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25 星の印

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 王都東区、スラムへ続く道にて。

「はぁ、はぁ……! クソ、クソッ!」

 夜の闇に包まれる道を必死な形相で走る男が一人。

 男は王国騎士に支給される鎧を着ていた。その証拠に鎧の胸部分には王都騎士団を示す「王家の紋章と剣」がペイントされている。

「何なんだッ! 何だってんだ、アイツは!」

 ガチャガチャと金属製の鎧を鳴らし、時より後ろを振り返りながら走る様は誰かに追われているようだ。

「どうして、どうしてこうなったッ! どうしてバレやがったんだッ!」

 この男は王都騎士団所属の騎士であったが、つい先日に騎士団を抜け出して逃亡生活を余儀なくされた。そうなった経緯は、騎士団長主導による騎士団内部の調査が始まったからだ。

 先に調査を受けた仲間によると、騎士団長及び数人の幹部の前で衣服を脱ぐ事を指示されたという。

 何も関係ない者からすれば「どうして衣服を?」と首を傾げるような話であるが、この男は同僚から話を聞いた途端に騎士団本部をコッソリと抜け出した。

 その理由は彼の胸板に星の入れ墨が入っているからだろう。

 この入れ墨は闇ギルドの仕事を何度か行っていると、処刑人の証として体に入れるよう指示があったからだ。指定された店に行き、そこの店主に問答無用で体に彫られた。本人も拒否すれば命が無いと分かっていたせいか、拒否する事はなかった。

 勿論、いつかは入れ墨が仇になるのではと思った事もある。しかし、体に彫ってから二年以上もバレる事は無かったし、今回のように調査が始まる事など無かった。

 安心しきっていた。騎士団よりも大きな組織が自分を守ってくれると思い込んでいた。

「クソ、クソ、クソッ!!」

 しかし、それは勝手な幻想だったのだ。

 同じく星を体に入れた上司は何者かに殺されて死体になった。もう一人の仲間は騎士団を抜け出す時に捕まってしまった。

 そして、今。自分も何者かに追われている。ただ、追って来るのは騎士団の人間じゃない。

 以前、闇ギルドに殺すように指示された「黒ドレス」だ。

「ま、撒いたか……?」 

 スラムに逃げ込んだ男は暗い小道に入り、壁に寄り掛かりながら息を殺す。そうして追手の足音が無い事を確認した。

 周囲はシンと静まり返る。人の足音は聞こえず、気配も感じない。

「ふぅ、ふぅ……。はぁ、はぁ……」

 追手は撒いた。そう確信した男は大きく息を吐いて呼吸を整え始めた。全速力で走って来たせいで、カラカラに乾いた喉からは痛みすら感じてしまう。

 ただ、ゆっくりはしていられない。

「よし、まずはスラムで潜伏して……。王都を出て――」

 生存への道を零していると……。背後に気配を感じた。それを認知した瞬間、背中がゾワリと冷える。

「…………」

 背後には真っ暗な道。何もない。何もいない。いるはずがない、と自分に言い聞かせながら男は振り返った。

「ああ……」

 しかし、男の願いは虚しくも神には届かず。

「ごきげんよう」

 暗い小道の奥には黒がいた。黒いドレスを着て、意味不明な仮面をつけた女がいた。そう、彼女こそが男を追っていた者。

 ガーベラ・ビルワースは仮面越しに男へ声を掛けた。

「お、お前が……。お前が隊長を殺したのか?」

 男は息を整えながら、質問を口にする。少しでも時間を稼ぎ、逃げるタイミングを見計らっているのだろう。男は口を動かしながらも、眼球は四方をぎょろぎょろと探るように動かしていた。

「隊長? ああ、あのタリスマンを持っていた男でして?」

 男が「そうだ」と返すと、ガーベラは仮面が浮かべる表情とマッチするように、弾むような声で「ええ、私が殺しましたのよ」と答えを肯定した。

「騎士団に情報を漏らしたのもお前かッ!?」

「ええ。貴方達が自らの体に印を彫っているものですから。騎士団長を煽ったら……。ふふ」

 まんまと男は逃げ出し、こうして人気の無い場所でご対面といった状況だ。してやられた結果に、男は苛立ちを覚えたようで「チッ」と舌打ちを鳴らす。

「……俺を追った目的は?」

 周囲を探るように動かしていた眼球はガーベラに向けられ、手は腰の剣に伸びた。どうやら逃げてもすぐに追いつかれると判断したのだろう。

「貴方と闇ギルドの繋がり。ですが、闇ギルドの幹部と貴方達が直接会っていないのは既に知っていますわ」

 この辺りの情報は既に屋敷で尋問した騎士――隊長と呼ばれた男――を通して入手済みである。

「闇ギルドとの接触を期待しましたけど……。それも無さそうね?」

 敢えて騎士団に情報を与え、この男が逃げる様子を観察してはいたものの、どうにもスラムで潜伏する動きしか見せない。よって、闇ギルドの支援は受けられないのであろうとガーベラは推測した。

