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#4-2兄につきまして
しおりを挟むテニスコート二面分はありそうな父の両翼は雲を抜け、地上を覆う深い森林を見下ろした。
着いたのは周りの木々より一際大きな金木犀の根本。金木犀。金・木犀。失礼。金不足もいよいよ深刻である。
それはさて置き、金木犀は好きだ。前世から少々思い入れのある花なので感慨深い。
あちこち芽吹いたオレンジ色の小花と甘い香りに癒されていると、隣から超弩級の爆弾が落っこちてきた。
『お前の母だ』
おおう。
点になった目をパチパチ瞬かせ、眼前の大樹を仰ぎ見る。どこからどう見ても木だ。父親がドラゴンで、母親が木。なんてこった。ファンタジー世界、恐るべし。
聞きたい。切実に聞きたい。
伝家の宝刀「お父さん、子供はどうやったらできるの?」を抜きたい。頭の中で大樹とズッコンバッコン宜しくやっているドラゴンを想像してしまう。それ、最早自慰では。
『お前が生まれる少し前、目の前で我が子を亡くしてな。以来、心を閉ざしてしまった。幾度呼びかけようと答えてくれん』
『我が子……俺の兄弟?』
『そうだ。お前の兄だ』
初耳だ。俺には兄がいたらしい。
『お前の兄は幼きながらも偉大な竜であった。どの竜よりも剛毅であり、どの竜よりも豪胆であり、どの竜よりも竜らしい竜であった。その漲る竜気たるや、荒れ狂う大海のように激しく底が見えぬほどだ。我が子ながら、あれはやろうと思えば世界を燃き尽くすこともできたであろう』
そんなに強いドラゴンだったのかと見上げたオッドアイは、苦し気に細まっていた。
『だが独り立ちを控えたある日……あれは母親の根本で倒れていた。目玉を刳り貫かれた状態で、息も絶え絶えであった』
『一体何が……?』
『分からん。この森は竜窟からの竜気に触れて一部異界化している。竜しか踏み入ることのない竜の聖域なのだ。だが竜は仲間を決して殺さない。竜も皆、我が子の死を嘆き悲しんでいた。我はあの気高き竜達が嘘を吐いているとは思えない。思いたくもない』
父はだが、とオッドアイを和らげた。
『あれはやはり最高の竜であった。我ら夫婦が見守る中、あれは最後の力を振り絞り、狡猾に笑ってみせこう言い放った』
――竜よ、天を貫くほどに傲慢であれ。
その言葉を聞いた途端、胸が焼け焦げるほどの懐かしさに襲われた。眼球の裏側にカッと熱が篭る。そして同時に理解した。
俺は、俺は本当にドラゴンに……竜になってしまったのだ。前世では人間という哺乳類の一種だった。けれど今はもう、大事な何かが根本から違うのを、痛いほど理解してしまった。
『竜は皆、強い。この世の生ける物全てを圧倒する強者だ。強者であるが故に唯一、傲慢であることが許される。竜であるが故に傲慢であり、傲慢であるが故に竜なのだ』
父はかつて兄の倒れ伏せていたであろう妻の根本から、青く突き抜ける大空を見上げた。
『我らに翼があるのはその傲慢にも限界があるという事を思い知らせる為なのかもしれん。若き傲慢な竜ほど空高く舞い上がり、ある到達点に至って翼が凍り、落下する。どれほど傲慢であろうと空の全てを制することは出来ないのだと』
だがそれでも、と父は笑った。
『それでも尚、竜は傲慢であれ。限界を告げる空すら貫くほどの傲慢であれ。竜は皆この言葉を胸にして生きる。空の天辺にすら心を折らぬ竜は真の傲慢であり、それを誇りとして生き、例えその傲慢が我らの身を滅ぼそうと構わない。それが我ら竜というものなのだ』
柔らかい光を湛えたオッドアイが静かに俺を見つめた。
『我は最後まで傲慢を忘れなかった我が子を誇りに思う。あれは傲慢にも己の死すら鼻で笑った。そして光の粒となって消えた。要因が何であれ、目を刳り貫いたのが誰であれ、あれは満足に逝った。それだけで十分だ。それに今、また新たな命がここにある』
『竜よ、天を貫くほどに傲慢であれ……』
『そうだ。それを忘れるな。お前が竜以外の種族で生涯最も守りたい存在が出来た時、その言葉を教えてやると良い。竜よ、天を貫くほどに傲慢であれ。お前もまた竜であるならば、己の心を傲慢に解き放つが良い』
そうか。何故父が俺を母の元に連れてきてくれたのか。何故こんな話をしてくれたのか。すとんと胸に落ちてきた回答に俺は自然と口を開いた。
『父よ、俺は金が好きなんだ。そりゃもう筋金入りさ。愛でたくって愛でたくってたまらない。その愛でたさたるや父の黄色い片目で気を紛らわせないといけない位たまらないんだよ』
父はオッドアイを丸くした直後、大きな笑い声を森中に轟かせた。
『お前はやはり我の子だ!』
ひとしきりを轟音を鳴らした後、喉を引き攣らせながらも父は内緒話をするように俺の耳元で囁いた。
『お前に我の竜名を教えてやろう。我は【慈しむもの】。愛しきものを慈しむことで竜気を得る、慈しみの竜なのだ』
悪戯っぽい眼差しで、そっと頬ずりしてくる【慈しむもの】に【愛でるもの】は笑った。
風もないのに金木犀の梢がさわさわと揺れる。どこか嬉しげな、甘い香り漂う小花を視界に入れながら、俺は考えた。
いつか俺にも、あの言葉を誰かに告げられる日は来るのだろうか。
遠くの方で雷の唸りが聞こえる。
嵐が春を告げていた。
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