですが」
「何でしょうか?」
「白樺の森のことなのですが、あの森に実る木の実やキノコ、川に住む魚、森に住む鳥などを取って食べても構いませんか?」
精霊様のおっしゃった事をまとめるとこうだ。
木の実やキノコや山菜などを採取する際は、森に暮らす生き物のために半分は残すこと。魚を槍や銛(もり)で突いて獲るのはいいが、網ですくい大量に獲らないこと。鳥を弓で射るのはいいが、鳥の巣を襲い卵を奪わないこと。森の開拓をし農地にするのは構わないが、森の1/10の面積にとどめること。
死の荒野はシュタイン領の半分の面積を占めていた。
その死の荒野が全て白樺の森に変わったとして。森の1/10の面積を農地に変えられるということは、シュタイン領の1/20の面積の農地を新たに得られるということだ。
これはすごい! 森で得た収穫に農地で得られる収穫を加えれば、民は土地税を支払い、借金を返せる!
「ありがとうございます!」
ボクはふかぶかと頭を下げた。
精霊様は何もおっしゃらず踵を返そうとした。
ボクはとっさに精霊様の服の裾を掴んでいた。
精霊様が驚いた顔で振り返る。
思わず精霊様の裾を掴んでしまったけど、精霊様の機嫌を損ねなかったかな? 「不敬だ」と言われて、おしおきをされたりしないよね?
「まだ何かありましたか?」
精霊様が穏やかな声で問う。どうやら機嫌を損ねずにすんだようだ。
「あの……」
ボクにはどうしても確認したい事があった。
「精霊様はラグ様なんですよね? ヴォルフリック兄上のお祖父様なんですよね?」
精霊様は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに平静な顔に戻られた。精霊様はしばらく沈黙していたが、やがて口を開かれた。
「わたしは……ラグではありません」
「そんな……?」
人違い? いや精霊違い?
「わたしの名はシュトラール、ラグはわたしの……弟」
「えっ……?」
目の前にいる精霊様の名前はシュトラールで、ラグ様の兄上。ということは、ヴォルフリック兄上の大伯父様?
「シュトラール様、どうかラグ様の孫のヴォルフリック兄上に会ってください」
シュトラール様が瞳を閉じ、首を横に振る。
「ヴォルフリック兄上には身内がいないのです。兄上の母レーア様は兄上を生んですぐに亡くなり。レーア様のご両親がレーア様を育てましたが、随分前に亡くなりました。レーア様のご実家のマーラー男爵家は遠縁の者が継ぎました。ヴォルフリック兄上の身内はシュトラール様とラグ様しか……!」
シュトラール様がボクの目を見て、かすかにほほえみボクの頭を撫でた。
やさしく頭を撫でてくれるそのしぐさは、ヴォルフリック兄上に似ていた。
「あなたはヴォルフリックのことを愛しているのですね」
「あっ、愛……!?」
愛という言葉に思わず顔が赤くなる。
兄上のことは好き、大好き。だけど愛しているかと聞かれると……。
「わたしの言葉が信じられないのなら、ヴォルフリックとしている事を他の者に置き換えてみてください」
兄上としていることを、他の人に置き換えてみる?
例えばワルフリート兄上とティオ兄上。
ワルフリート兄上やティオ兄上と、キスしたり、ハグしたり、一緒にお風呂に入ったり、一緒の布団で寝たり……。
うん、無理。
ワルフリート兄上とティオ兄上もボクのお兄ちゃんだけど、二人とはキスしたくない。
ヴォルフリック兄上は特別で、キスしたり、ハグしたり、一緒にお風呂に入ったりしたいと言うことはつまり……それは、兄上のことを愛……している?
そう気づいた時、ボンと音を立ててボクの顔は耳まで真っ赤になった。
ヴォルフリック兄上の事を思うと心臓がドキドキする! ボクはヴォルフリック兄上のことを……愛している!
「シュトラール様、ボクはヴォルフリック兄上を愛している……みたいです」
返事をするのにだいぶ時間がかかってしまった。
シュトラール様がにこりと笑う。顔立ちは違うけど、笑い方は兄上とどことなく似ている。シュトラール様はやっぱり兄上の身内なんだ。
「あの子のことを思っている人が側にいてよかった。あの子の側にいてあげてください」
そう言い残し、シュトラール様は霧の中へ消えていった。
「待ってください、シュトラール様!」
ラグ様のことを聞きそびれてしまった。
ラグ様は今どこにいらっしゃるのだろう?
ラグ様も精霊の森にいるなら、シュトラール様にも、ラグ様にも、ヴォルフリック兄上に会っていただきたいのにな。
◇◇◇◇◇
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