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七十三話「早く帰っておいで、みんなで楽しく遊ぼうか」
しおりを挟むーー謎の人物視点ーー
ボワアンピール帝国、帝都フォレ・カピタール、月の神殿。
「来る、来ない、来る、来ない、来る、来ない……」
青年の手によってむしられた花びらが、はらはらと舞い床に落ちていく。
【そんなに花弁をむしって、花びらを風呂にでも浮かべる気か?】
厳かな神殿に二つの影。
一人は夜を連想させる濃紺のジュストコールを身に着けた銀髪の青年。袖に施された月を連想させ金の刺しゅうがキラキラと光る。
もう一人……と表現してもよいのか、足元まで届く長い髪が印象的な少女。こちらは実態がなく、空中に黒い影がゆらゆら揺れている。
「それもいいね、カルムが帰ってきたら久しぶりに兄弟水入らずでお風呂にでも入ろうか、そう帰ってきたらね……」
銀髪の青年は持っていた花に力を込める。茎がみしりと音を立てた。
【花に当たるな】
青年は首の折れた花を床におとす。床には青年の手によりむし取られた無数の花びらが落ちていた。
「ラック・ヴィルから真っ直ぐ王都に向かうと思って、帝都中に花を植えたのに……より道するなんて、カルムはつれないな」
【国費を無駄遣いするでない】
「嫌だなぁ、国費なんて遣ってないよ。カルムのために遣うお金は僕のお小遣いで賄っているからね」
【ならば良いが、わしはてっきり祭りのために街中に花を植えてくれたのかと思ったぞ】
青年の命令を受けた国中の庭師が走り回り、花壇という花壇に色とりどりの花が植えられ、門から城まで続く大通りには鉢植えが置かれ、花の道が出来ていた。
「白羊宮の新月は明後日でしたね。新月前夜の夕方から祭りの準備を始めるというなら明日か。あなたの言うとおり街を花で飾るのも悪くない。なにせ毎月新月の夜は帝都中の民が日暮れ前に家に帰り、日が暮れても明かりを灯さず、息を潜め月の女神が降り立つのを待つだけ。煌々と明かりが灯されるのは王宮にある月の神殿のみ、月の女神を迎えるのは皇族だけ……前々から辛気臭いお祭りだと思っていたんだよ」
【わしの前でよくそのような事が言えるな】
青年はふぅーと息を吐き、新しい花を手に取り花弁を一枚一枚むしり始める。
「だってそうでしょう? レーゲンケーニクライヒ国の祭りに比べて我が国の祭りは地味だ。レーゲンケーニクライヒ国の復活祭は国中の民が王都に集まり、ランプの明かりが街を照らし、家々の軒先には花や竜の形の置物が飾られ、通りにはたくさんの屋台が並び民の腹を満たす、水の神子の乗った馬車を先頭に踊り子が舞うパレード続き人々の目を楽しませる。歌や舞や生け贄が水の竜に捧げられる。それに比べたら帝国の祭りってあまりにも地味じゃないかな?」
青年のむしった花びらがはらはらと床に落ちていく。
【そんなにレーゲンケーニクライヒ国の祭りが気になるなら、そなたも行けばよかったであろう?】
少女の影がからかうように言う。
「意地悪ですねあなたも、僕の立場でレーゲンケーニクライヒ国の復活祭に行ける訳がないのに」
千年前に悪竜オー・ドラッへが大陸を震撼させて以来、大陸で竜に対するイメージはよくない。
悪竜オー・ドラッへを倒し地上に平和をもたらした新月の女神ヌーヴェル・リュンヌへの信仰を捨て、どこから現れたのか分からない水竜メルクーアを信仰し、水竜メルクーアの加護のもとボワアンピール帝国から独立したレーゲンケーニクライヒ国へ、帝国の民が抱く感情は決して良いものとはいえない。
そのメルクーアの復活を祝う祭りに、ボワアンピール帝国の皇族が行くなど、ありえないのだ。
「そもそもあの国の復活祭は、白羊宮の新月の時期と重なる。自国の祭りの準備を放り出して行ける訳がないでしょう?」
レーゲンケーニクライヒ国の復活祭は毎年、四月一日に行われる。六百年前に水竜メルクーアが現れたとされるのが四月一日。
十年起きて九十年眠る水竜メルクーアが、九十年の眠りから目を覚ますのも四月一日。
四月一日はレーゲンケーニクライヒ国の民にとって特別な日なのだ。
対して、ボワアンピール帝国が祀るのは新月の女神ヌーヴェル・リュンヌ。
千年前初代皇帝の祈りによって地上に降臨したヌーヴェル・リュンヌは、悪竜オー・ドラッへを倒したあと、しばらくは地上にとどまり、天上に帰ったとされている。
ヌーヴェル・リュンヌが地上に降り立つのは年に十二回ある新月の夜。
十二星座の中で一番最初に訪れる白羊宮《ベリエ》(牡羊座)の新月は、新月の女神を信仰するボワアンピール帝国にとって、特別神聖な日とされている。
王宮にある月の神殿で女神を迎えるため、民は日暮れ前に家に帰り、月の神殿以外は明かりを消し、ヌーヴェル・リュンヌの降臨を待つのだ。
「新月の女神は神の地に帰り、新月の夜にだけ月の神殿に降り立つね……」
【そういった信仰心を煽るイベントも必要だと言ったのはそなたの祖先だ。現にわしも今は実態があるわけではない】
「そうですね、月の神殿で新月の女神を迎えられるのは皇族のみ、民は皇族に信仰心を抱くので、皇族は民を扱いやすくなる」
一枚、また一枚、青年の手により花弁が床に落ちていく。
「今年の白羊宮の新月は復活祭と同じ四月一日これも何かの縁なのな?」
三月二十日~四月二十日の間の新月を白羊宮の新月と呼ぶ。
「それとも貴方が言うように定められた出来事なのですか?」
【直に分かる】
「あなたはそればかりだ」
やれやれといった表情で青年は肩をすくめる。
青年の持っていた花から、花弁が無くなりがく片と花託だけが残された。
「ようやく『来る』と出たね……早く帰っておいでカルム。じゃないと軍隊を派遣して無理やり捕まえてしまうよ」
花託だけ残された花の残骸を見て、青年はくすりと笑う。
【心配せずともあの二人は新月までには帰って来る】
「あなたがそう言うのなら間違いないのでしょう。花占いをしていたのはちょっとした暇つぶしですよ」
花弁のなくなった花を青年は床に落とす。
「さてと僕も祭りの準備に取り掛かろうかな」
青年の目線の先には宝箱が三つ。宝箱の中には手のひら大の黒い球体、漆黒の手錠、闇色の鈴が納められていた。
「もうすぐこれの出番だね、ちゃんと使えるのかな?」
【誰に対して物を言っている】
少女の影が揺らめく。
「失礼しました、確認のために言っただけですよ。でもこんなことになるなら昨年までにレーゲンケーニクライヒ国の復活祭を見に行っておくべきだったかな」
黒い球体を手に取り青年は感慨深げな表情をする。
「来年からは見たくても見れなくなるのだから……」
漆黒の球体が青年の顔を映し鈍く光った。
「早く帰っておいでカルム、会えるのを楽しみにしているよザフィーア・アインスくん。駒は揃った、復活祭の日は水の神子も加えてみんなで楽しく遊ぼうか」
復活祭まであと二日。
◇◇◇◇◇◇◇
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