 彼女の推測を肯定するように、男の肩がピクリと跳ねる。

「手詰まりかと思いましたわ。でも、一つ思いつきましたのよ」

 そう言って、ガーベラは男の体に人差し指を向けた。

「貴方の体に彫られた入れ墨。それをどこで入れたのか。ヒントになるかもしれませんわね?」

 鋭い考察だ。先述した通り、男は刺青を入れる際に店を指定された。闇ギルドの息が掛かった店である事は明確である。

「ハッ。俺が教えると思ってんのかよ?」

「ええ。貴方は吐きますわよ」

 男は一度ガーベラと戦っている。三人同時に攻めても殺す事はできなかった。その実力を知っているからか、男は精一杯の虚勢を張りながら剣を抜こうとするが―― 一瞬で視界が黒に塗りつぶされた。

 正確に言えば、一足飛びにガーベラが男へと肉薄してきた。視界に映ったのは彼女の手に装着された黒いグローブだ。

「ゲェハッ!?」

 一瞬の接近、その勢いで繰り出された鋭い右ストレート。男は鼻の骨がぐにゃりと曲がる感触を覚えた。次の瞬間には鼻と右腕から燃えるような熱を感じる。

 鼻は骨が折れて鼻血が噴出し、右腕はナイフを刺されたからだろう。一対三でもガーベラは退けたのだ。一対一でこの男が彼女に敵うはずもない。それも、隊長と呼ばれていた男よりも格下であれば猶更だ。

「この、ギャッ!?」

 何とか反撃しようと試みるが、すぐに左腕の関節――鎧とガントレットの間――にナイフが突き刺さった。両腕が機能しなくなると、男はガーベラの細い腕で壁に押し込まれてしまう。

 首元を左腕で押さえられると、左腕に刺さっていたナイフが抜かれた。ガーベラは男の眼前にナイフの刃を見せつけながら問う。

「さて、どこで入れ墨を入れたのかしら?」

「だ、誰がしゃべああああああッ!!」

 喋るか、と言い切る前に、今度は脇腹に激痛が走る。鎧の隙間からナイフで刺されたのだろう。

「うーん? よく聞こえませんでしたわ。次は目でもくり抜けば喋るかしら?」

 ガーベラは男に血が付着した刃を再び見せつけ、ナイフの先端を眼球スレスレまで近づける。

「クソ、クソ……! 南区にある、クロード・ジアって店だ! そこで入れ墨を入れた!」

「本当に? 嘘ではなくて?」

「嘘じゃねえ! 本当! 本当だ!」

 激痛に耐えかねた男が情報を吐くと、ガーベラは眼球の前からナイフの刃を引いた。

「他に闇ギルドについて知っている事はありまして?」

「し、知らねえ! 他にはもう――ああああああッ!!」

 再び言い切る前に、男は左目に銀が走った。シュッと風を切るような音の後、男は左目から激痛が走る。同時に左目から得られる視界情報の一切が途絶えてしまった。

 左目を切り裂かれた。そう感じると同時に、全てを喋らなければこの苦痛は終わらないのだと男は悟る。

「て、手紙! 依頼の手紙には星の、星の封蝋がされていた! もう知らない! もう本当に知らないんだ!!」

 男曰く、手紙には五つの星を描いた封蝋が押されていたという。

「ふぅん……。星、ね」

 入れ墨も星である事から、闇ギルドの印には「星」が関連しているのだろうか。 

「も、もういいだろう……。頼む、頼むから……」

「ええ。楽にして差し上げますわね」

 ガーベラは慈悲の言葉と共に首元を押さえていた腕を外すと、男の喉元にナイフを突き刺した。

「ゲ、ガ、ハ……」

 喉を切り裂くと男の体はずるずると地面に沈んでいく。血を払ったガーベラはホルスターにナイフを仕舞い、男の死体に背を向けて小道の奥へと歩き始めた。

 ゴミ箱を足場に屋根へと登ると深夜のスラムを屋根伝いに走りながら、屋敷の方向へと戻って行く。

 ――しかし、スラムを駆ける彼女の背を闇から覗く人物がいた。

 ぴっちりと体に張り付くような柔軟性のある上下一体型の服。その上に茶色の革で作られた軽装用の防具を身に着けて。体のラインが浮き出る装備に身を包んだ人物の性別は女性であると一目で分かる。

 それに背中まで伸びた長い茶色の髪も性別を示すには十分な情報と言えるだろう。

 しかし、人相は不明。その理由はガーベラと同じく仮面を装着していたからだ。といっても、彼女の場合は猫を模したような白いドミノマスクであったが。

 謎の人物はガーベラと同じく屋根伝いに跡を追う。

 ただ、追跡対象であるガーベラとの距離はかなり開いている。見渡しの良い屋根上であったとしても、その距離は数百メートルと随分遠い。

 しかし、時より目の部分に筒のような物を当てる行動を見せる。この道具を使って追跡対象を見失わないようにしているようだ。

 結局、最後までガーベラが追跡者に気付く事はなかった。かなりの距離があったのも原因であるが、この人物が持つ追跡技術がガーベラ以上の実力だったという事もあるだろう。

 気付かぬガーベラが屋敷に入っていくのを確認すると、その人物は遠く離れた家の屋根の上で小さく呟いた。

「……ガーベラ・ビルワース」
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