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八十八話「彼は主役だから、気になってね」②

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ーーレーゲンケーニクライヒ国、筆頭公爵ヴュルデ・アインス視点ーー


「そういえばもうすぐ復活祭ですね」

月を眺めていた青年が口を開く。

水竜メルクーアは十年起きて九十年眠る不規則な生活をしている。

水竜メルクーアがこの地に現れたのが四月一日、九十年の眠りから目覚めるのも四月一日。

水竜メルクーアが眠っている間も毎年四月一日に復活祭を行う。にぎやかで華やかな楽しいだけの祭り。

水竜メルクーアが目覚めるのは二年後の四月一日。それから十年間の復活祭は華やかなだけの祭りではなくなる。

「ボワアンピール帝国の祭りは、新月の夜に行われるのですが、その日民は日が暮れても明かりを灯さず、王宮の月の神殿だけが明かりを灯し、そこに新月の女神を迎えるんですよ」

「それは厳かで神秘的なお祭りですね」
 
「厳かというより、静かすぎてね」

皇太子は物足りないとでも言いげな口ぶりだ。

「レーゲンケーニクライヒ国の復活祭はさぞ賑やかなのでしょう?」

レーゲンケーニクライヒ国の復活祭は地方から多くの民が王都に集まり、ランプの明かりで街を照らし、家々の軒先に花や竜の形の置物を飾り、たくさんの屋台を通りに並べ民の腹を満たす。

王宮からメルクーアが眠る神殿まで花びらの絨毯が敷かれ、その上を踊り子が舞う。神殿に色とりどりの花が供えられ、舞が奉納される。

メルクーアの眠っている間の祭りは賑やかで、平和だ。

「ええ、花や舞が人々の目を楽しませ、歌が耳を楽しませ、屋台が腹を満たします。とても華やかな祭りですよ」

水竜メルクーアが眠っている間の祭りは、楽しいだけの祭事。だが楽しみにも、安寧な生活にも、代償が付きものだ。

王家と筆頭公爵の一部のものだけが知る、レーゲンケーニクライヒ国の歴史と水竜メルクーアのおぞましい真実。

「そうでしょうね、ボワアンピール帝国からも多くの民が復活祭を見に行くくらいですから」

皇太子が花がほころぶように笑う。

「想像を絶する楽しさなのでしょうね。祭りを見に行ったまま帰らなくなる人が出るくらいだから」

穏やかにほほ笑む皇太子の姿はそこにはなかった。皇太子は目を細めこちらを見据えている。まだ二十歳を過ぎた青年の眼力に、恐怖を感じた。

「九十年ほど前の復活祭では、村人全員で祭りを見に行き誰一人帰ってこず、地図から名前の消えた村もある」

背筋を冷たい汗が伝う。

バルコニーに人気はない、バルコニーにやってくるものや、バルコニーの様子を伺っているものもいない。

格下のものは格上の者に話しかけられるまで口を開いてはならない。隣国の皇太子と自国の公爵の話に割り込む者はパーティーの主催者である国王夫妻ぐらいだ。パーティーの主催者は誰に話しかけてもよいことになっている。

その国王夫妻は来客へのあいさつ回りで忙しい、バルコニーに来ることはないだろう。

今の話を誰かに聞かれた様子はない、しかしそれでも油断は出来ぬ。

この男はどこまで知っている? 全て知っているのか? それともかまをかけてきただけなのか?

「そう怖い顔をしないで、心配しなくてもこの空間には誰も入って来ませんよ」

皇太子が口角を上げる。認識阻害の魔法か? それとも結界をはっているのか?

「まあ、そんなところです」

こちらの考えを読んでいるように話す青年は、自分より遥かに若いのに、妙に落ち着いて見えた。

「アインス公爵も九十年も前のことを言われても困りますよね、こちらとしても過去のことをあれこれと蒸し返す気はないのですよ。でもね、未来に起こることについては別です」

目の前にいるのは、数分前までほほ笑みをたたえていた優男ではない。皇族のオーラを全身から放ち、藤色の瞳は皇族の威厳に満ちている。

「僕はこれ以上、自国の民を王国の神の犠牲にする気はない」

皇太子の目には獲物を狩るときの鷹のような鋭さがあった。

「それをなぜ私に話すのですか?」

私はいち公爵にすぎない、水竜メルクーアとその生贄について何の権限も持たない。皇太子はなぜ私にこの話をするのか?

しかし、王族は自国の民だけにとどまらず隣国ボワアンピールの民まで生贄にしていたとはな。そのことを我が家に隠していた。

「さあどうしてでしょう? あなたも水竜メルクーアと、メルクーアの食事について思うところがあるように見えたからかな」

皇太子がニコリと笑う。掴みどころのない感情の読めない笑顔に背筋がゾクリとする。

「それと、ご子息のことかな」

息子、ザフィーアのことか。

ザフィーアは王太子の婚約者、王太子はいずれ王になる。生贄と神子の事は国王に全権が委ねられている。

ザフィーアが王妃になれば父親である私も、生贄の件に口出しができると思っているのか? それとも他に何か意図があるのか?

「清楚で可憐という言葉が似合う花のように愛らしい子ですね、それとも凛とした雰囲気をまとう人形のような少年と言った方がいいかな」

皇太子がパーティー会場に目を向ける。

ザフィーアは壁際に佇んでいた。

王太子の婚約者で筆頭公爵の息子を悪さをしようとするバカはいないだろうが、油断はできない。そもそもその婚約者の王太子が一番信用できない。

パーティーの華やかな雰囲気にザフィーアを酔わせ、勢いで事を起こそうとするやもしれん。

私がザフィーアの側を離れていても大丈夫なように、ザフィーアには内緒で護衛をつけている。

護衛を任せた兵士の一人は、平民の出ではあるが剣の腕が立つ。何よりザフィーアを崇拝している。

しかし王太子のエルガー様は、婚約者を一人にして何をしてる?

会場の中央に目を向けれると、エルガー様は見目の良い女達をはべらせ、笑い声をあげていた。なんとも品のない男だ。

「彼は主役だから、気になってね」

主役? エルガー様がパーティーの主役と言いたいのか?

確かに国王主催のパーティーで王太子のエルガー様は、パーティーの主役と言えなくもない。

もっとも半刻ほど前まで会場でひと目を集めていたのは隣国の皇太子である、目の前にいるこの男なのだが。

「そろそろ魔法の効果が消えるので僕はこれで失礼するよ。アインス公爵、歴史について話したくなったらいつでも手紙をください。両国の歴史について語らいましょう」

そう言って皇太子はバルコニーを後にし、パーティー会場の人混みの中に消えていった。

歴史について語るか……水竜メルクーアと生贄制度について思うことがあれば話を聞くといったところか。

信用は出来ぬが、隣国の皇太子とつながりを作っておくのも悪くはない。





二年後、皇太子に息子の行方を捜索してもらうことになるとは、このときは夢にも思わなかった。


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