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三話「ミリュー川とミッテ川」
しおりを挟む目が覚めたとき全裸の男が覆いかぶさっていて、唇にキスされていたら誰だって驚くだろう。
「気がついたか……」
「何すんだよ! この変態!」
ゆえに相手を殴るという行動に至っても仕方ない、事故だ。
◇◇◇◇◇
「すみませんでした」
俺は全裸で土下座している。
「いや分かればよい、こっちに来て火に当たれ」
「はい」
お言葉に甘え、たき火の側に近づく。
火の暖かさが心地よく、ホッと息をつく。
「飲め」
「ありがとうございます」
差し出されたカップを受け取る。
ただのお湯だけど、今の俺にはじっくり煮込んだ高級ホテルのコンソメスープよりありがたかった。
フーフーして飲み込むと、お湯が体の中をめぐる。あったかい、生きてるって実感する。
「こんな季節にミリュー川で寒中水泳とはな」
「ハハハ、ちょっと足を滑らせまして……」
刺客に襲われ崖から飛び降りました、とはさすがに言えない。
俺に覆いかぶさっていたのは、溺れている俺を偶然見つけ、冷たい川に飛び込み助けてくれた人だった。
服を着ていなかったのは飛び込む時に脱いだから。唇と唇が触れ合っていたのはキスではなく人工呼吸。
めちゃくちゃいい人、命の恩人、そんな人を変態と勘違いして殴ってしまったわけだ。本当に申し訳ない。
あれっ? でも漫画のザフィーアは、刺客から逃げてる間に崖が崩れて崖下に転落してたよな。
でも現実のザフィーアは自らの意志で崖から飛び降りていた……この差はいったい?
まあどうでもいいか、ささいな差だ。
前世の記憶を取り戻したとき、ザフィーアの記憶も受け継いだ。
と言っても昔親に読んでもらった絵本みたいな感じで、ところどころ曖昧だが。
この世界の言葉や知識は入っているから、生きていくのに不自由はなさそうだ。
「私の名はノヴァ・シャランジェール、そなたの名は?」
「えっと……」
正直にザフィーア・アインスと名乗るのは得策じゃないよな、命を狙われたわけだし。
ザフィーアを襲ったやつらが、崖から落ちたザフィーアの死体を探しに来ないとも限らない。
かと言って竜胆蘭なんて、まんま異世界人の名前は名乗れないし。
それにこの人……ノヴァさんの言った地名と名前が気になる。
ノヴァさんは、俺が溺れていた川を「ミリュー川」と言った。
ミリュー川は国境を流れていて「ミリュー」は隣国ボワアンピール帝国の言葉で「中間」を意味する。
ザフィーアの暮らしていたのは「レーゲンケーニクライヒ国」。
レーゲンケーニクライヒ国の言葉で「中間」は「ミッテ」、ゆえにこの川はレーゲンケーニクライヒ国では「ミッテ川」と呼ばれていた。
国が変わっても言語は同じだ、ただ人の名前や地名の呼び方が少し変わる。
国が変われば言語も変わるんじゃないのかよ。名前と地名の呼び方だけ違うとか、ややこしいだけだろ。漫画の世界だけあってご都合主義だな。
崖から落ちてミリュー川を流れている間に、対岸のボワアンピール帝国に流れ着いたってことか?
ノヴァさんの姓「シャランジェール」はボワアンピールの言葉で「挑戦者」を意味する。名前から判断してノヴァさんはボワアンピール人だと思って間違いなさそうだ。
ボワアンピール側に流れ着いたのはラッキーだった。母国でザフィーアは嫌われまくってたからな。
幽閉先の教会に行かなかったから、死んだか、逃げたってことになってるはず。
レーゲンケーニクライヒ国には戻らない方が良さそうだ。
さすがに、隣国のボワアンピールまで悪名はとどろいてないだろう。
ボワアンピール帝国にはボワアンピールの神様がいるので、水竜は信仰されてないし、神子も崇拝されていない。
神子を害した悪人(冤罪)だと知られたところでさして問題はないが、王太子や神子の手下が探しに来たら面倒だ。偽名を使うのが得策だろう。
名前を付けるなら、ボワアンピール帝国人っぽい名前がいいよな。ボワアンピール帝国で暮らすわけだし。
「ザフィーア」のボワアンピール読みは「サフィール」だが、さすがに安直すぎる。どうせなら全然違う名前がいい。
うーん、考えあぐね上を見ると澄み渡る空が広がっていた。
空か、確かボワアンピール帝国の言葉で……。
「空、俺の名前はシエルです」
「シエルか、良い名だ」
ノヴァさんがふわっと笑う。
あっ、笑うとこんな顔になるんだ。
ノヴァさんは腰まで届く銀色の髪、鋭く光るアメジストの瞳の持ち主。
六つに割れた腹筋を持ち、たくましい腕をしているが、ガチムチではなく細マッチョと言った感じだ。
顔が整い過ぎていてともすれば冷たい印象を与えるが、笑うと爽やかな好青年に変わる。
「風邪を引くぞ」
「えっ?」
ノヴァさんが自身の足をポンポンとたたく。
もしかしてそこに座れってこと?
俺の着ていたシャツは現在乾かしているところだ。
シャツ以外の服は川で溺れている間に流されてしまったらしい。
断罪イベントは卒業パーティで行われた、今はおそらく三月の中旬。
日も傾いてきたし、たき火にあたっているとはいえ全裸で夜を越すのはきつい。
男と裸で抱き合う趣味はないが、命には変えられない。
言い忘れてたけど、ノヴァさんも全裸だ。
川に飛び込む前に脱ぎ捨てた服が、運悪く水たまりに落ちてしまったらしい。
助けてくれた人に言うことじゃないけど、ノヴァさんて意外とドジなんだな。
ノヴァさんの服も俺の服と一緒に乾かしている最中だ。
「失礼します」
俺は遠慮がちにノヴァさんに近づく。ノヴァさんの膝に腰を下ろすと、後ろからたくましい腕に抱きしめられた。
これでノヴァさんのちんこが勃起していたならぶん殴っているところだが、そんな様子はない。
おそらく俺が落ちないように支えてくれているのだろう。
ノヴァさんの長くて器用そうな指が、俺の腕と足の先を撫でた。
セクハラか? やはり不用意に膝の上に乗るべきではなかっただろうか?
「回復」
ノヴァさんの手が光ると、腕に出来たあざと、足にあった無数の小さな傷が消えていった。
魔法を生で見るのは初めてで、俺は感動していた。
腕のあざは王都で民衆に大きめの石を投げつけられた時にできたもので、足の傷は王都から国境まで裸足で歩いたときに出来たものだ。
「ありがとうございます」
ノヴァさんの親切をまた誤解するところだった。
膝の上に乗ったまま振り返り、頭を下げる。
「足に尋常でない数の切り傷があったが、靴を履いていなかったのか?」
心臓がドキリと跳ねる。護送されている時に出来た傷だとは言えない。
「えっと、靴を無くしまして……」
自分でも苦しい言い訳だと思う。
「そうか、では腕の傷は?」
再び胸がドキンと跳ねる。
「か、川を流されているときにできたのかな?」
しらばっくれてみたが、だいぶわざとらしくなってしまった。
「そうか」
ありがたいことに、ノヴァさんはそれ以上なにも聞いて来なかった。
俺は安堵の息をはき、ぬるくなったお湯を飲んだ。
その夜はノヴァさんに抱きしめられて眠った。
◇◇◇◇◇
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