塞ぐ

虎島沙風

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第一章

第四節

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 華那に話しかけてきたのは、中学からの友人である清水雪弥しみずゆきやである。黒短髪で鼻筋が通っており、奥二重の僅かにつり上がっている綺麗な瞳が特徴的だ。
 実は、校庭の前を通り過ぎる際に緊張していたのは、雪弥と遭遇してしまわないだろうかと不安に思っていたからなのだ。その不安が的中してしまいかなり戸惑ったが、とりあえず動揺を悟られないように短く返すことにした。
「何?」
「……何だよ。相変わらず冷てぇな」
 雪弥は呆れたような表情でそう言ったが、口元には微笑みを浮かべているのでどうやら怒ってはいないようだ。いつも通りだと思われたならいいや。上手く誤魔化せたようで華那は胸を撫で下ろした。
 雪弥に冷たいなと言われてしまったが、中学の時から意識的に冷たく接するようにしている。それは、これ以上雪弥に距離を詰められてしまったら困るからだ。
「部活はどうしたの?」
 華那はわざと素っ気なく訊いた。
「ああ、今は休憩中でお前を見つけたから来たんだ」
 雪弥はそう返すと、頬に垂れてきた汗を手の甲で拭った。直前の練習がハードなものだったのか、それとも走ってきたのか。サッカー部で日を浴びているのにも関わらず、日焼けをしていない白い頬はほんのりと赤くなっている。えっ、休憩中にわざわざ私のところに来たの? もしかしたら大事な話があるのかもしれない。いったい何だろうか。華那は内心ひどく動揺していたが表向きには平静を装った。
「それで、私に何か用事?」
「猫……、猫に会いにお前の家に行ってもいいか?」
「ね、猫?」
 予想外の言葉に拍子抜けする。猫にそんなに会いたいの──?
「ほら。中学の時にも何度か遊びに行った事あっただろ? その時にいた、あの……、黒猫がマジで可愛いかったから」
 「シホ」のことか、と察する。華那が自宅で飼っている猫は三匹いるが、黒猫は一匹だけでその猫が「シホ」という名前だ。
 華那は雪弥が猫好きだということは充分知っているし、小三の頃に黒猫が最も好きで飼いたいのだが、母親が猫アレルギーだから飼えないのだと残念そうに言っていた。また、中学の頃に雪弥が華那の家に遊びに来た時は必ず、猫たちを愛おしそうに撫でたり、リボンを使って楽しそうに遊んだりしていた。
 しかし、華那が雪弥と最後に話したのは去年の秋だ。今日と同じく、雪弥の方から話しかけてきた。

 去年の十一月十五日。華那は歯医者に行く予定があり、裏門から下校する為に校庭の前を通り過ぎていた。すると、雪弥が近くにある部室の中からちょうど出てきた。
 雪弥は華那と目が合った途端、『あっ、華那! もう帰るのか?』と訊いてきた。
 ポーカーフェイスの雪弥にしては珍しい、くつろぐ猫のような穏やかな表情をしていた。だから華那は、ごく自然な笑顔を浮かべながら『うん』と頷くことができた。
『今日は部活休みだから。雪弥は今から部活?』
『ああ。……なぁ、お前っていつも裏門から下校してたっけ?』
『ううん、いつもは正門からだよ。でも、今日は歯医者に行くの。歯医者は正門より裏門から出る方が近いから今日だけ』
『何だ、そうだったのか……。歯医者って事は、虫歯が出来たのか?』
 雪弥がそう尋ねてきたので、華那はかぶりを振った。
『違うよ、定期検診。定期的に行った方が予防出来るし安心だよ。雪弥も行ったら?』
 華那が勧めると雪弥は首を横に振った。
『いや、俺は虫歯ないから別に良いよ』
 そう答えた時に雪弥はなぜかばつの悪そうな表情をしていた。どうしたんだろう、と華那は怪訝に思ったが。とりあえず、思いついた質問をしてみた。
『もしかして歯医者苦手なの?』
『違ぇよ』
 雪弥は間髪入れずに否定して、やがて不貞腐れたような顔でこう続けた。
『放課後は部活で忙しいからだよ。それに、行くの結構面倒だろ』
『……ふーん』
『おい、何だその目は。俺は歯医者に一切、苦手意識は持ってないからな?』
 華那が疑いの眼差しを向けている事に気づいたのだろうか。雪弥はきっぱりした声で否定していた。

 このように雪弥とは他愛のない話をしただけだ。だが、この出来事があったので、華那は部室から雪弥が出てこないかどうかを念の為に確認していたのだ。また、これ以降、雪弥と会話する回数は徐々に減っていった。
 だから今年、華那が雪弥と話をするのは、今日が初めてである。だというのに、初めて話す内容が華那の飼い猫に会いたいから家に遊びに来たいなんて、唐突過ぎてついていけない。
「最近すげぇ疲れてるから、少しでも癒されたいんだ」
 だが、雪弥は華那を置いて話し続けたので、何とかついていこうと反論した。
「何それ! 癒しの為だけに私の家を利用しないでよ。……それに黒猫じゃなくて『シホ』だし」
 猫の名前も覚えてないなんて怪しい! 何か企んでるのかも。華那は疑いつつ雪弥をじーっと見詰めた。自分が疑われていることに気づいたのだろうか、「そう!」と雪弥は慌てた様子で相槌を打った。
「『シホ』だ。覚えてるに決まってるだろ。緊張してて一瞬忘れちまっただけで……。でさ、明日からテスト一週間前で部活休みになるよな? だから、もし明日空いてたら──」
 華那は思わず雪弥の言葉を遮った。
「ちょっとストップ! 何で雪弥は緊張してるの?」
 こちらは、久しぶりにお喋りしているので死ぬほど緊張している。しかし、あちらも本当に緊張しているのか。
 雪弥は勉強や得意なサッカーだけではなく初めて行う作業も涼しい顔で器用にこなしていた。もちろん、人前で『緊張してて』という発言したことは華那が知る限りなく、これが初めてである。だから、雪弥が緊張していることがどうしても信じられなかった。
「久しぶりにお前と話すからだよ。……誰だって緊張するし、別に緊張したっていいだろ」
 雪弥は言い終わるとすぐに華那から目を逸らして、落ち着かなさそうに自分の頰を触った。
 そんな雪弥が珍しくて、
「へぇ。何でも完璧にこなす清水くんでも緊張するんだ?」
 華那はついからかうような口調で訊いた。すると、雪弥はむすっとした表情で口を開いた。
「緊張するに決まってるだろ。お前、俺のことを何だと思ってんだよ。俺は普通の人間だぞ。……それから、去年から思ってたけど『清水くん』って呼ぶのやめろよ。中学の時は『雪弥』って呼んでたのに──」

 
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